第72話 龍になれなかった者たち
アルの髪の色、つまりは魂と同じ色彩の熾が、街を出たばかりの模造龍を包み込んだ。龍の巨躯を覆い、天を衝く巨大な篝火は、そのまま、葬送の炎でもある。嘆き、怒り、恨み、澱みの総てを焼き尽くし、清浄にして正常な魂を世界に還す。
その全てを見届けることなく、アルは意識を手放した。
仕損じた不安などは皆無だった。自分を太初の熾の色彩だと言ってくれた友人の眼を、アルは他の何ものよりも信頼している。ウィルムハルト=ブラウニングが視誤ることなどあり得ない。
だから。アルマンディン=グレンは。龍になれなかった者たちの解放を確信して、束の間の眠りに就いた。
次に目覚めた時、アルは馬車の中に居た。ルビアの馬車の座席はそこそこに柔らかく、寝心地はそれほど――もちろんちゃんとしたベッドには及ばないが――悪くはない。枕に関しては、適当な荷物で代用した前回よりも心地良く感じる。腹の上に紅蓮の確かな熱を感じつつ、アルはゆっくりと目を開けた。
「……ルッチ?」
意外な人物と目が合った。膝枕というのも意外だったが、それをしていたのがルッチだというのもまた意外だ。では誰なら意外じゃないのかと言われると返答に困るが。
「おはよ、アル。なに、やっぱりルビアが良かった?」
「ねーよ。そんなふうに見えんのか?」
あり得ないことを言われ、即答したアルはさっさと身を起こそうとするが、残念ながらまだそこまでは回復していないようで、諦めて体から力を抜いた。
馬車の中に居るのは彼女だけだった。他の皆は、治療なり交渉なり護衛なり、それぞれがやるべきことをやっているのだろう。
「んー、すんごく仲が良いとは思うケド、どっちかってゆーと仲間……むしろ同志とか戦友って感じに見える、かな?」
「わかってんならあり得ねーこと言うなよ」
ため息に混ぜて吐き出した言葉に、ルッチは唇を尖らせた。
「わかってるケドさ。なんか不満そうだったから」
そういうことか、とアルは苦笑した。
「――意外だっただけだ。ガラじゃねーだろ」
「……そうかも。アタシたちの中だと、こういう甲斐甲斐しいのが似合うのって、スピネルくらいだよね」
「そこで男の名前が出てくるのって、どーなってんだウチの女ども。
……いや、異論は一切ねぇけども」
聖女様はなんというか、治療をしても看護をするイメージではない。基本的に落ち着きが無いのだ、あの娘は。
「今、アタシにできんのって、これくらいだからさ」
そう言って目を伏せるルッチに、アルは呆れを隠そうともせずに返す。
「できねぇことを無理にやろうとしなくていーだろ。オレだって燃やすこと以外は無能だし。アレだ、適材適所ってヤツ。」
「その『燃やすこと』に関しては誰も敵わないヒトに言われても……」
ルッチはまだ不満げだったが。
「だったらルッチは馬車に関して誰も敵わないようになりゃ良いだろ? それがお前にできることなんだから」
言うと、ルッチはぽかんと口を開け、目を丸くした。
「……簡単に言ってくれるね」
少しばかり恨みがましく言われるが、アルは動じない。
「簡単だろ、道を定めるのは。難しいのは道を極めることだ」
アルとて、そしてルビアとて、定めた道を歩き始めたばかりだ。生まれながらの色彩と、磨き上げた知性とで、少々やれることは多いのかもしれないが、それはそれで、それだけのことだ。その程度で得意になる気には到底なれるものではない。
そもそも無力感なら、アルだって知っている。
あの時、友達の生き死にに、アルは関わることすらできなかったのだ。
なんでも燃やせたところで、それだけで友達が生きていける場所を創ることは叶わない。ひとりで世界は変えられない。
「……アルって、時々スゴイね」
「そーだよ、なんでも燃やせたところで、時々しかスゴくはなれねーんだよ」
表情を緩め、ふたりが笑いあった時だった。
「貴殿らは、アゲート王国の住民ではないか?」
馬車の外からそんな問いが漏れ聞こえてきたのは。
即答は誰からも返らなかったから、というわけでもないのだが、その隙間に滑り込むようにアルは言葉を差し込んでいた。
「そうだと言ったら?」
軽く眼を凝らして視ただけで同行者が全員揃っているのがわかったから。問いを発した者以外、近くに誰もいないのがわかったから。と、そのあたりのことはただの後付けの言い訳でしかない。
ただ、思い出してしまったから。
どうにか体は動いたが、馬車の扉をうまく開くことができなかったので、少々強引に蹴り開ける。悲鳴を上げるルッチには、怖がらせてしまったことを心の中でだけ詫びておいた。
「血だけを理由に殺し合う、か?」
確かベゼリアイトとか言った男を見下ろして、告げる。
思い出したのは、色彩だけを理由に生きていることを赦されなかった友人のことだ。だから、この期に及んでそんなくだらないことを言うつもりなら……
眼下を睨むアルに、摑みかかる者がいた。
「あ・ん・た・ねぇぇぇぇっ!」
ルッチだった。眦を決する形相で、胸座を摑んでがっくんがっくん揺さぶってくれる。まだ本調子ではないアルは、気を抜くとまた意識を手放してしまいそうだ。
「なぁにアタシの作品足蹴にしてくれてんの!? 内側からの衝撃なんて想定してないんだよ!? 構造が歪んだらどうしてくれんのよ! てゆーか外開きの扉にはもうメアリーの絵が……って、あぁっ! 傷いってんじゃんか!? アンタいったい何考えてんの!?」
「いや、ちょっ、待っ、」
激しく揺さぶられているアルは、まともに言葉を返すことすらままならない。
……なんというか、ケンカを売った直後に、締まらないことこの上ない。
こらえきれずに、といった感じで、ベゼリアイトが吹き出した。
と、ここへきてようやくその存在に気づいたのか、ルッチはアルを放すと、慌てて馬車に引っ込んだ。
――いや、遅いだろ、今更。
昏睡から覚めた直後に盛大に頭を揺さぶられて、若干吐き気を感じているアルは、心の中でだけツッコんでおいた。
ちなみに馬車の修理費用として、花火でのアルの取り分、その全てが飛んでいき、ちょっと涙目になったりするのだが、それはまた別の話である。
「もしそうなら、頼みたいことがある」
笑いを収めた、ベゼリアイトが言った。
「そうじゃないなら?」と、これはルビア。
「そうだ、ということにしてやってもらいたいことがある」
「……なるほど。真相はどちらでも良い、と。馬車で話を聞きましょうか。ルッチは動けないですし、護衛役はそのままアル君と紅蓮君にお願いするとしましょう。他の皆は、悪いですけど少し待っていてください」
手早くまとめたルビアがベゼリアイトを伴って馬車に入ってくる。二人が向かい合う形で座り、ベゼリアイトはアルの隣だ。
「あ、あの……ごめん、ルビア……」
一転して小さくなるルッチだったが、ルビアは苦笑してかぶりを振った。
「いえ、今回はだいたいアル君のせいですから。あんな暴走、らしくないと言うか、らしいと言うか……夢見でも悪かったんですか?」
「あー……」バツの悪い思いで、アルは頭を掻いた「ちょっと、ハルのこと思い出した。迷惑かけて悪い」
これに対し、はふ、とルビアは吐息をひとつ。
「じゃあしょうがないですね」
「はぁっ!? なに、そのひとの名前って魔法の呪文か何かなの!?」
ルッチが愕然としているが、だいたい合っている。ルビア専用の魔法の呪文だ。アルにも多少は効果がある。
「それで、何をさせたいんですか?」ルビアが問い、
「祝勝会での演説を」ベゼリアイトが答えた。
「祝勝会?」問い返したのはアルだ「そんなことやってられる状況なのかよ? あんなのが街中で暴れたんだろ?」
「だからこそ、とも言える。何より、死者は一部の例外を除いて出ていない」
「いやそれ出てんじゃん」
「例外だ。奴隷売買をやっていた犯罪者など、数に入らぬ」
その考え方は、アルが簡単に同意できるものでは無かったが。
「死者は出なかった」
その言葉を、何故かルビアが繰り返した。続けて言う。
「怪我人も、後遺症が残るような重傷者は出ていない。メアリーが、いっそ拍子抜けしたくらいに」
「あぁ。だから、皆の無事を祝う宴を開くつもりだ。そこへ龍退治の英雄に、アゲートの民として出席してもらいたい」
「退治じゃねぇよ」後半にかぶせるように、アルはそれを否定した「オレがやったのは魔霊祓いだ。葬儀屋を英雄扱いしてんじゃねぇ」
睨め付けるアルを、しかし真っ直ぐに見返して、ベゼリアイトは言う。
「私の言い様が気に障ったのならば詫びよう。だが、街の者にとって貴殿は間違いなく英雄だ。危地に駆けつけてくれた、華々しい炎の英雄だよ」
不機嫌に口をつぐむアルに代わって、会話を続けたのはルビアだ。
「それで。わざわざアル君を英雄に仕立てて、差別意識を改善したい、といったところですか?」
「さすが、察しが良いな」
「貴方が思っている以上に、かもしれませんよ?」
ほんの一瞬だが、ルビアの視線が刺すような鋭さを帯びた。そう感じたのがアルの思い過ごしだとでも言うように、直後にはハルを思わせる完璧な笑顔を浮かべて見せるルビアだった。
見せたいモノがある。そう言ってベゼリアイトが案内したのは、今回の一件で唯一被害のあった場所であった。半ば実体の無かった模造龍だが、そこだけは建物ごと崩されて、瓦礫が山を成していた。
その隙間から覗く、地下へと降りると……
其処に、底に、地獄が在った。
「ひどい……」
涙声で呟いたのは、メアリーか。スピネルがそっと彼女に寄り添ったのが見えた。ルッチは早々に顔を背け、アビーは口元を押さえながらも律儀に目を逸らさないように耐えていた。
アルとしては、胸糞悪くはあるものの、予想できてはいたことなので、大きな動揺は無い。それはルビアも同じだろう。
考えてもみればいい。一度目の国境越えの時、遭遇した奴隷商人が、捕らえたランメライトの一家をどのように扱っていたのか。
それの行き着いた先が、この光景だ。ひとの悪意に醜悪さを加え、おぞましさと一緒に煮詰めたものが其処にはあった。
牢に繋がれた亡骸には、例外なく爪が無い。両手、両足、合計20本の指のそれが無い。まず、それが前提としての共通項だ。あとはいろいろ、指が欠損している者、鼻を、耳を削がれている者、目玉を刳り貫かれている者、生皮を剥がれている者や、性器を切り落とされた男や、片方だけ乳房をそぎ落とされた女も居……いや、有った。それらはもう全て死体であり、ひとではなくなった者たちだ。
「私は、これを変えたい。共に戦って欲しいなどとは、言えぬし、言わぬ。ただ、戦いを始めるきっかけを創るのに、協力してほしい」
それに、ルビアはすぐ答えることはなく。傍らの牢から伸ばされた、髪を頭皮ごと削ぎ落された女の子の手を、そっと両手で包み込んだ。
「貴女たちは、龍になりたかったのですか?」
答える者の亡い問いだ。死はどこまでも死でしかなく、死者は何も語らない。
なのに彼女の声はひどく優しく響いた。優しく、悼み、慈しむかのようだった。
違いますよね? そう、ルビアが言っている気がした。
確かに怒りはあっただろう。憎しみだって、無かったはずがない。けれど、此処に居たひとたちはただ、痛くて、辛くて、苦しくて。誰かに助けてほしかっただけなのではないかと、アルにはそんなふうに思えた。
……いや、そう思いたかっただけ、か。
かいぶつになってでも誰かを殺してやりたいと、そんなふうに考えるひとは居てほしくないと、そう願っただけなのだろうか。
確かめるすべは既に亡い。
そして、このひとたちの目を閉じてやったのが、ベゼリアイトなのだとしたら、英雄の真似事くらいならしてやっても良いかもしれないと、思った。
演じること、それ自体は嫌いではない。
3人が、欠けることなく揃っていた頃のことを思い出すから。
一週間をオーバーしてしまいました。書きかけのデータが飛ばなければ間に合ったはずなんですが……いや、数時間魂抜けてましたね。
次は領主(?)のおっさんをもうちょい掘り下げます。小難しい話になるので、視点はルビアちゃんで。
次回「すべては未来のために」(仮)お楽しみに。