第60話 ウィゼライト
翠玉。それがサニーに魔王が与えた石名だった。
「12石の中から髪色で選ぶなら、黄玉ではないのですか?」
挙手し、そう問うたのは優等生のサラだ。
「さすがは良くご存知で。今回は色彩よりも石言葉で択びました」
用意していたような回答に、首をひねったのはルナだ。
「……いし、ことば?」
「花言葉の宝石版ですね。満足、喜びという翠玉の石言葉がサニーさんにはぴったりだと思ったので」
この日の授業は石言葉の説明で潰れた。
オレンジのスフレをお茶請けにしたお茶会を終えて、すぐに立ち上がって魔王を見たのは、意外にもアニーだった。
その後すぐに顔を伏せ、開きかけた口を閉じてしまうあたりは、いかにも彼女らしかったが。歌っている時以外、彼女はだいたいこんな感じである。
「ねぇ魔王サマ? 今日はあたしとデートしてもらえる?」
上目遣いに視線を流し、夕顔が婀娜っぽく微笑みかけると「あぁ……!」とアニーが情けない悲鳴を上げた。
「貴女は……」
あくまで笑顔は崩さずに、ため息をつくように魔王はこぼす。
「だぁって。魔王サマ、アレ以来ゼンゼン相手してくれないんだもの。イロイロと、持て余しちゃって」
ちろり、と唇を舐めたりなどしながら返す。
真っ赤になった顔を背ける、などという可愛い反応を返してくれたのはフロストだけだった。フロルとニクスは良くわかっていない様子だし、シグに到っては警戒心を剥き出しにしている。
女の子たちは不満と興味津々の2派閥に……いや、軽蔑しきった目を魔王に向けているサラという例外も居るには居た。
――まぁ、持て余しているのは『暇』なのだが。
「持て余しているのは暇を、でしょう」
当の魔王にはあっさりバレていた。
まぁ、だからこそ、彼との会話は楽しいのだが。
「また付き合ってくれる約束でしょ?」
「……まぁ良いでしょう。少し話しておいた方が良いこともありますし」
たぶん、それは夕顔がしたい話と同じだろう。そんな予感があった。
「……護衛同伴でデート?」
ふたりで歩き出していくらもせぬ内に、合流して来たシグに、夕顔はからかうように問いかける。予想通りなので特に不満があるわけでもなかったが。
「……心配性、というのは護衛として優れた資質だとは思うのですが……身内のことくらい信じられません?」
むしろ魔王の方がそんなことを言った。
「彼女はあまりに得体が知れないから。信じ切るのは無理だよ」
「家族には仲良くしてほしいんですがねぇ」
「ボクは皆の家族である前に陛下の護衛だから」
「順序が逆だと思うんですが……」
「それでも一度別れてから合流するんだから、気を遣ってくれてる方じゃない?」
夕顔がとりなせば、「なんで貴女がそっち側なんですか……」とぼやかれた。
場所は前回と同じ、シグの家を借りることになった。本人が合流して来たので、ちょうど良い。夕顔の家? アレはひとを通せる状況では無い。
そして前回同様、シグは外で待機するらしい。
「護衛なのに同席しなくて良いの?」夕顔が問えば、
「君のことはボクが知るべきではない、というのがおばあちゃんの判断だから。必要な情報なら、陛下が教えてくれるでしょ?」
納得できるようなできないような回答があった。これでは護衛というよりも……
護衛というよりも。まるで、夕顔の秘密を守るのに協力しているようだ。
「優しいわねぇ、シグは」
屋内で魔王とふたりになって、夕顔はぽつりとこぼした。
「貴女も、ですよ」
至極当然、といったふうに返された言葉が、あまりに予想外過ぎて。反応は、少しばかり遅れた。取り出しかけた煙管も取り落としてしまう。彼と話すと、こればっかりだ。
「はぁ……はい!? どこをどうつついたらそんな話になるの!?」
思わず語調が荒くなる。
「だって。いざという時には率先して手を汚すつもりでしょう?」
それは。ルナのことを言っているのか。
だとしたらどうして、暗殺者が優しいなどという話になるのか。
「当たり前じゃない! あたしにはそれしかできない! それでしか役に立てない! あたしは、あたしはそのために此処に……! なのに、なんで……!?」
こんなはずでは無かった。もっと論理的に、落ち着いて、最悪の事態を回避するためには、自分を毒の懐剣として使うのが最善だと説くはずだったのに。あり得ないことを言われ、反駁する言葉はまるで悲鳴のようであった。
対して、魔王の言葉はどこまでも静謐だ。
「確かに。貴方は予備戦力なのかもしれません。私もそこは否定しませんし、最悪の状況下では頼りにもしています。けれど。それだけが貴女の存在価値じゃない」
乖離を感じる。夕顔が思う最悪と、魔王の言う最悪は、別のものだ。
「なんで……」
イヤイヤをするように頭を振る夕顔に、魔王はあくまで静かに、優しく、微笑みかける。
「良いんですよ。別に役に立たなくても、此処に居て。
家族、欲しかったんでしょう? だったら、大事な家族に剣を向けるような選択はしちゃダメです。殺したり殺されたりは、敵相手だけにしましょうよ」
「――なんで!?」
この楽園が護れるのならば、自分はただの毒の懐剣で良いと、そう、思っているのに。どうして、今更自分を人間扱いするのか。
――魔女といい、魔王といい。
「貴女だって、私にとっては被保護者ですから。護りますよ。貴女も含めて」
「……年下のクセに、生意気……」
我ながら、この言動こそ子どもが拗ねているようだと夕顔は思った。
「その年下の胸で大泣きしたのは誰ですか? 体ばっかり大きくても、貴女こそ子どもとしか思えませんよ」
ぐうの音も出なかったので、夕顔は魔王を潤んだ目で睨みつけた。やつあたりの言葉をぶつける。
「この女泣かせ」
「人聞きが悪い」
「いつでも笑顔のあなたはタチが悪いわよ。それに、間違いでも無いでしょ?」
「間違いだらけです」
「そうかなぁ? 誰かひとりを選んだら、何人かは泣くことになるんじゃない?」
「……貴女は何の話をしているんです?」
「いつかは魔王サマも子どもを作るだろう、って話よ?」
まるで思ってもみなかった、とでも言うように。魔王は数回瞬きをして。
「私の子どもですか……それはなんとも、おぞましいですね」
変わらぬ笑顔で、そう言った。
夕顔が言葉を返せずに居ると、魔王はさらに言葉を重ねる。
「人喰いの怪物の子どもなんて、産むひとがかわいそうですよ」
「――ホント、魔王サマは。」ため息が漏れた。
「なんです?」
「まるで、あたしがふたりいるみたい」
両手どころか全身血まみれの暗殺者が、子を成すなどおぞましいと。夕顔もまた、そう考えていたから。
「一緒にしないでください。貴女みたくピンク色の思考はしてないです」
声色だけは不満そうな、笑顔は崩れない魔王に、夕顔はくすりと笑った。
「否定するのはそこだけなのね……って、考えてみれば意味がわかる時点でイロイロとアレなんじゃないの? 魔王サマ、実はムッツリ?」
ミミズが千匹だのなんだのと、普通の子どもは知らないだろう。
「本で勉強した、ただの知識ですよ」
「あらあら。何の勉強なのかしらぁ?」
ねっとりと、絡みつくような問いに対する答えは、
「ひとの欲の勉強です」どこまでもドライなものだった「欲望ほど誘導しやすいものは無いですからね。制御は難しいですが、方向だけならワリと簡単に操れるので、何かと便利に使えます」
……それは。暗殺者時代に夕顔もよく用いた手管で。
「……ホント、黒い部分はそっくりよねぇ」
「そこは否定しません」
肯定されてしまった。
「ねぇ、魔王サマ?」
「はい?」
「子ども。欲しくなったら、あたしが産んであげよぉか?」
このひとの子なら、愛せるかも知れないと、少しは本気で思ったのだが。
「――笑えない冗談です」
と、斬り捨てられてしまう。
「そぉね」
夕顔は軽く笑った。
――まぁ、自称ひとでなしふたりを掛け合わせるなど、正気の沙汰ではないか。
内緒の話はこれくらいだろうと、魔王はシグを中に入れた。彼が言うには、後は石名の話だけらしい。
「紫の石って言うと、アメシスト?」
修道服の頭巾からこぼれた髪を、くるりと指に絡めつつ夕顔が言えば、
「それはダメです」
間髪入れない否定が入る。
「うわ。すっごい拒絶。なんでダメ?」
「紫水晶はルビアの石なので。最初から付けられていた名であれば仕方ないですが、私からその名を誰かにあげるつもりはありません」
「うっわぁ。魔王サマ、ルビアちゃんのこと好き過ぎでしょ」
これはもうノロケのレベルだと、夕顔は思う。シグも同意見らしいと、交わした視線で知れたが、魔王はまだ止まらない。
「そりゃあ、大好きですよ。なにせ教会の騎士を相手取って、この私のことを怪物なんかじゃないと叫んでくれた子ですから」
「――なにそれカッコイイ」
知らず、思ったことが漏れていた。
――というか、それ本当に女の子?
「まるで物語のヒーローみたいだね」
苦笑と共に、シグもそう言う。
「でしょ?」なぜか魔王は自分のことのように誇らしげだ「アルはやりそうだと思って対処してたんですが、まさか彼女にそこまでの覚悟があるとは……私の眼は随分曇っていたようです」
その子が相手でも、自分の子をおぞましいと思うのか。何故だろうか、夕顔は彼にそう訊くことができなかった。
代わりに言ったのは、皮肉交じりのひとことだ。
「アメシストがダメなら、ウィゼライト?」
魔王はふるふると頭を振った。口許に浮かんでいるのは苦笑、のつもりだろうか。だとしたら苦味が隠し味程度にしか感じられないのだが。
「毒重石とか、良く知ってましたね」
「毒に関してはイロイロと調べたから」
「あの石、実は大して毒性無いんですけどね」
「名前負けよね」
そんな魔王とのやりとりに、シグが首をひねっている。第三者の目線で見れば隠す気があるのかとツッコミを入れたくなるような言動だろうが、魔王が止めないということは、シグになら知られても問題無いと判断したのだろう。
まだ会ったばかりという程度にしか時を重ねていないのに、もう魔女と同程度に彼を信頼してる自分に少しばかりの驚きと、奇妙な納得が夕顔にはあった。
――だから彼が魔王であり、魔女の跡を継ぐ者なのだろう。
「せっかくなので12石にしましょう。遊色の蛋白石あたりでどうです?」
「あぁ、それはあたしっぽいかも。ちなみに石言葉は?」
「そうですね……『希望』というのを貴女に贈りましょう」
――それはなんとも、素敵な贈り物だ。
感想もらえたのでペースアップしました! ……というセリフを用意していたのですが、言う程早くもないですかね。くそぅ、これだと更に催促できないぞ?
まぁそんなたわごとはさて措き、アニーをインターセプトした夕顔回でした。闇の深いひとたちのお話、とも言う。
次こそはアニーが頑張る……のかなぁ? 心の準備に一週間以上かかった子なので、過度な期待はせずに見守ってあげてください。