第87話 調査行(完了報告)
外出していた魔王たちが帰還を予定していたその日、白鴉が昼食の席に舞い降りた。普段はそのようなことはないから、皆の視線が集まる。
「我が主たちの帰還が遅れるそうだ」
告げる声は、低く、重く、遠雷を思わせる男のそれだった。
『――しゃべれたの!?』
語尾はそれぞれ違ったが、発言内容は全員が一致していた。それはシグでさえも、だ。
「今そのようなことは重要ではないと思うが?」
首をひねり、純白の鴉が言う。
これには反論する者が大半だったが、普段はふざけてばかりいるユウガオが手を打ち鳴らしてそれを静め、その僅かな間隙に差し込むように、シグは言った。
「確かに、その通りだね。帰るのが遅くなるというのは?」
白鴉が言うには、取引相手が気取られた可能性があるのでそれを調査してから帰る、とのこと。一週間後がちょうど満月なので、その時に戻るつもりだと。
シグは強硬に反対したが聞き入れられず、戦闘になりそうなら迷わず空間転移で逃げ帰ることをどうにか約束させるのにとどまった。
それから一週間、まともに眠れなかった……などということはさすがに無かったが、それは戦士であるシグに限った話である。休息を取ることもまた必須技能であるシグと違って、他の皆は確実に眠りに支障をきたしていた。
いつも眠そうにしているユウガオについては、シグでもよくわからなかったが。
ルナはカレンの手を借りて心を落ち着けるのに必死だったし、アニーとフロストは目に見えて動揺していた。フロストの方はそれを隠そうとはしている様子だったが、それがまるで上手くいってはいなかった。
マイペースなフロルも落ち着きをなくしていたし、サクラも執筆が手につかないとぼやいていた。
意外だったのがサニーで、口数が多いのに脈絡なく言葉に詰まったりと、普段通りを無理に装おうとしているのが透けて見える空回りぶりだった。
意外と言えばニクスもそうだろうか。彼の場合サニーとは逆の意味になるが。同行した侍獣を信頼しているのか、特に取り乱すふうでもなく、平静を保てていた。それでも、眠りは少々浅くなっていた様子だが。
完全に普段通りにできていたのは、シグとユウガオのふたりだけであった。
いや、シグの方は臨戦態勢と言えるほどの緊張を維持していたから、平時と変わらないというのはユウガオだけかもしれない。彼女はサニーが詰まった言葉を引き受けたり、ルナをフォローしたりと、思いがけず皆の精神的支柱となっていた。
そして誰しもが落ち着かない一週間が過ぎ、満月の晩。
「わ。盛大なお出迎えですね」
全員が待ち構えているのを見て、皆の魔王様は呑気にのたまったのだった。
シグがひとくさり説教をしたのも無理からぬことと言えよう。
なにしろ駆け寄って抱き着くような勢いであったルナですら、足を止めて「えぇ……」と呆れたため息をついたほどなのだ。
サニーとユウガオは愉快そうにくつくつと笑っていたが。
ちなみにニクスは気づけば侍獣に抱き着いていた。
それでこの一週間どうしていたのかと問えば、
「いや、笑えるほど何もありませんでした」
「陛下が笑っているのはいつものことですが、本当に何もなかったですね」
「えぇ、これが物語なら、ばっさりカットされるレベルでしたね」
「わけのわからないことを言っていないで、皆にきちんと説明してください」
外出組のふたりから、そんな打てば響くようなやりとりが返る。容赦の無いツッコミはいつも通りにも思えるが、
「……なーんか、ふたり仲良くなってないっすか?」
サニーがじとっとした目を向けて、
「なにかあった? てゆーか、ナニとかした?」
良くも悪くもブレないユウガオの発言に、
「ユウガオとサニーが言った通りだった、ということです」サラは大真面目に答えた「王として振る舞うべき時、陛下は紛れもなく王でした」
「仲良くなった、と言われると首をひねらざるを得ませんが」
余計なひと言を付け足してサラに睨まれるあたり、変わっていないと言えば変わっていない。どちらかと言えば悪い意味で。
「陛下、話がずれています」それでも生真面目にサラが促せば、
「とりあえず問題は無かった、ということで、詳しい話は明日にしましょう。眠そうにしてるひともいますし」
笑みをたたえて魔王は答えた。
むしろ眠そうにしていない者の方が少ないのだが、彼なりの気遣いだろうか。この日はこれで解散となった。
魔王とサラはカレンから夜食を押し付けられていたりした。ロクなものを食べていなかったんだから、ちゃんと食べてから休むように、と。ふたりが視線を、そして苦笑を――魔王の方は言うほど苦くないが――交わし合ったのが、シグには印象的だった。
本当に、関係性が変化したのだな、と思えて。
そして翌朝。朝食にしては豪勢なメニュー――メインは葉野菜と根菜のキッシュ――が食卓に並び、ここ最近朝は居ないのが当たり前になっていたサクラとユウガオも含めた全員が集まっていた。特に誰かが起こしに行ったわけでもないのにちゃんと起きてくるあたり、ユウガオも心配していたらしい。
むしろ魔王の方がひとりでは起きられずに、ルナが起こしにいったそうだ。
その彼はしっかりいつも通りの時間に起床していたサラから、朝寝坊に関してお説教を受けている。なんというか、いつも光景である。
「サラ。そのくらいにしておいて、話を聞かせてくれない?」
シグの発言は、魔王に対する助け舟というよりも、他の皆の代弁だった。それがすぐに理解できたのだろう、サラはため息ひとつで区切りをつけて頷いた。
「難しい話はごはんの後でね」
即座にカレンに遮られたが。
「そうですね。一週間も味気ない携帯食料をかじるだけでしたから、さすがにカレンの料理が恋しいです。
……? どうしました?」
発言の途中で周囲の視線に気づいたらしいサラが、きょとんと目を瞬く。
「いや、ホントに変わったなー、って。最初に魔王君を連れ帰った時はそんなこと言わなかったじゃない?」
「言わなかっただけで思ってはいましたよ?」
「言うようになったのが、変わったってこと。張り詰めた感じが無くなったかな? 良い意味で肩の力が抜けたんじゃない?」
「良くも悪くも、力の抜ける陛下ですからね」
「わかる。」
「いや、なんで私が責められるような流れなんでしょう」
納得いかない、とでも言いたげな魔王は措いて、とりあえず食事ということになった。例によって真面目な話になると食事の手が止まる者が多々いるので、報告は食後と約束させて。
「――でも、本当に何も無かったんですがね」
食後の紅茶のカップを傾けながら、まずサラが言った。
「ですねぇ。ニクスさんのママはスゴイですよね、ちょっとした影がありさえすれば、完璧に潜むことができるんですから。それも触れている者ごとまとめて。私が見つけられないんですから、アレは誰にも見つけられないでしょう」
続けた魔王の言葉には、誰もが反応に困ることとなったが。
「……さらっとスゴイこと言ったっすね、まおくん」
「――うん。魔王君、そんな自信家だったっけ?」
苦笑してサニーが、眉根を寄せてカレンがそれぞれ言う。
「自信、ではなく確信、ですね。私にできることは私以外にもできるひとはいるでしょうが、私にできないことは他の誰にもできない。魔王、というのはそういう存在です」
「……より傲慢に聞こえるのってボクの気のせい?」
動揺しているのか、フロストは素の幼い言葉遣いに戻っている。
「えー。皆を安心させようと思って言ったのに……」
笑顔のままでありながら、どこか不満げに言った魔王に、笑いがはじけた。シグもこれは我慢できず、こもった笑いが漏れ出る。
「さすがまおくん、安定してズレてるっすねー」
「……ま、まぁ……ウィル君、だし……」
普段から道化ているサニーはともかく、内向的なアニーにまで言われる始末である。
えー。と、魔王は不満げだが、
「そもそも、馬にも乗れなかったひとになんでもできるとか言われてもですね」
白けた感じでサラがため息をついた。
「あぁ、それもやろうと思えばできますよ。全身の動作を魔法で代替する、なんていうとんでもない無駄遣いを許容できる状況であれば、ですが」
さらりと言われて、シグは呆然と呟く。
「……できるんだ」
「可能不可能の話であれば、可能です。なんでもできるから『魔法』って言うんですよ?」
まるで言葉遊びのように。それが自明の理だ、と彼は語る。移動が目的であれば空間転移でもした方がまだ効率的だからやりはしないが、と。
「……効率、ね」
ユウガオがなにやら皮肉っぽく嗤うが、その意味はシグにはわからない。おそらく彼女の秘密が関係しているのだろう、ということしか。
わかっているであろう魔王は微笑むばかりでなにも答えなかった。
「……それってできないのとどう違うの?」
ルナが抱いた仔猫と一緒に小首を傾げれば、
「ま、結果だけみれば何も違いませんかね」
飄々と魔王は答えた。
「――だったら普通に馬に乗る練習くらいはしようよ」
呆れとともにシグが呟くのに、彼らの王は笑顔で返す。
「あぁ、また話が逸れましたね。そういったわけで隠形は完璧、商人の幌馬車に潜んで観察を続けたわけですが、追跡者の存在は感知できませんでした」
話を逸らしたのはどちらなのか。そんなふうにシグは思わないわけではなかったが、今はこちらが本題なので余計な口は挟まなかった。
「――わかったの?」
首を傾げたニクスの問いは、端的すぎてシグには理解不能だ。
質問内容すら補足するように、魔王が答える。
「あぁ、完全に『潜って』いる間はこちらからも外の色彩が視えなくなるので、何度か私だけ潜行を解除して視回したりもしたんですが、彼らを注視する者はいませんでした。
おかしな話です。私を探している、という情報が派手に出回って、双方と同郷の商人が例年に無い臨時帰郷などをしたというのに、誰も彼らを探ろうとしていない。教会も存外諜報関連は脆弱なのか、或いは教会自体に何かあったのか……」
後半は、自身の考えに沈み込んでしまっていたが。
「誰かが陛下を探してるの?」
「えぇ、まぁ、表向きはルビア、ということになっていましたね」
シグに答えた彼の笑顔からは、内心が一切うかがい知れない。
「え、なになに、その子も此処に来るの?」
仔猫の前足をぱたぱた振りながら、ルナは無邪気にはしゃぐが、
「来ませんよ」
魔王はぴしゃりと切り捨てた。
「此処を護るためには迂闊に接触するべきではない。それが陛下の判断です」
言葉を継ぎ、サラが誇るように言う。
「あー、そりゃ惚れこむわけっすねー」
サニーが苦笑し、ユウガオはちらりと魔王に視線を流して肩を竦めた。
「――なにそれ」
ルナの言葉からは、温度が失われていた。
「ルナさん」
たしなめるように魔王が言い、カレンがそっと肩に手を置くが、ルナはそれを振り払うようにして叫ぶ。
「ルナたちのせいでまおー君は友達に会えないの!?」
「違います」今度もまた、即答だった「所為、というのであれば、教会の所為ですね。無彩色と人間は共には在れない」
それこそ、世界を変えるか騙すかしない限りは。変わらぬ笑顔で付け加えられたひとことに、引用元が苦笑を浮かべる。
「そもそも勝手に名前が使われただけ、という可能性の方が高いそうですし」
「でも……!」
サラが補足するも、ルナはまだ納得がいかない様子だ。シグとしても心情的には会わせてやりたいとは思うが、同時に魔王の言い分が正しいことも理解できた。
「別れは済ませてあります。この話はもう終わりで良いですね」
綺麗な笑顔のそのままで、彼は拒絶を口にする。
自分と彼女の問題だ、誰にも口は挟ませない――と、そう言っているようにシグには聞こえた。
ルナは身を乗り出そうとしたが、カレンが今度はそれをさせなかった。先ほどより強く肩を摑み、止める。
ルーナ、と独特の抑揚で、たしなめるように呼んだのはサニーだ。
「まおくんが呑み込んでんのに、アタシらがウダウダ言うのは無しっすよ」
悔しそうに唇を噛むルナの頭をそっと撫でる、その掌は魔王のものだった。
「良く感情を抑えられましたね。苛立ちを表層だけにとどめたのは立派ですよ」
いっそう強く唇を噛み、涙すらこぼすルナに、魔王は弾かれたようにその手をどけた。え、なんで、などと呟く彼に、はぁ、とため息で応じたのはアニーだった。
「……なんで、ウィル君が心配する側かなぁ……」
「――え? 私は別に心配されるようなこと無いですよね?」
強がっている、という様子もなく、ごく平坦に言う。
――届かない、と。そんな断絶を、魔王に感じた。
「うっわ。本気で言ってるっすよ、このヒト」
サニーのその言葉が、この場に居る全員の感情を代弁していた。
「――もういい! 歌う!」
長い硝子色の髪を振り乱して、アニーが立ち上がり、もやもやした感情を吹き飛ばすように、とびきり明るくて元気な曲を奏でる。『奏でる』と、そう表現するのが最も似つかわしいと思える、そんな歌声が、気鬱や屈託などかき消えてしまえと、楽園を満たしていった。
始まらない、まだ始まらない、もう終わってた、の三段落ちです。
ハル君がちょっぴりメタいこと言ってたりしましたが、そんな感じです。まだ平穏。
次はカレンお姉ちゃんの新作料理の話、かなぁ?