第74話 初恋には満たない
前回までの無彩色サイド
商売相手がアルの両親だったり、楽園の皆と親睦を深めたり、気が付けばその相手が女の子ばっかりだったり。
「たまには男同士で親睦を深めたいと思うのですが」
唐突に、魔王陛下はそう言った。
夕食の卓を全員で囲んでいる時のことだ。最近は当たり前に食後にも軽めのデザートが付くようになっていた。ちなみに今回は果実を入れたヨーグルト。発酵と熟成に関しては、知識面での魔王のサポートを受け、目下研究中らしい。
「いきなり何? どうしたの?」
フロルもフロストもニクスも何も言わないので、仕方なくシグが口を開く。
……というか、他がこの三人では当然の結果だったか。シグは内心ため息をついていた。フロルとニクスは元々の口数が少なく、フロストはいまだ魔王の前だと緊張するようなのだ。
「いえ、何がどう、というわけでもないんですが。女の子とばかり親しくなっているなぁ、と。」
それは、自分でも無駄に美人だという、その容姿のせいでは無いか。思いはしたが、口には出さなかった。見てくれに関してどうこう言われる不快感は、異形に生まれたシグが誰より良く分かっている。
まぁ、コレをカッコイイ、などと言う変わり者も居るには居るのだが。というか、最近になってひとり増えたところだ。
「それで、具体的には何を?」
「……何をしましょうか?」
えー。と、思わず声が漏れていた。自分から言い出しておいてこれは無い。
「いやぁ、まともに友達付き合いしたのなんて、アルぐらいなもので。
……何をすれば良いんですかね?」
以前、シグは彼から冗談交じりに『お兄ちゃん』などと呼ばれたことがある。
――なるほど、これは手のかかる弟だ。
「まぁ、ありがちなのだと、酒を酌み交わす、とか?」
おぉ。と、魔王は感心したりするが、子どもがふたりいるのでそんな単純な話ではない……と、シグは思ったのだが。
「じゃあフロルとフロストには何か代わりになるものを用意するわね」
……どうやらカレンは、新作の飲み物も用意しているらしい。
「では、今夜は私の家に皆でお泊りですね」
「泊りっ!?」と、声を裏返らせたのはフロストで。
「お泊り……」と、目をキラッキラ輝かせているのがフロル。
ニクスは何も言わなかったが、楽しそうににこにこ笑っている。
「……フロストさんは、イヤですか?」
……小首を傾げて覗き込むそのしぐさが、美少女にしか見えないというのは、きっと言ってはいけないことなのだろう。顔を真っ赤にしてわたわたと言い訳を始めるフロストの態度が、それを雄弁に語っているということも。
誰にも不満はないようなので、魔王宅へと場所を移す。この時間に言い出したことに、運動はイヤだ、という意図を感じないではなかったが、それは不満というほどではない。多少の呆れはあるけれど。
パジャマパーティーね。そう言ったカレンの言葉に魔王が乗っかったので、全員寝間着に着替えて再集合だ。シグの家はすぐ隣――今では更に近い家が生えているが――なので、最初に着く。
ノックに答えて扉を開けた魔王の姿に、シグはため息をつきそうになった。
就寝時の楽な恰好、ということであれば、それほどおかしなことではない。だぼっとしたサイズのインナーシャツ一枚に、分厚い靴下のような膝近くまである部屋履きという恰好は。
ただ。
――どうしてこの少年は太ももが艶めかしかったりするのだろうか。というか、筋肉も贅肉もほとんどついておらず、太ももと呼ぶには細すぎる……オイ今生唾呑んだの誰だ。
振り返ればフロストが居て、改めてこの少年の性癖が心配になるシグであった。呆れの眼差しを向ければわざとらしく視線を逸らされた。
ふたりが室内に通されてすぐくらいにフロルがやって来て、全員が揃う。ちなみにニクスは気づいたらそこに居た。これはいつものことなので驚くようなことではない。
フロルが用意した樹の家は、基本的な造りは皆同じだ。せいぜい、サクラや魔王の家に書斎のフロアが追加されているくらい。それでも住む者の個性は出るもので、ニクスの家は壊滅的に散らかって――アレは家というより巣だ――いたり、フロルの家は室内にいくつもの花が生えていたりする。
ちなみにフロストは頑なに誰も家に上げようとしない。
魔王の家は、簡素だった。ともすれば、家をただ寝に帰る場所とだけ考えているシグの家にも匹敵するほどに。シグにとっての『家』とは、この楽園そのものであり、あの家は私室のようなものなのだが……
可愛らしい小物で装飾されている、などと考えていたわけでもなかった。まぁ仮にそうだったとしても違和感などは無かっただろうけれど、とにかく物がない。自分で何かを作る趣味が無いにしても、植物なら自在に操るフロルを筆頭に、頼めば家を飾ってくれる者は何人もいるのだし、私物が増えていてもおかしくないだけの時間は経過しているように思える。
この家で飾りらしい飾りといえば、窓辺に鉢植えがみっつきり。
「サルビアと竜胆と……これは?」
左右はわかるが、中央はシグの知らない花だった。紫の小さな五枚花弁が、いくつも花開いている。
「紅姫竜胆、ですね」
答えたのは、フロルではなく魔王だ。実はフロルは植物の名前には詳しくない。色彩や形状、薬効などは熟知しているものの、ひとが付けた名前には、そもそも頓着していないからだ。
答えを聞けば、問うまでもなかったことだと知れた。サルビアがあった時点で、残りはもうひとりの友人と、魔王自身以外にあり得ない。
いつか、この家にも彼の私物が増える日が来るのだろうか。
お隣のカレンが子ども用の飲み物とワインボトルを届けてくれて、ついでに飲み過ぎないようにと釘を刺して帰って行って、ささやかな酒宴が始まる。おつまみは食後だからと、ナッツとドライフルーツが少し。飲み物の温度管理に関しては、フロストが居る時点で何の問題も無い。
乾杯、とグラスを打ち合わせ、魔王は一杯目を一息に乾した。
「陛下、お酒は強い方?」
「うーん、強い、というのとは少し違うかもしれないですね。
呑むのは二度目ですけど……たぶん、私は酒には酔えないんじゃないでしょうか。精霊が毒の類と認識して、自動的に浄化してる気がします」
勝手な願いの罰ですかね、と。少年は綺麗に微笑んだ。
「ねがい?」
こてり、と小首を傾げて。躊躇なく問うたのはニクスだ。内面がまだ幼いせいで、気遣いや自重といったものが彼には無い。
「あー……お酒の席でするような話じゃなかったですね、ごめんなさい」
完全に、とは言わないが、シグにはなんとなく予想できたことがある。最初の旅の途中、彼が吐きそうなほどに輝煌食を嫌悪したのは、つまりそういうことではないか。
何か身勝手な願いで、彼らが精霊と呼ぶそれを浪費してしまったのだとしたら、あのような反応も頷ける。
「そっち、もらっても良いですか?」
お酒の美味しさは良くわからなくて、と魔王が指差したのは、カレンが子ども用にと持ってきたものだ。レモン・ライム・ソーダにグレナデンシロップを加えたと言っていたが、グレナデンシロップというのがなんなのか、シグは知らない。
「あぁ、これは美味しい。正直、私はこっちのが好みですね」
酒宴、などと言っていたが、結局呑んでいるのはシグとニクス……は、もう寝息を立てているのでシグひとりだった。
シグは隣にお酒ではない方のおかわりをもらいに行った。
戻ってくると、魔王がその飲み物について説明しているところだった。グレナデンシロップというのは、ザクロのシロップなのだそうだ。
ニクスは部屋の隅で侍獣の黒豹に埋もれるようにして眠っていた。
ふと、会話が途切れる。
「……えーと、こういう時って、どんな話をするものなんでしょう?」
椅子に座ると床につかない足をぷらぷらさせながら、魔王が言う。実は酔っているのではないか、と疑念が生じないでも無かったが、頭が並外れて良いだけで、子どもっぽいところが無いわけでもなかったなと、すぐに思い直した。初対面でサクラに詰め寄ったこととか。
……フロストの視線がちらちらと揺れる脚に流れているのは、きっと動くものに反応しているのだろう。そうに違いない。
「なんでもいいと思うけど……」今度こそ、呆れを隠さずシグは言う「それこそ、こういう席なら好きな女の子の話とか?」
びくん、と身を竦めたのはフロストで。
「……みんな好きだけど?」
きょとん、と首を傾げたのはフロル。
ニクスは眠っているが、起きていたら「ママ」とか答えそうだ。
「陛下はルビアでしょ?」
苦笑と共にシグが問えば、予想もしない答えが返る。
「んー……好きは好きですけど、ここで言うそれとは違うと思いますよ?」
「ウソ!?」
フロストの反応は少々過剰な気がしないでもないが、驚いたこと自体はシグも同じだ。いやいや、あれだけのろけておいて何を言っているのか、と。
だって、と魔王は前置きして、それは綺麗に微笑んだ。
「ルビアが想ってくれるほどには、私は彼女のことを想えていないと思うので」
それこそ、恋する乙女のような表情で。
「それでも、一番好きなんでしょ?」ため息と共にそう問えば、
「そんなわけないじゃないですか、何言ってるんです?」
返されるのは、再度の否定。
「違うの!?」
――だからフロスト、何故そこまで反応が過剰なのか。
「違いますよ、勿論。順番なんて付けられるわけないじゃないですか。ルビアのことは……まぁ、アルもそうですけど、他の誰かとは比べられないくらいに大好きですよ? それでも、彼女の想いと釣り合うかと言われると……胸を張って頷けるものではないですね」
それが恋でないのなら何だと言うのか。シグはそう思ったが、同時にそれを言っても無駄だろうな、とも思っていた。どうにもこの少年は、ふたりの友人を特別視というのすら通り越し、神聖視しているきらいがある。
――彼らも、自身も、ひとにすぎないというのに。
「なんですか、そのほほえまし気な目は」
わざとらしく、胡乱な視線を向けてくる弟に。
「――いや、陛下も完璧ではないんだな、って。」
シグは肩を竦めてそう返すのだった。
やっとできました。遅くなってすいません。
いきなりですがまず私信を。
先日初めて機能としての誤字報告をいただきました。いや、リアルの友人から指摘されることはあったのですが……それでもまだ結構残っていたようで、怒涛の勢いで上がる誤字報告。
野生のプロ、なんて言葉がありますが、野生の校正さんも居るんだなぁ、と。
ブクマが減ったのでひょっとしたらもう此処には居ないのかもしれませんが、本当にありがとうございました。
次はワリと未定です。誰かをもうちょっと掘り下げるか、こちら側の物語を先へ進めるか。