第96話 訓練
前回のあらすじ
おばちゃん無双
町の皆は無事だろうか、そう心配するメアリーに、御者台のスピネルがいたって軽い調子で返す。
「怪我人は出ても死者は出ないでしょう。ほとんどの人間が戦えるようでしたし、アルと紅蓮という鬼札をルビアが適切に用いれば、物的被害も最小限に抑えられると思いますよ」
「あー。着火も消火も両方こなす、万能わんこだもんなー」
火の精獣は、火を喰らう。
本来ならひばひとと同じで食べられる量には限界があるのだが、紅蓮の場合は主がアレなのでほぼ無尽蔵――さすがに活動中の火山を丸ごとは無理だとか、ちょっと頭のおかしいことを言っていた――なので、大火事程度のスケールならば問題無くたいらげることだろう。
ちなみにルッチの犬あつかいにツッコミを入れる者は誰も居ない。本人(本犬?)が特に気にする様子もないので、最近ではアルとルビアもスルーしがちだ。
「さすがにあちこちで戦闘中だと、アルの色彩も視えないね。どうやって合流しようか? このまま適当な戦闘に参加する?」
「いえ、射程の問題があるので、多数の非戦闘員……と、過剰火力を抱えた状態でそれは避けたいですね。避難所のような場所があれば、まずそこを目指したいところですが……アビー?」
メアリーの問いにスピネルが答えて、隣を走る幌馬車に目を遣った。あちら側には一応、戦闘要員としてダリアとその侍獣が乗っているが、よほどのことが無い限り戦わないように言い含めてある。手加減を覚える前に実戦に突入したのが痛いところだ。
「残念ながら私の方でも把握できていません。大抵の町なら中央付近だとは思いますが」
申し訳なさそうにかぶりを振る彼女とスピネルのやりとりにぎこちなさはもう無い。むしろわだかまりが残っているのはメアリーの方で、アビーがスピネルを軽く見ていたことを未だに赦せないでいる。
黄金色の髪は無垢の象徴だというが、これでは子どもっぽいだけだと、メアリーはひっそりとため息をついた。
とりあえず、道中で戦闘に出くわせば援護しつつ、町の中央を目指す、ということで話がまとまったのだが、事態はメアリーの……というかおそらくスピネルやアビーの予想ですら超えて、いや、外れていた。
町に入ってすぐのところで、道案内がついたのである。
立っていたのは20代くらいの男女に、成人前のような少年の3人。若い男女は赤系だが、少年の方はこの国では珍しい、緑がかった青髪をしていた。全員一応剣を持ってはいるものの平服で、あまり戦う装いには見えない。
半実体の魔霊が相手の場合普通の鎧では効果が薄く、有効な精石を組み込んだものは非常に高価なのが理由だと、メアリーは後でスピネルから聞いた。
恰好の話をするならアルもそうなのだが、彼はいろいろと規格外なので比較対象にしてはならない。なんなら敵の攻撃を燃やして防御、などという人外の業をやらかしそうですらある。訊いたら怖い答えが返ってきそうなので訊かないが。
「お待ちしておりました。火の英雄殿のお仲間の方々ですね」
最初にかけられた言葉がこれだ。
火の英雄。誰を指す言葉かは考えるまでもない。大層な通り名だとは思うが、名前負けだとは少しも思わなかった。何しろ銘からして太初の火だ。
メアリーはちょっと笑ってしまった。聖女に軍師に英雄に、あとついでに言うなら禍炎の寵児か。随分な肩書が揃ったものである。軍勢でも率いたら結構な士気になりそうだ。少なくとも、ご一緒できて光栄です、などと言ってスピネルの隣で目を輝かせている案内役の少年などは、アルの隣で戦うだけでポテンシャルの最大値を発揮しそうである。
ちなみに一緒だったふたりはそのまま別の戦闘へと向かった。移動のついでに案内役の少年を送ってきたのだそうだ。
「英雄殿はたったひとりで戦局を変えてしまわれたのです」
そう語る少年の目は、まるで……いやはっきりと英雄譚でも語るようだった。
彼が言うには、差し違える覚悟で最大数を受け持った町の最大戦力をアルが救ったのだそうだ。死地に在る戦士を助けての凱旋、なるほどそれは英雄の業だ。
それはとりもなおさず、それだけの危地にあったということで。
「スピネル?」
話が違う、と声を尖らせるメアリーに、慌ててかぶりを振ったのは案内の少年だった。
「あぁ、いえ。どうやらそちらへ向かうはずだった魔霊の半数ほどを、皆さまが先んじて倒してくださったようでして。マーガレット様も、楽をさせてもらった、と笑っておいででした」
なるほど、とスピネルが頷く。
「アルと紅蓮がああなのでつい忘れてしまいそうになりますが、普通なら数というものはそれ自体脅威ですからね。あれだけの数が追加されていれば、確かにそういうムチャも必要になったかもしれません」
「ああ、ね。」「あーだからなー」「なんというか、スゴイですね、『ああ』で全てが伝わってしまうアルは」「でしょでしょ、父さんスゴイよね!?」
3人の呆れを知ってか知らずか、パパ大好き娘が馬車を揺らす勢いではしゃいでいた。「父さん……?」と首を傾げている少年には、とりあえず苦笑を向けることしかできなかったメアリーだ。
とりあえず戦況も落ち着いているということで安心したメアリーたちが、中央の指令所――地下がそのまま非戦闘員の避難所になっている――で見たものは……
「A-5地区掃討完了。ここの編成は?」「レベル1が5名、レベル2が1名」「では戦える者はそのまま東のA-7地区まで移動を。A-6地区は素通りで構いません。それと、」「怪我人が半数を超える場合は全員で一旦帰還、だな。それ以下であれば状況に応じて護衛をつけて戻らせる。さすがに覚えた」
傍らに紅蓮を従えて、指揮を執るルビアの姿だった!
――えぇと……はい?
ルビアのことだから助言ぐらいはしているだろう、とは思っていた。けれど。
すぅ、とメアリーは息を吸い込んだ。
「なんで仕切ってんの!? あとレベルってなに!?」
思わず叫んだメアリーを振り返ったルビアが肩を竦めた。
「あぁ、メアリー。追いつきましたか。
いえ、いくつか助言をしていたらこの方が早いからと委任されてしまいまして。レベルというのは便宜上用いている戦力分析用の数値で、ひとりで相手取れる魔霊の数ですね。5以上はもう数えてもしょうがないので最大値は5です」
実際適任だからな、とルビアと言葉を交わしていた壮年の男が笑う。魔霊、人間、そして精霊術と、様々な色彩が入り乱れている現状で、空からの視界を得られるルビアに勝る指揮官は居ないと。
指揮卓に広げられた地図上には精石と魔石とが配置され、それぞれが人間と魔霊を表していることがメアリーにもひと目でわかった。
「……いくらなんでも信頼されるの早すぎませんか?」
ルビア信者のアビーもこれには苦笑い。
「口利きがあったので」
言ってルビアが視線で示したのは、昨晩の宿の女主人だ。
「強いだろうとは思っていましたが」スピネルが吐息して言う「貴女がこの町最強のマーガレットさんですか?」
『マーガレット!?』
思わず声を上げたのはメアリーだけでは無かった。
「驚くのは名前の方かい? 確かに不似合いな名じゃああるけどね。マグ、とでも呼んどくれ」
太い笑みを浮かべる恰幅の良い中年女性には、なるほどマグという呼び名の方は良く似合った。
「貴女が此処でのんびりしているということは、大勢は決したと見ても?」
「あぁ、そいつは実は始まる前に決してたみたいさね」
スピネルの問いに、謎かけのような言葉が返された。
最初に理解に至ったのはアビーで、すぐにスピネルも気づいた様子だったが、メアリーとルッチは首を傾げるばかりで、ダリアに関してはそもそも考える気がないようだ。
「あんたらがだいぶ数を減らしてくれたそうじゃないか。その時点でもう、危険ってほどのものは無くなってるよ。今は実戦訓練をやってるようなもんさ」
そろそろかい? と、振り仰いだマグに、更に幾つかの移動指示を出していたルビアが頷いて言った。
「はい。第2フェイズに移行です」
「……今度のそれはナニ?」
今度の問いはルッチだった。
「ある程度数を減らせたので、掃討戦を兼ねた新人育成です。残りはレベル0、ふたり以上でなければ魔霊と戦わせるのが危険な若者たちに実戦経験を積んでもらいます。今ならひとりにひとり、教官役の年長者をつけられますから。
ではダリア、私たちもアル君のところへ行きましょうか」
ダリアの名だけを呼んだことで、メアリーはルビアの意図を察する。
「私はここで治療の手伝いね」
そうなれば必然的にスピネルも此処に残るだろうし、ルッチとアビーに前線に出る理由は無い。そう思っていると。
「僕もそっちに行ってはいけませんか?」
スピネルが少し意外なことを言った。それはルビアにとってもそうらしく、僅かに眉根を寄せて言葉を返す。
「それは、かまいませんけれど。メアリーはどうします?」
はっとしたように視線を向けてくる幼馴染に、メアリーは笑みだけを返し、言葉はルビアに向けた。
「たいしてやることも無いかもしれないけど、私はここを手伝うよ。スピネルがそっちに行くなら、紅蓮は置いてけるでしょ?」
「お嬢様……」
「はいはい、何か学べるかも、ってことでしょ? 行ってらっしゃい、あー兄」
心配そうな顔を向けてくるスピネルを、メアリーが子どもの頃の名で呼んでやると、彼は苦虫を噛み潰したよう顔で頷くのだった。
ダリアのための戦闘訓練だというのに、傍らで聞いていたスピネルの方が先に魔霊用の術を習得してしまい、禍炎の寵児の不機嫌に当分の間悩まされることになるのを、この時のメアリーはまだ知らない。
これにてガーネット連邦国編は終了です。なんとか一週間、そして年内に間に合いました。
感想のおかげでモチベーションは良い感じなのですが……物理限界には勝てませんでした。半月で休み1じゃあこのペースが限界です。来月はもちょっと落ち着くと思いますが。
終了、とか言いつつ次はおばちゃん視点で閑話るかもしれません。いや、あの人斬り脳の話は年明け一発目にやるもんじゃないと思うので(笑)