第99話 雲の上の城へ
前回のあらすじ
魔王の封印(外出禁止とも言う)が決まった。決まった?
早速移動を。と、ハルは考えたのだが、そこで些細な問題が持ち上がった。
「前衛後衛のバランスを考えればボクが適任だよ」
「いえ、空中で近接戦闘もないでしょう、遠距離攻撃が可能な私の方が適役です」
雲上郭に向かうのに、シグルヴェインとサラ、どちらがハルとグリフォンに相乗りをするのかという、ハルにしてみれば至極どうでもいい問題が。
「遠距離攻撃、というのなら白鴉を貸してもらえれば充分だよ。いざという時のために近接戦闘もできた方が絶対良い」
「白鴉なら私と一緒の方がより効率的な連携が可能です。ここは私が……」
仕事熱心というかなんというか。このふたり、魔王のために働きたくて仕方がないようだ。
勘違いしてはいけない。ハルは改めて自身を戒める。彼と彼女の『ために』はあくまで魔王――魔女の後継に対するものであって、そこにウィルムハルトという人格は無関係だ。
――まぁ、最近では多少なりと認められているようでもあるけれど……
「もういっそ他のひとにお願いしますか?」
自分を素通りする感情がめんどくさくなって、ハルがそんなことを言うのに、他の誰が陛下を護るのか、と息ぴったりな否定が返る。違ったのは語尾だけだ。
「なんならオレが後ろに乗せてやろうか?」白炎――まだ名前を知らない――が嗤う「ついうっかり振り落としちまうかもしれねぇけどな」
護衛ふたりの激発よりも、ハルのため息の方が早かった。
「そんなことしても、思い知るだけですよ?」
「――思い知る?」
意味がわからない、と眉根を寄せる赤くない炎に、ハルはいつもと変わらぬ笑顔で答えた。
「貴方じゃ私は殺せない、と。」
これに白炎は牙を剥くが、アビス・ブルーが大笑したことで出鼻をくじかれたようだった。
「なかなか言うではないか、魔王」
「事実ですので。やろうと思えば空だって飛べますよ、私は」
ふざけたことを、と白炎が吐き捨てるのとほぼ同時だった。
「あぁ、そういえばそうでしたね」
苦笑と共に、サラがそう呟いたのは。
「待て。それは実際に空を飛んでみせた、という意味か?」
アビス・ブルーが食いつくのに、答えたのはハルだった。
「まぁ、アレは自在に飛び回ったのではなく、浮かんだだけですが」
「……自在に飛び回ることも可能だ、と聞こえるが?」
「はい、そう言っています。精れ……輝煌の浪費なのでやりませんが」
ふむ、とアビス・ブルーは右手を口許にやって、短く思案した後に言った。
「城へは私と行くか? 魔王とは話したいことが多く有る」
「それは無理です」答えたのはサラだ。
「――無理?」
「アビス、貴方は騎手をやれないでしょう?」
「だから魔王が……魔王もか。」
言いかけ、途中で納得する。理解が早くてなによりだ、とハルは思ったのだが、同じ理解に至った白炎がまた嘲笑し、魔王の護衛たちがそれに……というやりとりがまた繰り返されることとなった。
――出発はいつになることやら。
口論が夜明けまで続く……と、いったことはさすがに無く、無事夜半には移動を開始できた。予定通り、と言うには少々遅くなりはしたが。
空を行く獣はせわしなくはばたくこともなく、悠然と風に乗っていた。
翼ある精獣は、しかしその羽で空を翔けるわけではない。かなり軽い方だとはいえ、ひとふたりを乗せて飛ぶには、その翼は小さすぎた。
片翼でも両腕を広げたくらいの大きさはあるが、ひとの重みを支えるのにはとても足りない。
精獣の翼は空を往く存在の象徴なのだ。実際にその身を浮かべているのは、精霊術による。だから揺れもほとんどなく、安定したものだ。
細い腰に腕を回してはいるものの、それはほとんど形だけである。
騎手を務める彼女は、すらりと背が高いので、前方はほとんど視界が通らない。身長でいうとハルの方が少し上回るが、大きな差は無いので、すぐ後ろにいると見えるのは彼女の後頭部だけだ。
くす、と笑みがこぼれれば、それを聞きとがめた彼女が「なんですか?」と振り向きもせずに不機嫌な声を投げてくる。
原因が自分に在ることはわかっていたが、それでもハルは、特別機嫌を取るつもりはなかった。
「いえ、楽園へ向かっていた時と同じだな、と思いまして」
あの時も、こうしてサラと相乗りをしていた。商人との取引の時もそうだが、向かう先が居城ともなれば、どうしても最初の時を連想する。
同乗者が彼女なのは、アビス・ブルーに意見を求めた結果だ。どちらでも良かったので丸投げしたとも言う。
「……同じなものですか」
と、どことなく拗ねたような言葉が返る。あいづちを打つように、白銀の鴉が大きくひとつはばたいた。
闇夜に鴉、などと言うが、白い上に精獣である白鴉は月夜に輝くようであった。本質が雷であるだけに、身を潜めるのは得意ではないが、最初からその存在を知っていなければ、自然現象の雷との区別もつかないだろう。
鮮烈でありながら優美な飛翔は、主である雷光の姫にも通じるものだ。
「――どうして陛下は拘禁を受け入れたのです?」
「お世辞にも友好的とは言えない相手に要求を出しましたからね。相応の対価は必要でしょう」
友好的でないのみならず、血の気も多そうな白炎に自重を要求するのだ、何かしらの譲歩は必須だと言えた。それがハルだけで支払えるものなら願ってもない。
はぁ、と、聞えよがしなため息をついてサラは肩越しに視線を投げた。
「一応、皆のことを考えての判断なのですね?」
「私の命は、皆のためにあります」
「……貴方というひとは、まったく。」
間髪入れない即答に、サラが苦笑の気配をにじませて応じた。
「訊いても構いませんか?」
話題の転換は、彼女なりの赦免の証だろうか。
「総てに答えられるわけではありませんが」
ハルはそれに、不実な言葉で返した。そう、答えられない問いも有る。知識に拠らず、感情に拠らず、立場に拠って。
「アビスに海の底、などと言っていましたが、行けるんですか? そんなところ」
幸いと言うべきか、サラの問いは答えても支障の無いものだった。
「私と彼なら何の問題も無いですね。他のひとを連れて行くとなると、少々骨が折れますが。そもそもそれを言うなら、私とサラさんなんて、既に雷雲に突っ込みましたからね?」
ひとが生存できない環境というのなら、似たり寄ったりだろう。
そうでした、とサラが笑った。
冷笑でも苦笑でもない、自然な笑みだった。
「私からもひとつ良いですか?」
「なんなりと」
彼女の冗談めかした応答というのも珍しいな、などとどうでも良いことを考えながら、ハルは気になっていたことを訊いた。
「他の外出中のひとたちも仲が悪いんですか?」
戦える者は楽園の外で活動中だというが、その者らもあの双子のように曲者ぞろいなのだろうか、と。
「あぁ、いえ。あそこまで露骨に攻撃的な者は居ませんよ。
……それにしても陛下、彼にはやけに敵意を向けていますね。皆が言うように、いきなり攻撃されたのだから、当然と言えば当然なのかもしれませんが……なんというか、似つかわしくないように思えます」
問われ、自身の言動を顧みて、ようやくハルは自覚した。
「……あぁ。言われてみればそうですね。たぶん、彼が火だからでしょう。風や氷や鋼――とにかく火でさえなければ、心を乱すことも無かったんでしょうが……
私にとって『火』はアルの色彩であり、それが至上であって、他の火は全部マガイモノだ、ということなんでしょうね。遠く及ばなければ気にもならなかったんでしょうが、なまじ殺害に用いる分には彼に匹敵するだけに不快だったみたいです」
サラがついたため息が呆れのそれだ、というところまではハルもすぐに理解できたが、その理由が冷静さを欠いたこと――ではなく、友人への絶対視に対するものだとまでは気づけない。
良く視える眼を持っていても、総てが視通せるわけではないのだ。
感情は視えても、心までは視通せない。精霊術であれば確実に見抜けるという自信も、眼前のそれを目にして少々揺らいでいた。
「術的な雲ですか。随分と巧妙に偽装されていますね」
天を衝く山、そこにかかる雲が精霊術によるものだと、ハルは目前に至るまで気づくことができなかった。そのこと自体にはむしろ安堵を覚えていたが。これなら雲自体に疑いを持つ者はいないだろう。
「ですが常に雲がかかっていたのでは……」
言いかけたところで、雲を抜けた。
その先に在ったのは、山頂と一体化した城だった。山頂に城が建っているのではない、山頂部分が、そのまま城になっている。ユートピアでは大樹を家にしているが、そのままスケールを大きくしたようなものが雲上郭であった。
背面は天然の山のままであり、面積が大きく取れないためか、縦に長いいくつもの尖塔が、樹木のように枝分かれしている。自然と共生するような非対称形が、ハルにはとても美しいものに思えた。
わかったことが、もうひとつ。
「なるほど。雲は不定期に水へと変じ、光を歪めて前面に背面を映すわけですね。雲がかかっている時は山頂が視通せず、晴れている時はただの山頂にしか見えない。近くで見れば感じる不自然さも、遠目には違和感がないですか」
「見ただけで良くわかりますね」
「少し自信が回復しました」
サラの称賛に思わずそう返してしまい、「……はい?」と怪訝な声を出された。
「いえ、術的に造られた雲が遠目には自然のものにしか視えなくて、ちょっぴり自信を無くしていたんですよ」
「……それで落ち込めることが既に規格外の証明だと思いますが。長い時間をかけておばあ様が構築した護りは、私やシグでは至近距離でも違和感を感じませんよ」
グリフォンは広くとられたバルコニー――よくよく考えればこれが正面入り口だ――にふたりを降ろすと、元来た方角へ飛び去った。白鴉を護衛につけることをハルは提案したが、優先順位が違うとサラに叱られた。
――まぁ、それはそれとして。
「少し眼を鍛えた方が良いかもしれませんね」
せめて違和感くらいは覚えられるようになってもらわなくては。ハルが言うと、サラは険しい表情になった。
不満はハルに対するものではなく、自分自身に向けられたものだろう。それくらいはハルにも理解できた。良くも悪くも、融通の利かない娘だ。その不器用さは、ハルにとって好ましくはあったが。
「……励みます。」
短く応じ、サラは眼下の雲海を睨んだ。
雲の上の城、雲上郭。普通なら息苦しくなって当然の標高だが、魔法に至った者はあらゆる意味で普通ではない。空気も、温度も、精霊たちが命じるまでもなく、快適な環境を保つ。
魔法の到達者は、むしろ人間よりも精霊に近いのかもしれない。
お待たせしました! 背景描写が巧く織り込めず時間がかかってしまいました。もっと文章力を鍛えねば。
いやぁ、このテの現実ではあり得ない光景って、ファンタジー小説の醍醐味ですよね。
次は緊急時に転移できるようにします。頑張れ魔王様!
次回「転移の刻印」(仮)お楽しみに。