第83話 それぞれの最適解
眼に関してはルビアに頼りきりだったと、別行動を取ることになってアビーはようやく気付いた。彼女が不在だと周囲の状況がまるでわからない。一応紅蓮が警戒してくれているとはいえ、睨み合いを続ける両軍の中間地点に在って、視えないということは不安である。
「私も眼を鍛えるべきでしょうか?」
「この子に知覚系の機構も組み込むべきかな?」
ほとんど同時の発言に、思わず視線を交わすアビーとルッチ。
「いやいや、必要だろ、機能拡張」
「私はまだ何も言っていませんよ。この馬車を移動要塞にでもするつもりですか、なんてことは」
「やっぱ思ってたんじゃんか!?」
「やっぱり自覚あったんですね」
「う……」
すっ、と目を逸らすルッチに、アビーはため息ひとつ。
「まぁ、完全に無駄だとは言いませんよ?」
「だよな!」
「ただ精石の消耗による費用対効果を考えると……メアリーさん、というかルビアさんが頷く可能性は低いとは思いますが」
「だよなぁ……」
そんな会話をしていると、ぺしぺしと扉を叩く音がした。紅蓮の尾だろう、とアビーは見当をつける。吠えて報せるわけではないので、特別危険な状況ではないのだろう、とも。
窓の覆いに手をかけた状態で、一応ルッチに視線で確認を取ってから外の様子を確認する。
「……蛮族?」
そんな失礼な感想がルッチの口から洩れたのも無理からぬことだろう。人を括り付けた馬3頭を引いて駆けてくるアル(と、一応お姫様)の姿に、アビーの脳裏をよぎった言葉は「ひとさらい」であったから。
ある程度の距離を置いて、アルとお姫様が馬から降りる。それが言葉を交わすには充分で、刃を交わすには遠すぎる距離だとは、戦えないアビーにはわからなかったが、それでもアルが何かしら警戒していることは理解できた。
アルは引いてきた方の馬へと向かい、お姫様は馬車の方に駆けてくる。わざわざ彼女まで馬を降りたのは、戦闘形体の紅蓮が居るからか。主人たちが互いを完全に味方と認識していれば、ひとに飼われた動物にとって紅蓮は頼れる群れのボスとなるのだが、遇ったばかり、味方かどうかも微妙な関係とあっては、馬のように元来臆病な生き物は畏れが先に立つのだろう。
「何事です? いえ、まぁおおよその予想はつきますが」
扉を開け、アビーはお姫様に問う。ちら、と視線を向けた先では、拘束されている様子の男たちをアルが馬から降ろしている。
「ぁぐぅ…………」
「………………」
「ちょ、今腹押さえんな、吐く吐く!」
死屍累々。いや、少し元気なのもひとりは居るか。
「あぁ。お前たちの助力のおかげで、ブラドに協力した可能性のある者たちを捕らえることができた。ぐったりしている土色の髪が彼奴の言葉を全軍に伝えた者。それを即座に殺せと煽ったのが、未だ意識の戻らぬ紫髪、藍の髪の比較的元気なのが躊躇なくこちらの指示に従った男だ」
お姫様が内訳を語る間に、すっと紅蓮が非戦闘員たちを庇う位置に移動する。ただの偶然ではあるのだが、紅蓮を挟んで男女で別れた格好だ。
「ほぼ完全に予想通り、というわけですか」
やはりあのひとは大したものだ、そういう意味の呟きだったのだが。
「へぇ! アンタが天才軍師様か! 若いな! それに女とはね!」
なにやら誤解を与えたらしく、元気な藍色が騒ぎ出す。
けれど。アビーはそれを一旦無視して、傍らのお姫様を見遣る。視線に応えて彼女が語った概要は、アルが警戒するのも納得のものだった。ルビアの筋書きを聞いて、出てきた言葉が天才軍師。おまけに扇動した者を特定した、と。
それはこちらのシナリオを聞いて寝返った、もしくは一計を案じて此処に来たということになる。扇動者と無関係な可能性はほぼ皆無だ。ルビアの作戦に気づけたならば、敵側のそれにまるで気づけなかったわけがない。
「オイオイ、無視は寂しいねぇ、軍師様?」
――ならばこの誤解は、むしろ好都合か。
「――だとしたら。貴方は何を望むのですか?」
ルビアが戻るまでに、少しでも情報を引き出す。そのためにアビーはそのとぼけた男に合わせてやった。
「いやなに、駒を動かすわけでなく、遊戯板をひっくり返すような手に出た常識外れと、ちょっとサシで話がしてみたくてね」
と、顎をしゃくってメアリーの馬車を示す。普通に考えれば、受け入れられるものではない。当然のものとしてアルやお姫様は拒絶を示すが。
「良いでしょう」
アビーはそれに応じてみせた。止めようとするアルの方を、今度は無視する。
「お、話せるねぇ」
「リスクに見合うだけのメリットを、貴方が示せるのならば」
火中の栗を拾うのは、ルビアではなく自分の役目だと、覚悟を決めたアビーに、しかし返されたのは、気の抜けた吐息だった。
「……あー、やっぱそっか。ならいーや」
「いい、とは?」アビーは眉根を寄せる。
「ん? アンタと話すことはなんもない、ってこと。だってアンタの案じゃないんだろ、コレ。」
どうにか、表情を動かすことだけは堪えた、はずだ。
「――どうして、そう思うのですか?」
「……ま、いっか。こんくらいはサービスだ。リスクだのメリットだの、アンタの考え方は商人のそれであって、策士のもんじゃない。商売人にこの一手は打てねーよ。こんなことができんのは、もっとどっかイカレたヤローだけだ」
その言い様にカチンときて、思わず挑発的な言葉が漏れる。
「貴方のように、とでも言いたいのですか?」
「どっちかってーとブラドみてーに、かな?」
頭に血が上りかけるが、これもアビーはどうにか堪えた。
……アビー、は。
「あんなんとルビアを一緒にしてんじゃねぇぞ」
アルの発言でいろいろと台無しではあったが、それでもすっとしたのは確かだった。そもそも、既にごまかしがきかないレベルであった可能性も高い。
「へぇ。本物も女なのか」
「サシで話なんてさせねーぞ」
すかさずアルが釘を刺す。
「ま、そのへんは本人と軽く話してみてから、だな」
その男の視線の動きに、慌てて背後を振り向いたのは、アビーとルッチだけだった。アルならともかく、お姫様まで泰然と構えていたのは、少しばかり悔しいと思うアビーだ。
「なにごと?」と、訊いたのはメアリーで、
スピネルは無言で下馬し、彼女を庇う位置に着く。
そしてルビアは。
紅蓮の向こう側、アルが警戒している3人――実質警戒しているのはひとりだが――に一通り視線を巡らせて、ひとこと。
「なるほど」と、呟いた。
「え、なに? 何がわかったの?」
そう素直に訊いたのはメアリーだが、その疑問は皆が同じくするところだろう。
「あぁ。そういえばメアリーは先に行ってもらったんで知りませんでしたね。プリンセスの側にまだ潜入している者が居ると思ったので、アル君と一緒に捕まえといてもらったんですよ。此処に連れて来るとは思ってませんでしたが。
――で、随分厄介な相手が居たものだな、と。」
「厄介、ですか?」
馬上から視線を向けられた、当の本人が問い返す。
「タチが悪い、と言い直した方が良いですかね。貴方、寝返ったクチでしょう?」
こともなげに、ルビアが応じるのに、はっ、とその男は愉快そうに笑った。
「なるほど。これはモノが違う」
藍色髪の男の独白は、しかしこれまでのようにアビーを不快にはしなかった。彼女と自分では役者が違うということなど、アビーには最初からわかりきっていたことだ。でなければ、成人前だった少女を師と仰いだりはしない。
「何故わかったのだ?」お姫様の問いに、
「だって、そうでなければ貴女やアル君に警戒されてまで、私に会いには来ないでしょう。もっと巧いやりようはあった。それでも自身の興味を優先した。そうではないですか?」
返答の最後は、男への問いかけだった。
「そう考えた理由を訊いても?」
「師の言葉を借りるのならば――貴方がそういう色彩だからですよ、深海の滄。知識欲、それが貴方の本質に視えますが?」
「……すげーな。期待以上だよ、軍師様。なぁ、訊いてもいいかい?」
手足を縛られ、膝をついた状態だというのに、その男とルビアがこの場の中心だった。
「答える気になる質問なら」
当然、ルビアも一歩も引かずに嘯くのだが。
男はこれにむしろ楽しそうに笑って、問うた。
「もし聖女様が手駒になかったらどうやってあの場を収めたのかな?」
「いや、立場的には手駒は私の方なんですが……まぁ、答える気にもならない、という程ではないですね。その答えは『収めなかった』です」
「……は?」
「そもそもメアリーにも、もし戦闘が始まってたら手を出さず戻ってくるよう言ってましたし」
それは、ルビアの同行者ならば全員が聞いたことだが、深海の滄は驚愕の表情でまくしたてた。
「いや、いやいやいや。あんなイカサマみたいな火を手駒に持ってて、それは無いでしょう。アンタの頭ならコイツひとりでいくらでもやりようはあるでしょうが」
と、アルの方を顎先で示してみせるのに、ルビアは不快感を隠そうともせず……いや、彼女ならば敢えて表に出して、だろうか、こう言った。
「さすがに二度目は聞き捨てならないですね。彼女も彼も手駒でも部下でもありません、友人です。それに私も軍師などではない。
世界を遊戯板としてとらえる貴方の最適解は最大数か最小数かもしれませんが、私の最適解はゼロです。私は筋金入りの利己主義者なので、見知らぬ数千よりもひとりの友人の方が大事なんですよ」
それは、たいていの人間がそうなのだろう。けれど、堂々と胸を張って宣言できる者がどれほどいることか。少なくとも、アビーには無理だ。今は、まだ。
深海の滄が道化るように口笛を吹いた。
「シビレるねぇ。なら、あのとんでもファイヤーが手駒だったら?」
とんでもファイヤーという言い様があまりに的確で、アビーは吹き出しそうになったが。やはりと言うべきか本人は不満らしく渋い顔をしていた。
「なおさら何もさせませんね。こんなところで使い潰すにはあまりに惜しい。
でも、私は彼の主ではありませんから。結局何かしらの介入をすることになったんでしょうね。メアリーもアルも甘いですから」
冷たい現実を突きつけながら、その甘さを実現可能なレベルにまで落とし込むルビアもたいがいだ、とアビーなどは思うわけだが。
「なるほどなるほど。んじゃ、次の質問。大規模な軍事演習と、軍備の増強、それによる周辺諸国との軋轢――それも計画のひとつだって可能性は考えなかった?」
「ちっとも。そもそも私にはそんなの考える必要がありません」
「――って、なんで?」
「私は今回の事態に対する解法のひとつを提示しただけです。政治的なことを考えるのは、それを受け入れた王様の仕事です」
「……いや軍師でなきゃなんなんだよ、アンタ」
「ただの恋する乙女ですが?」
「ははっ、やっぱアンタおもしれーわ。ちょっとサシで話さね?」
繰り返される誘いに、
「え、ヤですよそんなの」
繰り返された即答は、しかし拒絶のそれだった。
「なんだよ、アンタでも怖いのか?」男はつまらなそうに鼻を鳴らすが、
「いや何言ってんですか。うら若い乙女が密室で男の子とふたりきりとかありえないでしょ」
ルビアの言葉を聞いて。男は仰向けに倒れて大笑いした。足をばたつかせ、転げ回ったりすらしながら、大声で笑う。
「そこ!? そこかよ、気にするとこ!」
「ほかに何を気にしろと?」
当たり前の顔で。平然とした口調で、ルビアが言う。
「いやいや、さすが恋する乙女は言うことが違うねぇ。あー、じゃあアンタが信頼できる相手と3人でいーや。ちょいと本音で話さねぇ?」
抑えきれない笑気に、くくっ、と言葉に笑いが混ざりこむ。
はぁ、とルビアが諦めたようにため息をつく。
「貴方が有能そうでなければ却下したんですけどねぇ」
ルビアが同席者に指名したのはアルだった。信頼でも、戦闘能力的に言っても当然ではあるのだが、それでも悔しいと思うのをアビーは止められない。
こと智に関しては、自分こそが彼女の腹心たりたいと、そう願うようになったのはいつからだろうか。
「あぁ、でも話しすんのはオレとアンタだけで頼むぜ?」
アルの肩に担ぎ上げられた男が、そんな体制にあってもふてぶてしく言う。
「あ、それはわざわざ言うまでもないですよ。どうせアル君は頭使うことは私に丸投げですから。戦闘は全部任せてるので、文句はないですけど」
これもまた、ルビアに同行している者たちには当たり前だったが。
「は? いやいや、オレを当然のように警戒する切れ者だろ?」
男は慌ててアルを見遣る。
「あぁ、それたぶんただのカンです」
「……は?」
男の目が点になった。なんとも懐かしい反応だ。
「カンでまず正解にたどり着くんですよ、そのヒト。」
「なにそれずっこい」
「ねー。私も、私たちの先生も良く思ったもんです」
なんとも、仲の良さそうな会話である。
馬車の中で交わされた会話については、アビーの知るところではない。ただ、何度か漏れ聞こえた男の笑声から、彼好みの常識はずれな発言がなされたのであろうことが推測できるくらいだ。
ややあって。馬車から出てきたルビアは、お姫様にこう言った。
「彼はあの血色の男の協力者です。被害を最大にするような献策をしていたようですね」
「ちょっ、いきなりそれ言っちゃう?」
慌てた、というよりも、とぼけた、という印象が強い言葉は、続いて降りてきた男のもの。敵であったことが確定したその男はしかし、縄を解かれ、自分の足で歩いていた。
「寝返った、と最初に言ってますし、今更でしょう」
「いや、だからってもうちょっと言いようってモンが……」
男のぼやきなど取り合わず、ルビアは真っ直ぐにお姫様を見て、言う。
「彼は一切信用できません。盤上の遊戯を楽しむように策を弄するひとでなしです。けれど、能力だけは私が保証します。切れすぎる懐剣、使いこなす自信がありますか――プリンセス?」
「……自信、か。そんなものは無いな」
苦笑するお姫様に、男が露骨に失望の表情を浮かべて、
「が、やろう。」続く言葉に、反転する「それが私にとっての最適解なのだろう? ならば最大限の警戒をしつつ使うまでだ」
「いいね。こりゃ退屈しないで済みそうだ」
「退屈などする暇を与えるものか。貴様は全力でこき使ってやる。
少しでもできることを増やしておかねば、ルビアに報いることもできぬ故な」
「いや、普通は恋する乙女に武力も国力も不要でしょ」
「何を言う。ただ見目が良いだけの女ですら国を傾けることがあるのだ。これほどの者の想い人がその域に無いとどうして言えよう」
「あぁ、うん。そですね。んじゃ、誠心誠意お仕えしますよ、プリンセス。まずはウチの部隊の大掃除からですか」
こちらの主従も存外相性が良さそうである。
「ここから先はこの国の問題ですね。ではプリンセス、縁があればまたどこかで」
ルビアが手を差し出せば、
「あぁ、世話になった。恩にはいつか報いる。必ずな」
プリンセスは手を掲げて応じる。
苦笑し、ルビアも手を上げて、打ち鳴らす。平原の中央に、小気味の良い音が響いた。シェイクハンドではなくクラップハンド。それが一国の姫君と、旅の恋する乙女との別れの挨拶だった。
短いときの倍くらいの長さになってしまいました。とりあえずはエメラルディア王国篇、完結です。
次は黒曜のひとたちの話になる予定。