第90話 気乗りのしない二者択一
前回までの蒼紅サイド
内乱を止めた。番外王女に加え、食わせ者の策士という知己を得る。
「なんでぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
全速で走る馬車の中、ルッチの悲鳴がこだましていた。
「知り、ませんよ、そんなのッ」「口、閉じないと、舌、噛むよ」「そもそも、こっちに、来たのは、ルッチの、意見、ですよね?」
馬車の揺れで切れ切れに、女子組の容赦ないツッコミが入る。
……若干1名、心配している聖女も居たりしたが。
男子2名は御者台である。
二頭立て、貴族仕様のこちらをスピネルが、一頭立ての幌馬車をアルが担当している。アルの色彩による強化があるとはいえ、文字通り馬力が違うので、幌馬車の方を引くのには紅蓮も駆り出している状況だ。
街道といっても先のエメラルディア王国ほど整備は行き届いておらず、出している速度のせいもあって、言葉を発することすら困難だ。
どうしてこうなったのか。
ことの発端は国境越えの時にまで遡る。
「火と水と、どっちにします?」
大峡谷を前にして、ルビアは同行者たちにそう訊いた。此処で道は完全に二分される。降りて渡れるような深さではなく、橋を渡せるような距離でもない、大陸最大規模の大地の裂け目。
魔龍の爪痕と呼ばれるその長大な峡谷が、公式に何と呼ばれていたのかを、ルビアは覚えてはいなかった。
「いや火と水って……」メアリーが呆れ、
「そんなおおざっぱな。」スピネルが賛同し、
「間違ってはいませんが……」アビーは苦笑した。
忘れてしまった、のではなく、覚えなかった、が正しい。ただ地図上から『魔龍』という単語を消し去るためだけに、教会によって改竄された名称など、覚えるにも値しないと考えたのはルビアだが、世間一般でも旧来の名称が用いられることが多い。
いちいち目くじらを立てる狂信者が居ないでもなかったが、むしろそちらが少数派であり、陰で冷笑されていることを知らないのは当の本人くらいのものだろう。
「んで、何? 火と水って」
断崖絶壁をのぞき込んではしゃいでいたアルが素直にわからないと訊いた。美点と言って良いものかは少々悩ましいところだ。
「左の道が火、七龍の赤が坐する赤炎山を北に臨み、領内にも無数の魔境を抱えた――いーや、どっちかってーとごくわずかなひとの住める土地をどうにか切り拓いて、かろうじて生存圏を確保した、国とは名ばかりのガーネット連邦国。通称禍炎の国。
その逆、右を行けば水……というか湿地帯。こっちはホントに国なんて無くて、ひとの暮らす集落がいくつかあるだけっぽいね。国のていを為してないから、ならず者のたぐい、自国に居られなくなった犯罪者やら逃亡者やらが集まって、文字通りの無法地帯みたい」
すらすらと答えたのは、なんとルッチであった。
「――お、おぅ。詳しいんだな、ルッチ」アルの戸惑いはルビアも理解できた。
「そりゃあ、地勢を知ってなきゃ、馬車の整備もできないからね」
――あ、うん。ルッチはルッチだ。
「んで、アタシは断然火を押すね!」
「どっちにしたって厄介そうだけど……そっちの理由は?」
メアリーが怪訝そうに訊いた。
「湿地とか馬車が汚れるじゃんか!」
「――はい、それではルッチ以外で進行方向を決めましょうか」
さらりと流して進行を務めるアビー。頼れるまとめ役だ。
なおもわーわー騒いでいるルッチは、誰ひとりとして相手にしなかった。
相手にしなかった、のだが。メアリーが言ったように、隣国は――片方は国ではないが――どちらも厄介なのである。結局誰からもこちらが良い、という明確な理由が出ることはなく、感情論でしかないがはっきりこちらが良いと言ったルッチの意見が通ることとなり……最初の村で、殺気立った村人に追い立てられた。
――何を言っているのかわからないだろうが、私にだってわからない。
魔境は問題無かったのだ。アルもスピネルも居るし、なにより精獣である紅蓮が居る。鎧袖一触とはこのこととばかりに、襲い来る魔霊はただの魔石の臨時収入でしかなかった。
そしてその魔石を換金しようと立ち寄った村で、立ち止まる間もなく追い出されることとなる。いや本当に何が何だか。悲鳴を上げたくなる気持ちも少しは理解できる気がするルビアだった。
ひとしきり逃げて、どうやら追手が諦めたらしいと、速度が落ちたことからルビアは判断し、ようやく落ち着いて話しができると、口を開いた。
「禍炎の寵児、と言っていましたね」
追い立ててくる村人が叫んだ言葉だ。
「はい。それに追い出せ、とも。」
続けてアビーも言う。
「どう考えても」「アルのことだよなー」
「いやなんもしてねーよ!?」
口々に言うメアリーとルッチに、隣の御者台からアルが悲鳴じみた答えを返す。
「はい。なので人違いじゃないかと。」
『人違い?』
ルビアが言った言葉を、皆が異口同音に問い返した。
「たぶんですけど、この国には居るんじゃないですかね。禍炎の寵児と呼ばれる、赤い髪で侍獣を連れた男の子が――厄介者の、男の子が」
アル君だけじゃなく、紅蓮にも視線が行っていましたし、そうルビアが付け加えるのに、一同は驚きと共に感心した。
「ホント良く見てるのな、お前」
「視るのは私の役割ですから」
開けた窓から視線をよこすアルに、自明の役割分担だとルビアは答える。
「……だとしたら、私は役割を果たせていませんね」
ため息交じりにこぼしたアビーを、ルビアは見遣る。
できない自分を諦めて、ただできる者を崇拝するようならば論外。
できない自分を卑下し、落ち込むだけなら価値が無い。
できない自分を悔しく思い、いつかできるようになりたいと想って初めて、ひとは成長することができるのだと、ルビアはウィルとアルを通して学んだ。
ウィルのように特別な眼を持たず、アルのように火の完全適正も持たないが、それでもできることはあるのだと、そう信じて自分を磨いたからこそ、ルビアは今、此処に居る。
果たしてアビーは……
「うん、ここで真っ直ぐ私を見返せるようなら合格ですね。貴女はまだ、自分を諦めてはいない」
「まぁ、目標もできましたので」
答えたアビーは、実に良い笑顔をしていた。
「……アレで先生じゃないとか言ってんだぜ、アイツ」「ルビアはいいかげん諦めれば良いのにねー」「アタシも実はそー思う」
ひそひそと言葉を交わす三人については、聞こえなかったふりで通すルビアだった。反論の余地が無かったとも言う。
「それで、これからどうしますか?」
御者台ののぞき窓から、スピネルがちらりと視線を投げた。
当たり前のように自分に視線が集中するのに、ルビアはアビーを見返した。
それだけで察したようで、口許に手をやって少し考えてから、言った。
「そうですね、アルと紅蓮が問題だったとすれば、次の居住区には着く前からこちらの馬車の中で待機してもらって、他の皆で情報収集、でしょうか。
まずは『禍炎の寵児』なる人物についてある程度知らなければ、何をどうすることもできませんから」
「まぁ、そんなところでしょうか」
まるで採点をする教師のようだ、という自覚はルビアにもあったが、自身の成長を望んでいる相手を手伝わない、というのはありえない。
あってはならない、とすら思う。ルビアやアルは、それをずっとウィルから与えてもらってきたのだから。
あぁ、そういえば。と、ルビアは想った。年上の教え子、というのは当時の彼とお揃いなのか。それなら、先生でも良いかな、などと現金なことを。
「あれ? じゃあスピネルは? 髪、赤いよ?」
メアリーが小首を傾げて言うのに、
「あぁ、それもそうですね。では念のため、スピネルさんにも馬車の中に、」
「――それはダメです」
男の子ふたりが口を開くよりも早く、ルビアがぴしゃりと言い切った。
「ダメ、なんだ?」とルッチが首をひねる。
「護衛が全員馬車の中、なんて論外ですよ。こんな高そうな馬車に乗ってるのに、何かあったらどうするんですか」
アルとスピネルが視線を交わし、肩を竦めたことはルビアは知らない。
「なるほど。考えが足りませんでした。
……けれど、大丈夫なんでしょうか?」
最初の村のことがあるからか、発言したアビーだけでなく、メアリーとルッチも不安げだ。いや、アビーよりも他二名の方が、か。これにルビアは苦笑する。
「赤い髪のひとくらいこの国にだっていくらでもいるでしょうから、問題は紅蓮君の方だと思いますよ。アル君にも隠れてもらうのは、あくまで念のためです。
なんかもうスゴイですから、彼の色彩」
その雑な称賛に、当のアルは苦笑いだが、他の皆は案外納得している様子だ。
規格外過ぎてスゴイとしか言えないのが、この熾紅である。その魂の輝きは、隣町からでも視認できる程のものだが、何も知らない者からすれば、極めて高純度の火精石があるようにしか視えないことだろう。
それはそれでトラブルのタネには成り得るが、まさか街中で強盗にも出くわすまい。外に出ているのがとても戦えるようには見えない女ばかりだった場合はどうなるかわからないが。
だからスピネルに睨みを利かせてもらうのは必須なのだ。
「さて。禍炎の寵児とは何者なんですかね?」
遠くに視える街を見据えて、ルビアは小さく呟いた。
パーティー1悲鳴の似合う女、ルッチ。
最初は「禍炎の寵児」ってタイトルだったんですが、あんまりメインどこじゃなくなったので、次回以降に持ち越しです。
次回(物語の進行度次第で)「禍炎の寵児」お楽しみに。