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色彩の無い怪物は  作者: 深山 希
第二章 無彩色の楽園と蒼紅の旅路
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第31話 護るちから

 夜明けのルチル工房に悲鳴が響き渡った。


 工房、というだけあって金属音やら槌の音やらでやかましいくらいだったのだが……少女の悲鳴はそれらの全てを呑み込んで響き、時間が止まったように工房の音も停止した。


 悲鳴の主は……まぁ、言うまでもなくアイリス=ルチルだ。

 ……悲鳴の方は、思いのほか女の子だった。


「いったい何があってこうなったの!?」

 メアリーたちの傷だらけになった馬車を見て訊いた――と言うか、詰問した涙目のアイリスに、ルビアがらしくもなく歯切れの悪い説明を始める。


 ことの発端は前日、少し早めの野営準備に入った時にまで遡る。




 移動中、メアリーは眼の鍛練を、アルとスピネルは交代で御者と眼の鍛練をした。アルの特性を考慮して、御者はスピネルと交代で行うことになった。効率だけで考えるなら、ずっとアルが手綱を握っている方が良いのだろうが……急ぐ旅でも無いからと、スピネルはアルにだけ任せるのを断った。

 本音は報酬が更に上乗せされるのを嫌ってのことで、ルビアもそれを察しているのだが、メアリーは気付いていなし、おそらくアルもそうだろう。


 メアリーに気付けたのは、道中、ルビアが何か考え事をしている様子だったことくらいだ。それが何かをメアリーは訊かなかった。

 どうせ新しい金儲けに関してだろうと、ルビアが聞いたら心外だと憤慨しそうなことを半ば以上確信していたからなのだが、そうではなかったのだと、ルビアの提案で少しばかり早めに始めた野営の準備中に聞かされることとなる。


「戦闘時に、私にもできることは無いか考えていました」


 彼女のこの言葉に驚愕したのはしかし、メアリーとスピネルだけだった。貪欲とすら思えるルビアの向上心は二人にとっては驚きだったのだが、アルに言わせるとそうでは無いらしい。


「並び立ちたい、って思う相手がハルだからな。戦うことは専門外、って切り捨てるわけにもいかねぇだろうよ」


 彼らの先生にとっては、世界の全てが敵なのだ――などとは知らないメアリーは、存外文武両道なのかな、と的外れな感慨を抱いた。


「ひとつ、試したいことがあるので手伝ってもらって良いですか?」


 アルに向けて言ったルビアが、準備した焚火のすぐそばに一本の枯れ枝を置いて、ひとつの術を発動させる。文言から大気に関連する術だとメアリーは理解したが、その簡素な術が何を目的としたものかまではわからない。

 まとめて燃やしてみてください、と頼んだルビアに応えて、アルは即座に着火する――が、火が灯ったのは焚火の方だけだった。

 間違いなく、一度は炎に包まれたはずの一本の枯れ枝には何の変化も無い。


「……どうやら、巧くいったようですね」


 安堵の笑みを浮かべたルビアに、一体なにをやったのかと訊いたのはスピネルだったが、ルビアが大気を操作して何をやったのかは、メアリーにも不明だ。


「空気がないと物は燃えないので、枯れ枝の周囲に薄く、空気の存在しない場所を作りました」


 術を解除したルビアが、ひょいと枯れ枝を拾い上げて、焚火の中に放り込んだ。成功です、と軽い様子で微笑むが、それはそんな、

「そんな簡単な話ではないでしょう!」


 ――と、スピネルがメアリーの思ったことを代弁してくれる。


 空気が存在しない場所など、メアリーには水の中か土の中くらいしか思いつかない。そんな気軽に作り出せる状況ではないと思うのだが……


「そんな難しいことか?」

 アルが言って、言葉すらもなく焚火の火を消して見せた。


 メアリーとスピネル、二人の目が点になる。

「……今、何やったの?」呆然と問うメアリーに、

「火ぃ消しただけだけど?」それが何か、と言わんばかりにアルが答える。

「だからどうやって!?」意味がわからないとメアリーが叫べば、

「いや、どうって……」「あー……」戸惑うアルとは対照的に、ルビアはそういうことか、と苦笑してみせた。


「つまりこれもウィルムハルト式、ということなんでしょうね」

「あー……」納得した、とアルもまた苦笑する「ウチの村じゃ、当たり前にみんな覚えた消火方だけどな……」

「まぁ、私がやった耐火の方はおおざっぱに覆うだけと違って、少し細かい制御が必要になりますが……根っこの原理が一般常識から外れてたんですね」


「また彼ですか……」

 メアリーの感情を代弁するように、スピネルが疲れたため息をついたのだった。


「まぁともあれ、これで襲撃に遭った時には馬車にこもれますね。私たちが呼吸するための空気を内側で作らないといけないですけど、これは緑――植物系の色彩を使えばそう難しくはないでしょうし」

 これなら私だけで両方まかなえそうです、そう言って微笑むルビアは、アルのようにわかり易く規格外ではないものの、同程度に常識からは外れているのかもしれない。


 ならば。


 それならば、この二人をして更に非常識だと言わしめるウィルとは、いったいどれほどの人物だというのか。メアリーには、もう想像することもできなかった。


 ザ・非常識ズのことを理解するのは諦めて、メアリーは次に馬車を使って実験することを提案した。スピネルもそれに賛同し、第二実験に移る……前に、ルビアが慎重論を唱えて消火用の水を汲みに行った。小さな火なら紅蓮に食べさせることも可能なのだが、念には念を入れて、とのことだ。

 本当に、彼女は油断しない。スピネルも感心し通しだ。


 そうして万全の準備を整えて、更に先程よりも分厚く空気の無い場所を作るという念の入れようでルビアが耐火の術を構築し、そこへアルが火を放った。


 メアリー達にとっては最大とも言える財産の馬車が炎に包まれる光景は、あまり心臓に良いものでは無かったが……一瞬の後には、焦げ跡ひとつついていない黒塗りの馬車を再度見ることができた。


「凄い! 完璧ね!」

 メアリーの称賛にルビアは微笑し、おもむろに術を解除して……


 ばしん! と、不意打ちの大音量が響く。


 馬車の周りで空気が激しく渦巻いているのが、ここ最近は今まで以上に眼を鍛えているメアリーには視えた。

 そして見るも無残な姿に変わり果てた『財産』の姿もまた、見えた。


 空気の無い部分を厚くし過ぎたのが逆に良く無かったのだと、後になってルビアは語った。術を解いた時、そこに一気に空気が流れ込んでしまったせいで、風の刃で無数の切り傷のようなものが刻まれてしまったのだと……状況を整理して、あまり時間を置かずにその結論にたどり着いたのだから、ルビアはやはり凄いとメアリーは思う。けれど。まさに自体が起こった時のルビアは。


「えー……」

 嘘ぉ。と言わんばかりの表情でぽかんとしていたのだった。


 そのルビアの反応に、スピネルが吹き出した。あはは、と、声を上げて楽し気に笑う。

「あーにぃがそんなふうに笑うの、久しぶりだね」

 思わず力が抜けて、メアリーは子どもの頃の呼び方をしてしまう。アゲートだったから『あー兄』と、小さい頃はそう呼んでいた。当時を思い出させるような無邪気な笑い声。むくれているルビアには悪いが、むしろ彼女の失敗には感謝したいくらいの気持ちだった。


「いや、ごめんなさい。でも、そうですよね。ルビアだって失敗はしますよね」

「私を何だと思ってるんでしょうね、スピネル君は」

 むぅ、と不満げに頬を膨らませるルビアに、スピネルは再度謝って言った。

「いえ、なんというか……今までは、何でも問題無くこなしてしまう印象があったので。言っては悪いですが、失敗してくれて安心しました」


「あー、じゃあ安心したところで、」

「修理費は折半で良いですね?」

 商人に何かを言わせる前にスピネルが言い切った。

 やらせたのは確かにメアリー達だが、同意してやったルビアの方にも責任が無いとは言い切れない。むしろ半分、というのはスピネルとしても妥協している方だと思う。それがルビアにも理解できたのだろう、

「……はい」

 そう、素直に頷いた。


 しおれているルビアは、同性のメアリーから見ても可愛らしかった。




 そんなことがあってルチル工房である。

 復路は急ぎということで、アルがずっと御者を担当した。


「ぱっと見は酷いアリサマだけど、ひとつひとつの傷そのものはあまり深くないのが不幸中の幸いだね。一番価値のある中身が無事で良かった……」

 見分を終えたアイリス=ルチルが、ようやく落ち着いた様子で言った。それにメアリー達は胸をなでおろそうとするが、残念ながら話はそこで終わらない。


「傷がついた部分を削ると、さすがに薄くなりすぎて実用に耐える丈夫さじゃなくなるよ。かと言って別の素材を重ねたところで、バランスが悪くなるから結局は同じこと。完全に壊れるのが少し先になるだけだろうね。

 内装の花の絵が布にでも書かれてたんなら、はがして張り替えられたんだけどねぇ……」

 どうしたものか、と腕を組むアイリス=ルチル。


「あー、じゃあ、ちょっと手間だけどもう一度描くよ」

 しょうがない、とメアリーが言うと、スピネルが呆れ顔でかぶりを振った。

「お嬢様、あの絵の画家が今何処に居るのか知っているんですか? 仮に知っていたとして、此処に呼ぶにしろ、素材を其処に運ぶにしろ、どれだけの費用がかかると……」

「いや知ってるも何も。此処にいるよ?」

 言い募ろうとしているスピネルを遮って。メアリーはこともなげに指差した。


 ――自分自身の、顎先を。


「……は? ――はぁ!?」

「うん、その二段階びっくりちょっとムカつく」

「いやいやいや、前にお嬢様が描いた私の似顔絵、この時代の人類には早すぎる感じでしたよね!?」

 ぷっ、と、今度はルビアとアルが吹き出した。先日の仕返し、というわけでもないだろうが。そして笑われたメアリーもまた釈然としない思いだ。


「人物画は苦手なだけだし。だって生き物って動くじゃない」

「そりゃ生きてますからね」

 そんな主従のやりとりの裏で、

「あー、なんかウチの緑翡翠とコラボさせてみたいかも」

「あぁ。凄い作品が仕上がりそうですね」

 友人たちがそんな言葉を交わしていた。


「んー、それじゃあこの馬車は傷の部分を削って、外装は塗りなおしたのをウチで展示用に買い取る、ってのでどう? いわゆる下取り、ってヤツ。新しいのをウチで仕立ててもらえるなら、内装はそっちに任せられるわけだし、精石の防御機構を積んでもかなり安くできると思うけど」


 職人の提案に、スピネルとルビアが早速交渉を始める。二人が頷いているので、良い条件なのだろうと、メアリーはほとんど他人事の心境で考えていた。


 ――が。


「可能な限り良い物を仕立てましょう。蓄えの七割がたをここで吐き出す勢いで」

 そのルビアの聞き捨てならない発言に、しかしスピネルはというと「そうですね」などと軽く頷いている。


 さすがにメアリーは待ったをかけたのだが、

「うん、旅費くらいメアリーが絵を描けばなんとでもなりますよ」

「捨て値で売っても儲けが出ると思います」

「なんかオレが一番役に立ってない気がしてきた」

 ルビアがぞんざいに保証して、スピネルは呆れたように続け、侍獣持ちで最大火力のアルが本気とも冗談ともつかないぼやきを漏らす。


 ルビアとスピネルがそう言うのなら大丈夫なのだろうと、メアリーは交渉事は二人に任せて見慣れない工房を見渡した。馬車以外にも作っているのか、それとも馬車のパーツなのか、素人目にはまるで判別のつかない素材が所狭しと並んで……いや、あまり並んでいるという感じでも無いが、とにかく大量の素材が工房内にあふれかえっている。

 槌音も随分前からまた響きだしてはいたが、不思議とルビアたちの声はそれにかき消されることは無かった。


 外装はやはりあまり目立たないように、というスピネルに、アイリス=ルチルは顎に手を遣って考え込む。

「んー……それじゃあ、薄い外壁の内側に精石を埋め込んで、防衛機構を発動させた時だけ光が浮かび上がるようにするのはどうだい?」

「ふぅん。なんか星みたいだな」

 なんとなく、という感じで呟いたアルに、ぎゅん、と音がしそうな勢いで振り向いた職人は、ずい、と音を立てんばかりにアルに詰め寄って叫んだ。


「それだ!」


「お、おぅ。なんか懐かしい距離感だな……」

 軽く上半身をのけぞらしながらアルが苦笑する。なんとなく、ウィルのことを言っているのだろうな、とメアリーは感じた。変人だという話だし。


「精石の配置はいっそ星図にすれば良い! 外壁の夜空に浮かぶ精石の星……くぅぅ、腕が鳴るっ!」

 際限なくテンションを上げていく職人娘に、こちら側の商人娘が予算という冷や水を浴びせかけている。おまけというわけではないが、更にスピネルもいることだし、アレは任せておいても大丈夫だろう。

 メアリーは、次の馬車にはどんな花を描こうかと、そのことに思いを馳せた。


 とりあえず、緋衣草サルビアを追加することだけは確定している。

遅くなってしまいましたが、何とか年内に間に合いました。

ちょっとリアルでいろいろありまして。いや、家族に忘れられるって、存外キツイものですね。いえ、記憶喪失とかそういう劇的な話ではなく、単純に老いによるものなのですが。

またメメント・モリみたいなお話上げるかも? 需要あるか微妙ですし、もちろんこちらが優先ではありますが。


次は馬車の改装で一話使う……のか? そろそろ国境を越えたいところでもありますが、ここでのあれやこれやがどれだけ長引くかわからないので未定とさせていただきます。とりあえず目標は一週間以内の更新で。

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