余聞 暗躍の黒
精都エルドラドは蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。
少し、前までは。
今現在が落ち着いているのかというと、実はそうではなく、誰も彼もが疑心暗鬼に陥って、ただひっそりと息をひそめている――そういう状況だ。
被害者の数は、遂に10人を超えた。
最新の報告書に目を通していたワンドは、それを執務机に放り出し、上体を逸らして天井を仰ぐ。
「いやぁ、見事にしてやられたもんだねぇ」
ぼやけば、にゅっと両目を閉じた修道女の顔が天井との間に割り込んでくる。
「言ってる内容のワリに楽しそうそうね、父さん」
「……そう見えるとしたら、気を付けないとね」
精都は……というか、七彩教会は現在、とても楽しんでいられるような状況には無い。暗殺された10人は、すべて教会関係者であり、教会最高位の七彩の内、実に4色が失われている。
その全てがシディの仕業――では、無い。
彼が直接手を下したのは、数名……おそらくは最初の2人だけだろうと、ワンドは推察する。残りの8人、それも七彩の内2名をも含めた8人が、内輪もめで命を落としたのだ。これが大陸最大の宗教の総本山だというのだから、笑ってしまう。時間経過で腐るのは、なにも穀物や果実に限らないということか。
最初の被害者は七彩の藍だった。黒曜機関最大の支援者である彼女は、シディが此処を、表向きはオブシディアン清掃局など皮肉な名を付けられたこの場所を訪れたのと同じ日に殺されている。此処に来る前だろう、とワンドは予測している。教会最上位者7人よりも、シディ=ブラウニングは黒曜の杖こそを脅威と考え、ワンドを殺しそこなっても行動が制限できるような一手を打ったと。
教会の二大派閥の内、赤の穏健派が暗殺され、当然のように警護要因として黒曜の人員が駆り出され……それを嘲笑うように青の方の穏健派が殺される。過激派2人が差し違えるように殺し合って、その過程で更に6人が命を落としている。
記録に残らない実働部隊に関しては、もはや数える気にもならない。
残ったのは赤、青、紫の三色のみで、赤と青が牽制し合った結果、教皇の座には決して有能とは呼べない紫がつくこととなった。
敢えて残したのだろう。上の能力不足は、下の能力を制限する。
今回の騒動、青は赤の仕業だと考え、赤は青がやったことだと確信している。
現時点で唯一の神子である翠玉の君の後見が、青の過激派である緑であり、赤に属する藍が新たな神子を見出したと喧伝した矢先に起こった暗殺事件であったから、当然と言えば当然の思考だろう。
翠玉の君の後見は同じ派閥の青が引き継ぎはしたものの、暗殺騒動のせいで関係は良好とは言い難いらしい。これでもし、見出されたという神子が殺されでもしたら、か細い繋がりは修復不可能なまでに悪化することだろう。
それを狙って新たな神子、藍玉を狙う者が出ないとも限らないが……この危うい状況で、自らの側に立つであろう聖女を害する愚を犯す者は居まい。その可能性があった無駄に行動力だけはある2人は差し違えて死んでいるわけだし。
「そして現在もウチの人員はその大半が三人の大主教の身辺警護に駆り出されている、と。おかげでシディの息子に関する調査などできたものではない……このやり口はシディでは無いね」
ちら、とワンドの視線が書棚の上に飾られたチェスボードへと向けられる。
「ブルー・ローズ、君の遺産か」
精都の奇蹟。女性の美の完成形。地上に在ること、それ自体が不似合な天上の美貌。神の最高傑作……など、言葉を尽くしてその容姿を讃えられたシディの妻が、知性でも秀でていたことを知る者は少ない。
奇蹟、という呼称を、彼女の美貌ではなく智を讃える意味で用いたのは、おそらくワンドだけだろう。
ちなみにシディは彼女の存在、その全てが奇蹟だと言って、ブルー・ローズと呼んでいた。随分なのろけである。
「アレ、一度も使ってるとこ見たことないね」
「必ず勝てるゲームは退屈だからね」
養女のティアにそう答え、けれどワンドは付け加える。
――普通なら、と。
「ブルー・ローズとの勝負は面白い……というか、彼女との勝負が面白すぎたせいで、今ではあのボードはただの飾りだね」
「そんなに強かった?」
意識してかどうかわからないが、クイーンの駒を弄びつつ、ワンドの最強の手駒であるティアが問うてくる。
「いいや、単純にチェスというゲームでは、全てボクの圧勝だったよ」
「……なのに楽しかったの?」
「初戦でチェックメイトと言うまではつまらないと思っていたんだけどね。終わった後で、彼女は一枚の紙を差し出したんだ。
そこに書かれていたのは棋譜だった。
つい今しがた勝敗が決したばかりのチェスの駒運びが、あらかじめ全て予想されていたと知った時は震えたね。彼女は最初から別のゲームをしてたんだよ」
「……本当ならそのヒトは勝てたの? だったら嫌味ね」
「うん、ボクも同じことを思った。そして訊いた。返答は否定。勝てないのがわかったから、せめて誘導してみた、と言われたよ。ボクの指し筋は効率的すぎるから読みやすい、ともね。
悔しかったから次の勝負では敢えて悪手を多用した。
けど、それも全て読まれたよ。最終的に勝ちを目指しつつ悪手を混ぜるなら、こうなると思った……ってね。その後も何戦かしたけども、一度も彼女の読みを外すことはできなかったよ。まぁ、さすがに3戦目以降は、予測棋譜は複数用意されるようになったけどね」
それでも、彼女の予想したパターンのどれかには嵌っていた。彼女との対戦以降、他の者と指すのが退屈過ぎて、ボードが飾り物になったのもしょうがないことだろう。
「相手の行動を予測するのではなく、行動を制限するような手を打つ。考えたのは彼女で間違いないだろうね。シディが殺した、ということになっているけど、あり得ないね。彼は妻を溺愛していた。
シディ=ブラウニングは、ローズ=ブラウニングを殺すくらいなら、彼女以外の全てを殺す方を選ぶ、そういう男だよ」
「……私に似てる?」
修道服の養女が小首を傾げる。
「そうだね、だからこそ、彼の息子は色彩を持たず生まれたんだろう」
精霊術師は、研ぎ澄ます程に精霊そのものに近づく。そしてその魂の在り様は子どもへと受け継がれ……教会関係者からこそ『無彩色の怪物』が生まれやすいという矛盾を生んだ。
黒曜機関も、いつまでも暗殺集団ではいられないのかもしれない。
ルビアちゃんとこの襲撃が続かなかった理由。
そしてサブタイに反してパパンじゃなくママンが暗躍してた件。
まぁ、あのヒトの嫁でアレの母なんで、そりゃあ普通じゃないですよね、って話。
こぼれ話的な感じなんで、少し短めになりました。(前話の半分くらい)
次からまた無彩色サイドに戻るわけですが……どんな話にするかまだ全然決まってません。ので、次回予告は今回お休みです。少なくとも月光花はまだ先の予定。