第71話 葬送の熾
少々甲高い声で模造龍が咆えた。
二頭の馬がけたたましくいななき、暴れる。どう、どう、と声をかけ、手綱を繰って、スピネルはどうにか落ち着かせようとあがくが、馬車が転倒しないようにするのがやっとだった。
馬車の中から悲鳴が上がり、それを聞いた馬が更に怯えて馬車の挙動が不安定になるという悪循環が出来上がる。
このままでは御しきれなくなる。いっそ馬を馬車から切り離すか、そんな考えすら浮かんだとき、アルを背に乗せた紅蓮が馬車と龍との間に割って入った。
ひと声、深紅の狼が力強く吠えると、それで馬も落ち着きを取り戻した。
――そういえば、犬の吠える声には邪を祓う力があるのだったか。
紅蓮に合わせて速度を落とし、馬車を安定させながら、スピネルはふとそんなことを思った。
「怖かったぁ……龍の声は恐慌を呼ぶって、アレでもなの?」
僅かに震える声でルッチが言えば、他の3人は落ち着いたもので、
「んー、たぶん違うと思いますよ?」
「そうですね。私たちはそれらしい効果を感じませんでしたし」
「単にでっかい魔霊だから、ってだけじゃないかなー。それなりに良い馬ではあるけど、別に軍馬じゃないしね、ウチの馬」
ルビアが言い、アビーが同意し、メアリーがまとめた。直後、ん? とルビアが疑問を発する。
「そう言えばおかしいですね、軍馬でもないのに、なんであのサイズの魔霊に向かっていけるんでしょうか? 馬は本来臆病な生き物なのに」
「あぁ、そりゃ紅蓮が居るからだ」
ルビアの疑問にアルが答えるという、極めて稀有な場面が展開された。
「紅蓮が?」
「ん、なんか紅蓮を頭にした群れみたくなってる。紅蓮を通してそこまではわかるんだけど……野生動物とひとに飼い馴らされた動物の違いかね?」
「あぁ、なるほど」
よくわかっていない感じのアルの説明に、むしろルビアの方が良くわかっている様子で頷いた。
「え? 今のでなんかわかったの?」
ルッチの疑問はスピネルも同感だった。
「ようはひととの距離感の問題だと思います。精霊はひとに寄り添うものですから、ひとに馴れた動物であれば精獣との親和性も高いんでしょう」
ルビアの説明に、感覚でしかわかっていなかったアルが一番納得していた。
「――さて、これからどうします?」
主にルビアに向けて、スピネルは問うた。
まだ街までは距離があるとはいえ、いつまでも雑談をしていられる余裕は無い。模造龍は完全にこちらを優先目標に定めたようで、虚ろな黒い穴のような眼窩をまっすぐにアルに向け、形を崩しては整えてを繰り返しながら、ゆっくりとこちらに向かって来ている。
汎用術式としては最大火力――こと破壊力に関しては火こそが最強である――をぶつけても、その模造龍にはいかほどのダメージがあったのか判然としない。
けれどこれは、打つ手が無くなったことを意味しない。
スピネルは、知っている。アルに限って言えば、最大火力はクリムゾン・ブラストとは別の術であると。
熾紅――アルマンディン=グレンの魂に根差した独自術式。それこそがアルの切り札である。
かの術式編纂者、ランメライトはアルの独自術式を無駄が多いと言い、実用レベルの術式を編纂した。
けれど彼は、アルが用いてきた術式を、決して全否定はしなかった。
用途を限定する場合は無駄になる部分が多いが、全力を尽くさねば抗し得ない事態においては、あれほど完璧な術式も無いとむしろ舌を巻いていた。
問題があるとするならば、全霊を尽くして放つ一撃は、文字通りの全霊力を使い切るということか。最後の手段だけに、おいそれと使えるものではない。まして此処はほとんど敵地と言って良い土地だ。
ならば最善は。
「最善は街のひとたちが逃げるまでの時間稼ぎ、ですかね。幸い移動は遅いようなので、ある程度引っ張り回したら、あとは逃げの一手で良いでしょう。後始末までしてあげる義理も無いですし」
さすがはルビア、状況が良く見えている。スピネルもまったくの同意見だった。
「でもそれじゃ、怪我人の手当ては……」
メアリーがこう言うこともまた、彼には予想通りではあったが。
「街のひとに任せるのが一番でしょう」
硬い声で、諭すように言ったのがアビーだったのは少々予想外だった。
「でも……」
「わかっています。貴女の能力を必要としているひとは、きっとあの街にはたくさんいる。けれどこの国は私たちにとって危険すぎる。アルにアレを倒せなかった以上、怪我人の救助に向かうにはアルに囮になってもらうしかない。それも馬では恐慌に陥る可能性が高いので、紅蓮と一緒に。
この国の街、それも最大の警戒対象である街に、護衛の過半数を欠いた状態で向かうべきではない。
私たちが囮として模造龍を引き付けることで、あのまま国境に向かった場合よりも遥に多くの命が救われるのは確かです。それで納得してはもらえませんか」
以前のように、そんなことも理解できないのか、と嘲うようなら、メアリーも感情で反発することもできただろう。けれどアビーは理を説き、あくまで真摯に説得を重ねている。無理を通せば、同行者である彼女の身にも危険が及ぶのだが、それを声高に主張することはない。
だからこそ、メアリーは言葉を返すことができなかった。
「……倒すだけなら、できる」
代わりに、というわけでもないのだろうが、言葉はアルから返った。
模造龍がブレスまで真似たのだろうか、踏み荒らされた雪のような濁った白い塊が吐き掛けられ、紅蓮の炎にあっけなく焼き尽くされた。
「アル、それは……」
言いかけた言葉をスピネルが呑んだのは、振り返ったアルの瞳を見たせいだ。
アルマンディン=グレンは、ひどく沈痛な瞳をして、言った。
「あの龍もどきをなんとかすれば、紅蓮は戦力に数えられる。スピネル、後を頼めないか。オレは……オレは、アイツらを救いたい」
アイツら、と言ったアルの視線は件の模造龍に向いていて。まるで魔霊をひとのように言うのにスピネルは疑問を覚えたが、それについて深く考えるより先に、はぁ、とルビアがため息をついた。
「これでメアリーとアル君の意見は一致しましたね。私は戦えないので、最終決定はスピネル君に委ねます。スピネル君と紅蓮で、護衛の手は足りますか?」
問われて、スピネルは考える。自分だけならまだしも、そこに炎の侍獣が加わって、切り抜けられない状況があり得るのか。
ほぼあり得ない、という答えはすぐに出た。が、それでも。
「念のため、あの街の防衛戦力を確認しておきたい」
スピネルが言うと、ふぅ、とルビアは息をついた。
「貴方は冷静で安心しました。アル君、メアリー。スピネル君が無理だと判断したら撤退です。それで良いですね」
問ですらないルビアの言葉に、アルとメアリーは頷く。完全に納得した様子ではなかったが、自分たちの方が無理を言っているのはわかったらしい。
そしてスピネルは。この状況にあって彼まで試せるルビアに、改めて信頼を深めていた。彼女だけで全てを解決することはできないが、彼女が中心にいてくれれば、ほとんどの危険は回避できるように思う。
「ではまず、模造龍と戦っていた者たちと合流ですね。アル君は火葬のための霊力を温存、スピネル君、威力はどうでも良いので、なるべく見た目と音が派手な火の術で散発的に模造龍に攻撃してください。
あと、私たちですが、精都に巡礼中のメアリーゴールドとそのお供、ということにします。彼らと私たちに外見上の差異はほとんどありませんし、牽制くらいにはなるでしょう。念のためルッチは馬車から出ないように。失地の血が一番濃く出ているのが貴方なので。救護活動は夜間のみで、夜明け前には出発を。陽の光の下では、細かな差異に気づかれる恐れがあるので。
メアリー、前面に出てもらうことになりますが、構いませんね」
――よくもまぁ、すらすらと。
スピネルに問いかけた時点で、もう肯定された後のことを考えていたのだろう。
「僕は目印になれば良いのですね」
「はい。こっちで探すより、向こうに見つけてもらった方が早いですから」
無駄を悟ったのか、それとも消耗が激しいのか、以降模造龍からブレスもどきが放たれることは無かった。
街から騎馬の一団が駆けつけてきたのは、距離を更に半分ほどに詰めた頃だった。判断が早い。それがむしろ警戒対象になるのが困りものだが。
「先の大火力の攻撃は貴殿らか!?」
先頭の、氷を思わせる青い髪の男が叫んだ。
「はい。先頭の、侍獣に乗った彼です」
馬車から軽く身を乗り出して答える、ルビアの声は静かなものだったが、術を用いたようで、問題なく相手に伝わった様子だ。
「救援、感謝する。私はタイガーアイシティの守護を任されている、ベゼリアイトという」
一同を軽く見回した後、馬車に並走しながら挨拶をした相手側の代表に、続けてルビアが言う。
「まずは代表では無い者が出しゃばったことをお詫びします。私はサルビア=アメシスト=バラスン。巡礼中のメアリーゴールドお嬢様の供の者でございます。
魔霊に気づいたお嬢様が捨て置けないと言われたため、ご助力に参りました」
ここまで、嘘はひとつも言っていない事実にスピネルは寒気がしたりしたが。
「聖女様の慈悲に感謝致します」
「できることをしないような人間にはなりたくないだけです」
と、馬車の窓に身を寄せて、メアリー。
「……感謝を。」
ベゼリアイトはきつく目を瞑って首を垂れた。
「つきましては、アレを倒すにあたり、あなた方の戦力をお訊きしても?」
「倒す!?」
当然のように言ったルビアの言葉に、驚愕の声を漏らしたのはベゼリアイトが随伴してきた内のひとりで、すぐに叱責を受けていたりしたが。
「彼、アルマンディンの先の攻撃は、彼にとっての最上ではありません」
無駄を嫌って、だろう。ルビアは即座に情報を開示する。
「先んじての返答、痛み入る。此処に居る5名がこちらの最大戦力になる。生中な攻撃は通じぬ相手なれば、上位5名を除いては避難誘導と救護に当たらせている」
「賢明な判断でしょう。進路上の避難は?」
「最優先で進めている。アレの速度であれば、問題無かろう」
「では、此処で待ちますか?」
質問を重ねるのは、スピネルに考える時間を与えるためか。
相手が嘘をついている様子は無いが、模造龍に対する戦力と、ひとを相手にする場合の戦力では、まったく違うものになるだろう。それでも、目の前の相手と、こちらが駆けつける前の模造龍への攻撃、こちらへ向かってくる対応速度の速さなど、判断材料はそれなりだ。
ベゼリアイトは愚かではない。ならばこの状況で、敵である可能性がほぼ皆無と言えるスピネルたちに対し、兵を集めているとも思えない。
――斬ることさえ厭わなければ、逃げ出すくらいはできる、か。
「……いや、聖女様は迂回して、先に怪我人の手当てをお願いできるだろうか?」
この提案をルビアは少し考えて、首を左右に振った。
「いえ。そういうことならもう少し前進して、街を出たあたりで迎え撃ちましょう。大きく迂回するより、その方が早い」
「な……! 戦闘が長引く可能性は……!?」
と、これは先の発言とは別のベゼリアイトの随伴者だ。
ルビアは即答する。
「あり得ません。私たちの熾が一撃で燃やし尽くします」
「……我々は何をすれば良い」
ベゼリアイトの問いに答えたのはアルだった。
「援護を。紅蓮が――オレの侍獣が前衛を務めるから、巻き込むことは気にせずに炎の遠隔攻撃を頼みたい。いや、むしろ紅蓮ごと燃やすつもりで撃ってくれ」
「炎の精獣なので、火はむしろ回復効果があるので」
説明不足をルビアが補って、作戦は決まった。
紅蓮が単独で前に出て、アルは馬車の傍らに、合流した街の面々は、攻撃目標が変わる可能性もあるという建前で散会してもらっている。
本音は味方とは言い切れない者はなるべく遠ざけておきたい、ということだ。
半実体、ということか、その模造龍は街の建造物を破壊する事無く現れた。もっとも、モノが壊れないからと言って、それに触れたヒトが無事でいられるなどとは少しも思えはしないが。
紅蓮も狼として見れば巨大と言って良い大きさだが、模造龍と対峙しては大型動物と虫のように見える。駆け回り、炎弾を放つ紅蓮に、模造龍は煩わしげに身じろぎする。体躯が崩れ、移動速度が少し落ちた。
『炎はただ荒々しく、猛々しいだけではない。神々しく、穢れを祓う威という面も持つ。それは誰も見たことのない、概念としての炎。けれど確かに、炎と云うモノが内包する威。
火、炎、焔、熾。総てはこの身の内に在る』
導くものは、『火』という概念そのもの。かつてアルの師が語ったというそれは、ひとが『火』というものに抱く印象、その全てを具現化することが叶う。
そして、そこから先は、術式編纂者によるものだ。
『お前たちの嘆き、お前たちの怒り、お前たちの恨み、総てをオレの熾が焼こう
太初の熾を送り火として手向けよう その魂の濁りを荼毘に付す』
熾紅を、どのような威として現出させるのか。それは自身の言葉で語れとランメライトは言った。自身の魂と向き合った先では、儀礼用の詞は、アルのような色彩にはむしろ邪魔になると。
『還れ』
告げたアルを脅威と判断したのか、模造龍が二度目のブレスを放つ。
紅蓮がそれを炎で迎撃するが、先ほどとは近さが違うせいか、それとも込められた力が違ったのか、完全には焼き尽くせない。
濁った白が、アルへと迫り……
『熾紅』
偽りの龍の吐息など、容易く呑み込んで。太初の熾が、模造龍を焼き祓う。
それはさながら、火葬の如くに。
決着は、ルビアが言った通り、一撃であった。
バトルと言いつつ戦闘パート短かったですが、今回はこれで。
次は後始末です。タイトルはまだ未定。