第91話 禍炎の寵児
赤茶けた土の、痩せた大地。農耕の土壌という意味合いでは、ガーネット連邦国は豊かとは言い難い国だ。けれど国家として貧しいのかというと、決してそんなことはなく、今の世では食料品と並んで生活必需品である精石の産出量に関してならば世界有数の産地である。
ことに火精石に至っては、クズ石ならそこらの土を掘っても出てくるほどで、この国の子どもはそれで小遣い稼ぎをしながら、精石採掘の基礎を学ぶ。
武力に関しては改めて言うまでも無いだろう。点在と呼ぶには多すぎる魔境の存在により、魔霊との遭遇率は他所の比ではない。弱ければそもそも生き永らえることができないこの国では、一般人でも最低他国の新兵程度の武力は有している。
厳しい生存環境に鍛え上げられた国――それがガーネット連邦国だ。
そんな集落間の移動ですら命の危険が伴う国を、
「あ、こら紅蓮、魔石なんて拾い食いすんな。体に悪いだろ」
「そうですよ。あとでちゃんとおやつに精石の欠片をあげますから」
犬の散歩感覚で旅ができるこのひとたちはやっぱりどこかおかしい。アビーは苦笑を浮かべたものの、アルと紅蓮の無人の野を行くが如き無双ぶりを見ていると、それも当然か、とも思えてしまうのだった。
ちなみに魔石はアルが軽く焼き尽くした魔霊が落としたものだ。
出番が回ってこないスピネルはさぞ退屈だろうと視線を転じれば、一切緊張を緩めていない、いまひとりの護衛の姿が在った。
あぁ、本当に、何も視えていなかったのだな、と。今度は自嘲の笑みが浮かぶ。アルと紅蓮がああものびのびと戦えるのは、スピネルが背後を護っているからこそなのだ。目に見えた戦果こそないが、彼もまた、欠くべからざる戦力であった。
思えば旅の間、彼はいつだってこうして陰から支える位置に居た。
アルとスピネルが聞けば、単に近接特化と遠近両用の攻撃範囲の問題だと言っただろうが、それでもスピネルが一歩引いた立場を取っているのもまた事実だ。そのきっかけになった出来事こそ、アビーは知らないのだが。
メアリーとルビアの命を危険にさらして以降、スピネルは全員を護る最善手を常に択んでいる。択び続けようと、している。
「そろそろ、ですか」
ぽつり、と。瞑目したルビアが呟いた。
見ているのではなく視ているのだと、アビーにも今は理解できる。当初は精霊とひと、魔霊の色彩の違いなどわからなかったが。いや、今でも知覚はできないが、そういうものなのか、と納得はしていた。
今、ルビアはまとまった人数の住まう集落を視認したのだと。
一度馬車を止め、アルが御者台から移動してくる。戦力バランスを考えて、幌馬車の方をスピネルが、こちらの馬車はアビーが担当する。
スピネルの方はひとりなら何とでもできるし、こちらもいざという時にはアルが馬車の中から狙い撃てる。窓から見えない位置取りでも、ルビアが視て壁越しに射撃できると言われた時にアビーは、呆れる、畏れる、頼もしく思うの三択で少々悩んだものである。
ほどなくして、町に着く。
此処ガーネット連邦国におけるひとの生存圏は、魔境に拠って築かれる。砂漠のオアシスを彷彿とさせる、荒野の中に唐突に緑が溢れる土地には、しかし同じく、魔霊も溢れている。だから魔境に隣接してではなく、魔境から水を引き、少し離れた場所に集落を造る。
村や町を護るのは、物理的な壁ではなく、精石を用いた精霊術的なものがほとんどだ。過酷なこの土地では、ひと同士が争っているような余裕は無い。
最初に立ち寄った村の場合、等間隔に立てた杭に精石を埋め込んで魔霊除けとしていたが、今度の街にはそれらしきものは見えない。
「……地下、でしょうか?」眉根を寄せたアビーの呟きに、
「ですね」両目を閉ざしたルビアが答える。
「え、ちょっ、もう視えるようになったの!?」
眉間に皺を寄せて眼を凝らしていたメアリーが悲鳴じみた声を上げたが、それは正解ではない。アビーはかぶりを振って答えた。
「いえ。ただの想像です。前の集落よりよほど規模の大きな町が、魔霊に対して無防備なはずがないのに、それらしいモノが見えないので、地中かな、と。どういった種類の精石が埋まっているのかはまるで視えません」
肉体的な視覚と、霊光を視る力はまったく別物ではあるのだが、身体に引きずられるところも多分にあって、視界が通らないところを視るのは困難だ。実際、精霊視を鍛えることに余念がないメアリーにも、地に埋められた精石のことは視えなかったようだ。
「……ルビアは視えてんの?」
呆れと諦めの混ざり合った表情で言ったのはルッチだ。
「まぁ、視力はずっと鍛えてますから。なかなか興味深い配置ですよ。虹の七彩と、十二石の組み合わせによる聖別ですか。
……コレ、簡略化して馬車にも組み込めるんじゃあ」
「詳しく。」
馬車、という単語が出た時点でかぶせるように言うあたり、実にルッチだ。
「……うーん、描いて説明した方が良いので、揺れる馬車の中では、ちょっと。宿に着くまで我慢してください」
「えー」
「わがまま言うと教えてあげませんよ」
「はい先生。」
おそらくルビアにとっては不本意な即答に、彼女の笑顔がひきつった。
「……本当に、教えませんよ?」
「わー! ごめんってルビアぁ!」
そんな楽し気な(?)やりとりをしている間に、町の領域へと入る。
「これは……」
領域へ、入った。それを確かにアビーは感じた。
「はっきりと、肌で感じられるほど明確に線が引かれていますね。私たちの内にも精霊は居ますから、それが反応したんだと思いますよ。この分なら町中では魔霊を警戒する必要はなさそうです」
言いつつ、未だ輝煌を視ることをやめないのは、魔霊以外への警戒のためか。本当に、この少女には油断というものがない。
「ほえー、スゴイんだなー」
ぽかんと口を開けたルッチに、ルビアが頷いて言う。
「そうですね。必要に拠って磨かれた智慧、というのは素晴らしいものです」
「いやアンタのことだよ」
間を置かないツッコミに、しかしルビアは「はい?」と良くわかっていない様子だ。これは比べる対象が彼女たちの先生であるウィルムハルトだからなのだが、それを知らないアビーたちには智者の無自覚としか映らない。
「まずは宿を決めて、食事を摂りつつ情報収集、でしょうか。アルと紅蓮には申し訳ないですけど、此処で寝てもらう、ということで」
小首を傾げているルビアに代わり、アビーが取りまとめる。
が、いきなりつまづいた。
「宿が無い?」
馬車を止め、通行人に宿屋の場所を訊いたアビーに、返された答えが「そんなもんは無い」だった。思わず問い返したのも仕方のないことだろう。
「あぁ。此処に来るヒトは皆そう言って驚くね。けどこの国じゃ都市間の移動だって命がけさね、一般の旅人、なんてのはアンタらみたいな精都への巡礼者くらいなもんで、宿屋、なんて商売は成り立たないのさ」
恰幅のよい灰色髪の中年女性の返答に、慌てたのはルッチだ。
「え、ちょっ、じゃあ今日の宿は!?」
どうやらさすがの馬車狂いも、馬車で宿泊は嫌のようだ。
「じゃあ他の巡礼者はどうしてるの? 宿。」
もっともな問いかけをしたのはメアリー。
「部屋に余裕のある家が多少の金と引き換えに泊めてるね」
「貴女の家のように、でしょうか?」
ルビアの発言は、アビーにも意味がわからなかった。
「……どうしてそう思うんだい?」
中年女性も怪訝そうだ。
「貴女が結論から入らずに、話を長引かせようとしている様子だったので。安心して泊められる相手かどうか、会話の中でひととなりを見極めようとしていたのかな、と」
「……アンタ、それ言って安心して泊めてもらえると思うのかい?」
呆れ顔で問われて、ルビアはそれは綺麗に微笑んだ。
「言わなくても普通は泊めてもらえないと思います。馬車も中身も、あからさまに怪しいですから、私たち。」
「自分で言うかい、それ?」
「客観的な事実ですから。なので、貴女が私の話を面白がってくれるような変わり者である可能性に賭けました。ダメなら最悪、質問に答えてもらえさえすれば車中泊で良いかな、と。」
そのふてぶてしい物言いに、中年女性は声を上げて笑った。
「面白いヤツだねぇ、アンタ。いいよ、何が訊きたいんだい?」
「いえ、此処の前に立ち寄った村で、禍炎の寵児、と呼ばれて追い立てられる者を目にしまして。いったい何者なのだろう、と。」
ルビアは確かに嘘は言っていない。自分たち、というそれを目にしたのは事実だ。此処へ来るまでの間に考えていた言い訳なのだろう。
これに対し、中年女性は露骨に顔をしかめた。
「そんなことやったのかい? まったく、あの恩知らずどもは……」
予想外の反応に、顔を見合わすルビアとアビー。
「恩知らず?」と問い返したのはメアリーだった。
「あぁ、そうさ。防備の万全でない村々を巡っては、魔霊を狩って回ってる子でね、言うなれば辺境の村の救世主だよ」
これには皆、首を傾げざるを得ない。
「――えぇと、それでどうして追い出されるんでしょうか……?」
ルビアの問いに、中年女性はすっと目を逸らし、
「……あー、いや、そのー……どうにもやり過ぎるきらいがあるらしくってね。何軒も一緒くたに燃やされてるみたいなのさ、家。」
『あー……』
一同のやるせない吐息が重なった。
先の村人たちの対応も、恩知らずという発言も、なるほどそれなら頷ける。有難迷惑、などという言葉もあるが、実際有難くもあり、且つ迷惑というのも珍しい。
「まぁ、扱いが難しいからな、火って」
いやに実感のこもった声でアルが言った。
「おや、中にまだ誰か……」
馬車内をのぞき込もうとするのを遮って――というふうに最初は見えた――ルビアが馬車に飛び乗って扉を閉ざした。
「皆は此処で待機を!」閉める直前、肩越しにそんな言葉を残し、
「アビー、そのまま真っ直ぐ! 急いでください!」
緊急事態。そう理解するよりも早く、アビーはルビアの指示に従っていた。二頭の馬を急がせる。
御者は降りていなかったアビー、中にはアルと紅蓮、ルビアという編成だ。
何事か、という疑問は問うまでもなくわかった。
いや、視えた。
メアリーと違いまだロクに鍛え始めてもいないアビーの眼にも、方向さえわかってしまえば明らかだった。
――来る。
とてつもない威を内包した火が。
ルビアの反応が早かったおかげで、ギリギリ間に合う。それと直線で結ばれるこの大通りを、真っ直ぐ逃げてくる者が居ないことも幸いした。
遭遇は真っ直ぐ町を抜ける直前、その先には魔霊を追い立てる劫火の色彩と、頭上を舞う、炎によって形作られたかの如き一羽の猛禽。
おそらく、と付けるまでも無い。あんなものがそう何人も居るわけがない。
禍炎の寵児が、魔霊を焼き尽くすべく、禍の炎を解き放つ。
「――あのバカ!」
叫んだアルのような火の適性を持たずとも、これは一目瞭然だ。
魔霊を容易く焼いたあの火は、間違いなく外縁部の家のいくつかを、もろともに消し炭に変えるだろう。つい先ほど聞いた話、そのままに。
――この場に、アルマンディン=グレンが間に合っていなければ。
疾走する馬車から半身を乗り出し、アルは雪崩のように向かい来る禍炎を睨み据えて。飼い犬を叱りつけるようなアルの咆哮を、アビーは背後に聞いた。
「燃えろ、燃えろ、燃えろ! 燃え尽き、天衝き、立ち昇れ――貪炎!」
町へとなだれ込んできていた炎が、ひときわ大きく膨れ上がり、ただただ天へ向かって爆ぜた。まるで空を焼き焦がそうとするかの如く、暴食の赤が禍炎を貪り、喰い尽くす。
「あ、あはは……炎を燃やしちゃいましたよ、このヒト……」
駆けさせていた馬車の速度をゆっくりと緩めながら、アビーは呆然と呟いていた。アビーの記憶が確かなら、アレはたしか燃えにくいゴミを焼却するための術だったはずである。
貪欲な炎が総てを呑み込み、消え失せた先には、キョトンと立ち尽くす、ボロを纏った禍炎の寵児の姿があった。表情の所為か、ひどく幼く見える。
その視線が、真っ直ぐにアルを見ていることが、アビーにもなんとなくわかる。
「 」
禍炎の寵児からこぼれた、たったひとつのその言葉を、アビーたちは誰一人として理解できなかった。
大変長らくお待たせしました。一応理由を説明しておくと……
戴国からの帰還に手間取りました。いや、18年ぶりの本編新作とか、ね?
そんなわけで読み終えたので、次はこんなにかからないと思います。一応引きも作ったことですし。
あの子が何と言ったのかは次回。ちょっと? 結構? 重たげな話になるかもしれませんが、ご了承ください。次回タイトル候補を入れようかと思ったんですが、より引きがエグいことになる気がしたのでやめておきます。