余聞 番外王女の謀臣
ルビアたちが去った後、豊穣の国で。
大規模軍事演習はつつがなく終了した。怪我人はまぁ、当然のこととして出たものの、大怪我をするような不運な者居なかった。無論、死者などは出ていない。
けれどそれは、潜入していた者の全てが発見されたことを意味しない。
演習の総括、という名目で呼び出された――実際呼ばれたのは王女だけだが――天幕でイドが相対したのは王と、戦場の姫君として名高い第三王女、それから実際に兵を指揮した将軍と、あとは護衛の兵だけ。あまりに少ない人数は、今回の件の真相を知る者だけを集めたからか。
「ではまず、そちらの状況から聞こうか」
翠髪の王が問うた。翠はこの国の王の色彩であり、その色彩を持つことが王位継承の最低条件とされる。
「いいえ、父上」と、父王を制して席を立った第三王女も同じ……いや、むしろ彼女の方が父よりも鮮やかな色彩を有していた「まず、と言うのであれば、先に済ませておきたいことがございます」
王が頷くのを待って妹の前に立った姉は、色彩だけでなく意志の強そうな顔立ちも良く似ていた。或いは母も同じなのかもしれない――などと、イドが呑気に構えていられたのはごく短い時間だけだった。
立ち止まった次の瞬間、姉は妹の頬を打ったのだ。
「自分が何をやったのか、わかっているのか、馬鹿者」
――うっわ。キャットファイトとかマジ勘弁。
余人が聞いたならばそれこそ呑気だと呆れられるような内心を、余人に悟らせるような可愛げはイドには無い。
「少し前までは、まるでわかっておりませんでした。
今では、自身の愚かさを自覚しております、姉上」
真っ直ぐに、姉の目を見返して。ふっ、と口許に苦い笑みを刻み、「もっとも、すべてはかの空色の賢人殿のおかげではありますが」と付け足した。
まるで兄弟のようなやりとりを交わす姉妹に、これで良いのか、と父親へと視線を転じれば、なんともいえない表情をしており、あまり良くはないのだろうな、と察することができた。
「次からは何かを為す前に私に相談に来い、バカ者」
くしゃりと軽く妹の髪を撫で、父王に一礼して第三王女は席に戻る。その男らしさは、戦場に身を置くことで培われたものか……或いは、妹も妹だけに、母親からしてアレなのか。
できればそちらとは出遭いたくないものだ、とイドは願った。
第八王女が席に着くのを待って――当然ながら彼女が独断で同行させたイドの席は無い――王は視線だけで問いを繰り返し……お姫様はそのままイドへと視線を投げた。
「え、オレですか?」
「そのために連れてきたのだ、さっさと陛下にご報告申し上げぬか」
「いや、まずはお姫様の意見とかですね、」
「私は愚かだ」言いさしたイドにかぶせるように、王女が断言する「愚かなままでいるつもりは無いが、今の私では足りぬ。だから貴様を連れてきたのだ。役割を全うせよ」
王女様の命令に、イドは軽く肩を竦めて言った。
「もうちょっと、内偵を進めないとですかねぇ」
ほぅ。と、いかつい顔の将軍が呟き、視線で先を促してくる。イドは再び肩を竦めた。
「確実に居るとは言えませんが、居ないと断言することもできませんね。今の状況で動いたところで、成果はたかが知れてます。せいぜい兵士を数名殺せる程度のもので、今後はまともに動くこともできなくなるし、最悪自分の命すら失うことになりかねない。
機を視る眼を持っていれば、今は息をひそめていることでしょうよ。どうせ命を使うのなら、もっとマシな使い道はいくらでもある」
とは言っても、イド自身は自分の命を使うつもりなどさらさらなかったが。惜しむつもりもないのだが、誰かのため、もしくは何かのために死ぬというのは、どう考えてもガラではない。
「ふむ。では新戦力は使い方を考えねばならんな。意見はあるか?」
先の発言から見識を買われた――と、いうわけではないことが理解できないイドではない。言ってしまえばこれは、採用試験なのだ。
けれどできないことをできないと言うことにためらいはなかった。なんのてらいもなく肩を竦めて、イドは言う。
「無くはないですが、ありきたりな慎重論しか出てきませんよ? 戦略よりも戦術のが好みなもんで」
「居るかどうかわからんのなら、直接訊いてはいかんのか?」
そんなとぼけた発言をする者は、この場ではひとりしか居ない。
「――お姫様、本気で言ってます?」
列席者たちを横目に見れば、答えようとする者がないとわかる。
――あー、はいはい。これもオレの仕事ね。
「ではお姫様、いったい、どう訊くおつもりで?」
「ブラドめに通じているのか、と……」
「はいダメ」間髪入れずに即答する「通じているのは更に上とで、あの怖いヒトはただの連絡役だった場合は? あるいは間に中継役が居たら? 返答はノーになりますね、その訊き方だと」
「む。ではブラドの味方なのかと」
「はいそれもダメ」再度の即答だ「敵側では別の呼び名、ブラド以外のものを使っていたとしたら? 味方なのはブラドのではない、という詭弁を押し通せますね」
ぐっ、と言葉に詰まった第八王女は、それでも必死にひねり出したのであろう別の手段を口にする。
「――な、ならばブラッドストーンの名で問えば……」
「そもそもあのヒトの名前、ブラッドストーンでしたっけ?」
「な……」
ここでお姫様は完全に絶句した。
「少なくともオレは、ブラド、としか聞いてませんよ? ブラッドストーンの愛称としてありがちな名前ですが、必ずブラドの石名がブラッドストーンだとは限らない。単に血色の髪からつけた渾名とも考えられる。
フルネームを名乗らない相手を信用しちゃいけませんよ、お姫様?」
「……オイ、私の記憶が確かなら、貴様のフルネームなぞ聞いていないぞ?」
じろり、と睨まれるも、まだ少女と言うべき幼さでは迫力が足りない。彼女の姉くらいの年頃になれば備わるのかもしれなかったが。
「あぁ、さすがに気付きましたか。では改めて。インディゴライト=グラジオラス=シンブーリ、以後お見知りおきを」
白々しく、芝居がかった一礼を送ると、お姫様はそれはそれは悔しそうに歯噛みしていらっしゃった。それだけで、文句のひとつも言ってこないというのは……
「うん。もひとつダメですね」
「んなっ!?」
「ひとことでもそれが自分の名前だって言いましたっけ、オレ?」
「――っ!!」声にならない叫びを上げる姫君に、
「まぁ、間違いなくオレの名前ではあるわけですが」
しれっと告げれば「バカにしているのか貴様!」と、ついに爆発した。
「ルビアに頼まれたもんで。アンタを鍛えてやってくれ、ってね」
「――む、そういうことなら……」と、納得しかける姫様だったが、
「ちょっとくらい遊んでもバチは当たりませんよね?」
続くイドの発言で台無しになる。
「っ、貴様というヤツは!」
「ま、授業料だとでも思ってくださいよ。それに、悔しい思いがあった方が成長も早まるってもんでしょ?」
言っていること、それ自体は間違っていないからタチが悪い。自覚してやっているのだから、なおのことだ。
護衛の兵たちが必死に笑いをこらえているのがわかった。
「ってかですね、自分のやったことがわかってるのか、とか言ってましたが、それってそのまま王様にも返るってことはわかってます?」
変わらぬ態度でイドが言うのに、場の空気が凍り付いた。
「――なんだと?」
姉の方はちゃんと迫力があったが、その程度で恐れ入るイドなら、そもそも先の発言もしていない。
「養子に出すわけでもないのに、王族としての教育も施さない、そんな中途半端をするからあんなのに付け込まれるんだ、って言ってんですけど?」
「――貴様! 王に対して無礼であろう!」
と、食って掛かったのは妹姫の方だったが。
「ま、そうですね」イドはあっさりそれを認めた。
周囲があっけにとられる中、認めた上でなおも言う。
「ですけど、『不敬』以外で何か言い返すことができますか、王様?」大国の王を睨み据え、断罪を「今回の件を招いた本当の原因はアンタのヌルさだよ」
イドの視線を真っ直ぐに受け止めて、王は言った。
「インディゴライト、と言ったか。其方、存外優しいのだな」
「――は? はぁ!?」思わず声が裏返る。
「そもそもの罪が余にあるとすれば、娘を裁くことなどできなくなるからな。いやいや、プリムラも良い臣下を持ったものだ。
そうだ、いっそのこと嫁にせぬか? うむ、それが良い。其方なら娘を良く支えてくれるであろう」
この反撃は予想外過ぎた。舌の回りでは人後に落ちないイドですら、とっさに二の句が継げないでいると、
「陛下のご命令とあらば」などと姫様が承諾してしまう。
「いやアンタそれでいいのか!?」
「悪い選択ではないと思うが? 貴様が私の不足を補うに適任であることは明らかだ。私は犯した……犯すところであった罪を、なんとしても贖わねばならぬ。更に付け加えるなら」と、そこで一度言葉を切っていたずらっぽくイドを見上げ、小さく笑った「存外優しいそうだしな?」
「……アンタちょっとはルビアを見習え」
あの女は恋心のために世界を変えるつもりなんだぞ、とはさすがに口には出せなかったが。イドは掌で顔を覆ってため息をついた。
「最初に出てくるのがプリムラの心配とは、なるほど、確かに優しいではないか」
くくっ、と喉奥で笑って姉の方の姫が言う。
「子どもの心配して何が悪い……」
負け惜しみにしか聞こえないことには、言った後で気が付いた。
「む。確かに私はまだ成人前だが……姉上を見るといい、未来の夫よ。どうだ美人だろう? 姉上とは母も同じなのだ、私もいずれああなる」
成長の兆しも見えない胸を張るその姿は、完全に子どものそれであった。
「誰が未来の夫か」
「貴様が私に惚れれば問題無かろう?」
――その自信はどこからくるのか。あぁ、未来予想図か。
「その予定は無いし、そもそもその程度でオレを買えると思われちゃ困る。オレはあくまでルビアについたんであって、この国に仕えるつもりはない。勿論協力はするが、それ以上を望むんなら、女じゃなく主としての魅力を示してみせろよ」
「なるほど」呟いた声音で、イドはハメられたのを悟った。
「――このタヌキ親父、こっちの腹ぁ探んのが本題かよ」
採用試験、そう考えたのはイド自身だが、娘の結婚を引き合いに出してまで本質を見極めようとしてくるとは思いもしなかった。
賢王の名はただの飾りではないらしい。
「なに、全て本心には違いないとも。其方のような者を婿に迎えられれば、プリムラも安心だ」
などと嘯く王に、イドは自身の敗北を認めるのだった。
今回は。
描き始めたらどう考えてもインディゴライト劇場になったんで、タイトル変更しました(笑)
こいつらの部下掌握話とか、まだまだネタは尽きませんが、いーかげん本編に戻ろうと思います。次は無彩色サイドに戻します。無双してたおばちゃん視点のネタもあったりするんですが、それは機会があれば。
次回「その名はアビス」(仮)お楽しみに。