第6話 友達の友達
何を、やっているんだろう。
ジェイド=ヴィオラ=タルボはいっそ笑い出しそうな気分だった。
初めて会った時、13にもなって色づいていないウィルムハルトのことを見下していた。
けれどソイツは、再誕式前のどの子どもより……いや、下手をしたら大人も含めたこの村の誰よりも精霊術のことを知っていた。下に見ていたソイツのことを認めたくなくて、ことあるごとに反発した。
――そして、このありさまだ。
結局、何もかもがアイツの言った通りになった。
できると思ったことができなかった、だけならまだよかった。何より問題なのは、まともにできていなかったことに気付けもしなかったこと。これなら何もできなかった方がまだマシだった。
一人鬱々としていると、結構な勢いで頭をはたかれた。
「落ち込むより先にやることがあんでしょうが」
フォエミナが顎をしゃくった先では、アルムとウィルムハルトが水から上がろうとしている。
「自分がなにやったかわかってんなら、まずは謝って来な」
――自分が、やったこと。
この人は、どこまでを指して言っているのだろうと、ふと思ってしまった。けれどすぐに、どうでもいいことだと自覚する。自分がやったことは、正しく自分が理解している。
――なら、謝らないといけない。
フォエミナが再度用意してくれていた命綱を伝って、ジェディは水から上がって息を整えているアルムと、無垢と呼ぶにはくすんだ色の髪を絞って水気を払っているウィルムハルトのところへと下りた。
すぅ、と大きく息を吸って、頭を下げる。
「ごめん! オレのせいで迷惑かけた!」
「――それはいったい、誰に、何について謝っているのでしょう?」
白けたような、ウィルムハルトの言葉。
「ま、どうでも良いのでアルに任せます」
すまし顔が目に浮かぶ。コイツの、こういうところがずっと気に入らなかった。
どうでも良い、というのはきっと掛け値なしの本音なんだろうと思う。今まではこうもはっきり口にしたことこそなかったが、ジェディがどれだけ噛みつこうと、ウィルムハルトは一切相手にしていなかった。
悔しさに奥歯を噛むが、言い返すことはしない。できない。いくらなんでも、そこまで恥知らずにはなれない。言われるだけのことをした自覚はあるのだ。だから黙って、頭を下げ続ける。
「いや、オレが謝られるようなことはないだろ。考えが甘かったのはオレもだし。むしろオレの方こそ、ハルには謝らないと」
「いや、それこそもう良いですってば」ウィルムハルトはとても綺麗に微笑んで、
「二度とこういうのに誘わないでくれれば、それで」
致命の言葉を口にする。
表情が凍ったのは、ジェディだけではなかった。けれど凍り付いたまま動かないのはジェディだけで、すぐにルビアは困ったような、フォエミナは苛立たし気な表情になる。アンバーは皆の穏やかでない空気を感じてか、今にも泣きそうだ。
「お、おいハル! いくらなんでもそんな言い方は……!」
アルムは気遣うようにジェディを見遣るが、ウィルムハルトの笑顔は崩れない。
「アル。君は私の大事な友達です」
「お、おう」
アルムはいきなりの言葉に戸惑った様子だ。
「でも、君の友達と私は友達ではありません」はっきりと、ジェディの方へと顔を向けてウィルムハルトは言った「特に彼は、私のことを嫌っているようですし、関わらないのがお互いのためですよ?」
あぁ、コイツはすべてわかっているのだろうな、とジェディも理解した。
「一緒に指輪を探してくれただろ!?」
ただ一人、見当違いの主張をするアルムに、ウィルムハルトはため息をついて言った。
「場所を変えましょう。3人だけで話した方が良いでしょうから。私の家……では、きっと彼が落ち着かないので、アルの家を借りられますか?」
あと服も、と付け加えると、アルムは少しだけ笑って頷いた。
上を見上げ……いや、ウィルムハルト場合『視』上げと言うべきか。
「私たちは濡れたので先に帰ります。手伝ってくれている皆さんに伝えてもらっても良いですか?」
上に残っている三人に告げる。
代表して答えたのはフォエミナだ。
「いーけど。アンタ、そんなんじゃ何かあった時、誰も助けてくれないよ?」
諭すような言葉に、ウィルムハルトはいつものように微笑んだ。
「何かあった時、ですか。その時はきっと、誰にも助けられはしませんよ」
ありえない想像ではあるのだが。
コイツは自分が誰かに殺されようと、誰かを自分が殺そうと、こんなふうに綺麗に微笑んでみせるのではないか、と。ジェディはそんなことを想った。
「で、どういうことなんだよ」
家に着くなり、待ちきれないといったふうにアルムが言った。というか、本当に待ちきれなかったのだろう、ドアを開ける前に振り返って訊いたのだから。
「いや、まず着替えません?」どこか呆れたふうに言うウィルムハルトの声に、
「ちょっとどうしたのよその恰好?」それ以上に呆れた様子のヴィオラの声がかぶさった。
驚きではなく呆れなのは、弟の日ごろの行いの成果だろう。
「私が水に落ちそうになったのを助けようとして、一緒に落ちてしまったんです。迷惑をかけ通しで申し訳ないのですが、話すこともあったので、場所と着替えを貸してもらいに来ました」
ウィルムハルトの説明は、ある意味では正しいものだった。
「まぁ。それは別に構わないけれど……でも、意外ね」
「私が此処に居ることが、ですか?」
「いいえ? 冗談で言ったのに、本当に一匹も獲れなかったんだなぁ、って」
ちらりと視線が向けられた先は、手ぶらのアルムだ。
「いや獲れたから! ……って、あー、たぶん、誰かが届けてくれるとは思うけど……」
頼んでませんものね、と言ってウィルムハルトはくすりと笑った。
「で、どういうことなんだよ」
着替えが済むと、アルムはウィルムハルトに先の言葉を繰り返した。
閉ざされたままのその瞳がジェディへと向けられる。
「私の口から言って良いんですか?」
「……なんの話だ?」
唯一事情を理解していないアルムの言葉に、ジェディは「いや……」と呟いたきり、うつむいてしまう。
「自分で言った方が良いと思いますよ?」
再度促されるも、ジェディは言うべき言葉を見つけられない。
ウィルムハルトはため息一つつき、
「彼は指輪を川で見つけたわけではない、ということですよ」言った。
ジェディはこの言葉に、むしろ安堵すら覚えていた。
自分の口から言うことはできなかったが、内に秘めるには重くなりすぎてしまった真実。これで、糾弾されて、罰を受けて、終わりにできる、と。
「は? いやいや、明らかにあの時持ってたろ、ジェディが」
「はい、持ってました。川に向かう前からずっと」
「は……?」
ここまで言われても、アルムは察することができないのか……それとも、事実を認めたくないのだろうか。ジェディのことも、友達だと思っていたであろうから。
「嫌いな私の持ち物を隠す、そんな程度の気持ちだったのでしょう。隠したその後、どうするつもりだったかまではわかりませんが。アルが指輪の来歴について皆に説明し始めると、どんどん顔色が悪くなっていきましたよ。ひょっとしたら、他にも気づいた人がいたかもしれないくらいに。皆で指輪を探している時などは針の筵だったでしょうね。
あまり帰りが遅くなるのもいやだったので、彼を人目につかない場所に誘導したところまでは良かったのですが……指輪が川に流されてしまったのは正直想定外でした」
「いや、いや待てよ。だったら最初から全部話しとけば……」
どこか呆然とした様子で、アルムが呟く。
「私が彼を貶めるために自作自演をしている、などという筋書きになったのではないでしょうか」どこまでも醒めた表情で、ウィルムハルトはとんでもないことを言った「赤ん坊の言うことなんて、誰も信じませんよ」
これは、いったい、誰を貶める言葉なのか。
「そんなわけ……!」
怒りをかみしめるように言うアルムに、ウィルムハルトは微笑みを向けた。それはとても綺麗であったけれど、どこかいつもの表情とは違うもののように感じられた。
「えぇ、君は、君だけは信じてくれたでしょう。でもね、アル。私の友達はアルだけなんですよ」
ここまでで何か反論はありますか、と水を向けられ、
「どうせアルムはオレよりオマエの言うことを信じるんだろ」
ジェディはふてくされたように言うことしかできない。
「下手なごまかし方ですね。『はい』か『いいえ』で答えられる質問に答えないのは、答えたくないと言っているも同然ですよ? 他人を騙したいのなら、もっと巧くやらないと」
ウィルムハルトが微笑する。
――微笑。それは、この期に及んで嘲笑ですらなくて。
「ジェディ、てめぇ!」
素直に摑みかかってくれるアルムのなんと優しいことか。
「アル。喧嘩なら私が帰ってからにしてもらえますか?」
どこまでも、どこまでいっても冷静に、ウィルムハルトがたしなめる。
「なんでそんな落ち着いてんだよ……」
いっそアルムの方が泣きそうな顔をして言えば、ウィルムハルトは珍しく、少し考えるように間を取った。
「今、この場では言えません。私の内面に関する話を、彼に聞かせるつもりはありませんから」
「だからって……だとしても、コイツになんか言うこと無いのかよ……!」
「いえ、特には。そういうヒトだと思っていましたから」
熱くなる炎の色とは対照的に、色の無い少年の言葉にはまるで温度が無かった。
「は? なんで……そんなに付き合いもなかっただろ……?」
自分には見抜けなかったのに、とでも言うようにアルムが問えば、
「あぁ、ちょっと違いますね。正確に言うならば『そういうヒトじゃないと確信はできなかった』ですね」
相変わらずマイペースな言葉を返されて、悲鳴を上げるようにアルムは言った。
「だからなんで!」
「えぇと、判断理由、でしたか? 色彩です」
「色?」
「はい。魂の色彩です。たとえばアル、君ならあんなつまらないことは絶対にしない。そう、私は確信が持てます」
「そりゃあ……当たり前だろ?」
心底不思議そうに、アルムは首を傾げる。
「そう、『当たり前』と、そう言い切れる人です、アルは。接頭語として『バカ』をつけないといけないほどの正直者で、他人も自分も偽らない――いえ、偽れない。曲がったこと、自身が正しくないと思う行為を、君の魂は決して赦せない。
この世界のどんな炎よりも綺麗な赤。私はそんなふうには在れないので、正直、眩しいです」
ウィルムハルトはそっとアルムの炎の色の髪に触れて微笑む。
「……けなすかほめるかどっちかにしろよ」
くすぐったそうに頭を振って、疲れたようにアルムが言えば、ウィルムハルトは不思議そうに返した。
「――? 徹頭徹尾大絶賛のつもりだったんですが」
どうやらコイツにとって、バカ正直というのはほめ言葉らしい。
「話を戻しますね。君と違ってそっちの彼は絶対にしない、などと思えるような色彩ではなかった。だから実際やった時も、ただ思っただけです。
――あぁ、この程度のヒトだったのか、と」
最初から、一切の興味がなかった。そしてこの瞬間、はっきりと見限ったのだ。つまらないモノと、切り棄てた。見下していたのは、見下されていたのは、どっちだ?
思わず睨み付けるような視線を向けると、何の感情もこもらない声が投げられる。
「ここで怒るのは筋違いでしょう。自分で自分を貶めたのは、貴方自身です」
――あぁ。まったく、本当に、その通りだ。最初から最後まで、コイツの言っていることは正しかった。正しくて、正しくて、正しいだけだった。
「さて。彼について私が知ること、思うところは以上です」
ここへきてひとつだけ、ウィルムハルトは正確でないことを言った。そう、ジェディは思う。この人形じみた美形は、自分に対して何かを『思う』ことなど一度も無かったのだろう、と。こちらがしでかしたことに対して、何かを『思った』というだけで。
「嫌いな相手に絡んだところで誰も幸せにならないんですから、もう私には関わらないでくださいね」
いつもと同じ綺麗な笑顔で。ウィルムハルトは緑髪のジェイドにそう告げた。
結局。ジェイド=ヴィオラ=タルボは、ウィルムハルト=オブシディアン=エキザカム=ブラウニングに、嫌われることすらできなかったということだ。
普通担当の緑翡翠視点で、だんだんハル君の異常性が表に出てきました。
……出て、きたよね? ちゃんと描けていると思いたい。
あと、プロローグにつながるような発言もちらほらと。
前話のルビアちゃんはだいたい全部察しています。想定外に黒くなって素敵☆
というか、読者様含めてアル君以外はたいてい察してたという説もあったりなかったり。
実は4話でここまでたどり着く予定でした。キャラが増えると長くなりますね。
次はルビアちゃんの閑話「初恋にはまだ足りない」を予定しています。