第89話 皎と皓の双
サラ、と。敬称を付ける暇すら惜しむように、王が彼女を呼んだ。
彼が視線で示した少女を抱き寄せる。体は一瞬の躊躇もなく動いていた。
ルナが驚きの声を上げ、皎い火柱が魔王を呑み込んで上がった。抱き寄せた腕にサラは力を籠める。この視覚的衝撃を、ルナに与えるわけにはいかない。
次いでサラが見たのは、この凶行を為した双子が、シグによって騎乗したグリフォンから引き倒されるところだった。より正確に言うならば、引き倒され『た』ところ、か。サラも一応戦う者ではあるが、シグの本気を目で追うことは不可能だ。だから見たのは、右腕で姉の方の首を極め、左の鉤爪を組み敷いた兄の方の喉元にかけている、その結果だけだった。
色彩は双方白ではあるが、兄の髪は揺らぐ炎のように波打ち、姉の方は癖がなく真っ直ぐで、どちらも編んだり束ねたりはしていない。
姉と兄、というのは間違いではなく、互いが互いを溺愛しているこの双子はお互いに「兄さん」「姉さん」と呼び交わしている。
「何を考えてる!」
殺気すらほとばしるシグの咆哮に、皆は悲鳴を上げることも忘れて息を呑む。思いはだいたいシグと同じらしく、誰もが――この状況を見せないためにサラが胸に抱いているルナ以外――皎い炎を色彩として持つ犯人を睨み付けている。
今なお燃え盛る、魔法の領域に在る白炎には、此処の者でも手出しできない。ほとんどの者は力不足だし、サラの雷華に火消しは無理だ。
はっ、と実行犯である双子の兄の方が嗤った。姉の方はしゃべれる状態に無いので、彼が応じるのは当然ではあるのだが。
「これくらい躱せないようじゃ使いモノにならないだろ? 所詮器じゃなかったってことだ。てか、いつまでも乗っかってないでどけよ、燃やすぞ」
拘束された状態で、傲然と言い放つ。まるで王様気取りだが、シグは一歩も退かず、挑発するように返した。
「この距離なら、お前の首を掻き斬る方が早いぞ」
「はっ、吠えるじゃないか、弱虫ヴェインが」
弱虫ヴェイン。それは恐ろし気な外見に反して争いごとを好まないシグに対する、子どもの頃からの悪口だった。実際言っていたのはこの男くらいだが。
「相手が敵なら、容赦するつもりはない。味方を殺すような狂犬は殺処分する」
――本気だ。
シグの発言が脅しでも挑発でもないと、サラには理解できたが、言葉を向けられた当の本人はわかっていないのか、侮っているのか、或いは自分の方が強いという自信があるのか、嗤って返した。
「挨拶みたいなもんだろ、この程度」
「そう。それが遺言か」
シグの鉤爪が命に致るよりも僅かに早く、「そうですね。この程度のことで仲間割れはやめにしましょう、シグルヴェインさん」平素と変わらぬ魔王の声が炎の中から聞こえて……
砕け散る。
炎の柱が砕け散った、そのように見えたのは、欠片のように飛び散った精石のせいだった。それを精石だと認識することでようやく、魔王が行使された魔法を結晶化したのだとサラは理解した。
力の緩んだサラの腕から脱したルナがなにやら文句を言っていたが、王の御業に見惚れるサラの耳には入ってこなかった。
魔王は輝煌の浪費を極端に嫌う。
だから一度使われた魔法を少しでも無駄にしないために、時間をかけてでも結晶化したのだろうと。サラに求められたのは、その間、皆が――特にルナが――恐慌をきたさないように落ち着かせることだったのだ。
シグが有無を言わせず反撃に出ることは彼にとっても計算外だったのだろう。精石以外に、黒の風花も結構な量が舞ったことから、充分な時間がかけられなかったのだろうと想像できた。
「お前……っ!」
シグに組み敷かれた襲撃犯が、初めて顔を歪めて魔王を睨んだ。
サラたちの魔王には、その身に火傷どころか、着衣にも、加えて周辺の草木にすら、焦げ跡ひとつ残ってはいない。どう考えても殺意のこもった一撃だったから、屈辱なのだろう。
これに対し、魔王は微笑みとともに肩を竦めた。
「挨拶みたいなもの、なんでしょう? それとも、まさかあの程度の火で私を殺せるなんて勘違いしてましたか?」
それはそれは綺麗な笑顔で、毒を吐く。ある意味らしくはあったが、サラは違和感を感じていた。ここまであからさまな挑発は、やはり彼らしくない、と。
「お前っ!」
叫んだその瞳に、威が籠るのがわかった。けれど、サラは勿論、シグもここに至っては何もしなかった。
「黙せ」
そんなふたりの信頼に応えるように、魔王が短く呟いて……
何も起こらなかった。
いや、何も起こらない、ということが起こった、と言うべきか。
皎の炎が確かに発動しようとした威は、更に上位の命令によって、発現することを禁じられていた。
「あ、シグルヴェインさん、放しても良いですよ。ソレに私は殺せませんし、私が誰も殺させませんから」
魔王はなんの気負いも無く立ち上がり、皆を庇う位置に移動する。サラはその右に、双子を開放したシグは左に立ち、対峙する。その背後で、
「……なんかまおくん、ガチギレしてないっすか?」「そりゃいきなり攻撃されたら怒るでしょ」「いやー、まおくんなら自分が殺されかけたくらいじゃ怒んないんじゃないっすかね?」「くらいって……」「あぁ、魔王クンにとってはそうかもね。一切危なげなかった感じだし」「んー、危険があってもへらへら笑ってそな気がするケドね、あのヒト」
ひそひそと、そんなやりとりがなされていた。ちょっと声を潜めたくらいでは、全部丸聞こえだったが。なんというか、力が抜ける。
王を挟んで隣に立つシグも苦笑の気配をにじませていた。
そして王、そのひとも。彼の場合、苦みがかなりわかりにくくはあるが。
「あぁ、使われたのが綺麗だとは言い難い火だったことに、少しばかり苛立っていたようですね」
このひとには、自身の感情を他人事のように語る癖がある。
「……少し?」「ニクス、しぃーっ!」
また背後でそんなやり取りがあったりしたが、今度は力を抜いている場合ではなかった。
「オレの火が汚い、だって……?」
蒼い炎のような、静かな怒りを内包した呟きが正面から放たれたのだから。
「汚い、というか、醜い、ですかね」魔王がその火に火薬を放り込む「暖かさも何もなく、ただただひとを、モノを殺すことだけに特化した火なんて、本物には程遠い。火で私を灼きたいのならば、太初の焔を持ってきてもらわないと。こんなのじゃ、足りない。」
足りない。そのことばがなぜか、サラには『死ねない』と聞こえた。思えば最初のあの時、彼は自らの死を受け入れてはいなかったか。
「言ってくれるじゃないか……!」
血を吐くような、押し殺した叫びに、
「事実であることは証明しました」
あくまで淡々と、魔王は応じた。
「なんでっ……!」
その時、驚愕に目を見張ったのはサラだけではないだろう。
「なんでお前はそんなに強いのに! ばぁちゃんを守れなかったっ……!」
他人を見下すばかりであった傲慢な皎の炎が、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
「なんでばぁちゃんが死ななきゃならなかったっ! 答えろよ魔王!」
顔を歪ませて、泣きながら彼は魔王を糾弾する。それだけの威があればなんだってできたはずだろう、と。
「私が今、ある程度自由に魔法が使えるのは、魔女の死があったからこそです。遠見の魔女は、そうすることで私に理由を与えました」
さしもの魔王も、これには真摯に答えていた。
「なんで……なんでお前なんだよ……なんでばぁちゃんじゃいけない……」
膝をついた彼に、魔王は何も答えない。答えを持たなかったのか、それとも問いではなかったから答えなかっただけかは、サラにはわからない。
双子の兄の肩を抱いた姉の方が、凍てついた視線で魔王を射貫いた。
「私は、お前を認めない」
冷然たる拒絶。これに魔王は微笑んで、こんなことを呟いた。
「あぁ、それは安心しました」
「――安心?」
思わず問い返したのはサラだ。
「はい、安心です。此処の皆は、誰しもが私を好意的に受け入れてくれたので、おかしいと思っていたんですよ。間接的にとはいえ、親を殺した相手に怒りを覚えない者ばかりというのは妙だ。
だから彼女の敵意にはむしろ安心、です」
魔王が視線を向けたその『彼女』は、変わらぬ冷たい眼差しのまま、もう言葉を返すこともしない。
「いやー、サラは好意的、って感じじゃなかった気が……」
「サラさんが不満だったのは私の態度に、ですから。」
「あ。わかってて改めてなかったんすね、あーた」
そんなとぼけたやり取りにも、くすりともせずに、冷たい皓は熱い皎を伴って踵を返す。
「一度城に戻る」姉の方が短く告げ、
「お前にはまだ言いたいことが山ほどあるけど、」
「このままじゃ会話にならない。アビスを連れて来る」
振り向きもせずに言った兄の言葉を引き取って、皓の娘は肩越しに冴え冴えとした視線を投げて。
再度グリフォンに騎乗して、白の双子は飛び去った。
今、この時は。
タイトルの双はツインと読んでもらうと語呂が良いかと。
また短めでしたが、早い方が良いと思ったので今回はここまで。
一応区切りもついたので、次は蒼紅サイドに……行く前に、インディゴライトくんの密談のくだりをやっておこうと思います。