第32話 職人たち
価格交渉は予想外に難航していた。
アイリス=ルチルが提示した下取り価格に、工房主である彼女の父――他の職人たちと比べるといささかひょろっとしている――の待ったがかかったのだ。
曰く、どれほど素晴らしい出来栄えでも、ウチで再現できなければ展示しても意味が無い、と。
もっともな意見だ、とルビアは思ったのだが、アイリス=ルチルはそれに真っ向から対立した。これほど素晴らしい出来栄えのものは、それだけで価値がある、と。いつの間にか手を止めていた工房の職人たちの大半がそれに頷いていたが、むしろこちらの方がルビアには理解できなかったくらいだ。
そして職人たちのこの態度に、ん? とルビアの胸中に疑問符が浮かぶ。先日彼女から聞かされた、女だから侮られている、という言葉と少々違う印象を受けて。
意見を戦わせている父娘の様子もそうだ。これはむしろ、女だから侮られているのではなく、その性別の不利を超えてどこまで行けるものか期待されているのではないだろうか。
他人のことが良く視えていたとしても、自分のことは意外とわからないものだなと、ルビアは自身の過去を想って苦笑した。父とのこと、それに何より、ウィルへの想いに気付いた時のことだ。
それはそれとして。喧々諤々のあの父娘は、放っておくといつまでも続けていそうだったので、ルビアはため息混じりに割って入った。
「再現できれば問題無いんですよね? その絵の画家なら此処にいますよ?」
と、背後から『画家』の両肩に手を乗せて前に押しやる。他人事の様に工房内を見物していたメアリーが目をぱちくりさせた。
「そりゃ本当か!?」「アンタがアレを!?」「どうだ、ここで働かねぇか!?」「ウチの絵師よりも上等だなぁ、オイ!」「るせぇ! どんだけ綺麗に描けても、早さが伴ってなきゃあ意味ねんだよ!」
アイリス=ルチルに匹敵する熱量を持った、アイリス=ルチルとは比べ物にならないむさくるしさのおっさんの群れに詰め寄られたメアリーが、心身ともに一歩引いて、ルビアに寄り掛かるような恰好になる。
……自分たちとは無関係にケンカを始めている職人も居たが、無関係なのでルビアは無視した。
退いたメアリーを自らの背にかばうように、スピネルが間に入る。この男、存外過保護だ。
「お嬢様にはやるべきことがありますので」
メアリーは保護者に任せておいて、ルビアは工房主との交渉に戻る。
「馬車にして何台分の絵があれば展示物に意味ができますか?」
「5台……と言いたいところだが、これほど完成度の高い絵なら、3台もあれば充分だろう」
「希少価値で値を釣り上げられますからね。あぁそうだ、せっかくだからもうひとつ希少価値を追加、ということで、メアリーにサインも入れさせましょうか」
聖女の名を聞いた工房主は僅かに反応するが、彼はすぐにかぶりを振った。
「それは値段のつけようが無い」
もし本当なら価値が高すぎるという意味でそうだし、ミスリードである可能性を考えれば、そこに金を払うのは商売人ではなく博徒の類だ。
彼の言わんとするところを正しく読み取って、ルビアは誰かのように微笑んだ。
「はい。ですから、あくまでおまけとして、です。私たちも急ぐ旅ではありませんが、金儲けのためだけに長期滞在する余裕も無いので。新しい馬車ができるまでの間に描けるだけ――最低一台分は描き上げてもらって、残りは旅先から此処へ送る形にしたいんです」
「そのための希少価値、というわけか。だがさすがに1台だけというのは……」
工房主が難しい顔をする。信頼が足りない、ということだろう。自らの名と精霊に誓った契約をしたところで、精霊術を棄てるつもりさえあればそのまま逃げられる可能性もあるのだ。2台あたりが落としどころか……と、職人というより商人といった印象の工房主と対峙するルビアが考えていると、
「アタシがついてって取り立てれば万事解決じゃない?」
職人でしかないアイリス=ルチルがとんでもないことを言った。
「なお悪いです!」絶句した彼女の父に代わって、というわけでもないのだが、ルビアは思わず声を荒げた「私たちが犯罪者なら、みすみす命を棄てるようなものじゃないですか!?」
「犯罪者はそーゆーこと言わないと思うケド」
さらりとそう返されて、今度はルビアも絶句する。
「眼には自信があるんだ。アンタたちはそんなんじゃない。
そんな色彩は、していない」
あぁ、どうにも自分は頭で考えすぎなのかな、とルビアが内心苦笑していると、一行随一の感覚派、アルが首を傾げた。
「……だったらそもそもついてくる意味無いんじゃあ?」
アイリス=ルチルは「しーっ!」と唇の前に人差し指を立てるが、今更だ。要は同行したいだけらしい。
「なんでまた?」ルビアが率直に問えば、
「学ぶことが多そうだから。広い世界からも、アンタたちからも」と、簡明直截な答えが返る。
遂には彼女の父親まで「良い機会かもな……」などと言い出す始末。
それで良いのか、職人父娘。と、ルビアが一行の(一応)責任者であるメアリーに同行の是非を問えば、
「いーんじゃない?」と、これまた軽い返事が。
「……私が怪我して思いつめてたヒトのセリフとは思えないんですけど……」
いったいどういう心境の変化なのかと問えば、
「だって。今後は馬車にこもって防衛よね? 紅蓮をこっちにつけたとしても、スピネルとアルが自由に戦えるなら、どうとでもできるでしょ」
あと二人までなら守れるね、と微笑むメアリーに、馬車を同じサイズで作るなら、乗れるのはあとひとりだけだとルビアは訂正した。
めでたく、なのかどうかはまだわからないが、同行者がひとり増えることとなった。アイリス=ルチル=オレンジバレー、馬車の整備担当である。
「アイリス? ルチル? どっちの名前で呼んだらいい?」
同行者となる少女に改めてアルが問えば、
「んー……アイリス、ってのは女っぽすぎるんだよねぇ。だからってずっと男の名前で呼ばれるってのもなんだし……なんか良い感じのあだ名ない?」
アイリス=ルチルは肩を竦めて返す。
「アイリスだとアイリ、イリスあたりが一般的ですが……更に女性らしくなりますね」と、まずスピネルが一般論を述べ、
「でもルチルって、短いから普通そのままよね?」メアリーが続ける。
ルビアは何も言わず、アルに視線を向けた。こういうの得意ですよね、と、ウィルムハルトを『ハル』と名付けた彼に委ねる。
「ルッチ、とか?」苦笑交じりにアルが言えば、
「あ。ぽい。」思わず、といった感じでメアリーがこぼし、
「――似合いますね」スピネルも頷く。
ルビアはただ彼女に笑顔を向けた。
「似合うかどうかはわかんないケド、アイリやイリスよりはずっと良いね」
そういうことになった。
新しい馬車を組み上げるだけなら半日もかからない程だというが、そこからルッチが彼女独自の加工をするので、3日はみて欲しいと言われた。その間にメアリーが馬車一台分の内装を手掛けることになる……の、だが。
最終的にかかった日数は5日であり、費用の方は手持ちの7割ではきかず、9割近くを費やすこととなった。機能的には費用対効果を考えても文句のつけようがないレベルなので、スピネルだけでなくルビアも職人の熱意に押し切られた形だ。
外装は予定通り、精石を星図の形に配置し、その外側を薄めの装甲板で覆う。厚みこそ無いが、衝撃を良く吸収するように加工されたそれは壊れるのが前提であり、その度に新しいものと交換する仕様だ。
ちなみに内装に関しては、入り口正面と天井を除いた3面は素材の地のまま、手つかずである。とりあえず人目に付く部分だけを整えた形だ。なので、奥の窓は当分開けられないことになる。メアリーはそれとは別に、あと2面分の絵を描き上げていた。2台目は完成品ではなく、パーツに描いている。この国を出るまでに2台分完成させておきたいので、自前の馬車は後回しである。
同じサイズの馬車の壁を運ぶことなどできないので、残る3面は旅先の材木屋でルッチが同じ素材を探すことになっている。ルビアが思い至っていなかっただけで、彼女の同行は必須だったようである。
最後の1台は長期滞在予定の学究都市で設えて、ルッチがそれに乗って帰る予定となっている。あくまで予定なので、彼女の気分次第でもっと先まで同行するかもしれないし、状況によってはアルとルビアが彼女に同行して戻って来ることもあり得るかもしれない。
先のことは、まだ誰にもわからない。
ルッチが仲間になった!(RPGのナレーション風味)
国どころか街すら出られませんでしたが、どうにか一週間には間に合わせました。実質一晩で書き上げてます。
この街での滞在期間が予想外に伸びたので、次はまた視点をハル君側に戻します。
次回「淡雪水晶」次もなるべく一週間以内に。