第40話 新しい『商品』
「ただの恋する乙女ですよ?」
そう言って、バイライトの師は誇らしげに笑んだ。
アルマンディンは「それ久しぶりに聞いたな」と苦笑しているが、バイライトにとっては感慨深い。サルビア=アメシスト=バラスンが、駆け落ちで結ばれた両親のような恋に憧れていて、けれど焦がれるような『誰か』に出逢えないでいることを嘆いていたのは知っていたから。
だから、バイライトは師に心からの祝福を贈った。
「おめでとうございます。出逢えたのですね」
それに返されたのは苦笑だったが。
「ありがとうございます。まぁ、出逢えはしたものの、勝手に居なくなってしまったので、探しているのが現状なんですけどね。それでも、彼と出逢う前よりは、ずっと満ち足りています」
「バラスン先生にそこまで言わせる人物ですか……私も一度会ってみたいですね」
「え、ちょっと待って、アタシの質問にこの返答ってあってんの?」
アタシがおかしいのか? と首をひねる、やや癖のある茶髪の……と、そこでバイライトは今更ながらに気が付いた。
「そう言えば、自己紹介もまだでしたね」
「あー……アンタとルビアの関係が謎過ぎたからな。そういやアンタのことも、シャモン商会の頭、としか……って、そーいやちゃんとシャモン商会なのな。アンタならバラスン商会、とでも名付けそうなのに」
にやにやと笑うアルマンディン=グレンは、なかなか鋭い。
「そう付けるつもりだったんだがね。バラスン先生に却下されてしまったので、しかたなく自分の名前を使うことにしたんだよ」
「マジでつけるつもりだったのかよ!?」
アルマンディンが愕然と声を上げるのが、バイライトにはわからない。こういうところで恩人の名を付けるのは、どちらかと言えばありがちな部類なのだが。
これもまた、商人ではない者との感覚の違いだろう。
「では自己紹介は私から。バイライト=インパチェンス=シャモン。バラスン先生の教えを実戦しただけで成り上がった、幸運な商人だよ。受付に立っていたのは娘のアベリアだ」
バイライトが水を向けると、娘が丁寧に一礼した。
「アベリア=ブロンザイト=シャモンと申します」
「アンタ実の娘の前でアレか!?」
また大声を上げたアルマンディンとアベリアの目が合い、苦笑を交わす。
――なんだ? 娘はやらんぞ?
「では次はこちらですね」
噛みつきかけたバイライトだが、師の言葉に慌てて口を噤み、傾聴する。
「隣の彼女が今の私とアル君の雇い主のメアリー、そして護衛のスピネル君」
メアリー――金無垢の瞳と髪をした、メアリー。それが何を意味するのかを知らない者は居ない。だが……いや、だからこそ、大抵の者は偶然の一致としか思わないだろう。
メアリーゴールドだ、などとは思わないだろう。
バイライトもまさか、と思った。けれど同時に、サルビア=アメシスト=バラスンであれば、それも決してあり得ないことでは無い、とも思う。
「最後に、彼女が馬車の整備担当兼、不足代金の取り立て人のアイリス=ルチル=オレンジバレーです」
最後の一人の名にも驚かされた。
「ルチル……オレンジバレー? 君、もしかしてルチル工房の……?」
「うぇ!? あ、あぁ……いや、はい。アタシは確かにあそこの工房主の娘だ……です」
「普段の話し方で構わない。職人と忌憚ない意見のやり取りをするには、言葉を飾るのはむしろ邪魔になる――そうやって、私はこの商会をここまで大きくしたのだから」
「なんだよおっさん、やりゃできんじゃん」
などと言うアルマンディンは少々忌憚が無さ過ぎる気もしたが、バイライトは不問に付した。なにしろ彼は師の友人だ、礼儀など要らない。
「どうしてウチの工房のことを知ってた、ん、だ?」
語尾が少々迷子になっている様子のアイリスに、バイライトは笑顔を向ける。
「それは当然、取引相手に、と考えていたからだ」
「マジで!?」
思わず素が出てしまい、慌てて口を押える少女に、構わない、と重ねて言って、バイライトは詳しい話をする。
「シャモン商会は若い職人たちの支持を得て大きくなった……いや、言葉を濁さずに言おうか、成り上がった。だから腕の良い職人については常時調査中だ。
ルチル工房は工房主の一人娘が最も優れた職人だと聞いた。会えて光栄だよ、アイリス=ルチル=オレンジバレー」
緊張気味の少女と握手を交わす。
「いや、バラスン先生は実に良い縁を運んで来てくださった」
「彼女が居るのは成り行きなんですがね」
改めてアイリスに紹介状を書いてもらえるように頼めば、逆に移送の手配を頼まれる。馬車の内装絵の納品がまだだとのことで、国内であれば大抵の街に支部がある、シャモン商会で請け負うことになった。アイリスの紹介状もその時一緒に送ることにする。
ルチル工房とメアリーは、安心安価に納品が済ませられ、シャモン商会は優れた工房と繋がりが作れる。双方にとって有益な交渉だった。
バイライトの交渉相手が誰であったかは……もはや、言うまでもあるまい。
「さて。それでは私の商談に移っても良いですか?」
師に言われ、バイライトは居住まいを正す。
「アベリア、良く見て、良く学びなさい」
娘にそう声をかけるのに、彼の師は「そんな大したことをするわけでもないのですが」と肩を竦めた。
ことり、とテーブルに置かれたのは、精石――いや、刻印石だ。
「ほぅ。見事なものだ。お父上はまた腕を上げられましたか」
「いえ、それは私の作です」
絶句した。
彼女が父から刻印石加工の基礎を習っているのは知っていたが、これは……見習いどころか一人前すらすっ飛ばして、いきなり超一流の腕前だ。
「……本当に、貴女には驚かされます。これをウチで買い取れば宜しいので?」
「それはまぁ、そうなのですが。
実は私、利き腕を怪我してしまいまして。最低でも一月は刻印石の加工ができない状態なんです。なので腕が治ってから加工する分、料金先払いで契約してもらえないかと。勿論送料はこちらの負担で、利息分は代金から差し引いてもらって構わないので」
「これほどの刻印石が買い取れるのであれば、喜んで。あと、利息は要りませんよ。私も最初は大目に見てもらっていますし」
むしろようやく多少なりと恩返しができる、と喜ぶバイライトだったが、彼の師はやはり、見た目通りの少女では無かった。
「さて、それではもうひとつの商品ですが……」
彼女が語る『商品』の内容に、アベリアが驚き、目を見張っている。
シャモン商会が提供するのは、人脈。ただ顔を繋ぐだけの簡単なお仕事だ。それで儲けになるだけではなく、繋がりを更に太くすることもできるだろう。
こちら側の協力が無ければ、そもそも売り物にならない『商品』ではあるのだが……それでも、より得をするのがどちらなのかは明白だ。
やはりサルビア=アメシスト=バラスンは、安易に誰かを頼ったりなどしないらしい。それが誇らしくもあり、少し寂しくもあった。バイライトとしてはむしろ頼って欲しかったぐらいだったから。
「どうだ、アベリア。これがバラスン先生だ」
バイライトが傍らに立つアベリアを見上げると、美しく成長した娘は表情の選択に困っているような、微妙な顔をしていた。
「失礼を承知で申し上げれば、とても年下とは思えません。かなり童顔な20歳以上の女性、と考えた方がまだ自然に思えます」
「だよなぁ。」
「だから侍獣まで持ってるアル君が言わないでください」
嫌そうな顔で文句を言う師でさえも、バイライトには感慨深く思える。このように遠慮なく冗談が言い合えるような友人も、彼女には居なかったはずだ。大きすぎる才は、時として人を孤独にする。
才能の大きさだけで言えば、アルマンディンも相当なものだが、その方向性が違いすぎた。路が交わるきっかけは、そう簡単には訪れなかったことだろう。
バイライトはまだ知らない。そのきっかけとなった人物こそが彼の師の想い人であり……誰よりも巨大な、人の手には余る才をその身に宿して生まれた、この世界で一番孤独な存在であることを。
その日の夜、バイライトは得意先を会食に招いた。
招待客たちは暗すぎる店内と、テーブル中央に置かれた何も入っていない平鍋に眉をひそめている。その中には昼間会ったばかりの太った中年男性――この辺りでは最大手の食料品店の主も居た。
フラワリィ・レッド、というアルマンディンの告銘は、ほとんどの者の耳には届かなかっただろう。そして次の瞬間には、それどころではなくなったはずだ。
招待客の視線は、平鍋の上に釘付けだった。
パチパチと、音を立てて爆ぜるそれは小さな火。いくつもいくつも不規則に、刹那の花を咲かせては、暗い店内をほの赤く照らすその儚い美しさに、誰しもが見とれていた。
「お手を触れないように願います。一応、火ですので」
迂闊な誰かが手を伸ばそうとしたタイミングで、バイライトが全員に注意を促す。ついでに、不用意なその男の評価を下方修正しておく。
設置された平鍋は、火が燃え移らないよう、念のために置かれたものだ。
「それでは皆様、幽玄の美と共に、お食事をお楽しみください」
まだ誰も知らない、火を娯楽に用いた術。メアリーによって『花火』と名付けられた、一瞬で散り逝く火の花――これがバイライトの師が持ち込んだ、もうひとつの『商品』である。
新しい術(線香花火)
メアリーと旅を始めたころの伏線、ようやく回収です。
ルビアの入れ知恵、もっと細かく考えてもいたんですが、本題からズレ過ぎるのでばっさり割愛。商売の話じゃないからね!(笑)
次はルビアの頼み事のお話からです。サブタイは完全に未定。
……一行の非戦闘員がまた増えるかも(笑)