第82話 姫君と一夜限りの騎士
時間は少し遡り、血色の道化が姿を消した直後のこと。
第八王女。聖なる数字から外れた存在。
プリムラ=エメラルダ=アンブーティアはそういうものとして生まれた。
七彩を超える数は忌避の対象であり、王族であれば貴族へ、貴族であれば有力な商人へ、養子に出されることも良くある話だったが、プリムラは8番目の王女として育てられた。
それは跡継ぎたる男児を望んで都合11にも及ぶ娘を設けた王の、ささやかな罪滅ぼしだったのかもしれないが。それでも、プリムラ以下の王女には、王族としての教育は施されなかった。教養では下級の貴族にも劣る程度。それは王位継承権を持たないことを考えれば当然の処置ではあった。
名前だけの王族としての、気ままな日々。プリムラの3人の異母妹たちは、無邪気にそれを謳歌していたが、彼女はそれで満足しなかった。
恵まれた生まれには、相応の義務も伴うはずだと考えた彼女は、自ら学ぶために市井に降りて……豊穣の国に、あってはならぬものを目にする。
飢えた民の存在は、恵まれた王女にとって許容できぬものであった。
他国を知る商人には、充分許容範囲であるそれですらも。
どれほど巧く治めようと、ひとは絶対者にはなれない。全てを救うことなど、ひとの身には不可能なのだと、そんな当たり前のことにも理解が及ばぬ潔癖な王女を欺くのは容易だったということだろう。
『継承権を持つ者に取り入って私腹を肥やす奸臣が殿下の敵です』
そんな甘言に乗ってしまったのだから。
私腹を肥やす子悪党など何処にでも居るだとか、『殿下の』敵であって、『自分の』敵だとは言っていないだとか、あの道化者の思考誘導についてこの場で教えられることはなかったが、いいように利用されて、救いたいと願った民をむしろ損なおうとしていることくらいはわかる。
王女による王への叛乱ともなれば、多くの血が、無用の血が流れるだろう。
「打つ手が無くはない、か……?」ぽつり、と呟いた蒼い髪の少女に、
「ほ、本当か……!?」プリムラは縋るように手を伸ばしたが、
「少し黙っていてください」理知的な、けれど少し冷たい印象を与える女が割って入る「私たちは貴女の味方でもなんでもないことをお忘れなく。おとなしく、ルビアさんの結論が出るまで待っていてください」
「――だが! だが、このままでは民が……!」
「死ぬのは貴女のせいですね。私たちに何の関係が?」
温度の無い正論に、返す言葉を失う。縋りついてでも助けを乞いたいところだが、それが逆効果であることくらいはプリムラにも理解できた。
「……メアリーの名前ならば、止められるかもしれません。前線に出てもらうことになるので、無理強いはできませんが、」
「――やるわ」言葉半ばで、金無垢の少女が即答する。
「お嬢様!」
悲鳴のような声を上げたのは、プリムラを凶刃から護り、先ほども支えてくれた赤い髪の剣士だ。
「勝算が無ければ、ルビアは最初から提案もしないでしょ。なら、やる。ひとが死ぬのは嫌いなのよ、貴方のお嬢様は」
胸を張り、堂々と宣言する金無垢の少女。プリムラには、彼女の色彩が太陽のように見えた。
「ならせめて僕が一緒に……」
「悪いけれどそれはダメです。時間との勝負なので、紅蓮に乗って最速で駆けてもらいます。私たちもすぐに後を追いますが、初手はメアリーが頼りです」
蒼の智者がそこで視線を向けたのは、プリムラが此処への目印とした炎の髪の少年だった。言葉を交わすこともなく、ひとつ頷いて。彼が視線を傍らの赤い仔犬へと転じる。
「紅蓮。遠慮は要らねぇ、全開だ」
雑な、あまりに適当なそれが、開放の詞だとでもいうのか。
応じて仔犬が、轟、と天に咆哮を放つ。と、炎の色の毛並みが燃え上がった。さながら火に油を撒いたように膨れ上がり、そのまま馬と比べても見劣りしないサイズで固定される。
「……ははっ、まさか侍獣とは」
とてもではないが、愚かな番外王女に扱える剣ではない。彼女といい、彼といい、配下に加えようなどと、烏滸がましいにも程がある。そんな自嘲と共にほうけている間に、策を授けられた黄金色の少女は駆け出していた。
「しゃんとしなさい、プリンセス」空色の瞳が、プリムラを射貫く「民のためだと嘯いたのならば、せめて最期までそれを貫いてみせなさい」
少女の言う『最期』を、プリムラは取り違えたりはしなかった。
若き賢者はこう言っているのだ。元凶たるお前が、命を懸けないことなど赦さない、と。道半ばで、俯くことなど認めない、と。
このような叱咤を、今までにくれた者がいただろうか。
彼女は馬車での移動中に、プリムラにもいくつかの策を授けてくれて、出会った時のようにやれば良い、と結んで微笑んだ。
「なに、内憂と思っていたものが、実は外患だったというだけです」
そして現在、連れてきたプリムラの馬に相乗りしているのは、アルと呼ばれた火の色彩の少年だった。随伴は居ない。まず間違いなく荒事になるからと、非戦闘員を置いてきた結果だ。
侍獣? アレは両軍に睨みを利かせるためにあの場から動かせない。一応、馬車に残ったふたりの護衛役も兼ねている。
善意の協力者に苦言を呈するのは少々気が引けたが、さすがに気になってプリムラは口を開く。
「――おい、少し早すぎやしないか? これでは馬がへばって……ん?」
――いやぴんぴんしているな。むしろいつもより元気が良さそうだ。
「あー、馬なりだぞ、一応」
「なんでだ!?」全速力に匹敵する馬なりがあってたまるか。
「なんかオレの色彩のせいらしいな。こうやって手綱握ってるだけで火の活力の影響を受けてバテにくくなるんだと」
全力で駆けてほとんど疲弊していないこの状況を『バテにくい』のひとことで片付けられてしまった。この少年もなかなかに頭がおかしい。
「目立つ色彩だとは思ったが……いったいどんな火なのだそれは」
「太初の火だな」
……こともなげに、とんでもないことを言われた。
「――おいおい、大きく出たものだな」
もう笑うしかない。
「名前負けだと思うか?」
それは不遜と言って良い言葉だった――言ったのが、この少年でなければ。
「……思えないから困惑している。それでは何か? お前は火が意味するところのもの、その全てを操れるとでも言うのか?」
そんなものが本当に自分と同じ人間なのか。そんな思いで問うのに、
「まぁ、いまだに扱いは巧くなくて、無駄が多いけどな」
返ってきたのはそんな、どこかズレた答えだった。
「否定しないのか……」
「熾紅なんて大層な銘をもらっちまったからな」
誇るような言葉が、どこか寂しげにも聞こえて、プリムラは思わず振り返る。火そのもののような少年が、似つかわしくない、ひどく複雑な表情を浮かべていた。
似合わない、などと言えるほど彼のことを良く知っているわけではないが、何か見てはいけないものを見てしまった気がして、プリムラは慌てて視線を戻した。
もう、戦場は目前だった。
多すぎる数の人間は、ただ其処に在るだけで圧力を感じさせる。それが武装した軍ともなればなおさらだ。プリムラが組織した……つもりになっていた義勇軍。今まさに叛乱軍へと貶められつつある危うい軍勢。
「あぁ、そうだ。あれが、あれこそが私の戦場だ」
「覚悟は良いかよ、お姫様?」
「応とも。宜しく頼むぞ、今宵限りの私の騎士殿?」
道化た言葉に返して振り仰げば、鎧どころか剣すら帯びぬ臨時の騎士は、なんとも渋い表情をしていた。
「騎士とか、ガラじゃねぇ……」
それでも、苦々しいものを笑い飛ばすようなその表情は、先のそれよりも良いと思えた。あのような、何かを悔やむような表情よりも、ずっと。
だから。
「そうか? 存外似合うのではないか?」
つい、そんなからかうような言葉を、馬を降りて轡をとった少年にかけてしまう。日雇いの騎士殿はこれには肩を竦めたのみだった。
堂々と、正面から近づくプリムラの姿に、自身の手勢、そう思っていた兵たちの動揺が見て取れるが、彼女が本陣に居ると思っていた者と、この場に居るはずがないと思っていた者との違いまでは判別不能だ。
なにしろ支援部隊も含めて五千もの軍勢、全員の細かな表情まで観察することはできない。少なくとも、一瞥程度の時間では無理だ。
ならばどうするのか。
「答えよ! 誰の命あって軍を動かしたか!?」
こちらの問いで揺さぶりをかける。これが蒼の賢人が授けた一手目だ。
ざわ、と波紋が広がるように困惑が揺れ動き、一同の視線がひとところへと集まり始める。土色の髪の、気弱そうな男のところへ。
「――ひっ! ま、待ってくれ、オレはただ……」
動揺し、言い訳を始めるのを遮って、
「裏切り者はアイツだ! 殺せ!」
混乱の火を煽るように叫ぶ、その声もろともに……
『熾紅・昏白』
太初の炎が、焼き尽くす。
やや濁った白の炎が包み込んだのは、数百にも及ぼうか。騎士などガラではないと苦笑した少年が黙していたのは、この一撃のためである。
炎が消えて、地に伏す無数の人影に恐慌が起こる――よりも早く。
「落ち着け!」胸を張り、プリムラが宣言する「意識を奪っただけだ! 巻き込まれた者には後で詫びよう。今は……先ほど声を上げたふたりを捕らえよ! 尋問するゆえ、殺すことは許さぬ!」
即座に動いたのは、プリムラも良く知る男だった。インディゴライト。剣の腕はそれなりだが、目端の利く藍色の若者、その眼前に、赤い刃が突き付けられた。
炎で形作られた剣を握るのが誰かは、言うまでもないだろう。
「えっと……リーダー? これってどーゆーことでしょ?」
問われたのはプリムラだが、答えたのはアルだった。
「物分かりが善過ぎるんだよ、お前。誰が味方かわかんねぇ状況で、即座に動けるヤツなんざ、何も考えずに命令に従うだけのヤツか……さもなきゃ、最初から全部知ってるヤツくらいだ」
妙な動きを見せれば斬る。少年の眼はそう語っていた。騎士と呼ばれることを嫌った少年は、けれど間違いなく戦士ではあった。
「いやいや、オレはただ、事態が混乱してるからとりあえずリーダーに従おうとしただけであって……」
リーダー。その呼称は今まで通りではあったが、プリムラとしては少々皮肉にも感じた。第八王女という肩書を知っていたのが、あの狂った道化者だけだったということに。思えば皆に身分を明かさぬように言ったのもあの男だ。
それがこの状況を創り上げる布石であったと、今ならば理解できる。
「ま、そうだよな。そうかもしれねぇ。が、怪しいのは事実だ。調べが済むまで拘束させてもらうが、構わねぇよな?」
「いや、なんでアンタが仕切ってんだ」
あくまでアルには反発するインディゴライトだったが、
「私がそう頼んだからだ」
プリムラの言葉には、さすがに沈黙した。
「皆聞け! 裏切り者はブラドだ! 彼奴は他国の間者であり、此度の訓練に乗じて我が国に出血を強いるつもりであった! 重ねて命じる、彼奴に繋がる可能性のあるふたりを拘束せよ!」
「――ちょっ、は? 訓練? 不正貴族の討伐じゃなくて?」
インディゴライトが目を丸くしている。
「あぁ、それは仮想敵だな。そういう想定で軍事演習を行うつもりだ。皆が聞いていなかったとすれば、それはブラドが語らなかったのであろうな」
と、これも策として与えられた落としどころだ。過去形で語っていないので、嘘は何ひとつとしてない。ブラドが語らなかったのは、その時点でそんな予定など無かったのだから当たり前ではあるのだが。
……嘘、ではない。とんだペテンではあるが。
きょとん、としていたインディゴライトが一転、腹を抱えて大笑した。
「マジかよ!? とんでもねー軍師がついたもんだ! ねぇリーダー、内乱を回避してみせた天才軍師様にちょっと逢わせちゃもらえません?」
これに即頷くだけの裁量は今のプリムラには無いので、アルに視線でどうするか問いかける。彼は構えを解かぬまま、顔をしかめた。
「最初はそのつもりだったんだがな……ちょっと他のヤツの知恵も借りたくなった。コイツ、何者だよ」
一瞬で百人単位の意識を刈り取った火に言われるのは、インディゴライトも不本意であっただろうが。
「あー、違う違う、ソイツじゃない。煽ったのはその隣の紫髪の方だ」
などと、ふたり目の拘束者を決めかねていた兵たちに指示を出している。
「――知ってたのか」敵意も露わなアルの問いに、
「耳は良い方でね」肯定否定どちらでも通る答えが返る。
「念のためだ、その男の周囲の者たちも一応拘束しておけ。獅子身中の虫は、此処で確実に潰さねばならん。
ではアル、その3人を連れて一旦馬車まで戻るということで構わぬか?」
インディゴライトから視線を切ることはなかったが、一瞬ぽかんとアルの口が開いたのが見えた。
「……え、いや、いいのか? 尋問は此処でやるつもりだと思ったんだが」
「何を言う。此処には未だブラドの息がかかった者が居るやもしれぬ。私が今一番信頼できるのは、事態の収拾に奔走しているお前たちだよ」
兵にインディゴライトの拘束も命じると、当人からは何故か感心したような目で見られた。何だ、と問えば、
「いえ、こういう決断はできないひとかと思ってました」
返ってきたのは、そんなとぼけた答え。
「ただ甘っちょろいだけの飾り物だとでも思っていたか?」
「正直に言わせてもらえば、はい。意外です」
正直すぎる返答に、怒る気も失せる。
「……まぁ、そうであろうな」
改めて戦闘行為の禁止を厳命し、プリムラたちは馬首をめぐらすのであった。
馬に直接括り付けられた3名は、手綱を引くアルの速度のせいで、移動自体がちょっとした拷問のようになっていたけれど。
事件の収束までもうちょこっとだけ続くんじゃよ。
……いや、うん。インディゴライトなんて怪しいヤツを増やしたせいですね、はい。
ちなみに今回の没タイトルは「姫君と騎士(日雇い)」本編に出てきたフレーズではありますが、こうやって書くとギャグにしかならないので却下。
次で今回の一件は解決予定なので、説明向きなルビアちゃんかアビーに語り手を任せようと思います。たぶんアビーの方。
次回「大演習」(仮)お楽しみに。