第97話 深淵の色彩
前回の無彩色サイド
戦闘要員の帰還と問答無用の攻撃。
しかし魔王には通じない!
以前、サラが言っていた。今は城との交通手段が出払っている、と。
先日の鷲獅子をはじめとする、翼ある精獣がそれなのだという。
雲を貫く程の山頂に築かれた城へと至る道は無く、空を飛ばねば到達できない。登攀が絶対に不可能とまでは言わないが、滑落すれば死が確実な断崖を、目的も無く登る者もないだろう。
雲上郭、とはあくまで仮の呼称らしいが、ハルとしてはシンプルで気に入ったので、そのままで良いのではないかと思っている。
足……というか、この場合翼、と言うべか。とにかく交通手段さえあれば、行き来にさほど時間はかからない。というのがサラの弁だったのだが。
一度城に戻る。そう言って去った双子の再来には実に一週間を要した。
これは連れて来る、と同じく言っていた深淵氏を説き伏せるのに必要とされる所要時間らしい。彼は基本的に自室に籠って思索に耽っているそうで、気が合いそうだ、とハルが失言してサラにお説教をされたりなどしていた。
鷲獅子の背に3人は乗れないようで、まず双子の兄の方がアビスを連れて来た。
地に降り立った痩身の男は、眉間に皺を刻んでいかにも機嫌が悪そうだ。グリフォンのはばたきに乱れる髪を、鬱陶しそうにかき上げている。その色彩は、夜の闇よりも猶暗く、深い……
「――なるほど。」
ぽつり、と呟いたハルに、深淵と呼ばれる男は視線だけで問うてきた。ハルは答えようと口を開きかけ、言葉を選ぶ間を置いた。
そういえばフロストは、絵を描いているのを隠しているのだったか。
「いえ、アビスとだけ呼ばれているとのことでしたが、貴方の色彩は黒ではないのだな、と」
そのようなやりとりをする間に、不機嫌さでは誰にも負けない白炎――そういえばハルはまだ名を知らない――は飛び去った。ちらり、というよりもぎろり、とハルに一瞥を投げただけで、ひとことも発さずに。
話は姉の方も揃ってから、ということだろう。
ちなみにハルの両脇をがっちり固めたサラとシグが、ハルの代わり、とばかりに彼を睨み返したりなどしていたが。
「ほぅ。では私は何色だと云うのだ?」
眉間から皺が消えたアビスに、ハルは答えて言う。
「滄、ですね。深く、暗い、深海の色彩。世界を巡り、総てを知悉した水が行き着く果ての色彩――水底の深淵とでも名付けましょうか」
アビス・ブルーは淡く微笑んだ。
「――なるほど。これが魔王か。」
表情から不機嫌さが消え、微笑を浮かべると、途端に年齢の印象が下がる。20代後半にも見えていたが、存外まだ10代ということもあり得るかもしれない。
「貴方はそれで良いんですか?」
「それ、とはなんだ。曖昧な表現は会話を冗長にする。改めろ」
命令口調に色めき立つシグ――と、何故かサラも――を押しとどめ、答える。
「王が私で良いのか、ということですよ」
「良いも悪いも無かろう。魔女が択んだ。他に理由が必要か?」
「必要、なのではないですか? あの白い双子さんには」
「くだらんな。私はそんなことで呼ばれたのか。
……まぁ、来た甲斐はあったが。お前は魔女以来初めての対話に足る相手だ」
「おや、随分評価されましたね、私。」
「ひと目で魂を見通したのだ、当然だろう。理由も充分、資質も充分――あのふたりは何が不満だと云うのか」
フン、と鼻を鳴らすのに、サラとシグがうんうんと頷いている。
「ま、感情の問題、というやつでしょう。私の代わりに魔女が死んだ――それは動かしようのない事実なので」
「それこそくだらん。そもそも魔女ともあろう者が、」
「深淵さん?」
言葉の切れ目に、すっと割って入る。唇の前で人差し指を立てる、などというあからさまなマネはしない。ハルはただ、片目を閉じて微笑んでみせた。
「なんだ」
何故遮ったのか、とまでは訊かない。聡い相手だと、話が早くて助かる。
「感情の問題、というやつですかね?」
ハルが言うと、アビス・ブルーは「くだらん」と鼻を鳴らした。
さすがに、皆に聞かせるわけにはいかない。
魔女ともあろう者が、なんの意味も無く死ぬものか――などと。その死ですらも予定の内であったのではないか、そんな死者を冒瀆するような思考は、自分や彼のようなひとでなしでなければ受け止められないだろう。そんな思いと共に、やはり魔女の死は見る者が見れば不自然なのだと納得する。
そしてあそこで止めておけば、死んだのはあくまで魔女のミスだ、という発言ともとれる。続くハルの発言もあるからなおさらだ。
とはいえ。
「……なんかみんな、やけにおとなしくないですか?」
ハルがぐるりと見回せば、何故だか一同はぽかんとしていた。
「アビスがこんなにしゃべってるの初めて見たかも」「そっすねー、基本『くだらん』か『無意味だ』以外言わないヒトっすからねー、あっちゃんてば」「あはは……まぁ、ひとあたりの良い方じゃないかなー」
これらに無反応を貫くアビス・ブルーだったが、サニーが『あっちゃん』と呼んだときに眉間の皺が深くなったのをハルは見逃さなかった。
指摘したら彼女が面倒な絡み方をしそうだったので黙っておいたが。
幼いルナは彼のことが苦手なのか、カレンの後ろに隠れている。好奇心旺盛なフロルは相性が良いのかにこにこ笑っていたが。
……ちなみにニクスはもっと本格的に隠れていた。侍獣を使ったのだろう、影も形も見えない。
ハルはふと、笑っていない自分はこんな感じなのかな、と思った。
「久しぶりに会って話が盛り上がる、という感じでもないんですかね」
肩を竦めてハルが言えば、アビス・ブルーは鼻を鳴らした。
「お前が興味深い話題を提供してくれればその限りではないぞ、魔王」
「おや私ですか」クスクスと、笑いが漏れる「こんなムチャを言われるのはアル以来ですね。けれど他の皆も参加できる話題となると……」
正直、彼が相手ならば魔法について深く語れそうな気がしていたハルだが、それは彼以外には禁句である。そのあたりは近い内に話しておくべきだろうか、とは思うが、今できる話となると……そんなふうに軽く思案していると、空からの出入りがあるということで一応あたりを見回っていたサラの白鴉が戻って来た。
何故か主よりも先にハルの方にやってくるのに苦笑しつつ――サラの意向だろうか――腕を掲げて止まらせてやる。
「異常無し、だ。王よ。便乗して侵入してくる者は無かった」
「はい。ご苦労様です、白鴉」
大きな翼を広げて飛び立ち、サラ自身ではなく、その傍らの梢で羽を休める。精獣なので重さはほぼ無いのだが、大きさ的に彼女の肩ではバランスが悪いからだ。
「――待て。」呆然と呟く、アビス・ブルーの声は少しばかりかすれていた「……なんだ、それは?」
「サラさんの侍獣です。名は白鴉」
視線が自分を向いていた、という理由でハルが答えた。
「サラ……? あぁ、純銀か。それも魔王の命名……いや、今それはいい。
――侍獣だと?」
消えた眉間の皺が完全復活していた。
「……あー、はい。ついうっかり、生まれちゃいまして」
嘘偽りなく答えれば、この上なく嘘くさい内容になった。
「侍獣ってついうっかりで生まれるものなの?」「やー、そこはホラ、まおくんっすから」「ルナの時もそうだったし?」「小説よりも奇なり、とは言うけれど、奇っ怪すぎて小説にできないのが考え物だね、彼は」
ひそひそとそんなやりとりが交わされるが、だいたい合ってるので言い返すこともできないハルである。
「――なんだと?」
アビス・ブルーが反応したのは、その内のひとつ。
厳しい目――おそらく本人にとっては真剣な目でしかないのだろうが――を向けられたルナが、完全にカレンの背後に隠れてしまう。
それを追いかけるように回り込もうとして……カレンに頭をはたかれていた。
「……痛いではないか」
「落ち着きなさい。ルナが怯えてるでしょ」
「む。しかし、銀はともかく月にまで侍獣というのは……」
どうやら色彩の本質を端的に呼ぶのが彼の流儀らしい。なかなか詩的だ、などとのんきに構えていると、
「難しい話は魔王君として。」
面倒ごとを丸投げされてしまう。
説明自体は苦ではないので、カレンを介してルナから借りた水月をフロルよりも厄介な知識欲の権化に見せてやりつつ、ふたりが侍獣を得るに至った経緯を語る。
弄り回された仔猫はとても嫌そうにしていた。あとで精石でもあげよう、とハルが思ってしまうくらいに。
このあたりで白の双子が戻って来ていたが、興味の対象を見つけたアビス・ブルーは止まらない。気にせず話を続けようとするのに、兄の方が肩を摑む。
「そんなこと今はどうでもいいだろ!」
これは完全に失言だった。
「そんなこと?」言われた言葉を繰り返し、振り返ったアビス・ブルーの顔からは表情が抜け落ちていた「貴様、私の思索を妨げておいて、見つけた研究対象を『そんなこと』だと? そもそも私に貴様の頼みを聞く義理があるのか? いいや有りはしない。そこを曲げて付き合ってやった私が興味を持った対象をくだらないとぬかすか貴様。私に言わせれば貴様の用件こそ『そんなこと』だ。至極くだらん。わかったら少しくらい待っていろ」
詰め寄り、至近距離でまくしたてる。一切表情の無い、仮面のような顔で。
――あぁ。あれは大人でも怖い。
ルナが怯えていたことに改めて納得するハルだった。
白炎に限っては怯えた、ということはないだろうが、説得は諦めたようで、文字通り閉口していた。
「さて。では私が侍獣を得られなかった理由は何だ?」
振り返って言った時には微かだが口許には笑みがあり、ハルに苦笑を浮かべさせた。傍から見ればそのどちらもが同じ表情にしか見えなかったのだが。
「場と形式が整っていなかったから、ですね」
「形式を整えれば此処でも可能か?」
「可能不可能で言えば可能ですが、ダメですよ」
「それは何故だ?」
「この森が壊れます」
む、と言葉を切って思案するあたり、同胞のことを考えていないわけではないのだろう。積極的に尽くすつもりがないだけで、害してまで自身の興味を優先するつもりはないのだ。
「深淵さんの場合、場としてはこの世で最も深い海の底、でしょうか」
そんなことを言ってしまったのは、彼に好感が持てたからか。
「そうか。では今すぐ行こう」
……完全に失言だったわけだが。
「オイそれは、」と口を開いたのは白炎だったが、
「ダメですね」と結んだのはハルだった。
白炎からは意外そうな、アビス・ブルーからは不満そうな視線を向けられる。
「今は時期が悪いです。空からの出入りも、今後は深夜に限定してください。できれば重要な案件でなければ来訪自体控えてもらいたいです」
まず、そのことを話しておかねばならないだろう。
アビス・ブルーの名前はもっと後で出す予定だったんですが、流れでもう出ちゃいました。
次は殺伐と……するかどうか定かではない話し合いです。タイトルはまだ未定。