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色彩の無い怪物は  作者: 深山 希
第二章 無彩色の楽園と蒼紅の旅路
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第65話 「おねがい」

 月長石の月になった。念願の乳牛が手に入ると、実に一週間も前からカレンは浮かれている。ウィルと和解した、というのも上機嫌の理由としてあるのだろうが。彼女は陽光石サンストーンという石名をもらったようだった。


 その間、アニーも何もしなかったわけではない。

 ……いや、実際には何もできてはいなかったが、しようとはしていたのだ。して、いたのだが。できてはいなかった。


 そもそもの話、でぇとの誘いを了承するのと、自分から誘うのでは違いがありすぎる。歌以外ではまともに言葉を発することさえ困難なアニーにとって、それは至難の問題だった。


 その日もまた、立ち上がり、声をかけようとはしたのだが、言葉は出てこずに……

 傍らから、ため息が聞こえた。


 正面のウィルからアニーが視線を転じれば、呆れ果てた、と言わんばかりの顔のサニーが、太く編んだ太陽の色の三つ編みをいじっている。ちら、とアニーに視線を流して、

「ねぇまおくーん、今日はアタシとでぇとしないっすかー?」

 白々しいまでの棒読みで、そんなことを言った。


「えっ、ちょっ……ず、ズルイ……」

 アニーが涙目を向けると、サニーは頬杖をついたまま、斜めに見上げてきた。


「なーにが、っすか? そもそも最初の一回は自己紹介を兼ねて順番で回したっすけど、別にそんなルール無いっすよね? うじうじしてると、誰かにまおくん取られちゃうっすよ?」


 ……誰かに、取られる。それを嫌だと思っているのだろうか。そう、アニーは自問したが、答えは何処にも見つからなかった。


「あぁ、それだけは無いんで安心し」「まおくんまおくん」「はい?」「ちょっと黙れ☆」「にこやかに命令された!?」

 裏ではそんなやり取りがなされていたりしたが。


 ――それだけは無いから安心……しても、良いのだろうか?


「……ウィル、くん……」

「はい?」

 変わらない笑顔が、アニーに向けられる。

「……わたし、と……でぇと、して、もらえる……?」

「はい、良いですよ」

 二つ返事は、誰にでもそうなのだろうか、それとも……


「やっとっすかー」

 ため息をつくサニーを横目に、アニーはウィルを連れ出した。


 向かう先は家畜小屋も併設されたアニーの野外音楽堂……では、あるのだが。


「……あ、あの……!」

 途中でアニーは足を止めた。


 ――大丈夫。


 そう、自分に言い聞かせる。


 ――おばあちゃんと同じなら、きっと大丈夫。


「……お、おねがいが……ある、の……」

「はい。私にできることなら」


 ウィルの笑顔は変わらない。アニーは一度大きく深呼吸をして、

「……キス、して欲しい……」


 言った。

 言ってしまった。これで、もう。引き返すことは……


「え。嫌ですよそんなの。いきなり何言い出してるんですか」

 間髪入れない拒絶の言葉は、笑顔のままで返された。


「……嫌、なんだ……」

 呆然と、アニーは呟く。


「そりゃあね。だってアニーさん、そこまで私のこと好きじゃないでしょう?」

「え、いや、そんなことは……」

 思わず口を突いた反論は、半ばで斬り捨てられてしまう。

「ありますよ。少なくとも私が良く知る恋する乙女は、そんなものじゃなかったですよ。本気で恋に命を懸けられるほどでしたから、彼女は。

 そんなのを恋敵にするほどには、私が好きなわけじゃないでしょう? アニーさんは。だから嫌です。そんなことしたら、ルビアに申し訳が立たない」


 好意が無かったわけではないが、確かにそこまででは無い、とアニーは納得する。そして得たものがもうひとつ。


「……そっか。ウィルくんは、わたしの『おねがい』を拒んでくれるんだ……」


 はらはらと、涙が零れ落ちた。


 得たものは、安堵だ。


 ――このひとは、わたしのことばに惑わされない。


「――泣く程ですか?」

 少し怪訝そうな、ウィルの声。


「――うん。泣く程、嬉しい」

 泣きながら笑うアニーに、ウィルは一歩引いた。

「……え。拒絶されて嬉しいとか、特殊な性癖持ってます?」

 引いた、というのが二重の意味を持っているようで、さすがにアニーも慌てる。ぶんぶんとかぶりを振って、慌てて言い訳を。

「いや、そうじゃなくって! その……持ってる特殊なのは、能力、なの」


 そしてアニーは祖母の跡を継ぐ者に語り始める。

 今まで、誰にも話したことがなかった、過去の話を。




 幼い頃のアニーは、今の様に『ことば』を恐れては・・・・いなかった。


 溌溂として、誰からも愛される――サニーのよう、とまではいかないまでも、カレンくらいの明るさはあった。


 それが『愛されている』ではなく『愛させている』であるのだと気づくまでは。


 最初に気付いたのは同い年の、ちょっと意地悪な女の子だった。その子が好きな男の子が、アニーばかりを気に掛けるのがおかしいという、それだけ聞くとただのやっかみとしか思えない決めつけは、しかし正鵠を射ていたのだ。


 アニーが発することばには、確かなちからがあった。誰もアニーの『おねがい』を断れない。頼まれれば、何でも受け入れてしまう。


魅了チャーム


 術式としては、そう呼ばれるちからなのだと、後に魔女から教わることになるそれは、本来であれば初対面の相手がちょっと友好的になる、といった程度の、印象に僅かばかりのプラスの補正をかけるくらいのものでしかなく、命を投げ出させるような強制力は無い……はずだった。


 アニーにおかしな力があるという噂が広がり、調査に街を訪れた教会の騎士は、アニーを見るなりその髪を指差して叫んだ。


 何故、無彩色の怪物を放置しているのか、と。


 そう。その時まで、色彩の無いアニーの髪を、誰ひとりとしておかしいとは思わなかったのだ。そのことに気付いた皆の、ひとではないものバケモノを見る目を、アニーは今でも悪夢ゆめに見ることがある。


 けれど、本当に悲惨なのはここからだ。


 剣を抜き、自分に斬りかかろうとする騎士は「やめて」「来ないで」と言っても止まってはくれず、アニーはつい、叫んでしまった。


 誰か助けて――と。


 他者を魅了し、操る声で……『おねがい』をしてしまった。


 教会の騎士と街の住民が衝突し、10を越える死者を出したその事件は、今では暴動として記録されているらしい。


 そんなことがあっても、アニーを害する者は居なかった。

 いや、文句を言おうとする者は少なからず居たのだが、アニーが怯え、『赦して』と口にするだけで、皆何も言わずに去ってしまう。


 遠見の魔女に拾われるのがもう少し遅かったら、正気を失っていたかもしれないとアニーは思う。そのころにはもう、他人の顔を正面から見ることも、よどみなく言葉を発することもできなくなっていたが。


 此処ユートピアの皆なら、似たようなものだから大丈夫だと魔女は言ったが、それでも、安心して話すことはアニーにはできなかった。

 初めて会った時、何でもわがままを言ってみろと言われて、並べ立てたいくつかを拒絶してくれた魔女だけは別だったが。

 ちなみに拒絶されなかったものについては、そんなものわがままでも何でもない、と言って魔女は笑っていた。


 歌を教えてくれたのも魔女だ。

 はっきりした区切りのある歌であれば、他人を操る心配も無いだろう、と。




「なるほど。アニーさんの歌に悲しい歌が無いのはそういう理由ですか」

 話を聞き終えたウィルが、最初に言ったのがそれだった。


「え? あの、ちょっと待って……他に言うこと、無い、の?」

「過ぎたちからが原因で起きた悲劇なんて、此処じゃ普通ですよ。むしろ何事も無く此処に来たひとなんて居るんですか?」

「それは……そうかも、しれない、けど……」


 捨てられたり、捨てたり、殺されそうになったり、殺したり。そういった事情を皆が抱えていることは、簡単にならアニーも知っている。

 それでも、他者を歪める、アニーの『魅了』は……


「あぁ、それと。アニーさんの能力、たぶん貴女が思ってるのとは違いますよ。まぁ、魔境ここでだと視えにくいので推測混じりになりますが……『心を震わせるちから』それが私の予想です」

「心を、震わせる……?」

 詠唱のことばも考えたりするからだろうか、ウィルの発言は時々歌の文句よりも詩的で、意味が上手く伝わらないことがある。


「はい。元々有りもしない感情を創り出してるわけじゃないと思います。最初から其処に有った好意や罪悪感なんかを、増幅させていただけなんじゃないですかね。だから怯えながら赦しを乞う貴女に何も言えなくなった」

 アニーが止めた歩みを再開したウィルが、数歩先で振り返る。

「……な、なにを根拠にそんな……!」


 ――そんな、気休めを言うのか。


 けれど魔女の後継は、さらりと問いに答えてしまう。

「根拠一、最初に騒いだ意地悪な女の子は、貴女に攻撃的だった」

 人差し指一本を立てて、軽く振ったりなどしながら。


「そ、それは……あまり、しゃべったことがなかったから……」

「貴女の影響が無かった? 髪色には一切触れなかったのに?」

「あ……」


 言われてみれば、その通りである。誰もがアニーを色彩で排斥はしなかったが、誰もが盲目的に従っていたわけではない。


「色彩に関しては、皆心のどこかではおかしいと思っていたのかもしれませんね。色を持たないだけで本当に怪物なのか、って。

 ……なんて、偉そうに言ってますが、アルとルビアに会う前なら、私自身がそんなふうには考えられなかったでしょうけどね。教会の教えを盲信してるひとばかりじゃないんですよ、きっと」


 そう言って笑う、彼の笑顔は。アニーの思い過ごしだろうか、いつもと同じはずなのに、何故だか少し違って見えた。


「根拠二、教会の騎士は止まらなかった。狂信者の頭には、無彩色わたしたちを見逃すという選択肢が最初からなかったから」

 だから、心の内に有るものを増幅するだけのアニーのことばでは止められなかった。二本目の指を立てたウィルはそう続けた。


「それは、教会の騎士だから、そういう能力が……」

「ま、そういうことができるのが居ないとは言えませんが、そんなのをただの調査に向かわせるほど教会も人材豊富でもないでしょうし、なによりそこまでの人物が引き際を誤って一般人の10人やそこらと相打ちになるわけが無いでしょう」

 今まで根拠も無く決めつけていたことは、整然とした推論で以って否定される。


「根拠三、貴女のことを微塵も恋愛対象とは見ていない私は、誘惑されても一切何も感じなかった。抵抗できたわけじゃなく、最初から何もなかったんですよ」

 三本目の指を立て、変わらぬ笑顔で言い切った。その内容は、何と言うか……


「……なんだか、言い方、キツくない……?」

「確認のためだけにあんなこと言う貴女が悪い」

 コツン、と、軽く頭を小突かれる。やはり変わらぬ、笑顔のままで。


「……ウィル、くん? 怒って、る……?」おずおずと、上目遣いに問えば、

「そう見えますか?」もはや当然と言って良いであろう、笑顔が返る。


「……そうは見えない、から、戸惑ってる……」

「怒らせるようなことを言った自覚があるのなら、改めれば良いですし、そんなことないと思うのなら、そのままで良いんじゃないですかね?」

 穏やかな口調、完璧な笑顔で、こうも突き放したことが言える。いつだったかサニーが言っていた、笑顔でマジギレとか逆に怖い、という言葉を嫌と言うほど実感したアニーが返せる言葉は、ひとつだけだった。


「――ごめんなさい……改めます……」


「では、そうしてください」


 そう言って綺麗に笑うウィルのことが、まだ少し怖いと感じたのは、アニーだけの秘密だ。

なんかこのふたり、前回のデートからは考えられないほど今回は殺伐としてましたね。

しかしこの娘がこんなものを抱えてたとは……私もびっくりです。

名づける雰囲気じゃなかったので、それに関しては次の機会に。

暦がひと月も進んじゃったことですし、この後の話が終わったら蒼紅サイドに移ります。

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