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色彩の無い怪物は  作者: 深山 希
第二章 無彩色の楽園と蒼紅の旅路
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第81話 偽りの救済

 エメラルディア王国の正規軍は、既に行軍を開始していた。

 通りすがりの職人と商人が気づいた程度のことだ、国が見逃すはずもない……と、言えればよかったのだが、実際は騒乱を望む者が意図的に内部情報を流した結果だった。故に可及的速やかに、両軍は激突する。


 平野部が多いこの国では、かなり遠くまで見通すことができる。


 国家転覆をもくろむ――ということにされている――第八王女率いる叛乱軍と、王国正規軍とは、既に互いをその視界内に収めていた。


 血気に逸る叛乱軍は雑然と、訓練を積んだ正規軍は整然と、けれど殺戮の目的だけは等しく、双方は軍を進める。未だ互いに矢も術砲も届かぬ距離だが、開戦はもはや時間の問題でしかなかった。

 そして戦闘が始まれば、練度に勝り、数も倍する正規軍が、叛乱軍を一掃するのは確実だった。


 それでも、王国側にも少なからぬ損害は出るであろうし、王女による叛乱という事実は、王の治世の瑕疵かしとなるのみならず、次なる叛乱の火種となるだろう。


 全ては、血色の道化が望んだままに。


 エメラルディア王国は自らその国力を損なう……はずだった。


『轟!』


 と、猛る炎の咆哮が全軍を打ち据えて、一時いっときその身を竦ませることさえなければ。足を止め、何事かと周囲を警戒する兵士たちは、敵軍との間に割って入る、黄金きん色の髪の少女を背に乗せた、深紅の狼の姿をその目に捉えた。


 そして知覚能力に優れた幾人かは、金無垢の少女がささやかな術式を発動させるのも認識していた。


 広範囲に声を響かせる、『天の声』と呼称されるその術式は、便利ではあっても、ひどく脆いものだった。何かしら別の精霊術が、例えばロウソクに火を灯す程度の術でも範囲内で使われれば、それだけで簡単に破綻してしまう程度の。

 だから、次の言葉を言わせてしまったことは、扇動者たちの失策である。


『双方、剣を収めなさい! この騒乱、メアリーゴールド=アクアマリン=キャッスルトンが預かります!』


 凛、と。少女の声が、ほどなくして戦場になるはずであった平原に響く。


 夕日のあけですら染め上げることの叶わぬ金無垢の髪は、少女が自称した聖女の名を、虚偽と断じることを許さない。

 加えて少女が騎乗する狼は、夕焼けよりも鮮烈な燃える炎の毛並みを有し、戦況を覆すとまではいかずとも、動かす程度ならば容易な、ぐんに匹敵する個であると、その威容を以て主張していた。


 ひとりとして、動ける者は無かった。


 聖女メアリーゴールドの名は、それだけの強制力を持っていた。


 そう、その名が当代の聖女として知られる翠玉すいぎょく――奇しくもこの国の名と同じ号だ――では無かったとしても。


 両軍は未だ互いを射程に捉えてはいないが、その中央に駆け込んだメアリーゴールドには、双方の矢が、術砲が届く。


 けれど、扇動者は動けない。下っ端の暴発を装って、自称メアリーゴールドを殺せたところで、その先が続かない。暴発した下っ端は味方を装っていた者たちの圧倒的な数に押しつぶされ、正義かぶれのプリンセスが自身の身柄と引き換えに事態を収拾しかねない。


 陰謀を巡らすようなさかしい連中は、そのような自暴自棄には陥らないだろう……と、ここまでがルビアの予測であり、現時点ではその通りに推移していた。


 暴発は止めた。時間も稼いだ。故に、勝ちは確定した。


 ここから先はルビアがなんとでもしてくれると、メアリーは本気で信じ切っていた。もしも勝ち筋が視えていないなら、彼女はこのようなリスクをメアリーに負わせはしなかった――それでもスピネルは反対したが――だろう。ルビアは優しいが、優先順位ははっきりしている。勝ち目の無い戦いであれば、仲間の身の安全を最優先して逃走を択ぶのがルビアだ。


 理想論ばかりの自分とは違う。と、メアリーは、ルビアとスピネルとに、劣等感の混じった憧憬を抱いていた。二人が知ったら、お互い様だと笑っただろうが。


 先に動いたのは、ルビアが予想した通り、王国の正規軍であった。

 安息日の色である紫の旗を携えた、交渉のための伝令兵がメアリーに向けて馬を走らせる。走らせた、ものの、戦闘態勢の紅蓮に近づくことができずに、途中からは徒歩になっていたが。


 実はこれすらもルビアの時間稼ぎの一手である。


「聖女殿にお伺いする!」


 5歩以上の距離を置いて発言する伝令兵に、メアリーは彼も紅蓮が怖いのか、などと失礼なことを考えたのだが、不意打ちができぬだけの距離を置いての交渉は戦場の礼儀である。


「この騒乱を預かると言った貴殿は、如何様いかように事態を収拾するおつもりか!」


 その問いに対する答えを、メアリーは持っていない。時間が最大の敵だということで、必要最低限だけを聞いてこの場に赴いている。


 だから。


「それは指揮官殿に直接お答えしましょう――我が師と共に」


 自身が来た道を振り返り、悠然と近づく馬車を視線で示して、言った。

 ちなみに『師』というのはルビアのことだ。メアリーの家庭教師という建前――実際大きく間違ってはいない――で同行する手はずである。


 伝令兵の視線が紅蓮に向いたのを見て取り「さすがに侍獣を連れては行きませんよ」と、安心させるように微笑んだ。


 内心、これも読んでいたルビアに若干の畏れを感じながら。


 というわけで、正規軍の下へと赴くのは、メアリー、ルビア、スピネルの三人だ。残りの者は叛乱軍の動向に備えることになる。騎乗するのは、メアリーの馬車をいつも引いている、半ば紅蓮の眷属と化した2頭の馬だ。メアリーとスピネルが相乗りし、ルビアが若干たどたどしくそれに追従する。


 整然と隊列を組む軍隊、それから少し離れた場所にある、急遽張られたらしい天幕へと、伝令兵は3人を案内した。


「聖女殿とその師、並びに随伴の剣士殿をお連れしました!」


 中に声をかけ、入り口をめくりあげて促す伝令兵に、メアリーとスピネルは僅かばかり躊躇したのだが、ルビアは当然の顔で兵士に一礼して入り口をくぐった。

 慌ててスピネルと共に後を追ったメアリーが見たのは、居並ぶ将校たちを前に優雅に淑女の一礼カーテシーを決めてみせるルビアの姿だった。もっともメアリーの目にはそれは、決闘に臨む剣士の一礼のように見えたのだが。


「お初にお目にかかります。サルビア=アメシスト=バラスンと申します。今はメアリーゴールドお嬢様に様々なことを教える立場にあります」


 長方形の卓に着いているのは4人。いかにも古兵ふるつわものという印象の、赤い髪をした壮年の男2人を左右に従えた、両名に比べれば若干細身に見える翠の髪の男と、それに似た色彩の髪を結い上げたやや場違いに見える年若い女がひとりだ。そしてそれぞれの背後に、護衛の兵士がひとりずつ。


 ルビアはごくごく当たり前に、代表らしき男の正面に座った。


 だん! と卓に拳を叩きつけたのは、向かって左の男だった。


「貴様! 従僕風情が陛下の正面に坐するか! 身の程をわきまえよ!」


 戦う者の怒号に、戦えぬ者であるルビアは、ちら、と一瞥を投げただけだった。すぐに正面に視線を戻し、小さく吐息する。


「――陛下、ですか。もし意図的にやらせているのでないとすれば、彼は外させた方が良いのではありませんか? 此処は実戦以外能の無い者が居て良い場所ではないでしょう」


 罵倒や皮肉では無く、心からの忠告だった。


「――貴様っ!」


 罵声を上げた男の手が、腰の剣へと伸びて……


 ばん! と、今度卓を叩いたのはルビアだった。


「キャッスルトンの黄金に弓引くがエメラルディア王国の意思か!」


 剣を握ろうとした男の手は、メアリーが場違いだと思った女が摑んでいた。


「下がれ」と、女が告げるのに、

「で、ですが姫様……」男が返す。


 ……少しだけ、ふたりの王族を気の毒に思うメアリーだった。聖女を自称しただけの得体のしれない相手に、王や姫の存在を明かしてどうするのか。

 さすがにこれくらいは、ルビアに聞かずともわかる。もしメアリーたちが例の血色のような存在であれば、国王など恰好の暗殺対象である。


「まだ私たちの足を引っ張り足りないか?」

 奥歯を噛んだ姫が睨み付けると、男はすごすごと下がって行った。


「よほど優秀なのでしょうね、将軍としては」

 世間話をするような気軽さで発せられたルビアの言葉に、一瞬男の足が止まる。

「そうでもなければ、向いていないと承知でこの場に同席させないでしょう。せめて、失敗から学べると良いですね」


 男が天幕を出た後で、王らしき人物が口を開く。

「賢者殿に感謝を」立場上頭を下げるわけにはいかないのか、真っ直ぐにルビアを見て、王は言った「臣下への気遣い、痛み入る」


「賢王の力を削ぐことは、少なくとも私の本意ではありませんので」


 答えて言ったルビアの隣、正面が空いた場所にメアリーは座る。スピネルはいつも通り、その背後に侍立するかたちだ。

「二度目の名乗りと護衛の名は不要と考えて構いませんか?」


 これに頷き、王は改めて問う。

「それで、賢者殿に伺いたい。此度の叛乱を、どのように治めるつもりなのか」


 ぱん、と軽く手を打ち合わせて、ルビアが答える。


「叛乱など無かった、というのはいかがでしょう?」


「……は? 何をバカな!?」

 先ほどは冷静に止めに入った王女も、これには激昂する。


「今回のこれは大規模な軍事演習です。悪意ある隣国の手の者により、一方が実戦だと思わされたのは不幸な事故でしたが、真相に気づいた第八王女が、偶然知り合った聖女に助けを求めて事なきを得た、ということにしてしまいましょう」


 飄々と、笑みすら浮かべてルビアは言った。敵が居るのは確かなのだから、全部そいつのせいにしてしまえ、と。


「――そのような詭弁が通ると、」王女の正論は、ルビアが喰い千切る。

「押し通します。それで無意味な死者を出さずに済むのなら、私はいくらでも詭弁を弄し、それを結果として真実にしてみせましょう。

 兵たちに報せていなかったのは、より実戦に近い訓練にするため。今になって報せるのは、さすがに死者が出ては拙いから。いくらでも理由はつけられます。

 集めた食料を演習で消費し、兵の練度を高めるならば、損害は最小限で済むはずです。いずれの国かは不明ですが、この国に害意を持つ国家の存在は明らかになりました。兵の増員は、無駄でないと思いますが」


「演習相手も同じ考えであれば、という前提が必要だがな」との王の言葉に、

「今頃ウチの炎が悪意を焼き祓っているはずですよ」と、ルビアが微笑む。


「敵国の間者にまんまと乗せられた第八王女に関してはどうなさる」

 ぼそり、と。今まで無言を貫いていた男が口にする。こちらは退出させられたもうひとりと違い、冷静沈着な雰囲気だ。


「有事に最前線に立たせればよろしいでしょう。踊らされたとはいえ、根底には民を思う心があります、士気を上げるには最適かと」

「流れ矢にでも当たって戦死すれば、むしろ逆効果になりはすまいか」

「兵の指揮権をまっとうな将軍が掌握していれば問題無いでしょう。彼女を英雄に祀り上げてしまえばいい。民のために前線で戦い、命を落とした王女――更なる士気向上が見込めるでしょう」

 すらすらと。算術の回答でも述べるかのように、非情とも言えるような内容を、ルビアは笑顔で並べてみせる。


「……恐ろしいな。聖女の教師は、軍師すらもこなすか」


 そんなたいしたものでは無いですよ、とルビアは笑った。

「私はただ、誰かを思っての行為は報われてほしいと考えているだけです」


 話を終え、天幕を後にする3人を見送る王女が、別れ際に小さく告げた。


「妹の命と名誉を守ってくれたこと、感謝する」

読後、サブタイの意味が反転していれば計算通りです。


次は第八王女の視点で逆サイドを見てみましょう。なんかパーティ分けて行動してるRPGみたいですね。ああいう展開は大好物です。

次回「翠玉と扇動者」(仮)お楽しみに。

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