第56話 精書
例によって一番奥の、ルビアとメアリーの部屋に、当事者二人と立ち合いの三人が集まっていた。ルビアとメアリーの二人がベッドに腰掛けて、スピネルは律儀にその傍らに立つ。そして前回はルビアとこの街のスピネルが向かい合った椅子に、当事者のアルとランメライトが座る。
「え、おっさんそんな名前だったの?」
思わずアルがそうこぼすと、ルビアに「よろしくお願いします」と名を呼ばれた術式編纂者は、眉間にしわを刻んだ。こういう表情をすると、研究職にありがちな神経質そうな印象が際立つ。
「あー」と、苦笑いをしたのはメアリーだ「そう言えば、帰りはずっと御者やってたもんね、アル。着いたら着いたで慌ただしかったし」
なるほど、とランメライトが納得して頷いた。
救助したその時は、彼らがあまりに疲弊していたので傷の手当てと食事と……少々の発散をさせた後は早々に休ませた。自己紹介などはアルが馬車を走らせている間に行われていたのだそうだ。
「では改めて。私は術式編纂者ランメライト=ガーベラ=アンボック。アルマンディン=ゲンティアン=グレン、君の精書を編纂させてもらう」
何やらキメ顔で言われたが、アルはこてりと首を傾けた。
「……ぐりもわーる?」
「精書、精霊術について記された書物のこと……でしたか?」
指先で顎に触れて思案顔をするルビアも少し自信なさげだ。彼の妻が言っていた通り、術式編纂者というのはかなり専門的な職種であり、一般知識とは隔絶している部分が多いようだ。
「間違いではありませんが、個人の――この場合はアルマンディン君ですが、彼の精書というように言った場合、専用にあつらえられた、彼のためだけの術式を指します。同じ術式を他者が使おうとしても劣化し、最悪発動すらしないような、固有術式を編む。これこそが、術式編纂者の本分です」
「――なるほど。だから『編纂者』というわけですか」
「ご理解いただけたようで何よりです」
ちら、とアルがスピネルに視線を向けると、すっと自然なしぐさで目を逸らされた。アイツもご理解いただけていないようだ。まぁ、必要なことならルビアが説明してくれるだろうと、アルはわからないことを考えるのは止めた。
「ねぇルビア、私にもわかるように説明してもらえない?」
と、正直に訊いたのはメアリーで。
ルビアの視線がアルとスピネルに流れ、その一瞥だけで無理解を理解したらしく、肩を竦めて答えた。
「ただの言葉遊びですよ。『編纂』という言葉は本来、書物を作ることを指す言葉なので少し疑問に思っていたんですが、特定の誰かの精書を編纂する、という意味だと分かって納得していただけです」
これにアルは、なるほど、とは思ったものの、必要なことではなかった、とも同時に思っていた。頭の良いやつは妙なところにこだわる。
「ではまず、君の銘から教えてもらいたい」
ランメライトの言葉に頷き、アルは『熾紅』と記す。筆記具は高価な羊皮紙とインクではなく、宿から薪を借りて作った木の板とアルの剣だ。
いくらか細かくしたところで、最終的に燃やせれば良いので、特に問題はない。文字を書いて、お互いに見ることさえできれば良いとのことだったので、こういう形になった。
「熾紅――それはまた随分と……いや、しかし……」
「だよねー、普通に考えたら名前負けにしかならない銘だけど、アルだとそうも言い切れないんだよねー」
まじまじとアルの髪と瞳の色彩を観察するランメライトに、メアリーがわかるわかると頷きかける。
「何言ってんだ、ハルが付けてくれた銘だぞ? 名前負けとかあり得ねぇって。紅蓮だって、そん時生まれたんだぜ?」
「はぁ!? 侍獣が、侍獣として生まれたの!?」
驚きに声を裏返らせたのはメアリーだ。
「……? それって驚くようなことなのか?」
精獣の誕生には確かにアルも驚いたが、それが侍獣であることが特別だなどとは思いもしなかった。ただ漠然と、ちゃんとしたヤツに刻銘してもらうとこうなるのか、と考えた程度である。
この疑問に答えたのはルビアだった。
「普通、侍獣の契約というものは、年経て確固たる自我を確立した精獣と行うものです。あの村では侍獣自体見たことのないひとばかりで、誰もそこに疑問を抱かなかっただけですよ」
「え、でもルビアだって何も言わなかったよな?」
「だってウィル君のやったことですよ?」
この言いように、アルは思わず笑ってしまった。なるほど、アイツのやったことであるなら、超常のひとつやふたつ、驚くほどのことではない。
「完全合致……」
愕然と、ランメライトが呟いた。
「なんだそりゃ?」アルには何のことかわからないが、
「その魂の色彩に、最も相応しい銘が刻まれることですね」
ルビアは知っていたらしい。さすがは一行の知恵袋。
「古い……とても古い記録にのみ残っている事象です。
あぁ、いえ、完全合致自体は、今でも千人に一人くらいは居るようですよ、精都の中央教会で、最高位である七彩が執り行う刻銘の中での、千分の一ですが」
「逆説的に、完全合致を起こせた者が七彩の頂に登りつめるとも言われるね。基本的に空位にはならないポストだから、一度もそこに到っていないひともいるそうだけど……」
ランメライトの説明に、補足を加えたのがメアリーだったのは、教会に関する知識だからか。これにルビアは、アルのもう一人の友人のような笑顔で言った。
「虚飾の七彩というわけですか。まるで空に架かる虹ですね」
聞きようによっては――虚飾はともかくとして――褒め言葉ともとれる単語を選んではいるが、アルにはわかる。教会(ハルの敵)が大嫌いなルビアは、最上級の皮肉としてこれを言っているのだと。
――実体の無い、空っぽの存在ってか? 仮にも聖女の前で……
これ以上はマズい。放っておくと猛毒を吐き出しそうな友人を止めるため、アルは必死に別の話題を探し……そういえば話が途中だったと思い出す。
「――あー、っと、そんじゃあ、古い記録ってのは?」
「あぁ、そうでした。かつては完全合致で侍獣が生まれることもあったそうで、それを為した聖人は総てを見通す者などと呼ばれたのだとか。生まれた侍獣に関しては特別な呼称は付けられなかったものの、主人と共に成長し、極めて強大な威を有していたといいます」
全員の視線が紅蓮に向いたが、仔犬サイズの狼は我関せずとばかりに大あくびをして、空いている方のベッドの上でもぞもぞと体を丸めるのだった。
普段は仔犬にしか見えないのに、とのメアリーの言には、主のアルですら頷かざるを得ない。
「では始めるとしよう。まずは一般的に使われている術を、君用にカスタマイズする、といったところでどうかな?」
ランメライトが『熾紅』の文字が刻まれた板切れを指でコツコツと叩きながらに言い、アルはぱちぱちと目を瞬いた。
「へ? 新しい術を作るんじゃねーの?」
「1から組み上げるとなると時間が足りない。月単位で此処に滞在するわけではないのだろう? 既に独自の術式を持っているというのなら話は別だが……」
「――あるな」「ありますね」「あったねー」「……あぁ、アレですか」
「はぁ!? その年齢で、もう!?」
旅の仲間が口々に言うのに、術式編纂者は声を裏返らせた。
……まぁ、これが異常なことくらいは、アルにもわかる。
「あぁ。ハルが……この銘をくれたヤツが組み上げてくれた。『熾紅』、その銘、そのまんまの術がある」
ランメライトがぽかんと口を開ける。
「魂に根差した独自術式……本当に君はとんでもないな」
「いや、これに関しちゃ、すげーのはハルだと思うんだが」
「あぁ、まぁ、確かにそれはそうなんだが……自身の魂そのものとも呼べる、刻まれた銘そのものを用いた術式は、完全に固有のもので、他者には決して扱えない威であり……そもそも、君くらいの年齢で使いこなせるもので無いのだよ」
散々威の扱いが雑だと罵倒されてきた相手からの、まさかの大絶賛に、けれどアルは気まずい思いで頬を掻く。
「あー……褒めてくれたとこ悪ぃんだけど、使いこなせてるとは言いにくい、かな……使うと霊力全部持ってかれて、気絶するし」
「普通なら術として発動させるところまでも行かないのだよ。自らの魂に、深く深く、潜らねばならないから、自分への理解が足りていない若者にはまずできない芸当だ。それこそ、自分と真摯に向き合い続けた老賢者が到れるような極地なのだから、使えるだけでも異例と言って良い」
称賛は止まないが、やはりそれは自分の手柄では無い、とアルは思う。
「眼の良い、それこそ総てを見通すような導き手が居たからだよ」
「……なるほど。素晴らしい師が居たようだ」
これに何故か……いや、当然のことか、ルビアが誇らしげに微笑み、
『――ウィル!』
と、これはランメライトが「ハ」の形に口を開くのを見て、とっさにメアリーとスピネルが叫んだ声だ。その名前はアル以外が呼んじゃダメだから、とメアリーが若干頬を引きつらせながら説明する。あの時のルビアがよほど怖かったらしい。
「機会があれば、是非そのウィル氏のことも紹介してほしい。
自らの有能さを示すだけのつもりだったが、これほどやりがいのある仕事に出逢えるとは思ってもみなかった。アル、君の魂に根差した独自術式、私が実用レベルにまで編纂してみせよう」
アルが友人からもらったものは、どうやら専門職をもうならせるものであったらしい。誇らしく思うと共に、もっと強くならなければと、アルは決意を新たにするのだった。
――せめて、命のやり取りくらいからはルビアを遠ざけられるように。
サブタイは予定と変わりましたが、内容は予定通りです。予定通り分割にはなりましたが(苦笑)
次は術式編纂の本番……よりも先に、大掃除のオチからやります。アル君の魔改造その2に関しては、入れる余地があれば。
では次回「黄昏色の真実」お楽しみに。