余聞 禍炎の国の日常
なんということはない、平穏な日々が続いていた。
愛用の斧をぶん回し、湧いた魔霊をすり潰す。そんなありふれた日常を過ごすマーガレットは、総ての終わりを覚悟した日のことを思い出す。
「――あれからもう二ヶ月かい。あの子らは元気に……」
呟きかけた言葉が途中で止まる。彼女にとっては命の恩人でもある、あの火色の少年とその仲間たちが元気でないところなど、とても想像ができなかった。
まぁ元気なのは間違いないとして、元気すぎて無茶を……していることですら彼らには日常であるように思えてしまって、恰幅の良い中年女性は苦笑する。
「たいていのムチャはなんとかしちまいそうだねぇ」
むしろどうにもならない無茶をしようとしていたのはあの日の自分か、とマーガレットは最期の日――に、なるはずであった日のことを想った。
地中の精石分布と、それまでに湧いた魔霊の位置情報により、魔霊氾濫の規模は大まかにだが予測できた。いや、経験を積み上げて、なんとか推測できるようになった、というべきだろうか。
結論。前回から期間が空きすぎており、どこかで無理を通す必要がある。
喧々諤々と正解の無い議論を続ける指令所の面々に、着の身着のままで駆けつけたマーガレットが告げた。
「アタシが適任だろう?」
提案、ではなく、断定だ。
マーガレットには火を操る高い適性があった。
けれど彼女には火に対する耐性がほとんどなかった。
彼女の扱う火は、彼女自身をも焼く。
禍炎の国では稀にそういう者が生まれる。炎に深く愛され、抱擁を以て連れて逝かれてしまう者――何故かその全てが女性であることから、炎の花嫁、などと呼ばれている。
そういう意味では自分は行き遅れだ、とマーガレットは嗤って、口に出しては別のことを言う。
「一番多いとこを教えなよ、アタシなら最悪、道連れにできる」
マーガレットの全力は、使えば確実に自分も死に至るが、それだけに火力は破格だった。何より大きいのは、彼女ならたったひとりで最大数に対処できる点だ。
これで他所には余裕ができるだろう。
「……貴女が抜かれた場合に備え、後詰を用意します。ある程度時間を稼げば、状況に応じ、撤退を」
「何を甘いことを、」眉根を寄せたマーガレットの言葉は半ばで遮られる。
「犠牲前提の策など下策。全員が生き延びる可能性は残します。マーガレット様には一番可能性の低い部分を受け持っていただくことになりますが……」
迂遠な物言いに、はぁ、とため息ひとつ。
「――死ぬ可能性があるのは、アタシだけなんだね?」
「可能性は全員にあります。が、貴女のそれが飛び抜けて高いものになります」
それでも最初から確実なものには断じてしないと、マーガレットよりいくらか若いその男は言った。そこが絶対に譲れないラインであると。
「……まったく、甘いこったねぇ。しゃーない、ギリギリまで粘ってみるさ」
肩を竦め、ひらひらと手を振りながら担当地区へ向かうマーガレットの背に「ご武運を」と、謹厳実直な声がかかる。
――ま、運が良ければ生き延びることもあるだろうさ。
両親の言いつけを守って、ずっとひとりでがんばってきた姪が、ひとりぼっちではなくなるのを見届けた。兄夫婦の忘れ形見が、仲間を得て旅立ったのだ。
ならば。
「今日は死ぬには良い日だよ」
戦場に赴く戦士の常套句を、しかしマーガレットは言葉通りの意味で口にした。
心残りは、既に無い。
「できれば死なずに戻ってください」
野暮な指揮官の声には、振り返らずに手を上げるだけで応えて。
実はこの時点で生存が確定していた死地へと赴いた。後に自身の言動を恥ずかしく思い返すことになろうなどとは、夢にも思わずに。
――それでも、笑い話になったのならば、それで良い。
結局最後まで、血縁者であることは伝えられなかったけれど。
「ま、笑っていてくれりゃあ、それでいいさね」
笑って逝くつもりであった自分に今少しの猶予時間をくれた少年と、この国で生まれて上手に生きられなかった少女に幸多かれと願う。
せめて、そう願うことくらいは許してほしいと。勝手に居なくなって、勝手に逝ってしまった兄夫婦に、マーガレットは祈った。
悲壮な覚悟が恥ずかしかったのは実はルビアちゃんだけじゃなかったって話を、前回までのおさらいがてら。
おばちゃんの火は、まぁアレです、メガ〇テ。
一週間ぶりのクセして短かったので、次はなるたけ急ぎます。
次回「海の都」(仮)お楽しみに。