第84話 王として
前回までの無彩色サイド
男子会とか女子会とか。
あとルビアちゃんバースディにハル君が絶妙に微妙な木苺のタルトを作ったり。
橄欖石の月には季節ごとの商取引がある。今回は間に追加注文を挟んだので、二か月しか空いていないが。それでもカレンが頼んだ香草や香辛料の内、ひと月では用意できなかったものが今回の取引に追加されるため、二か月ぶりでも決して普段より少ない取引量とはならない。
注文の多さに、何屋を開くつもりだ、とジャスパーが呆れていた。
家庭料理に使うだけです、そう返すのに彼が浮かべた苦笑からは、信じたのか、はぐらかされたと取ったのかの判断は困難であった。もっともカレンは、注文の品を用意してくれるのなら、どのように思われていようとどうでも良い、といった様子ではあったが。
そのあたりの機微を考えるのはハルの役割である。
資質的にも、立場的にも。
今回の取引は代表のハルと、護衛にサラとニクスママというふたりと一体の編成である。またカレンが同行を主張するのではないか、という懸念がハルにはあったのだが、追加分の商品を見て信用することに決めたらしい。ついでに言えば、目利きは楽園へ転送した後で白鴉を介してできるというのもある。
それに、ふたりならばニクスママの背に相乗りができるので、移動時間の短縮も可能だ。
出発前にフロスト謹製の弁当箱――所持している者の霊力を用いて保温も保冷も完璧――にたっぷりの料理を詰め込んで渡されたり、相乗りの時に当たり前のように後ろの方に乗った魔王をサラが不満げに睨んだりなどといった、ほほえましい日常の一幕があって、前回とも前々回とも別の魔境へと向かう。
暑さ寒さとは無縁な楽園とは違い、外は残暑が厳しい。基本的には体温を持たない精獣はともかく、人間の温度は不快な季節だ。
――普通なら。
「……随分ひんやりしているのですね、陛下の手は」
腰に回された手を怪訝そうに見遣るサラに、ハルは色彩的なもので暑さ寒さとは無縁なのだと説明した。あと、「抱き枕にしますか?」などと失言して、鬼の形相で睨まれたりもした。
アルやルビアがこの場に居れば、怒涛のお説教が待っていたことだろう。
取引場所は季節ごとに複数候補があり、その内のどれにするのかを、直前の取引で確定する形だ。良く考えられている、とハルは魔女の手腕に感心した。毎回同じ場所だったり、順番が決まっていたりすると、それだけ露見のリスクが高くなる。
ひとくちに魔境、と言ってもその内実は様々だ。楽園のようにひとの手が入っていたり、主が居たりするそれは別格として、それ以外のものにも差異はある。
そこまで視通せる者は極めて稀だろうが。少なくともアルには無理だっただろうし、楽園組にもそれだけの眼を持った者が何人いることか。ほぼ間違い無く、遠見の魔女には視えただろうが。
あらゆる精霊の濃度が濃いのが魔境と呼ばれるが、場所によって『偏り』のようなものがある。それが行き着く先に主が生まれるのかもしれない……などという空想はさて措いて、今回の場所はなんの偶然か雷気がいくぶん強いようだ。
雷光の姫君を不用意に刺激すると、文字通り痺れる破目になるだろう。
けれど今回は注文の品を受け取るだけの簡単な仕事……だと、ハルは思っていたのだが。彼は商人から、予想だにしない情報を聞かされることとなる。
即ち、
サルビア=アメシスト=バラスンが、ウィルムハルト=オブシディアン=エキザカム=ブラウニングを探している、と。
何の冗談だ、というのがハルの率直な感想だった。両親が元貴族とはいえ、駆け落ちということで生家との縁は切れているであろうから、ルビアは身分で言えばただの村娘に過ぎない。そんな娘が、国でも有数の商会の手を借りてハルを探しているのだという。
「それで、どうします?」白々しく、商人が問う。
「……それを私に訊くんですか」自然、笑みが深くなる。
「代表者の意見を仰ぐのは当然でしょう」
――あぁ、本当に、茶番にも程がある。
「ならば魔王として命じよう――何もするな。接触するなど論外だ」
それ以外の選択肢などは無かった。こんなあからさますぎる釣り餌に食いついて、魔女から命と引き換えに託された楽園を危険にさらすことなどできない。できるはずがない。
自明の事柄を、敢えて口にせねばならない不快感は、無理矢理に呑み下す。
呑み下した、というのに。
「はぁ!?」不快感を隠しもせずに、声を上げたのはフリージア=グレンだ「なによそれ、貴方の色彩を知って、それでも貴方のことを想ってくれてる娘なんでしょ!? なんで無視できるのよ!?」
言っている内容、それ自体は、いかにもアルの母親、といったものではあった。けれど、今ばかりはそれを好意的に受け止めることはできない。
「本当に彼女が関わっているとは思えないからですよ」
笑みを刻んだそのままで、先に考えたルビアの立場について語って聞かせる。アルならば、即座に作り笑いだと憤慨したであろう表情は、しかしアル以外には完璧な笑顔にしか視えないのだろう。
そう、それが彼の母親であっても。
「なんで笑ってられるのよ!? もしホントだったらどうすんのよ!」
「同じことですね。その商人は派手にやり過ぎだ。面倒な相手の眼を引いてもおかしくないほどに。この状況で繋ぎをつけるのは、自分たちの居場所を声高に喧伝するようなものです。
立場が変わった――そう、言いましたよね? 仮にも『魔王』なんて呼ばれてる以上、民を危険にさらすことはできないでしょう」
「――立場!? なによそれ、あの娘のことはどうでも良いっての!?」
あまりの暴言に、思わず口を突きそうになった。
あの時、ルビアにそう告げたように、『黙れよ、人間』と――今度は本心から。お前とは立場が違う、色彩が違う、と。そのような買い言葉を返してしまっては貴重な取引相手を失うことにもなりかねない。それは『楽園』の不利益に……などと、変わらぬ笑みのままでそんなことを考えていると。
ばぢり。と、大気の裂ける音がした。
「囀るな、濁色」
サラが敵に対する態度で吐き捨てた。ような、ではなく、そのものだ。その身に纏うは真白き雷華、もしくは這いずる白蛇の如き稲光――おそらく今の彼女が触れただけで、魔法に至らぬ人間は死に至るだろう。
……いや、アルあたりであれば、雷を燃やす、などという非常識もやってのけそうではあるが。少なくとも、彼の母にそれは不可能だろう。
威嚇と呼ぶのも生ぬるいこれは、しかし魔法ではなく、精霊術ですらありはしない。ただ、雷火の主たるサラの怒気に、この地が反応しているに過ぎない。
雷光姫の瞋恚はそれだけで命に届く。
ここで言葉を失うフリージアが、アルとはあまりに違っていて、それもまた、ハルの癇に障った。アルに似て非なるモノが、ここまで不愉快だとは思ってもみなかった。アルのように在れる者がいるなどとは最初から考えていないが、これでは劣化版もいいところだ。
「陛下のお気持ちも知らず、暴言の数々。仮令陛下が赦そうと私は赦さんぞ」
「サラ」と、今回ばかりは敬称を省いてハルは生真面目な護衛を呼んだ。
「何故止めるのですか!?」
本気で殺すつもりだったのか、とため息をつきそうになるが、思えば彼女は同胞に対して以外は最初からこうだった。
「その者たちが楽園にとって有用だからだ。処分は害があると私が判断した時に改めて命じる。今は控えろ」
いつかのように王として命令すると、驚くほど素直に雷光の姫は従った。それが形だけでないことは、纏う白光をかき消えたことから明らかだ。
「でも意外ですね」肩を竦め、口調を戻して言うのは「貴女が私のことで怒るなんて、思ってもみませんでしたよ?」
これにサラはため息で返す。が、いつもほどには不満でもなさそうだった。
「意外と言うならこちらもです。陛下がユートピア以外の総てを切り捨てる覚悟だとは思いませんでした」
「今更何を。最初に言ったでしょう? 私の命は貴女のものだと。死人は何も望まない。求めない。自身のためには、何も。」
変わらぬ笑顔で、答える。
沈痛なフリージアの表情がアルと重なって見えて、ハルの不愉快さが募った。
サラがそれとは対照的に陶然としていた。ともすれば恍惚、ともとれるようなため息を吐き、雷光姫は柔らかく笑んだ。
「……あぁ。今ようやく理解しました。本気とは思えぬことを、正気とすら考えられぬことを、貴方は笑って告げるのですね。他人にとっては狂気の沙汰でも、貴方にとっては構えるまでもない当然のことだから」
「――ひょっとして、信じてもらえてませんでした?」
あぁ、それで当たりがきつかったのか。などと今更になって思うあたり、正気ではないというサラの理解は正鵠を射ているのかもしれない。
「失礼ながら、あの時は」
跪き、少女は臣下の礼を取る。それは初めて顔を合わせて以来、実に数か月ぶりのことであったが、ハルにとってそれは、決して喜ばしいことなどではなかった。彼女には、否定的な態度を取られていた方がむしろ落ち着く……などと言っては、それこそ怒られるだろうが。
「貴方が王として振る舞ってくださるのであれば、私は臣として振る舞うまでです。陛下の口からその名を聞かない日がないほどの人物でも、陛下は同胞をこそ優先された。
だというのにあの女は……!」
再びパリパリと雷気を帯びかけるサラに、ハルは思わず言い返していた。
「え、いや、さすがに毎日ってことはないんじゃないですかね……?」
今、それほど重要だともいえないことを。
「ありますよ。せめて自覚くらいはしてください、陛下」
トゲのある口調と、呆れたような笑み。けれどそこには、今までにない親しみが込められていた。
――うん、これくらいがちょうど良い。
吐息をひとつ。それで切り替え、ハルは一切態度を変えていない商人へと向き直る。本当に、この男はアルの父とは思えない。
「とりあえず、私の言いたいことはだいたい彼女が言ってくれたので……質問をひとつだけ、いいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
落ち着き払ったその態度に、意識せず、ハルの笑みが深くなる。
「テストはこれで終わりですか?」
「は?」「はい?」
と、疑問を声に出したのは、先程まで対立していた女性ふたりだ。そのふたり、というよりも主にサラに説明するつもりで、ハルは言葉を継ぐ。
「最初の問いは、私を試していたのでしょう? 魔女の後継にふさわしいのかどうか」サラが怒り狂うであろうことは予想されたので、一度言葉を切って手で制しておいて、残りを言い切る「いえ、試すこと、それ自体は良いんですよ。当然のことだとも思いますしね」
そこで言葉を切る、つもりだった。敵対するような態度を取るのは得策ではないと、そう、ハルははっきりとわかっていて。
「ただ……大切な友人を試験問題にされるのは不愉快です。次を赦す気は無い」
――結局、言ってしまった。これではサラを笑えない。
「ちょっとあなた、いったいどういう……」
夫に食って掛かる妻を、ハルのため息が止めた。
「夫婦喧嘩なら後にしてもらえます? さっさと商談を終わらせましょう」
少なくとも今は、お前たちの顔を長く見ていたくはない。ハルが言外に込めた内容を察したのかは不明だが、フリージア=グレンはおとなしく引き下がった。
ジャスパーの方は、相変わらずの道化じみたしぐさで肩を竦めていたが。
「さすがにやりすぎでしたか。ですが私にとっての遠見の魔女は、陛下にとってのルビアも同然なのです。それで納得してはいただけませんか?」
「へぇ。なら貴方は、貴方が信用に足るか試すために、私が死せる魔女を体よく使っても納得できる、とでも?」
このカウンターには、さしものジャスパーも鼻白む。
納得などできるわけがない。そう嘯いて、ハルは続けた。
「だが必要なら呑み込もう。それが魔王の在り様だ」
胸に手を当て、恰好だけは誇るように、決意を示す。
「……そんなあり方、悲しいよ……」
フリージアの同情は、しかしハルには響かない。
「一介の戦士が王を語るな」
吐き捨てたのはサラだったが、これに関してはハルも同感だ。
「さて、と。何もするなとは言いましたが、同郷の者の名にまったくの無反応、というのもそれはそれで不自然ですか……まったく、シャモン商会とやらも厄介なことをしてくれたものです。
それでは、次の冬に村に戻った時にルビアのことを確認してもらって……」
「それよりもまず、商談を終わらせませんか?」
こちらを遮ってまで言うことだろうか、そんな疑問はあったが、言い争うほどでもなかったので、ハルは荷車の商品を確認して……
「なるほど。」
確かに、こちらが先だと理解した。
「事情の説明くらいしてもらえるのだろうな、商人」
カレンが頼んだ品はほとんどなく、荷の大半は塩であった。
これではまるで、戦支度だ。
食料の自給自足ができていることは、取引する品目から理解できていただろう。いや、そもそも魔女からそのあたりは聞いていた可能性もある。
いくらかの香辛料が無くともひとは死なないが、塩だけは絶対に必要だ。魔境の森で塩の生産は……不可能ではないだろうが、効率はお世辞にも良いとは言えないものになるだろう。実験を繰り返せば効率化も可能だろうが、そこまでにかかるコストは、ハルでもちょっと考えたくないレベルだ。
嗜好品よりも、必需品を優先的に揃えた理由。それは大いにハルを呆れさせるものだった。よくもまぁ、こちらを試せたものだと思う。
既に一度、村に戻った後だなどと。
「私はお前を買いかぶっていたのか?」
王の立場から、弾劾を。魔女の後継を見定めようとしていた者が、魔女の子らに害を為していたのでは、笑い話しにもならない。
「いえ、わりかし大きな商談の時に、聖炎騎士団が村へ向かったらしい、という話が出まして。心配されたのに様子を見に戻らないのも不自然でしょう?」
無彩色の怪物を火葬する炎は、それを庇った者たちも等しく焼く。なるほど、家族の様子を見に戻らないというのはあり得ない。けれど。
「そんなこと、網を張っていた者に――居ると仮定してですが――わかるはずもないですね。つまり貴方は目を付けられた……いや、目を付けられている可能性がある、と」
「面目次第もありません」
シャモン商会が明色か暗色は措くとして、ルビアがハルを探している、という情報に着目した者が居れば、そのふたりと同郷で、例年と違う行動を取った商人というのは、確実に調査対象となる。
――ともすれば、今現在も。
さすがの反応で、サラが臨戦態勢を取る。
けれど索敵なら、今はまだハルの領分だ。
『総てを視通せ、万の瞳』
魔王を中心に、黒の風花が舞う。
こういう事態に備え――役に立ってほしくはなかったが――理論構築を済ませていた術式を発動。ものが魔法だけに、気軽に試験運用もできなかったが、想定通りの効果を発揮、拡張された視界が魔境の総てを詳らかにする。
自分の身は頼れる護衛に任せ、ハルは目を閉じ、ただ視ることに集中する。
この魔法のタチの悪さは、術式行使の痕跡を一切隠していないことにある。相手が手練れであればあるほど、無反応ではいられず、そしてなにかしらの反応があれば、それを発見できるという、初見での回避はまず不可能な探知術式である。
「……とりあえず、此処に潜入した者はいないようですね」
ハルたちの姿を目視してすぐに撤収したとしても、こちらに気取られないように動いていては、探知範囲を抜けられてはいないだろう。
そこまで思考し、ハルはため息をひとつ。
安堵の、ではない。
――どうやら楽園へ帰るのは、暫く先のことになりそうだ。
なんか短い時の倍くらいの分量になりました。でもまだ続きます。
ハル君たちの戦いはこれからだ!
……いや、別に戦うかどうかはわかりませんが(笑)
次回「探査行」(仮)お楽しみに。