第51話 被害者と加害者
命のやりとりに、ルビアを関わらせたくはなかった。
そういうのは剣を取った者である、自分やスピネルの役割だとアルは思っていた。ルビアはただ強かな商人でだけあって、ハルが関わる話になると年相応(?)に暴走して周囲を呆れさせて……そうあって欲しいとアルが考えたのは、彼自身が一線を越えてしまったが故の代償行為だったのかもしれない。
実際やったのは紅蓮であり、ルビア本人はまだ手を汚してはいない……などという言い訳は、誰よりルビア自身が受け入れないだろう。ハルといいルビアといい、まだ15歳だというのに、達観し過ぎだ。ハルに到っては14だが。
そんなことを考えている14歳もたいがいなのだが、比較対象があの二人では、どうしても精神的未熟が目立ってしまう。
と、紅蓮を伴って奴隷商たちの馬車を検めに向かったルビアがアルを呼んだ。これも本来ならば自分が率先してやるべきだったと、アルは今更になって気付く。そちらにまだ人員を残している可能性は極めて低いが、それでも皆無ではない。いくら紅蓮を連れているといっても、即応能力ならばアルの方が上だ。
今回に限って言えば、対応以前の問題だったが。
普通の幌馬車のような外装をしたそれは、布を一枚めくった先には頑丈な鉄扉が備え付けられていた。人さらいたちは、全員喉と四肢を潰してしまっているので、鍵を探すよりもアルが斬った方が早い。師には劣るが、アルの炎剣も普通の鉄なら斬るのは容易い。
扉が開き、漏れ出して来たのは、噎せ返るような血臭だった。
弱々しい悲鳴と、奥で何者かが身じろぎする気配。アルが灯り用の炎を出すと――火の色彩ゆえか、アルには光だけを作るよりこの方が楽だった――怯えるように身を寄せ合う、傷だらけの人々が照らし出された。
なんの偶然か、人数はアルたちと同じ6人で、壮年の男女が一組に、若い男が二人、それから……子どもが、二人。アルやルビアもまだ子どもと呼ばれるような年齢ではあるが、その子たちは更にその半分くらいの年齢の幼子だ。
その全員が。だだのひとりの例外も無く、殴打によるものらしい痣や、刃物によるものと思える切り傷を全身に作っている。虚ろな目で、体を丸めて震えている子どもの姿に、アルはふとした疑問を覚えた。
――あれ? なんでオレ、アイツらのこと殺さなかったんだっけ? これをやった連中に、生きてる価値なんかないだろ。
ぐっ、と力の入った拳に、ルビアの掌がそっと触れた。
「それはダメですよ、アル君」
その言いように、ふっと力が緩む。
「さっきと逆だな」
「自分より先に怒ってるひとが居ると、案外冷静になれるものですね」
苦笑して、ルビアはスピネルにメアリーを呼んでもらう。治療なら、一行の中で彼女が一番優れている。アビーには薪を集めて来るように指示を出した。治療のために湯を沸かすなら、野営用に集めた分だけでは足りないだろう。
自分たちは味方だ、奴隷商人たちは無力化した、といったあれこれを、ルビアが被害者たちに説明しているのをしり目に、アルは大きくひとつ深呼吸をして、腹の中に渦巻く感情を、呼気と一緒に吐き出した。
或るいは一度紅蓮を暴走させていなければ、感情を抑えるのは困難だったかもしれいないが。それでも、ルビアが居なかったらどうなっていたかわからない。
戦闘で相手を死なせるのと、戦えなくなった相手を殺すのではわけが違う。同じだ、と言う者もいるかもしれないが、アルは、そしておそらくはルビアも、違うものとして考えている。
殺人、という行為自体に一線があるとすれば、相手が無力化されているか否かにも、また一線があるのだと思う。だからアルはルビアを止めたのだし、ルビアもまた、アルを止めたのだろう。
アルの場合は、自分などよりよほど覚悟が定まっているルビアにそれをさせてしまっては、全ての罪を彼女に背負わせることになりかねない、という考えもあったが、おそらく二人の根底にある想いは同じだ。
――そんなことになったら、ハルに合わせる顔が無い。
馬車に囚われていた者たちはルビアが何を言っても怯える以外の反応を返してはくれず、どうしたものかと思っていると、スピネルが連れて来たメアリー……と、ついてきたルッチが、馬車内の様子を見て息を呑んだ。「ひどい……」口許を覆ってそう呟いたのはルッチで、メアリーは一瞬の驚きの後は一切の躊躇無く、血臭漂う馬車に足を踏み入れた。
「お嬢様、危険です」
スピネルの心配を、アルはもっともだと思った。被害者とはいえ、今の彼らは何をするかわからない精神状態に見える。そんな相手に不用意に近づいては、善意が仇となりかねないと。
けれど当のメアリーは、主の身の安全を一番に考えるスピネルに、むしろ怒りの感情を向ける。鋭い視線で従者を睨み、告げるのは。
「ふざけないで。傷ついたひとたちを前に動かずに、何が聖女の黄金よ」
「さすが、聖女様は言うことが違いますね」
すかさず言ったルビアの言葉は、傷を負い、震えている彼らに聞かせるためのものだろう。ここまでの流れ、その全てを予想していたのかはわからないが、二人いた子どもの内ひとりがのろのろと顔を上げ「せいじょ、さま……?」と舌足らずにこぼした。
「これからなる予定で、今はまだ違うけどね」
苦笑して、メアリーが答えると、被害者たちの瞳に希望が宿った。これでようやく、会話が成立しそうである。
幸いにして、彼らの傷にそれほど深いものは無かった。商品価値を下げ過ぎないためだろうとか、ただの遊びで痛みを与えていたのだとか考えると、鎮火した殺意が再燃しそうになるアルだったが、今度はひとりで抑えることができた。
ちなみに。治療の下準備として傷口を洗うための湯は、アルが直接水に適当な火をぶち込んで沸かした。ルビアの指示で薪を集めて来たアビーは「えー……」と、なんとも言えない顔をしていた。
治療が終わり、痛みが無くなると、安心したのだろう、二人の幼い子どもはメアリーに寄り添うようにして眠ってしまった。おそらく、捕まってからは恐怖と緊張でまともに眠ることもできていなかったのだろう。
血の臭いの染みついた檻の中、というのはあまり良い環境とは言えないので、アビーの荷馬車へと移す。起こしてしまってはかわいそうだ、とメアリーは心配したが、深く眠っているから大丈夫だろうとルビアが判断し、それは正鵠を射ていた。
二人の子どもが悪夢を見てしまった場合に備えてメアリーが一緒に眠る。スピネルは念のために、と御者台へ向かった。
それは決して嘘では無かったが、建前でもあったのだと、アルはすぐに理解することとなる。いや、そもそも予感はあったのだ。子どもたちを運ぶ際、あたりに転がる奴隷商に向ける、被害者たちの澱んだ目を見た時から。
四肢を砕かれ、歪なおぞましい芋虫のように蠢くそれらを、自らがかつて商品を乗せていた馬車に詰め込む作業は、アルだけでは時間がかかるので、傷が癒えた被害者たちからも男手を借りることにする。
アビーとルッチは、もう手伝えることも無いので、メアリー所有の豪華な方の馬車で休ませる。アルは明日、速度を稼ぐために一日御者を担当することになるので、不寝番はスピネルだ。
食料や水などの消耗品を予定外に使ってしまったし、捕まっていたひとたちをこの国に放置はできないので、一旦アゲート王国に戻ることが決まっていた。
「ひとりくらいなら殺してしまって良いですよ?」
言ったのはルビアで。当然アルは咎めるような視線を向けるが、ちらりと視線を流した彼女に、何かしらの意図があるのを察し、言葉はどうにか呑み込んだ。
今まで飲んだ、どんな薬よりも苦い味がした。
被害者たちの視線が集まったのは……まぁ、予想通りと言うべきだろう、状況もわきまえず喚きちらして、真っ先にスピネルによって喉を潰されたあの男だった。
「今なら子どもも聖女も見ていません」
ひとを堕落させる悪魔の様に、とても綺麗にルビアは笑った。
軛から解き放たれた猛獣のように、被害者であった者たちが殺到する。自らを優れた種族と断言して憚らなかった男の顔が恐怖に歪む。
蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。
喉を潰されているので悲鳴は上がらないが、呼気は乱れ、必死に逃れようと身じろぎする様を、けれどアルは哀れだとは思わない。そいつはそれだけのことをしたのだろうから。はっきりと自業自得である。
――だが、それでも……
「見ていて楽しいものではないですね」
報復する元被害者たちには聞こえない程度に抑えられた声で、ルビアがアルに囁いた。まったく同感ではあったが、やらせたのはルビアだ。
「ならなんであんなこと……」
「必要だと思ったので。ある程度発散させておかなくては、暴発して、本当に殺してしまいかねません」
その言葉を聞いて、アルはようやく気付いた。ある意味では正当な暴力の対象となっている男を、ルビアがこっそり癒していることに。
「メアリーと違ってへたくそなんで、痛みは大して和らがないでしょうし、きっと後遺症なんかも思い切り残るでしょうが……そんなのは、私たちの知ったことじゃないですよね?」
それはスピネルが言っていたことであり、ルビアが敢えて言葉にしなかったことも、アルにはなんとなくだがわかった。アレの命に、手を汚すような価値は無い。アゲート王国で、せいぜい厳罰に処してもらうことにする。
「……これが、ウィル君の見ていた世界なんですかね」
思わずこぼれた、といった感じのルビアの言葉に、アルは自身を怪物と呼んでいた友人のことを思った。
「……しんどいな」
口を滑らせたアルの弱音を、ルビアは叱咤することも、慰めることもしなかった。きっと、彼女も同じ想いだったのだろう。
不当な蔑み、いわれのない悪意、そんなものを向けられ続けていては、ふとした拍子に思ってしまう。
こんなヤツら、死んでしまえばいいのに、と。
今日だけでも、アルは何度となく思った。いや、ルビアがいなければ、思うだけで済んでいたか怪しいものだ。
けれど。と、アルは思う。ルビアにはアルが居て、アルにはルビアが居た。
……けれど、ハルには? 道を誤りそうになった時、止めてくれる者が今のアイツには居るのだろうか、と。ハルを迎えに来た者のことはルビアから聞いていたが、一朝一夕に信頼関係が築けるものでもないだろう。
目を閉じて。アルは祈った。祈りには力があると、そう、ハルが教えてくれたから。アルは、世界に存在する全ての精霊に祈る。
――叶うなら、簡単に自分を諦めてしまうあの面倒くさい友人が、支えてくれる誰かと出逢えていますように。せめてその程度の幸運は無いと、ハルが持って生まれた不幸とはとても釣り合わない。
えぇと、いつものことと言いますか、目的地に到達しませんでした。キリが良いので一旦切って、今回の予定は次回に回します。ひょっとしたらサブタイ「不協和音」に変更するかもです。