第35話 雷光姫
夕食時、すっかりへそを曲げてしまったルナをどうにかなだめ終えて。
「では、貴女で最後なので、準備が整ったら声をかけてくださいね」
そう、ハルが言うと。何故か彼女の表情が引きつった。
「……まおー君、それ、本気で言ってる?」
「――? もう誰もいませんよね?」
小首を傾げるハルに、ルナが信じられない、と目で伝えてきた。
「陛下」と、たしなめるようにシグルヴェインに呼びかけられて、
「あ、シグルヴェインさんもどこか案内してくれるんですか?」
ハルが笑顔を向ければ、鬼人の少年までも固まった。
「違う、そうじゃない」
そう言ったのは誰だったか。
「陛下」
と、底冷えのするような声が無視できない強さで注意を惹き、余計な思考を許さない。ハルを呼んだのは、久しぶりに声を聞くきがするサラだ。
「え? サラさんも私とデートしたいんですか?」
意外過ぎてハルがそう訊けば、シグルヴェインを筆頭に年長組が頭を抱えた。それを見て、ハルは自分が解答を間違えたらしいと理解する。
ちなみに、ニクスは精神的な意味で年少組扱いだ。
「したいしたくないの話をしているのではありません。私だけ名付けていただけないのは不公平です」
射殺すような視線で、サラはハルを睨む。
「ん? あれ、言ってませんでしたっけ。一目見た瞬間にこれだ、と思ったんで、とっくに話した気になってました」と、ハルは遠い空を見遣って続けた「それならちょうど良いですね、明日、デートをしましょう」
サラの視線は僅かばかりも弱まらない。
「私のことが嫌いな貴女には不満も多いでしょうが、ちょうど良い日和なので、明日は付き合ってください」
あまり苦味を感じない苦笑をハルが浮かべると、フン、とサラは鼻で嗤った。
「嫌いなのはお互い様でしょう」
「いえ、私はサラさんのこと、好きですよ?」正直な気持ちをハルは伝えた「嫌いな私に対しても公正であろうとするところとか、家族想いなところとか、正直に好感が持てます」
これにサラは苦々しい表情をして、
「……あぁ、そうですね。軽々しくそういうことを口にする貴方のことが、私はきっと嫌いなのでしょう。魔王ともあろう方が、そのように軽薄なことでどうしますか」正直に、そう応じた。
「軽々しく、でもないですよ。好意はすぐ伝えることに決めたんです。伝えられなくなって後悔するのは、ルビアの時だけで充分なので」
「――なるほど、そういうことっすか」
しょうがないな、とサニーが苦笑を浮かべていた。カレンも、サクラも、夕顔も、似たような視線をハルに向けて来る。前髪でアニーは少しわかり難かったが、なんとなく似たような雰囲気を感じた。ただサラだけが、不満そのもの、といった顔でハルのことを睨み付けていた。
「その割に、私はすぐには伝えられなかったようですが?」
「サラさんは私のことが嫌いな様子だったので。言っても不機嫌にするだけかと思いまして」
「そうですね。そういうところが嫌いです」
容赦なく斬り捨てられて。クスクスと、ハルは笑った。
「うん、私はサラさんのそういう正直なところ、好きですよ」
言うと、不機嫌な顔で睨まれる。こういう関係も、これはこれで悪くないかもしれないな、などとハルは思った。
「あぁ、そうだ。明日は初めて会った時のドレスを着てきてください」
楽園に着いてからのサラの服装は、普通の村娘風のそれ――で、すらもなく、動きやすそうな男物を着ている。
「何のために?」サラは蔑むような目をハルに向けた。
「刻銘のために」そうハルが伝えると、不承不承彼女は頷いたのだった。
そして翌日、今回の案内役はハルの方である。
出発は夕刻、早めの夕食を摂ってからだった。朝食後でないのは、刻銘の都合だ。夕食はハルとしては簡単なものをバスケットに詰めてもらって、出先ででも――などと考えていたのだが、朝と夜は家族が揃わないとダメだ、とのカレンの主張により、皆で少し早めの夕食を摂って……ハルとサラは今、森の外に居た。
「――どういうことですか」不機嫌を隠そうともしないサラの問いに、
「何がでしょう?」
ハルはとぼけた答えを返す。いや、本人としては別にとぼけているつもりでもないのだが。
「何故、森の外に居るのかと、訊いているのです!」
「刻銘のため、ですが?」
ハルの返答に、サラは自分の顔を片手で覆って、唸るような声を出す。
「……それもたしかに疑問ではありましたが……それよりも、どうやって外に出たのですか!?」
ハルとしては、むしろこの問いが疑問だった。
「そう難しいことではないと思いますが。外から中へ、は厳重に護られていますが、中から外へ、は比較的緩いですよ?」
言葉を交わす内にも、夕暮れの茜色からだんだんと赤が失われつつある。黒いドレス姿のサラは、いずれ遠目には見つけることも困難になることだろう。
サラはなんとも微妙な表情をしていた。いや、魔境を出たので、ハルには表情以上に色彩で相手の感情は理解しやすかった。
「能力だけなら申し分無い……いえ、待ってください。それでは帰りはどうするつもりなのですか?」
少し焦った様子のサラに、ハルはこともなげに言う。
「直接転移するつもりですが?」
「……できる、のですか?」
反問には驚きと、僅かばかりの称賛がこもっていた。
「空間転移の色は魔女が扱うところを視たので理解しています。人が居るかもしれない場所に跳ぶのは危険なので、転移先は私の家の中になりますが」
「それは別にどうでも良いですが……」
言ったサラのドレスのスカートが、風を孕んで大きく膨らんだ。風は強く、天候は荒れ模様で、雨こそ降っていないものの、重々しい雷鳴も聞こえて来る、まさに『春の嵐』と呼ぶにふさわしい日和だ。
「いったい、これのどこが良い日和なのですか?」
不機嫌に睨み付けて来るサラに、ハルは笑顔で答えた。
「貴女の色彩に銘を刻むのに、最高の日和ですよ」
では行きましょうか、そう言った直後に、ハルは首を傾げた。
「そういえばサラさん、空は飛べますか?」
「普通、ひとは飛べません」
何をバカなことを、という呆れがこめられた言葉、それにハルは近しい呆れをこめて返す。当たり前は、むしろこちらの方だ、と。
「私たちが『普通』でしょうか?」
「それは……」
「つまらない『常識』にとらわれて、能力を制限するものではないですよ。色彩が合致しさえすれば、ひとが想像できることはなんでもできる――それが『魔法』というものです」
教師めいた口調に、ふとハルは懐かしさを覚えた。あの村では、これが日常だった。ふと、ハルは思う。楽園でも同じことをやるのも良いかもしれない。魔女の弟子ですら理解に不足があるのであれば、無駄にはならないだろう。
などと思う内に、完全に陽は落ちて、時折走る稲光だけが唯一の光源となっていた。空は雷雲に覆われ、月も星も見えない。
「頃合いですね。手を」
ハルは淑女をエスコートするように右手を差し出した。パーティードレスのような盛装のサラはともかく、完全に普段着のハルはあまり様になっていないだろうが、今回の主役はサラなので問題は無い。
……というハルの思考に反して、元の容姿が整いすぎている彼の姿は、その立ち居振る舞いも相まってお忍びの王子様(或いはお姫様かもしれない)、といった風情であったのだが。
不機嫌な淑女が王子様の手を取った。
思考をまとめる短い間があって、ハルは雑に組み上げた色を告銘する。
「浮遊の蒼」
黒の風花がはらりと舞って、ふっと体が軽くなる。それは錯覚でもなんでもなく、ハルが少し強めに地を蹴ると、手をつないだ二人の体は宙を舞った。
跳躍ではなく、浮遊。飛翔と呼ぶほどの速さはないが、今回はこれで充分だ。
まぁ、ハルの脚力だけでは高さが足りず、追加で風を操って高度をとる必要はあったが……無事、二人は雷雲の中に飛び込んだ。
「大丈夫ですよ」さすがに少し動揺がみられるサラに、ハルが言う「貴女が雷に傷つけられることはあり得ません。サラ、雷光姫。雷という現象は、貴女に傅き、貴女に従う臣下だと思いなさい」
稲光に浮かび上がる、雷光と同じ色のまっすぐな長い髪、黒を纏ったその姿は、雷光の姫君と呼ぶに相応しい。これこそが彼女の色彩だ。やはり、彼女には夜が良く似合う、とハルは想った。
「此処が貴女の城です。臣従するのは勇壮にして苛烈な騎士たち。その武装は鎗、そして鎚。
疾走する雷光は鎗――貫けぬものなどは無く、総てを刺し穿つ。
轟く雷鳴は鎚――その圧に耐えうるものなどは無く、総てを叩き伏せる。
闇を裂き、夜に咲く雷光の華――それは美しくも無慈悲な死神の鎌、白く輝くこの光こそが貴女の色彩だ」
詞が、確かに彼女に染み渡るのを待って、刻銘を始める。アルの時とは違い、此処は集めるまでもなく、雷の威だけに満ちている。
「汝、遠見の魔女の直弟子サラに、我、ウィルムハルト=オブシディアン=エキザカム=ブラウニングが刻む」
空いている左手で、ハルは彼女の髪に触れた。
「其は雷光、闇を裂き飛翔する鎗にして、生命を刺し穿つ死神乙女の一撃」
白光の髪から離した手を、空高く掲げる。
「己が魂の色彩を自覚し、再び誕生した汝に祝福を」
そこで一度言葉を切り、右手の上にあるサラの手に左手も重ねて、銘を告げる。
『雷華』
周囲に満ちていた雷精が、主君の下に収束し、雷光の姫が雷華の輝煌を放つ。もう三度目となるそれに対しては今更驚きなどは無いハルだったが……二度目の事象には、少しばかり驚いていた。
「……あー、まぁ、ですよね。そうなりますよね」
ゆっくり、ゆっくりと、地面へと向かって降りながらつぶやいた、ハルの気の抜けた声に、サラがいつの間にか閉じていた目を開け、驚いた顔で周囲を見渡した。
雲一つ無い夜空には、随分細くなった月が、星々を従えて浮かんでいる。空を覆っていた雷雲は、ひとつの存在へと集束したので、もうどこにも無い。
……けれど、驚くべきは、無くなったものではない。
ばさり、と(おそらくはわざと)羽音を立てて、一羽の鴉がサラの肩に止まった。鴉……少なくとも形は他のどの鳥よりも鴉に似ていた。色彩は、一般的な鴉とは似ても似つかなかったが。
「白い、カラス……?」
と、どこか呆然とサラがつぶやいた通り、その鴉は、闇を染め上げる雷光の色彩をしていた。つまりは、紅蓮の時と同じことが起こったのだ。
「名前をつけないといけませんね」
「はぁ……」
「気の無い返事ですが、しっかり考えてつけてくださいね。貴女の侍獣ですよ」
「はぁ…………はぁ!?」
裏返ったサラの声を聞きながら、そういえばアルも似たような反応だったな、と、その時を思い出し、ハルは少し笑った。
自分が笑われたと勘違いしたサラの機嫌が急降下したのは言うまでもない。
ちなみに。サラの侍獣の名は刻銘に数倍する時間をかけて『白鴉』に決まった。地面にはハルが書き連ねた無数の精霊文字が残され、後日通りかかった者に謎の儀式跡と認識されるのは……まぁ、彼らが知ることのない話だ。
クラスチェンジイベント再び。
次はたぶんシグ回です。
「龍殺し(仮)」お楽しみに。