第45話 オーバーローダー
どれだけ隠蔽が完璧だとしても、痕跡までもが皆無ということはあり得ないので、あまり頻繁に外に出るべきではない。そこに『居る』ことは知覚できなくても、そこに『居た』ことは察知され得る。故に痕跡を残すのは最小限にとどめるべきである。たとえばチェスでも最も完璧な防御陣は、一切駒を動かしていない初期配置なのだから。
という言い訳……ではなく、合理的且つ論理的な判断により、次の畜産実験のための狩りは10日後と決まった。決して次も付き合わされると決まったハルが動くのを嫌がったからではない。
――建前も真実なら、本音を伏せていても嘘にはならない。
とまぁ、そういったわけで。空いた(空けた?)時間でハルは予定していた精霊術教室を開くことにする。それほど長い時間は取らないが、いろいろと教えるべきことはあるし、最低限ルナには、無意識の感情感染を抑制するすべを学んでもらわなければならない。
とはいえ、彼女にいきなりそれを言っては逆効果だろうことはハルにもわかったので、まずは彼女の好みそうな内容から始めることにする。
「まずは楽しいことから、ということで、侍獣の名前を考えましょうか」
陛下、と挙手をしたのはサラだ。手を挙げて発言を求めるあたり、存外彼女も付き合いが良い。ハルが促すと、サラは疑問を口にした。
「陛下は皆が侍獣を持つのに反対だったのでは?」
「そうですね。全員が、今すぐに、という前提をつけるのであれば。成人後なら……あぁ、そうだ、私からの成人祝いとして銘と侍獣を贈りましょうか。相応しい場所はたいてい普通の人間が立ち入れないような所ですから、場を見つけさえすればなんとでもなるでしょう」
「侍獣が付くのは確定なのですか?」
「此処に居る皆に、私が刻むのであれば、確定でしょうね」
答えた後で、ひょっとして侍獣を得られなかった場合を心配してくれたのだろうか、とも思ったが、タイミングを外してしまったハルは感謝を伝え損ねた。言ったところで相手がサラでは不機嫌になっただけかもしれないので、ちょうど良かったとも言えるが。
「サラさんの時は侍獣の名前を考えるのにかなり時間がかかったので、先に考えておければ、と」
こういう、明らかに不機嫌にさせることはしれっと言ってしまうハルだが、これでわざとやっているわけではないのである。
「それは先に決められるものなのかい?」
顔の横当たりまで挙げた手をひらひらと振りながら言ったサクラに、ハルは首を傾げる。何か問題があるだろうか、と。
「えっと……サラのは白い鴉っすよね。『白』はともかく、『鴉』ってのはあらかじめわかるもんなんすか?」
大きく手を挙げたサニーの補足になるほど、と納得するハルだが、どうして皆手を振るんだろうか、というどうでも良い疑問を感じたりしていた。いや、サラは振ったりはしていなかったので、皆でもないが。
「確実では無いですが、ある程度の予想はできますね。
ほら、ひとを動物に例えたりするでしょう? 犬っぽい、とか。猫みたい、とか。あとは色彩そのもののイメージも考慮すればだいたいの予測は可能ですし、色彩に関する言葉を学んでおくだけでも名付けはスムーズにいくと思いますよ。
……あ。侍獣の名前は主自身がつけなくてはいけないのは知ってますか?」
ふと思いついて訊いたことは、ほとんどの者が知らなかった。
知っていたのはサクラとサニー、それに夕顔だけだ。ちなみにサラは知らなかった。この雷光の姫君は、随分と知識が偏っているように思う。それが彼女自身の嗜好によるものか、あるいは魔女の意向によるものなのかはわからないが。
「私は鴉みたいだ、ということでしょうか」
眉根を寄せたサラが問う。不機嫌そうに見えるが、単に疑問を感じているだけだということがわかる程度には、ハルは彼女を理解し始めていた。
無知だった自分が恥ずかしくて話題を逸らした……というところまでは察することができていなかったが。
「そうですね、貴女の色彩である『雷華』よりも、貴女自身のイメージでしょうね。鴉、というのは死者の魂を運ぶともされているので、思うままに致命の一撃を揮う貴女が従える精獣としては相応しいと思いますよ。
あと、仲間をとても大事にするみたいですし、鴉って」
最後の一言はどうも余計だったようで、ハルはサラに睨まれた。
それは確かにサラっぽいっすねー、などとあからさまにからかう口調でニヤニヤと笑っているサニーには無反応なのに。そこはかとなく理不尽を感じながらハルは話、或いは授業を進める。
ちなみにサラの機嫌はルナの一言「カッコ良くてサラにぴったりだね!」で、あっさり持ち直していた。
最初にやるのは各々の色彩と、それに関連する言葉の確認だ。これは精霊文字の勉強も兼ねるので、ハルが紙に書きつけたものを食卓の中央に置いて、全員に見てもらう。
紙はサクラが執筆用に常備してある物を、インクに関しては以前にも使った簡易インクを用いる。全員が見やすいように大きく書くので、多少滲んだところで問題は無いし、魔境で一晩も放置すれば文字は汚れ扱いで消えて無くなるので、紙の再利用も可能である。
まずはシグルヴェイン。ハルが付けた銘は『爪牙』で、色彩のイメージとして想起される詞は『護』『鈍』『鋼』『優』『狼』『鬼』『双角』といったところか。最後のふたつは色よりも外見的特徴に引きずられている感はあるが。
「陛下」
と、サラがハルを睨んだ。それ自体はいつものこととも言えるが、生真面目な性格だと思える彼女がこの場で挙手もせずに発言するあたり、そこには本気の怒りが感じられた。
けれどハルにはその理由まではわからなかったので、黙って彼女の言葉を待つ。
「その『鬼人』という言葉は、濁色どもが用いる蔑称です。陛下が同胞に向けるには不適切なものだと考えますが」
「――あぁ。貴女はそんなふうに考えるのですね」ハルは素直な驚きを言葉にした「私は普通にカッコイイと思ってたんですが、『鬼人』という呼称も、シグルヴェインさんの外見も。皆が不快に思うのなら改めましょう」
「カッコイイ……? ボクが?」
きょとん、と目を瞬かせるシグルヴェインに、ハルは笑顔で応える。
「はい、とても。戦うことに特化した体躯、そしてそれを同胞を護るためにのみ用いる心の有り様――魂の、色彩。どれもこれも私にはまるで無いものなので、正直憧れすら感じます」
――心は、少しアルに似ているから。
――魂は、少し父にも似ているから。
「この歪な見た目を、そんなふうに言ったのは陛下が初めてだよ」
向けられる感情は、嫌悪か同情の二択だったと、兄は苦笑の気配をにじませた。ふたつの内の後者だったであろう彼の家族たちが気まずそうに沈黙する。
確かに、人間が鬼人と呼称する彼の容姿は異形とも呼べるものだ。右腕は左腕の三割増しくらいに肥大して、その先端には猛禽を思わせる鉤爪が生えており、頭には左側頭部から背後に向けて二本の角が伸び、肌もうっすらと青みがかった色をしているのだから。
「歪、ですか。多かれ少なかれ、ひとは皆左右非対称で、シグルヴェインさんはそれが際立っているだけだと思いますが……」
「これを『だけ』だなんて言い切れるのは、きっと陛下ぐらいだよ」
シグルヴェインが楽し気に笑う。
皆がハルを視る眼が、少し変わった気がした。
「それで、『鬼人』に変わる言葉はなんというのでしょうか?」
サラに問えば、
「陛下が創ってください」と、随分ムチャな答えが返る。
「……はい?」
「おばあ様の遺言です。こういう名付けは王にしてもらえ、と。」
なるほど、それなら仕方がないと、ハルは考える。
「そうですね……その姿は、身に宿る精霊が人という器に納まり切っていないことが原因です。供給過多……過剰供給……充溢者というのはどうでしょう?」
「なんかカッコイイ!」
と、真っ先に反応したのがフロストだったことに少しばかり失礼な不安を感じるハルだったが、サラとシグルヴェインも満足げに頷いたので、ホッと胸をなでおろすのだった。
少々短いですが、キリが良いので投下。サブタイが予定と違っていますが、内容自体は予定通りです。予定通り、長くなって分割されました(笑)
おっかしーなー、全員分やって、畜産実験までいくはずだったのに……
次は思いっきりこの続きです。サブタイはより良いものが思い浮かばない限り今回予定していたものになるはず。