第92話 喪失と、再生と
「そんなわけで。禍炎の寵児ことダリア=マディラ=マルディランさんです」
『どんなわけで!?』
連れ戻った人物をしれっと紹介したルビアに、待機組が綺麗にツッコミを唱和させた。なにやら律儀に待っていてくれたらしい中年女性も加わっていたりした。
「なにがどうしてこうなった!?」
少なくとも、スピネルが敬語を忘れるほどの事態らしい。
この国の禍の炎が、ウチの太初の炎に懐いている状況は。
――それはもう、犬猫のように懐いている。だって頬ずりとかしてるし。げんなりしてるなー、アル君。
「どうしてこうなったのか――説明するならあの言葉からでしょうか」
余計混乱しないと良いけれど。胸の内でそんなことを呟いて、ルビアは二色の炎の出遭いを語り始めた。
禍炎の寵児が呟いた言葉を、ルビアたちは誰も理解できなかった。
聞き取れなかったわけではないし、知らない言葉だったわけでも無い。ただ、今、この状況でその単語が出てくることが意味不明に過ぎたのだ。
理解不能な発言に、誰もが反応できずにいる内に、禍炎の寵児はアルの駆け寄り、飛びついた。彼が思わずそれを受け止めてしまったのは、混乱していたこともあるだろうが、彼女から敵意や悪意が一切感じられなかったことが大きいだろう。
彼女、だったことには近づいて初めて気が付いた。服はボロボロ、髪はボサボサ、日に焼けた肌も随分荒れていて、身だしなみというものに一切頓着していないと一目でわかる外見は、遠目には同性とは思えず、事実に気づいた今は同性と思いたくない、というのがルビアの正直な感想だ。
――面白くない、などと思ってしまうのは、磨けば光りそうなものをぞんざいに扱っていることに対してであって、決してある特定部位のサイズで負けているからではない。ないったらない。
そんな彼女の年齢は、アルやルビアより少し上のようにも、下のようにも見えた。前者は顔立ちにより、後者は行動により。少なくとも、大きく歳が離れているということはないだろう。
……と。そんなことを、現実逃避気味に考えている。それはルビアも認めざるを得なかった。
アルに飛びつく時、彼女はもう一度、はっきりと言ったのだ。
『父さん』と。
ともすれば、年上のようにも見える少女が。
抱き着かれて、抱きしめ返すことなどできるはずもなく、アルがわたわたと手を動かしている間に彼女がまくしたてのは、いかに自分が頑張ってきたのか、ということだった。
彼女が言うには『父さん』が『居なくなって』から、ずっと魔霊を狩り続けていたのだそうだ。
「やっと帰って来てくれた……善いことをすれば絶対報われるって、父さんが言ってた通りだね」
目に涙すら浮かべて微笑む少女に、アルはなんとも情けない顔でルビアを見遣った。持て余しているのはわかるが、頼られたところでルビアも困る。
「……二度手間になってもなんですし、とりあえず戻りましょうか」
結局ルビアに言えたのは、そんな問題の先延ばしのような提案だけだった。
どうでも良いことではあるが、馬車の上に止まった鳥の姿の精獣は、まるで飾りか何かのようにサマになっていた。
そして馬車で引き返す間に名前だけは聞いて、現在に至る。
「いやわけわかんない」
正直な感想はルッチ。まったく同感、とルビアは苦笑と共に思う。
「ほとんど同い年なのに父さん? おかしくない?」
メアリーの、真っ正直にこういうことが言えるところを、美点と言い切ってしまって良いのかは若干微妙なところではあるが、今回に限ってはありがたかった。
「おかしくないよ。火は再生の色彩でもある、って父さんも言ってたし。
だから、生まれ変わったんだよ。あたしの火で」
こともなげに言われたその言葉に、息を呑んだのはルビアだけだっただろうか。
彼女の火で、彼女の父が生まれ変わった。それは火葬、という意味だろうか。
――それとも……
「あたしが自分の火を巧く扱えなかったせいで、父さんも母さんも姿が変わっちゃったけど。父さんはこうやって帰って来てくれたし……母さんは、ずっと一緒に居てくれたんだ」
言って、彼女が視線を向けたのは――馬車の上で翼を休める、炎で形成された一羽の鳳。彼女の侍獣、だった。
今度こそ確実に、誰しもが息を呑んだ。
皆には、彼女が正気を失っているように見えただろうか。精霊術の制御を誤って、両親を殺してしまった子どもが、狂ってあり得ないことを信じている、と。
「――なるほど。そういうことですか」
頷いたルビアに、訝しむような視線が集まる。
「――ルビア?」
端的に。アルが説明を求める。
「あり得ない話、ではないと思いますよ?」
少なくともルビアには、狂人の妄言だと切って捨てることはできない。
「……ルビアさん?」
と、今度はアビー。本気で言っているのか、と視線で問うてくる。言葉にしないのは、禍炎の寵児――ダリアに対する配慮だろう。
「そも、私たちは精霊のことを何も知らない」
ルビアの断言に、疑義を呈したのはルッチだ。
「いやいやいや、精霊術が全く使えないヤツなんて居ないだろ?」
「それはあくまで扱い方、であって、本質的な部分は全くの無知なんですよ。精霊とはなんなのか、どういう存在で、どのようにして生まれたのか……答えられるひと、居ますか?」
「哲学ですか?」
苦笑気味に言ったのはスピネルだったが、ルビアはそいういうことを言っているのではない。
「ひとに宿った精霊が、死と共に世界に還り、またひとに宿るというのなら、私たちは誰もが誰かの生まれ変わりだとも言えます。
――だから。『転生』という意味を内包した炎の精霊術が、彼女の親を核に精獣へと転化した、というのも、絶対にありえない話ではないと思います」
むしろそういう縁でも無ければ、この年齢で侍獣持ちというのはあり得ない。彼女はアルではなく、此処にはウィルも居ないのだから、侍獣に関してはそう考えた方が妥当だとルビアは思った。
「……信じて、くれるんだ」
ここまでアルにしか興味を示さなかった少女が、ぽかんとルビアを見ていた。
「あり得なくはない、と言っただけで、そうだと確信したわけじゃないですよ」
「それでも! それでも、今までみんな……みんなあり得ないって、そんなわけない、って……」少女の赤い瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれていた「でも、それでも父さんが、ひとを傷つけるのは良くないって言ってたから、ずっと、ずっとひとを守って、命だけは喪わないようにって、父さんと母さんの時みたく、失敗しないようにって、あたしは、ずっと……」
「ひとりで、魔霊と戦い続けていたんですよね」そっと、ルビアは少女の頭を撫でてやった「良く、頑張りましたね」
堰を切ったように。声を上げて泣く少女をあやしつつ、視線で問うてくるアルに、ルビアはかぶりを振って答えた。
――彼の方はあり得ない。
彼女の炎に転生の威があったのだとしても、さすがに生まれた時期が合わない。まだしも可能性があるとすればアルではなく紅蓮だが、これも距離的な問題でまずないだろう。
きっと彼女の両親の魂は、熔けて混ざって一羽の精獣となったのだ。精獣となり侍獣となって、娘に寄り添い続けている。それがルビアの結論だった。
だから先ほどは『彼女の親』とだけ言った。『母』だけだとは思えないし、『両親』と伝えるのは、あまりに彼女に酷だから。
「アル君は、ダリアのことを覚えてませんよね?」
「いや覚えてるもなにも……まぁ、覚えてはないけども」
ルビアの視線で何かを察したか、はたまたいつものただのカンか、アルは言いかけた言葉を呑み込んで言った。
「私たちは誰もが誰かの生まれ変わりだと言える。だとしても、前世の記憶、なんてものが残ってるひとはいないですよね?」
このあたりが落としどころだろう。
否定はしないが肯定もしない。そうすることでひとりの少女の心が護れるのならば、真実など黄昏色のままで良い――それがルビアの結論だ。
ちなみに。ダリアに大いに同情し、大泣きした未だ名も知らぬ中年女性の厚意で、ルビアたちも今夜の宿が確定した。
そしてルビアの思索は、更に深いところにまで潜る。
もしひとの魂こそが精霊と呼ばれるものの正体だとすれば、精霊術とは死霊を扱う術であり……魔法とは、死せる者に今一度死を命じる非道だ。
もしもそうなら、紅蓮が暴走したあの日、ウィルは生きている者のために、死んだ者を再度殺したことになる。
もしも、もしもこの想像が正しかったとするならば。
――私たちは、なんてものを彼に背負わせてしまったんだろう。
遅くはならない(早いとも言っていない)
いやぁ、描き方に苦労しまして。待たせただけのクオリティがあると良いのですが……
そんなわけでアル君に娘ができました(違う)
次でまとめるか、もひとつエピソードを加えるかしてガーネット連邦国篇は終了です。その後はリクエストのあったシディ父さん暗躍篇です。本題とはズレるので閑話とか余聞とかの形になりますが、まずは遡って精都の暗殺騒ぎのあたりをやっつけようかと。