第42話 被差別民族
いずれは精都に支部を、というのはどこまでも本気だったようで、アベリアがルビアたちの旅に同行することになった。バイライトが自分の代わりとして実の娘を選んだのは、彼女の能力だけが理由ではないだろう。
「良く学んできなさい」
娘にそう告げるルビアの弟子は、師に対してはこう言っているのだ。
絶対に、先生を裏切ったりなどしない、と。
油断させて娘ごと切り捨てる……というのはいくらなんでもあり得ない。あまりにデメリットが大きすぎる。七彩教会の狂信者であれば、そういうこともやりかねないだろうが、その髭中年はどちらかと言えばルビアの狂信者である。
こうなっては、ルビアとしても認めざるを得なかった。バイライトを頼って良かった、と。
「感謝します、バイライト」
これくらいは、言っておかねば不義理だろう。
泣きそうなくらい目を潤ませたバイライトはやはり気持ち悪かったが。
メアリーの馬車はもう満員なので、アベリアは荷馬車――大きめの幌馬車で同行する。ルッチの加入で荷を詰める場所がほとんどなくなっていたので、これはこれでありがたかった。
有事にはメアリーの馬車に避難してもらう必要があるので、アルとスピネルのどちらかが幌馬車の方に同乗することとなる。御者はバランスを取るために、アル、スピネル、アベリア、ルッチの4人で交代する形だ。二人旅のはずが、随分にぎやかになったものである。
父に学べと言われたアベリアは、商談の度にルビアを同行させた。だが、彼女はルビアの教えをまるで聖典のごとく扱うあのバイライトに育てられた商人である。かつてのバイライトのように理をわきまえないわけではないので、特にルビアが口を挟むようなことは無かった。
せいぜいが、出発前にも気になった部分を指摘したくらいだ。
「アベリアさん、貴女はもう少し感情を抑えた方が良いですね。商人にとって、言葉が刃なら、笑顔は鎧です。相手に付け入る隙を与えるのは、あまり褒められたことではないですよ?」
特に問題の無い日々が続く。アルの花火で基本収入は安定し、ルッチが作った小さな細工物をアベリアが窓口になって――ルビアも同行させられて――販売する。
ルビアの『恋する乙女』発言のせいだろうか、ある日の野営時、ルッチからウィルのことを訊かれた。彼女が『ハル』と言いかけて、メアリーが慌ててその口を塞ぐという一幕もあったりしたが。
「そうですねぇ……最初は苦手だったんですよ。男の子なのに美人過ぎて。笑った顔とか、あり得ないくらいに綺麗で、完璧過ぎて」
「笑顔が完璧過ぎる、というのは私にはルビアさんのことに思えるのですが?」
アベリアはそう言って苦笑するが、ウィルはこんなものじゃない、とルビアも苦笑を返す。
「というか、私の笑顔はウィル君を見本にしたものですからね」
「あぁ。どうりで似てると思った」
というアルには、話したことが無かっただろうか、とルビアは内心首をひねる。
「そんな、全てにおいて隙の無いように見えていたウィル君が、アル君に対してだけは違ったんですよね。ちょっと人の悪そうな、悪戯っぽい笑い方を見て、こんな顔もするひとなんだ、って。それが意識するようになったきっかけですね」
色彩に関して語るわけにはいかないので、話せることは限られてくる。
「なに、ルビアって、意地悪されるのが好きなの?」
メアリーがからかうように言った。
「そんな特殊な趣味は……」
と、言いかけたルビアが考え込んだので、冗談で言ったはずのメアリーの方が慌ててしまう。
「えっ、ちょっ、ルビア?」
「……いえ。ウィル君になら虐められるのも悪くないかも……なんて。」
「ルビア!?」メアリーの声はほとんど悲鳴だ。
「だって大好きなひとが自分だけを見てくれるんですよ!? それも、作り物じゃない笑顔で。考えただけで表情が緩むじゃないですか!」
彼が自分に向ける笑顔は、ただ綺麗なだけの作り物だったから。剥き出しの感情をぶつけてもらえるのなら、それがどんなものであっても愛おしい――と、ルビアは本気で思った。
「落ち着け。」呆れ顔でツッコミを入れるアル。
「あぁ、そうですよね、ウィル君そんなことしないですよね」
「違う、そうじゃない。お前ホンット、アイツが絡むとおかしいよな」
「正気を保てる恋なんて、恋じゃないですよ」
何を言ってるんですか、とルビアも呆れを隠さずに言った。
「あー、みんな、ウチの恋する乙女はこんなんだから、覚えといてくれ」
何故かアルに保護者のようなことを言われたのが、ルビアとしては不本意だ。
ちなみにスピネルはこういう話題は苦手なようで、終始無言だった。
そうして特筆するべきことなど特に無く旅は続き……立ち寄った街が3つを数える頃に、アベリアは言った。
「やはり私もバラスン先生とお呼びしても宜しいでしょうか?」
いきなりそういう話になる意味がわからず、ルビアは「やめてください」と即答する。
シャモン商会の商売敵が取引のある職人から搾取していたので、契約の穴を探して有能どころを根こそぎ奪ったのが前に立ち寄った街での話なのだが……それが『特筆すべきこと』に含まれないルビアの感覚はかなりおかしい。
旅の連れは全員アベリアの発言自体には納得していたが、肝心のルビアにとっては、初恋に関わらない全ては些事なのであった。
「ではルビア先生なら構いませんか?」
「構います。もちろん『様』もダメですからね」
以前の中継地点を先に潰すルビア。
「なーアンタ、ルビアのことからかってない?」
呆れ顔のアルが口を挟むが、アベリアはとんでもない、と首を振る。
「少しふざけているだけです」
「どう違うの、それ?」メアリーも呆れた調子だ。
「まるで違いますよ。からかう、というのには相手をバカにする感情が含まれます。目上の人に向かってすることではありません」
本気にしか見えないアベリアの様子に憮然としながらも、ルビアは必死の――或いは無駄な――抵抗をする。
「誰が目上ですか、誰が」
「父の師であるルビアさんは、どう考えても目上だと思うのですが……
まぁ、先生と呼ぶのがダメなら仕方ありません。ではせめて、私のことはアビーとお呼びください」
最近自然になりつつある笑顔を向けられた。
アビーさん、と呼べば、予想通りと言うか、呼び捨てるように言われる。ルビアがどうしたものか、と思っていると、先にアルがアビーと呼んでしまった。
「アベリア、って言いにくかったから助かる」
などと笑う彼は、苦虫を噛み潰したような顔のアビーに気付いていてやっているのだろうか。仕方なくルビアもアビーと呼ぶことでその場は収めたが……どうにもこの二人、あまり相性がよろしくないようだ。
また襲撃でもあれば――それを望むわけではないが――アルの見せ場なのだが、一度で諦めたのか、あれ以降何者かに襲われることは無かった。
平穏なのは良いことだが……濃い土色の髪をシニョンに結い上げた理知的な美人からは『ルビアさん』と呼ばれ、自分の方からは『アビー』と呼び捨てるのは、ルビアとしては少々落ち着かないものがあった。けれどそれでも、彼女にまで先生呼ばわりされるよりはマシだと納得しておいた。
そして、一行は国境に到る。
正確に言うなら国境直前の街で、食料や精石など、消耗品類の買い込みを行った。アビーの荷馬車が非常に頼もしい。土地柄ルビアたちと同じようにする者は多いので、下手をすれば首都よりも物資の集まる街かもしれない。
ちなみにこれを当然のこととして動いたのはルビアとアビーの二人だけで、大いにルビアを呆れさせることとなった。
アルはまぁ、当然だし、ルッチも仕方ないとしても……仮にも貴族のメアリーたちがこの国の成り立ちについて不勉強というのはどういうことか。
「ではお勉強の――いいえ、メアリーとスピネル君にとってはお説教の時間です」
ルビアが言うと、無知な貴族二人はびくりと身を震わせた。
アルが一仕事を終えたあと、いつも通りの少し遅い夕食の席でのことである。
「二人はアゲート王国の成り立ちを知っていますか?」
「……えーっと、私がまだちっちゃい頃に独立した、のよね?」
「元は隣国――今から向かうタイガー・アイ帝国の一部だったのですよね」
アビーが「そこまでわかっていて……」と首を振っている。
ルビアも全く同感だった。
「では独立戦争が起きた理由は?」
重ねた問いに二人は答えられず、ルビアとアビーは二人してため息をついた。あとの二人には、教養に関しては最初から期待していない。
「呑気すぎるでしょう。仮にも貴族なら自分の国のことくらい知っておきなさい。
職人であるルッチは自身の腕を磨いていれば……あと、最低限の金銭感覚さえあれば良いですし、アビーは商人としてきちんと考えています。アル君は身一つで世の中を渡っていけるだけの才がありますね。
それで? 貴方がたはただ地位に胡坐をかくだけですか?」
「……さすがに言い過ぎでは無いですか」
むっ、としてスピネルが言い返すが、それはルビアのみならず、アビーからの失笑も招いた。
「ひとつだけ、スピネル君に質問です。貴方は剣だけで主を護れると本気で思っていますか? メアリーの向かう場所が、そんなヌルい場所だとでも?」
交渉事が生業なのは何も商人だけではない。むしろ利を主目的にしない分、貴族の交渉事の方が厄介ですらある。
そしてこの戦いは、剣ではなく知識を武器にして行われるものだ。
「ルビアさん、とまではいかずとも、私程度の識者を雇う手もあるでしょうが……そのための資金はどうやって稼ぐおつもりです?」
アビーが商人らしいダメ出しをする。
「……ごめんなさい」と、先に謝ったのは主の方だった。
アビーがスピネルに白けた目を向ける。
従者が主人に先に謝らせるのか、と。
「……世間知らずですみません。何を学ぶべきか、教えてもらえるでしょうか」
頭を下げるスピネルに、アビーはまだ不満げだ。
「自分の国の成り立ちと、近隣諸国との関係も知らずに国境を越えて旅をするなど、自殺行為以外の何物でもないですね」
「アビー。貴女はそういうところを改めましょうね?」
他人の失点を必要以上に攻撃するのは悪い癖だ、とルビアが指摘すると、アビーは顔を赤くして詫びた。先生、と言いかけたのは聞かなかったことにしておいて、授業に移る。
ルビアが容赦ないのは敵に対してだけなので問題無い。
「まず前提条件として、私たちは失地からの移民の血を引いています。はっきり言って差別対象です。特にタイガー・アイ帝国においては、ほとんど家畜扱いだったといいますね。反乱から独立戦争の流れは必然だったと言えるでしょう。これが10……いえ、11年前の話です」
建国王、アゲート1世は鬼謀と称される知略で以って主権国を圧倒、一年に満たない期間で独立を勝ち取った。英雄、と言えば聞こえは良いが、色を好む種類の英雄で、独立が成って以降はほとんど後宮に引きこもっているとも伝え聞く。
まぁ、戦争屋が政に口を挟むよりは健全な有りようと言えるのかも知れないが。
ちなみに色好み、とルビアが知っているのは、母の駆け落ちのきっかけがこの国王だからである。王の愛妾よりも、愛する人の妻を選んだ自慢の母だ。
「タイガー・アイ帝国では極力街に入らず、最短距離でもうひとつ隣まで抜けます。理由は理解できますか?」
「元々あった差別に加えて、戦争による悪感情が上乗せされているから……で、合っていますか?」
「頭は悪くないようで……すみません、ルビアさん」
一言多いアビーを視線で黙らせて、ルビアは付け加える。
「私たちはあの国では、街中より野宿の方が安全である可能性すらあります。護衛役、しっかりお願いしますね」
アルとルッチがじっと自分を見ていることに気が付いて、ルビアは「何ですか?」と問いかけた。
「ルビアぁ、まだ先生じゃないって言い張る?」
アルの言葉に、ルビアは何も言い返せなかった。
ルビアちゃんが恋バナしたいって言うもんで。
ここ暫くルビア無双が続きましたが、ハル君が絡むとポンコツです、この子。
建国についての詳細をうまく挿入できなかったので、隣国で野宿中にでもやります。
次はお久しぶりの黒いひとのお話です。閑話、って感じでもないので「余聞」と銘打とうと思ってます。
次回「暗躍の黒」(仮)お楽しみに。