第38話 先生
御者は、アルから先に担当することとなった。ルビア曰く、スピネルも込みでお説教なのだそうだ。御者台まで聞こえて来るような大きな声は一切無かったが、昼休憩の時のスピネルのげっそりした顔で、そうとう絞られたらしいとわかった。
昼食後、御者をスピネルと交代して、馬車の中へとアルが戻れば、いつもは我が道を行くメアリーも、無駄に威勢の良いルッチも、しゅんと縮こまっていて、
「うわぁ」と、思わずそんな声が出た。
「なんですか、その反応は」
ルビアのじとっとした視線がアルに向く。
「あー、いや、次はオレの番かー、って。」
三人の様子を見るに、ハルの授業よりも厳しそうだ、と覚悟を決めるアルだったが、ルビアの反応は予想と違っていた。
「はい?」
何言ってるんだコイツ、と言わんばかりの視線が向けられる。いつごろからかはわからないが、随分容赦が無くなったものだ。
「ん? 違うのか?」
「アル君に言うことは特に無いですね。頼んでついて来てもらってる身ですし」
苦笑するルビアの目を、アルはまっすぐに見返した。
「それも違うだろ。ハルにはオレだって言いたいことがあんだし」
ルビアは肩を竦めて、笑みから苦味を消した。
「ま、それもそうですか。それでも私とアル君の場合は、明確な役割分担がありますから。荒事は全てアル君任せなわけですし、それ以外を私が担当するのは当然の流れですよね?」
他の連中は違うのか、とアルが問えば明らかに違う、との返答が返る。
「メアリーとスピネル君は雇い主で、ルッチは同行者です。アル君と私の最終目的を共有しているわけではありません。取引や契約に関して、頼まれて知恵を貸すのは構いませんが、最初から全て私任せで良いのは、同じ目的を持って旅をしているアル君だけです。
金儲けに必死になれ、などと言う気は無いですが、裕福でない自覚があるのなら、せめて浪費を防ぐべきです。ルッチも旅に同行する以上、最低限の金銭感覚は身に着けてもらわなくては」
メアリーとルッチに恨みがましい視線を向けられて、これはこれで肩身が狭い思いをするアルだった。
「そういやメアリー……あー、やっぱなんでもない」
話を逸らそうとしたアルだが、今言うのもどうかと思って言いかけた言葉を引っ込める。メアリーが何度か訊き返してきたが、夕飯の時に話す、で押し切った。
「ところでルッチ、旅費はどうするつもりですか?」
ハルによく似た笑顔で、ルビアがそう問いかける。
「えっ、と……馬車のメンテナンスで……」
「そうそう頻繁に手を入れる必要はありませんよね? あったとしたら不良品です。損傷があれば修理をお願いするでしょうが、そうでなければ相乗りしている分との相殺がせいぜいだと思いますが」
「ちょっ!? それ、金取るの!?」
ルッチの顔色が変わる。
それにルビアは、何を言っているんだ、と言わんばかりに小首を傾げ、
「タダで馬車には乗れませんよね、普通。私とアル君は護衛兼話し相手――今ではこれは様々な教師役も含みますか――とにかくそういったことが仕事なので別ですが。馬車の定期メンテナンスでは、同行が必須とは言い難いですね。
この国に居る間であれば、馬車の建材の目利き等があるので必須と考えて良いですが……その先は、どうします?」
――あー、これ、相手を追い詰める時の笑顔だ。
ある意味、怒気よりも恐ろしい笑顔を向けられたルッチは、返す言葉も無く小さくなっている。それは思わずメアリーが「別に私はお金取らなくても……」などと言ってしまうほどで。
「メアリー?」
ただ名前を呼ばれただけのメアリーが、ひっ、と息を呑んだ。きっと彼女はルビアの微笑の意味を正しく理解したのだろう。
『まだ、お説教が足りませんか?』そう語る、微笑みを。
確かに、これまでの話からするに、メアリーたちとて他人に施しができるほど裕福ではないのだろう。というか、過剰の施しは受けた側を堕落させる、くらいのことをルビアなら言いそうではある。
けれど。
「あのさ、ルビア。何にイラついてんのかはわかんねぇけど、それくらいにしといてやれば? ルビアにはなんか考えあんだろ?」
アルがそう言うと、ルビアは僅かな驚きを目に宿して問い返した。
「……そう、見えますか?」
見える、というわけではない。外面だけで言えば、完全無欠の商人の笑顔だ。これでまだ15歳の子どもだというのだから驚きだ、などと14歳で侍獣持ちのアルが自分を棚に上げて思う。
「だってただのお荷物だったら、連れてく時になんか条件出すだろ、ルビアなら。それをしなかったんだから、問題無いってことだろ?」
肩を竦めて見せるアルに、ルビアはいつだったかハルがそうしていたように苦笑して応じた。
「相変わらず感情で正解にたどり着くんですね、アル君は……というか、なんですか? その信頼感は」
多分に呆れを含んだ物言いには、アルも異論があった。
「うん、それお前が言うな」
ハルやルビアではないが、全力の笑顔で言ってやる。信頼に関して言うのであれば、どう考えてもルビアに言われる筋合いは無い。この女は躊躇なく自分に命を預けてくれやがったのだ。
意図は正しく伝わったようで、つい、とルビアはルッチに視線を転じた。
「ところでルッチ。貴女、金属細工もできますよね?」
「あ、うん。馬車の細工に、木工、金属、どっちもそれなりの細工は勉強してるケド……?」
……どうにもこの子、ルビアの笑顔に怯えている節がある。そんなにお説教が怖かったのか。その場に居なくて良かったような、ちょっと見てみたかったような、複雑な気持ちをアルは自覚する。
なんというか、見ていたらハルに良い土産話ができたような。
「では、私の作る刻印石をアクセサリーなどの実用品に組み込んで、付加価値を付けましょう。貴女ならそちらでも並以上の腕はあるのでしょう?」
「あ。そっか、そうやって稼げばいいんだ……」目から鱗、といった様子のルッチの表情が、晴れたと思えばまたすぐ曇る「いや、でもダメだよ。簡単な彫金ならできる道具は持って来てるけど、炉が無い。オヤジと付き合いのある工房なら貸してもらえるかもだけど、どんなに頑張っても国内だけだ」
「あぁ。」「それなら」
と、ルビアとメアリーが足下で丸まっている仔狼に視線を向ける。
「全く問題ないな」と、アルが結んだ。
話題に上った紅蓮は、我関せずと尻尾をわさりと振っただけだ。
首を傾げるルッチに、ルビアはこれも詳しくは夕食の時にでも、と笑った。
「あー、うん。すぐに慣れるよ」と言うメアリーの笑いは若干乾いていたが。
「あぁ、これはこれであってるんですが、これだけじゃなくてですね」と、視線を再度アルへ向けて「私、苛ついてるように見えましたか?」
「んー……どうだろ? 態度はそう見えるわけじゃないけど、言ってる内容とかは普段より容赦なかった気がする」
自分自身よくわからずに、アルが首をひねっていると、ルビアは自嘲混じりに笑った。
「……本当に、最初に結論があるんですね。言われてみればそうかもしれません。これから会いに行く相手は少しばかり苦手なんです。できることなら頼りたくはなかった、という程度には」
そしてルビアは、ため息に混ぜて「先生というのは、どうにも……」と呟く。
なるほど、商人としての先生か、とアルは納得した。それは確かに苦手意識もあるだろうし、何よりルビアより上手の商人だとしたら、安易に頼れば叱られる程度では済まないだろう。確実に足元は見られる。
「……なぁルビア、魔霊退治で稼ぐってのは、ナシなのか?」
思わずアルが提案すると、既にルビアも考えたことだったのか「ナシですね」と、即答が返る。
「私とアル君、二人だけならそれもアリだったかもしれませんけど。
護衛対象を連れて、何処に出るかもわからない魔霊を探して回るわけにはいかないですし、大量発生しているような場所にはなおさら連れてはいけないですよ」
それもそうか、と納得した後で、思い出すのは。
「そういや、アイツはわかってなかったっけ? どこに出るのか」
「……改めてとんでもないですね、ウィル君って」
あはは、とルビアが乾いた笑いを漏らした。
目を白黒させるルッチを、メアリーが同情の眼差しで見ていた。
その日の夜、アルからメアリーへの報告が済んだ後で、ルッチには改めて紅蓮を紹介する。だいたいメアリーと似た様な反応だった。
それから他言無用ということで、ルビアの刻印石の加工法を皆に説明した。凄いのはアルの道具だと言って、試しに三人に使わせてみたのだが……
「ダメだな、コレ」
思わずアルが呟いた通り、三者三様の理由でダメだった。
まずスピネルは単純に字が汚い。これはアルと同じダメさだ。
そしてルッチ、もっと単純に精霊文字を知らない。
一番期待できると思っていた我らが絵師様に到っては……
「……コレ、字、ですか?」
と、思わずルビアが訊いた始末である。
そういえば人物画は酷いものだとスピネルが言っていたが、それと同じような理屈だろうか。静物画に特化している、とか。などと考えたアルの「んじゃ、絵だと思って書けばいんじゃね?」という提案に従って書いた文字のいくつかは、ルビアほどではないにしても、なかなかに綺麗なものだったのだが……
「ダメですね」ルビアの及第点はもらえなかった。
「そうか? 悪くないと思うけど」アルは反論したが、
「字、そのものは確かに悪くないです。でも、書くのに時間がかかり過ぎです。これでは精石が劣化してしまう。シディさんの剣ならそんな心配もなかったんですが……斬ることに特化していても、アル君の剣はあくまで火ですから。現状では金属細工にしか使えませんね」
と、いうのがルビアの結論だった。
「凄いのはアルの道具かと思ったら、やっぱりルビアも凄かった、ってことでしょ、結局のところ」
そうまとめたメアリーに、ルビアはちょっと複雑そうだった。父から受け継いだ技能が評価されるのは嬉しいが、結局『先生』とやらを頼るしかないのは歓迎したくないことのようだ。
そしてたどり着いた次の、そのまた次の街。この国では最大の規模である――だが首都ではないらしい――スピネル・シティの、中央付近にある店(?)がルビアの目的地だった。
いや、ルビアも名前だけで、正確な場所までは知らなかったのだが、道行く人に尋ねたところ、一発で答えが返って来て、訊いたルビア自身驚いていた。
立派な……立派過ぎてアルどころか、メアリーやスピネルですら気おくれを覚えている様子の建物で、ルビアだけは――多少の驚きはあったものの――堂々と受付嬢と言葉を交わしていた。
ルッチ? 絶賛石化中だ。
「刻印師アイオライト=クロッカス=バラスンの娘が来たと伝えてください」
弟子のサルビア、ではないのか、とアルは少し疑問に思う。
受付嬢は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたものの、すぐに笑顔を取り繕って「お約束はありますでしょうか?」と訊いてきた。
「いいえ。今日はその約束を取り付けるつもりで来ました」
「……商会主は接客中ですので、それが終わってからお伝えすることとなります」
「では、少し待たせていただいても構いませんか?」
言葉の切れ目に割り込むように、ルビアが言った。まだ何か続けようとして口を開きかけていた相手の女は、それでも不機嫌を表に出さなかった。さすが商人、とアルは感心する。
「それは……構いませんが、伝えてもすぐに会談の日時が決まるわけではないと思いますよ? 宿を教えていただければ、そちら宛に使いを出しますが……?」
「ご心配ありがとうございます。ですが、日程くらいはすぐに決めていただけると思いますので」
「……いえ、多忙な身ですので、すぐにというわけにはいかないかと……」
「では、もしもそうなった場合は、自身の不明を恥じて出直すとします」
あくまで曲げず、ルビアは待合室の隅に置かれた椅子へと向かう。
このやりとりの意味を、アルは後でルビアから教えてもらった。
ルビアが一番心配していたのは、情報が会いに来た相手にまで伝わらないことだ。いくら貴族風の――というか実際貴族だが――メアリーとスピネルが一緒だとはいえ、子どもしかいないのでは、まともに取り合ってもらえない可能性がある。
だから父親の名前を出し、自分が直接かかわりがあるわけではないと主張し、こうして自信を見せることで、本当に親密な間柄であるとアピールしたのだ、と。
終始笑顔でにこやかに会話を交わしながら、一切相手を信用していなかったらしいルビアが、改めてアルは怖かったが。
「……皆は先に宿を決めて来ますか?」
一同の緊張ぶりに苦笑して、腰を落ち着ける前にルビアは言った。
それに誰かが返事をするよりも早く、奥の扉が開いて、数人の男が出て来る。でっぷり太った中年男と、それよりは少し若い感じがする口髭を上品に整えた男、そしてそれぞれの後ろに着き従う男が一人ずつ。受付嬢の視線から、口髭の方が商会主らしいとアルは判断し……
まさにその男が、ルビアに視線を止めた。その両目が、驚愕に見開かれる。
「バラスン先生!?」
響き渡った男の声に、アルは声すら出なかった。
――お前が先生かよ。
Q.商売の話じゃない?
A.ちっ、ちげーし(震え声)
ぶっちゃけ次もこんな感じだと思います。
次回「新しい売り物?」(仮)お楽しみに。