第29話 夢幻の桜花
風花、という言葉がある。晴天の下、舞い散る雪を花びらにたとえたものらしいが、今此処で舞い落ちて来る花びらは、逆に雪のようであった。
手で触れたら消えてしまう花弁など、ハルは旅暮らしの頃にも、前の不入の森でも見たことが無かった。足下を見れば、花弁は降り積もることは無く、世界に溶けて、消えて逝く。輝煌の流れで、桜の樹に循環しているのがわかった。
――そして、果実が実る。
「……これは……チェリー、ですか?」
「そうだよ。これが最初に言った、桜がこの辺りでは花として認識されない理由。チェリーの樹、チェリーの花、っていう扱いだからね」
「なるほど。だからこの場所で花が散ったわけですか」
本来なら精霊が濃密すぎるこの場所では、果実は実り続けて朽ちることはなく、花は咲き続けて枯れることはないはずなのだ。
――と。そこまで考えて、気付く。
むしろ何故今まで気付かなかったのかと、ハルは自分自身に呆れた。野菜や果実、ひとがそう認識しているものにも花は咲く。なのにそれらは此処では常に実っていて、花として咲き続けているのは、ひとが『花』だと認識しているものに限られている。
――精霊は人間の想いに反応する。
つまりは、そういうことなのだろう。ひとがどう認識するかによって、花は花に、実は実へとその状態を固定されている。魔境であるこの場所は極端な例だが……概ね世界は、ひとの想いによって形作られている。
だとすれば、天災の類はひずみ、だろうか。数多のひとの認識が巧く統合されなかった結果だと考えれば……
「――おーい、魔王クン?」
「はい? どうかしましたか?」
呼びかけにハルが顔を上げれば、サクラは何故か呆れ顔だった。
「それはボクのセリフだよ。いきなり考え込んで、どうしたんだい?」
「ん……あぁ、いえ。ちょっと世界の在り様について考えてました」
「随分思考が飛んだね!?」
「あれ? そですか?」
「……あー、趣味嗜好に関してはボクの同類だけど、思考形態はおばあちゃん寄り、かな? 何か閃いたら思考の全てがそっちを向くよね。で、没入して思索が展開されていくから、他人が結論だけ聞いても意味が分からない。サラもわりとそいうところあるけど……」
やれやれ、とでも言わんばかりのサクラを前に、ハルは小首を傾げて問う。
「――? 作家のサクラさんは違うんですか?」
サクラが固まった。
「………………あ、あれ? ひょっとしてボク、自覚してなかっただけ……?」
「可能性は高いんじゃあ? 物語を創るのなんて、自己への没入の最たるものでしょうし」
「うわぁ。」と、サクラは両手で顔を覆ってしまう。
「創作活動は別に恥ずかしいことじゃないと思いますけど」
「違うよ! そっちじゃなくて……したり顔で『困ったひとだよね』的なことを言っちゃったのが恥ずかしいんだよ!」
「あー……」これにはハルも返す言葉が無かった。
「でも、少し惜しいですね」
実ったチェリーをひとつ摘み取って、なんとはなしに夕陽にかざしたりなどしながらハルは呟く。少し時間を置いて落ち着いたサクラが「何がだい?」と返した。
「いえ、月明りの下で観る桜の花も、きっと綺麗だっただろうな、と」
夕暮れで散ってしまうのは少々惜しい、と感じるハルだ。
「見惚れてたのは一瞬で、すぐに小難しいことを考え出したのに?」
サクラがクスリと笑う。
「そこは逆に考えましょう。一瞬でも思考のすべてを持っていかれたのだと」
「まるでボクみたいな小賢しい物言いだね」
「同類みたいですからね」
軽妙な、小気味の良いやり取り。ハルはそこに懐かしさを覚えた。
「いつか……」と、気が付けばそんな言葉が口を突いていた。言った後で、自分は何を言おうとしたのかと考えて、ハルは続きを口にする「いつか、此処を出ることがあったら。その時は一緒に、月夜の桜を観ましょうか」
それは最初に浮かんだ言葉とは違うものだったが。サクラに向ける言葉としては、これで良い。叶わない願いを口にしても意味が無い。
摘み取ったチェリーを口に含むと、甘酸っぱいと表現するには甘みが足りないようにこの時のハルには思えた。そのまま食べるよりも、たとえばタルトやパイなどのお菓子に加工した方が、ハルの好みには合いそうだった。
不意に、サクラが手を伸ばしてハルの頬に触れた。
最初のやり取りもあり、思わず身を引きそうになったハルだが、自分から触れるのでなければよかろうと、されるがままにした。
「……なんでしょう?」小首を傾げてそう問えば、
「――あぁ、ごめん。なんだかキミが、此処の桜の花のように消えてしまいそうに思えて、つい。」まるで淡雪のような笑顔だったよ、と。サクラはそう言ってハルの頬を撫でた。
「私はちゃんと此処に居ます。溶けて消えたりしませんよ」
頬に触れるサクラの手に、自分の手を重ねてハルは微笑む。
「あぁ。そのようだ。それにしても、花のように儚げだなんて、およそ男の子の特徴じゃないよね」
「まぁ、無駄に美人、なんて言った友達も居ますし、わかり易く男性的ではないのは自覚していますよ」
クスクスと、笑い方は随分女の子らしく、サクラが言う。
「巧いこと言うね。例のルビアさん?」
「いえ。これを言ったのはもう一人の――私の最初の友達の、アルです」
「ふぅん。愉快な友人が居たんだね。会ってみたかったな」
居た。会ってみたかった。そう語るサクラは、状況を良く理解している。此処の皆があの二人と会うには、それこそ世界を変えるか騙すかしなければならないだろう。つまりは、不可能ということだ。
「まぁ、アルとルビアのことなら、いずれ話す機会もあるでしょう。私という存在の大半を占めている二人ですから」
「……なんと言うか、『大好きです』だとか言われた身としては少し妬けるね」
からかうように片目を閉じて、サクラは跳ねるように身を離した。
「それはそれとして、ボクの銘は決まったのかな? あ。種は根元に捨てれば吸収されるよ。花弁と一緒」
ハルはありがたく口内に残っていたチェリーの種を、家の裏手に捨てた。
「サクラさんの色彩は、どう考えても桜の花の色ですね。夢、幻の如くに舞い散る夢幻の花――それは泡沫の夢を魅せる物語にも通じる。一夜の夢、儚い幻想……花の宴――花宴というのはどうでしょう?」
「随分シンプルにまとめたね」
「フラワリィ、ミラージュ、ファンタジア、そのあたりの言葉が浮かばないでも無かったですが、長くても逆に野暮かな、と。」
「うん、そうだね。花宴、気に入ったよ。
……そう言えば、魔王クン自身は銘、あるのかい?」
問われて、ハルは誇らしげに笑って告げた。
「はい。元色と。アルが付けてくれました」
「あぁ、本当に会えないのが残念だ」
サクラの嘆きは結構本気のようだった。
その後。夕食の席ではサニーに「あ。今日は元気そっすね」などと笑われたり、
ハルとサクラの分だけ軽めの夕食が用意されていて「どうせ昼ごはんは遅くなったんでしょ?」とカレンにジト目を向けられて二人して首を竦めたりするのだが、それはまた別の話だ。
お待たせしました。
早いどころかまた一週間以上かかってしまいましたが……相応のクオリティを維持できているかどうかは、読者様の判断に委ねます。
さて、蛇足かもしれませんが、文化圏が違うのでひとつ補足を。『チェリー』には英語圏では『初恋』という意味があるそうですよ。
次は予定通り蒼紅サイドに視点を移します。
次回「護るちから(?)」ご期待ください。