第64話 保護者と被保護者
――別に、感謝してほしかったわけじゃない。
彼は言っていた。苦手な食材は、イキモノ全般だと。卵も、いずれイキモノになるモノだと思うと、吐き気がする、と。
精神的なもの、なのだろう。
カレンはそう判断している。いったいどんな経験をしてそうなったのかはわからないが、本人が言うようなただの偏食だとはとても思えない。
そもそも彼に何度も出したタルトには、卵が使われているのだ。それとわからなければ平気なのは既に証明されている。
だから最近はお菓子作りに凝っていたし、食事が偏ったものにならないように、少しでもレパートリーを増やそうとした。料理はカレンにとっては存在意義のようなものだから、勝手にやったことを恩に着せたりするつもりは無かったが……自分が一緒に来た理由さえ忘れられては、不満のひとつも零れよう。
「そうね。魔王君は食べられさえすればそれで良いんだもんね。知ってたもん」
ぷい、とそっぽを向いたカレンは、自分がサラに心底めんどくさそうな目で見られたことも、それを見た魔王がその手の視線が自分以外に向けられた事実に驚いたことにも気づかない。
「えっ、いや、あの……カレンさんの料理はいつも美味しいですよ?」
取り繕うように言う魔王を、カレンは横目にじとりと見遣る。
「でもそんなのどっちでも良いんでしょ、魔王君は?」
「いや、まぁ、たいていのものは我慢できますけど、それでも今回の外出では、カレンさんが料理を作ってくれて助かってますよ」
「何を買いに来たのか忘れてたクセに」
あー、と、言葉にならない音を発して、口をぱくぱくさせる魔王様。完璧な美人(男性)が見せたそんな隙だらけの表情がなんだか可愛くて、カレンはついつい調子に乗ってしまう。
「別に良いもん。ただのわたしの空回りだもん」
「いや、えっと、その……」
意味のある言葉を発せない彼の肩を『貴方がなんとかしてください』とばかりにサラが叩く。魔王はそちらに視線を向けて、「えぇー」と情けない声を出した。
「……ウィル君、なんだか変わった?」
商人の妻が目をぱちくりさせて言った言葉に、「そりゃあ変わりましたよ?」との魔王の即答。これに彼女は、おぉ、と驚きの声を漏らす。
が。
「立場が。」
と、続けた魔王に、がっくりと肩を落とした。
「あー、まんまだったかー」
彼女が前言をあっさりと翻すのが、自分たちには彼を変えることなどできないのだと言われているようで、カレンはいささか面白くない。
――そうだ。
カレンデュラは彼を変えたかったのだ。
考え過ぎだとは思うが、彼の食に対する無頓着さは、そのまま『生きること』それ自体への無関心であるかのように、カレンには思えてしまった。だからそんな彼の在り様を、変えてやりたいと想った。慣れない保護者役を演じているだけではまだ足りない。
――わたしは、彼を……
どう変えたいのか。その明確な答えは、未だカレンの中に無かった。ただ、たいていのことを巧くやれてしまう、この不器用な少年が、自分のために生きられる日が来れば良いとは思う。
それは奇しくも、彼の真実を知ったルビアの祈りと同じものであった。
追加注文として、とりあえず乳牛を一頭。カレンがそう伝えると、商人は「ほう」と面白そうにつぶやき、その妻は怪訝そうに訊いてきた。
「飼える場所に住んでるの?」
「それは……」
と、皆で成し遂げたことを誇ろうとしたカレンを、サラが手で制した。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないですね」代わりに答えたのは彼女たちの王だ「アルの母なら無自覚の発言かもしれないですが、居住地を推測する一助となるような情報を伝えることはできません」
何のために離れた場所まで出向いて取引をしていると思っているのかと、カレンは後でサラから叱られることになる。
「さすがは陛下。よくわかっておいでだ」
商人が感心したふうに言う。
それが本心からなのか、それともそう装っているだけなのか、言葉や態度から推し量るのが難しい。詐術士の玉石と呼ばれた商人は、そういう人物だった。
「これくらいは考えられないと、サラさんにお説教されてしまいますから」
まさにその発言でサラに睨まれているという事実には気付いていないのか、この魔王は。
「それで、追加注文はそれだけですか?」
との問いには、またカレンが答える。
「いえ、チーズやバターなども今回は追加注文します。それと紅茶を……シロンよりもディルジエラの方が良い、魔王君?」
チーズなどもいずれはユートピアで作るつもりのカレンだったが、ひとまずは出来合いを買っておくしかない。そして続けて問いかけた紅茶の種類に、魔王は小首を傾げて問いを返した。
「……どうして、そう思ったんですか?」
「前に紅茶を出した時不満そう……とまでは言わないけど、珍しくわかり易い喜び方をしてたわりに、実際出したものはあんまり味わってる様子でもなかったから。ウチで常備してるシロンは好みじゃなかったのかな、って」
「驚きました。よくわかりましたね」
さして驚いているふうでも無いこの発言に、カレンは唇を尖らせた。
「わかりにくいから困ってるんですー。何が食べたいか訊いても、いっつも『何でも良い』だし。何が好きかくらい、ちゃんと教えてよ」
おかげで妙な観察眼が身に着いたカレンである。
「でも、私の偏食でこれ以上迷惑をかけるわけには」
「だーかーらー……! そういうとこ! むしろそっちが迷惑! 好みはしっかり伝えること! それで? 好きな紅茶はディルジエラであってる?」
びしびしと胸元を突きながら、カレンはまくしたてる。
「そうですね。一番気に入っているのはファーストフラッシュです」
牛を一頭と、チーズにバター、それから紅茶の代金について話をまとめる。なるべく早く用意してほしい、とカレンは言ったのだが、最低でも一月後だと身内二人からダメが出た。頻繁過ぎる取引は楽園と商人、どちらにとってもリスクが高くなりすぎる、と。
皆の安全の話を出されては、カレンとしても文句は言えない。基本料金の合意に至った後、予定外の取引に関する割増料金についての交渉も、魔王とサラに任せることにする。そのあたりのコストに関しては、カレンは専門外である。
またまた良心的過ぎるらしい上乗せ額に魔王は笑みを深めるが、これが単純に喜んでいるわけではないことくらい、カレンにもわかる。
それにしても、と思うのは。
この男ども、本心が読めないということに関しては似た者同士なんじゃないだろうか……ということだ。
感謝されたくてやっていたわけではない。それは本当だ。
けれどつい、彼が珍しい反応を返すものだから、調子に乗ってしまった。
つまりどういうことかというと、目的の家畜が手に入るまでの約一か月、カレンはことあるごとに魔王に対して拗ねてみせたのだ。
「いいかげんめんどくさい」
そう、フロストからはっきり言われるまで気付かないくらい、カレンはその年下の保護者に甘えていたらしい。傍で見ていただけのフロストですらめんどくさいと思うような態度を、魔王は怒るでもなく受け止めてくれていた。
お姉さんぶっている自分よりも、彼の方がずっと精神的に大人なのではないだろうかと、カレンは少し自分が恥ずかしくなった。
調子に乗り過ぎたことを詫びようと彼を呼び出すと、ちょうど自分も話したいことがあった、と魔王は言った。
さすがの彼も我慢の限界が来て怒られるのか、そう身構えたカレンに、彼女たちの王は言うのだ。
「お詫び……というのも違いますか。いつも食事を作ってくれているお礼、と言うべきでしょうか。私にあげられるものは結局、これくらいしかありませんが……」と、カレンには良くわからない前置きをして、
「陽光石、というのはどうでしょう?」
と、これまたカレンにとっては唐突とも思える発言を。
「さんすとーん?」
「はい。陽光石、貴女の石名です。12石には含まれませんが、月長石と対になる石ですし、陽だまりのようなカレンさんのイメージにはぴったりだと思います」
「……ありがと、魔王君」
謝る雰囲気ではなくなってしまったので、カレンは短く、それだけを告げた。せめて感謝だけはちゃんと伝わるように、精一杯の笑顔で。
この時彼が、カレンの機嫌が直ったと安堵していたことまでは、カレンには……と、限定せずとも、わかる者などいないだろう。彼女たちの魔王は、感情が読めないことには定評がある。
カレンはただ、甘えを赦してくれた魔王に感謝するだけだ。返せるものが無いのはむしろ自分の方だ、と思うカレンだったが、
とりあえず、差し当たっては。
――彼が喜んでくれるような料理を考えるとしよう。
結局一週間近くかかってしまいました。ま、まぁ前回ほどはあかなかったってことでひとつ!
サンストーンは実在しますが、和名は創作です。日長石だとしっくりこなかったので。月長石との対比としてはこっちの方が良いのでしょうが。
次はサニーの話……に、なるのかなぁ?