第95話 ひとりの限界
「そういえば、見たことのない術でしたね」
思い出したようにスピネルがそう言うのに、ルビアはアルと顔を見合わせた。でしょうね、とルビアが呟き、アルが答えて言った。
「まぁ、そりゃあ、この国に入ってから創った術だからな」
念のため、で組み上げた術を、まさか本当に使うことになるとは。そう言って苦笑するアルに、あちらの馬車の面々は乾いた笑いを返す。
「あー。いつもの非常識か」言ったのはルッチだったが。
「いや待て。組み上げたのはルビアだから。ルビアも同罪だから」
慌てたようにアルが言い、同罪って、とルビアが苦笑する。
「今回に関して言えば、私のは素人仕事もいいところですよ。アル君の色彩でごり押してるだけで、費用対効果は最悪レベルな上、他のひとが使ったら発動すらしないレベルです。
本職に知られたら叱られる……」
言いさして、脳裏をよぎったのはいつぞやの術式編纂者の顔だった。
「もし再会することがあっても、このことは内緒にしておいてくださいね」
「ルビアでもアレはヤなんだ」
クスクスと、メアリーが笑った。
そうしてゆっくりではないが急ぐというほどではない速度で馬車を走らせている時に、何気なくルッチが言う。
「あれきり魔霊も出てこないし、平和なもんだね」
その言葉が、きっかけとなった。
「――拙いかもしれません」
「……ルビア?」
ルビアの呟きに、最も付き合いの長いアルが応じた。
これにルビアは、考えをまとめる意味でも声に出して状況を整理する。
「私たちの周囲にはあれだけ大量発生した魔霊と、その後はまったく遭遇しないのは何故? 私たちが偶然そういう場所に居合わせただけなら問題は無い……けれど、発生場所、もしくはその後の行動に明確な理由があるとしたら……」
魔霊、とは、ひとに害意持つ精霊のことだ。ひと、すなわちルビアたちが居たからあの場所に収束したのだとすれば。
「――町にも集まっている?」
スピネルもルビアと同じ結論に至ったらしい。
「アル君、紅蓮で先行を」
それが最速。いや、速さだけならダリアの侍獣が上かもしれないが、あの火の鳥では到着した後が続かない。こちらの戦力が激減することになるが、無人の野であれば、ダリアの火が問題無く使えるので、それだけでこちらは過剰戦力だ。道中の戦闘に問題は無い。
「ルビアも行ってください」
「――スピネル君?」
想定外の言葉に、ルビアは思わず発言者を見遣る。戦えない自分が行ってどうなるのか、と。それなら少しでも早く戦力を到着させた方が良いのではないだろうか。そんな疑問を視線に籠める。
「状況が錯綜しているのなら、ルビアの眼と判断力は有用です」
スピネルの判断に同意するように、戦闘形体の紅蓮に跨ったアルが手を伸ばしてくる。これにルビアは苦笑して、
「戦闘担当のふたりがそう判断したのなら」
アルの手を取った。
ダリアがぐずるのではないかと少し心配したルビアだったが、それは杞憂に終わった。どうやら先の魔霊一掃で、アルは彼女から絶対の信頼を勝ち取ったようで、
「行ってらっしゃい、父さん!」
などと大きく手を振って見送ってくれた。
「いよいよ娘感が強くなってきましたね」
「――言うな」
お父さんはなんとも情けない顔をしていたが。
そうして全速で紅蓮を走らせること暫し、町中に魔霊が点在するのをルビアは視て取った。強固な魔霊除けをどうやって……は、今考えるべきことではない。余計なことに思考が逸れるのは悪い癖だ。
「――どうする……?」
悪い予感というのは当たるもので、危惧した通り、完全に乱戦の様相だ。
先の火の雨は使えない。人体への影響は少ないが、皆無ではない以上、その僅かな差が生死を分ける可能性だってあるし、何より効果範囲の問題もある。町全体を覆うにはいくらアルでも霊力が足りないし、そもそも町中では建物に遮られて敵に届かないということもあり得た。
手数が足りない。スピネルたちが合流しても、町の総てを護るのは不可能だ。
――たぶん、誰かが、死ぬ。
ひとの死、それ自体であれば何度となく目にしたし、なんなら直接関わりもしたが、友好的な相手の死というものを、ルビアはまだ知らない。
家が燃えずに済んで助かった、そう豪快に笑ってアルの肩を叩いた壮年の男が居た。きらきらと憧れに目を輝かせてアルを見ていた少年たちが居た。そしてダリアの境遇に涙を流した、優しい中年女性が居た。
その総ては、きっと救えない。
両手で掬える量には限界がある。どうしても、零れ落ちてしまうものは出る。その数は、間違いなく判断の遅れにより増えたことだろう。
ルビアは浅く唇を噛んだ。
「最大効率で町中を駆け回ります。敵の多い場所、最適な進路は私が指示するので、アル君は最速で敵を墜としていってください」
悔やむのは後でいくらでもできる。今はただ、今できる最善を。
どういう表情を浮かべれば良いのかわからなかったルビアは、気が付くと淡い笑みを浮かべていた。
彼女の想い人に、とても良く似た笑みだった。
そんなルビアの頭が……結構な勢いではたかれた。
「いったぁ!」
横座りするルビアを抱きかかえるように紅蓮を走らせているアルを、わけがわからずに振り返る。不意打ちの衝撃に目には涙がにじんでいた。
「半分よこせ」
かけられた言葉は、よりいっそうわけがわからないものだった。
「……はい?」
「全部拾い切れねぇのはオレが弱いからだ。戦闘の責任は戦闘担当に押し付けとけよ。お前の役割はそれじゃねぇだろ」
到底納得できない言いようだった。ルビアは苦笑して首を振る。
「判断の遅れは私の責任ですよ。考えるのは、私の役割でしょう?」
アルは呆れたように笑った。
「ま、ルビアはそう言うんだろうな。だから半分だ。
責任の半分はお前に譲ってやる。けど、残り半分はオレんだ。ひとりで全部背負おうとかしてんなよ、ハルじゃあるまいし……って、なんでそこで嬉しそうにしてんだよお前」
「好きなひとに似てると言われたので」
「ダメなとこがだからな!?」
「ダメなところさえも愛おしい。それが恋ですよ?」
至極当然のこと(ルビアにとっては)を言うと、アルは処置無し、とばかりにため息をついた。戦う者の硬い胸板に背を預け、ルビアは背中越しに小さく言った。
「……ありがと」
聞こえなかったのか、聞こえないふりをしてくれたのか、ルビアたちのヒーローは言葉を返しはしなかった。
そこから先は特に会話も無く。町に到着したルビアたちが見たものは……
薪割り用と思しき斧を悠然とぶん回し、魔霊を屠る中年女性の姿だった!
――えぇと……はい?
あっけにとられるルビアの前で、大斧を肩に担ぐ彼女の姿は、呆れるほどサマになっていた。それでも戦うことは専門ではないのか、続く一体を斬り払った隙に、背後から別の個体が襲い掛かる……が、これはアルが紅蓮から飛び降りざまに斬り伏せた。
急に背もたれがなくなり、ルビアは慌てて紅蓮にしがみつく。
魔霊を斬り捨てたアルはそのまま反転、中年女性に軽く背中をぶつけて、少し離れた場所に居る魔霊に炎弾を放った。
「要らねぇ世話だったかな、おばちゃん?」
しっかり背後を斧の側面で守っていた彼女にアルが言えば、肩を竦めつつ、まだ余裕のありそうな答えが返る。料理途中だったのか、エプロン姿で斧構えて。
「いいや、助かったよ。そろそろ息が上がり始めてたとこさ。もちっとやれるつもりだったんだがねぇ。悲しいかな、年には勝てないみたいさ」
背中合わせにそんな会話を交わしつつ、押し寄せる魔霊をふたりして撫で斬りにしていく。ルビアの方に向かってくるモノは、紅蓮が危なげなく蹴散らしてくれて……周辺の魔霊が一掃されるのには、さして時間を要しなかった。
ざっと10数体は居たはずなのだが……
思い出すのは、彼女の言葉。
『この国の人間は強いよ、たぶん、あんたらが思ってるよりもずっと、ね』
「いや強いってそういう意味ですか!?」
精神的な意味だとばかり思っていたルビアが叫ぶと、アルがきょとんとした目を向けてきた。
「え? この町の連中、大人はほぼ例外無く戦えるだろ?」
「……あのね、アル君。」すぅ、と息を吸い込んで「戦士の技量なんて私にわかるわけ無いじゃないですか!」ルビアは絶叫した。
「――お、おぅ。」
どうやらルビアとアルでは町の戦力分析に多大な差があったらしい。
結論から言うと。
「あー……余裕で足りてますね、手数。」
改めてルビアが視遣れば、町に入り込んだ魔霊はゆっくりとではあるがその数を減らしつつあった。保護対象と思っていた大半が戦力だったのだから、当然と言えば当然だが。
到着前の悲壮感とかもろもろがいたたまれない。
心の中でひっそりと涙するルビアであった。
この国の人間は強い(物理)
長くなったので襲撃イベントは分割になります。まぁ残りは掃討戦なわけですが。