第48話 水月
――やらかした。
おそらくこれは、アルに不入の森の詳細を語ってしまったのに匹敵する失敗だ。
月と同じ色に輝く、ふさふさの銀の毛並みの仔猫を前に、ハルは途方に暮れた。よりにもよって、という気持ちだ。フロルならまだしも、ルナはまずい。
「え、ウソ? この子、ルナの?」
当のルナは喜色満面、少し前に見せた大人びた表情は何処へやら、だ。
「……とりあえず、名前をつけてあげましょうか」
半ば諦めの心境で、やるべきことを進める。
「名前ならもう決めてあるわ。『水月』。この子は水月よ」
仔猫を抱き上げ、むふー、とドヤ顔になるルナ。
「へぇ。良い名前を考えましたね」
今回に限って言えば、得意顔も納得だ。
「でしょでしょ!?」
銀の仔猫が、同意するようにみぃ、と鳴く。もうすっかり、いつものルナだ。
――それはそれとして。
「家族会議ですね」
今後のことを、考えなければならない。もう夕食は終わっているだろうから、サラとシグルヴェインにも手伝ってもらって皆を集めて……などとルナに説明していると、みぃみぃみぃみぃみぃみぃみぃみぃみぃ、と水月が鳴いた。
……鳴き声多くないか、とハルが声のした下方を見れば、なんと水月が増えていた。10匹はいるだろうか。
「……いくつもの姿を持つ月が本質であれば、こういうこともできるということですか……」
呆れ半分、感心半分に呟くハルに向けて、ルナが抱き上げた仔猫が前足をぶんぶん振っている。必死に手を伸ばすようなその態度に、良くわからないままハルが手を出せば、てち、とひとつ叩いて得意げに顔を上向ける。
……任せておけ、ということだろか。まぁ、ちょうど人数分のようだし、とハルが改めて自分同士でじゃれ合っている足下の仔猫たちの数を数えれば、ルナが抱いている本体(?)を除いてちょうど人数分だった。
――一匹余る。
そもそもルナに抱き上げられている本体が必死に手を伸ばすまでもなく、自由に動ける者がこんなにもたくさんいたわけで。
多少の……いや、それなりの分量の不安を感じないでもなかったが、ハルはルナがだっこしている水月の頭を撫でた。
「えぇと……じゃあ水月、皆を呼んできてもらえますか? 場所は……いつもの野外食堂で良いでしょう」
特に何の問題も無く、水月はちゃんと皆を呼んできてくれた。ハルは一匹余ると思ったのだが、月と同じ光を帯びた仔猫は明かりの役目も果たしてくれて、夜道も快適だった。余分ではなかったらしい。
呼び集められた皆の中で、サラが一番不機嫌そうにしているのは、まぁいつものことだとも言えたが、サクラも少し機嫌が悪そうに見えるのは、執筆中だったりしたのだろうか。
「――んで、こりゃいったいどゆことっすか? ちゃんと説明してもらえるんすよね、まおくん」
代表して言ったサニーは、口にこそ出さなかったが、話が違う、とその目が語っていた。確かに、ルナに侍獣を持たせることに一番否定的だったのはハルだ。
「ひとことで言うと、私の失態です。
銘を刻むつもりは全く無かったのですが、たまたま『場』が完璧に整ってしまった結果……こうなりました」
視線を向けた先で、一匹に戻った水月がみぃ、と鳴いた。
「それで、森の護りは問題無いのですか?」サラが問い、
「平気。ルナの花がいつもより早くしぼんだだけ」フロルが答えた。
緑の少年の言葉に、ハルはひとまず安堵する。ハル自身が視た限りは問題無かったが、それでも少しばかりの不安はあったのだ。森の管理者のお墨付きが得られたのは僥倖だ。
「まぁ、異常事態には違いないけど。全員呼び集めるほどのことかい?」
サクラはやはり不満げだ。
「はい。異常事態であり、非常事態でもあるんです。
――ともすれば、この森が崩壊しかねない」
ハルのこの発言で、全員の表情から不満が消えて、真剣な顔になる。
「詳しくお願いします」
代表してサラが言い、ハルがそれに答える。
「私が前に住んでいた村に居られなくなったのは、私の友達が侍獣を暴走させてしまったのがきっかけです。主の心に同調する侍獣は、主人が心の安定を欠くと暴走し、周囲の精霊を無差別に呑み込む危険性があります」
だからある程度精神的に成熟する成人年齢までは侍獣を持たせるつもりは無かったのだとハルは改めて説明する。それでも自分のミスでルナに侍獣を与えてしまったのだから……
「責任は、取らないといけませんね」
皆、特に女性陣がポカンとするが、ハルには何のことやらわからない。
「今日からルナさんは私のところで暮らしてください」
ハルがそう言うと、ルナは両手を頬に当てて身をくねらせた。
「まおー君てば、大胆。皆の前でプロポーズ?」
「いやそういうことじゃないです」
即答するとルナはあからさまに不機嫌になる。
「それがいけない」
ハルが言ったことの意味を、理解できた者は何人居ただろうか。シグルヴェイン、夕顔、サニー辺りは察した様子だ。サラはちょっとわからない。
「全ては私の責任ですが、ルナさんがそうやって心を大きく動かすこと、それ自体が危険な状況なんです」
「だから陛下のところで?」
確認するように言ったのはシグルヴェインだ。ハルは頷く。
「えぇ。私なら、何かあっても力ずくで抑え込めますから。無彩色の私は、精霊に対する鬼札です」
「だからって、男の子と女の子が二人で暮らすのは……」
良識的な発言は、カレンだ。
「何かあった時、水月を抑えられる女の子がいるのなら、任せますが」
そんな者は居ない。ハルが言外に告げれば……しかし、名乗り出る者があった。
「ならあたしで良いんじゃない?」
「――論外です」
夕顔の発言を、ハルは即座に斬って捨てる。そう、論外だ。問題が起こった時、原因となる者を文字通り斬り捨てるようなやり方は。
彼女では、殺す以外の解決法は取れない。
だから却下だ。ルナのためにも、夕顔のためにも。
「少なくとも成人するまでは、ルナさんには私と一緒に暮らしてもらいます。これは決定事項です」
ハルが告げると、今回も特に女性陣が不服そうな顔をする。
「――やだ。」
そう、はっきり口に出したのは当事者だけだったが。
「聞き分けなさい」ハルが少し強い口調で言う。
「――やだ! そんな理由でどーせいなんてしたくないもん!」
同棲と来た。あまりに危機感の足りない物言いに、失笑を漏らしかける。
主人の激情に反応して、強い輝きを放つ水月に、ハルは「散れ」と命じた。ルナ本人の方は、ハルが視線を向けるより先にカレンが抱きしめていた。皆のお姉ちゃんは実に頼りになる。
ハルが散らせた威が、野外食堂周辺にいくつもの月光花を芽吹かせるのを目にしたことで、ルナも少しは深刻さを理解した様子だ。それでも、不服そうに唇を噛んでいる。
――さて、困ったことになった。
正論が通用しない相手を、どうやって説得したものかと、ハルは知恵を絞るが、名案はそう簡単にはひねり出せない。これだから、子どもは苦手なのだ。
「……まおにぃ?」と、フロルが呼んだ「寝るところも、いっしょ?」
「いえ、さすがにそこまでは。同じ家なら対応できますよ」
アルの時はそこまで考えが至らなかった所為で後手に回ったが、破滅の可能性を理解している今なら、ハルの眼はその予兆を見逃さない。近くに居さえすれば、なんとかする自信がハルにはあった。
「なら、こーする」
フロルの言葉に応じて、ハルの家である大樹のすぐ隣に、同サイズの樹が寄り添うよに生えるのが視えた。威が強すぎて、魔境の中に在ってなお、はっきりと視て取れた。森を消耗させてでも、やるべきことだと森の管理者は判断したらしい。
「……これなら、なんとかなりますか」ハルは安堵の息をつく。
「――なに? なにごと?」
大人ぶることも忘れたフロストに、ハルは端的な答えを返す。
「私の家の真横に、今家が建ちました」
「おぅ。さすがってーか……安定のフローラっすねー」
「フローラゆーな」
サニーとフロルのじゃれ合いはとりあえず放置して、ハルはルナを促して新築物件を見に行く。他の皆もそれに従った。
ルナの新しい家(予定)は、ハルの家の隣に生えていた。隣と言うか、幹と幹との間にはかろうじて人が通れる程度の隙間しかなく、高い所の枝は絡まり合って、ほとんど一体化していた。
寝室の窓は向かい合っていて、いざという時は飛び移ることができる仕様だ。
……できる、はずだ。ハルの身体能力でもそれくらいなら。きっと、たぶん。
――早めに梯子か何か用意するとしよう。
「……荷物を運ぶのは明日で良いですかね? 今日はカレンさんもルナさんと一緒に居てもらって良いですか?」
「うん、わかった。今のルナをひとりにはできないものね」
背後からルナを抱くようにして、カレンがそう頷いた。
「……ごめんなさい」
と、ルナが小さくなって謝るが、それは違う。
「ルナさんは悪くないですよ。原因も責任も、全ては私にあるので。
だから、ごめんなさいは私のセリフです。
だから――責任は私が取ります。
本当に申し訳ないとは思うのですが、明日からは感情の抑制を学んでもらいますね。せっかくなので、ついでに他の皆にも」
ハルがそう告げると、ルナは何故か弾むような口調で言った。
「しょーがないから、ゆるしてあげる」
――女の子は良くわからない。
読みは「みつき」です。「みづき」ではありません。音が濁らない方が正解。
前回ルナが勉強熱心だったのはこういうことでした。
そこそこ日が経ったので、次はまた蒼紅サイドです。一話で一気に日数が経過することもあるので、多少のズレはありますが、時間はほぼ一致していると思ってもらって大丈夫です。
次回「差別するもの、されるもの」ちょっと重い話になるかもです。