第27話 蛍石
「……まおくん、なんか疲れてないっすか?」
夕食の席に着いたハルを、サニーが覗き込んで言った。
「……正直、今すぐ帰って寝たいです」
ぐてっ、とハルはテーブルに突っ伏す。
ニクスについて、子どもの相手をするようなものだと昨日のハルは考えたが、それは大きな間違いであった。精獣に育てられた彼は、どちらかと言えば野生動物の方が近かった。
「倒れる程走ったのは、記憶にある限り初めてですよ……」
そこまでやっても彼はまだ不満げなのだから、何というか、負けた気分だ。
「やー、なんてゆーか、お疲れっす」たはは、と苦笑するサニー。
「けど、今すぐ帰るのはやめた方が良いね。カレンが怖いよ?」
いやに実感のこもった言い方をしたのはサクラだ。
――そういえば、彼女は実体験があるんだったか。
「わかってますよ。だから此処へ来たんです。食事をおろそかにすると、父さんにも良く叱られたんで」
「あぁ。でも集中してると、食べるのって面倒だよね?」
「わかります」
「わかるなっ!」
ツッコむ、というか、叱りつけたのは言うまでもなくカレンだ。まぁ、ハルとしても生物としてだいぶダメな会話だった自覚はあるので、言い返すことはしない。
「どうしよう。面倒なひとが増えた……」
料理をテーブルに置き、頭を抱えるカレン。ハルが「面倒をかけます」と言うと、カレンは両手でばんばんとテーブルを叩いた。
「自覚あるなら! 改めてよ!」
「昔の偉い人は言ったそうですよ? 『わかっちゃいるけどやめられない』って」
「ああ言えばこう言う……!」
「こう言われたらああ言えば良いみたいだよ、魔王クン?」
「覚えておきます」
「あー、二人とも? さすがにカレンがかわいそうになってきたんすけど……」
悪ノリの代名詞みたいな人物にたしなめられた。
と、同じようなことを考えたのだろう、きょとんとしているサクラと目が合って、ハルは彼女と苦笑――ハルの方はおそらく苦味が足りていない――を交換し、
「うっわ。この二人、セットだとタチ悪いっすねぇー」
いろいろと察したらしいサニーにジト目を向けられるのだった。
「セットになるのがサニーでなくてまだ良かったけどねー」
フォローした相手にまでそんなことを言われたサニーは「ひどいっす!」と、ちょっぴり涙目だった。
夕食としてカレンがハルに用意したのは、消化に良さそうな麦粥だった。その気遣いは素直にありがたかったが、それでもハルの食事に関するスタンスは、カレンではなくサクラの側である。こればっかりはどうしようもない。
食事中、ハルが建国に関する考えをサラに告げると、「そうですか」と予想に反した淡白な反応が返って来た。
「意外です。サラさんは国を興したいのかと思ってました」
「今此処に居ない者たちは、そう考える者が多いでしょう。けれど私は、此処の皆を危険にさらしたいとは思いません」
――苛烈さは、家族を想えばこそ、か。
ハルはまた、彼女に好感を持った。自分の好意など彼女には不愉快であろうから、口に出しては別のことを言う。
「アレはあくまで選択肢のひとつ、ということですか」
「はい。ですが陛下がそれを選ぶのであれば、私たちはそれに従います」
ハルはかぶりを振った。
「蛇が居るとわかっている藪を突くこともないでしょう」
「藪ごと焼き払っておいた方が良い類の毒蛇かもしれないわよ?」
物騒なことを言った夕顔に視線を向けたハルに、修道服の元暗殺者は目だけが笑っていない笑顔で続けた。
「魔王サマは、ひとの悪意を軽視してはいないかしら?」
完璧な笑顔を以って、魔王は答え……いや、問い返す。
「そう長くはない私の人生で、ひとから殺されかけたのは二度――内一回は、それなりに親しくしていた知人たちでしたが……不足でしょうか?」
「その『知人』の親しさにもよるんじゃないかしら? ただ、ひとつだけ覚えておいて? この世界には、死ですら慈悲になるような、なってしまうような、そんなおぞましい悪意も存在するのだと」
優しい猛毒と、まさに慈悲としての死をその銘としてハル自身が名付けた女性が、からかいの混じらない眼差しでハルを射抜く。
首肯するハルは、言葉にはせずに思う。どうかその悪意を本当の意味で理解するのが、夕顔以外では自分だけであるように、と。それはきっと、まっとうな精神では耐えられない類のものであろうから。
「ユウちゃんはたまーに怖いこと言うっすよねー。
それでまおくん? 明日はどうするっすか?」
場の空気を換えてくれたサニーに感謝しつつ、ハルは隣の席に視線を向けた。
「フロルさん、お願いできますか?」
言葉数の少ない、緑の少年に声をかける。
「ちょっ! 今どぉ考えてもアタシを誘う流れっすよね!?」
「え……? サニーさんとは此処で良く話してるし、後回しで良いかな、って」
「ほんっと、アタシの扱いひどくないっすか!?」
ハルはこてりと小首を傾げた。
「いえ、サニーさんにはいつも助けられていると思ってますよ。私には到底できないことをしてくれる貴女を、私は心から尊敬しています」
褒められることには慣れていないのか、顔を伏せたサニーの耳は真っ赤だった。さすがにそこをあえて突こうとは思わずに――何も考えずに突きそうなルナは夕飯に夢中だ――ハルは再度フロルを誘い、了承を得た。
延び延びになっていたが、この森の管理者とはなるべく早く話をしたいと思っていたのだ。楽園に責任を持つのであれば、それは最重要とも言えた。
「まおにぃ」と、その少年はハルのことを呼ぶ。
それならもう魔王にこだわらずとも、ウィルで良いのではないか……などと思わないでもなかったが、今更なので諦めていた。そもそもまともに名前で呼んでくれた相手はアニーくらいのものである。
意趣返しにサニーを真似て、彼のことをフローラと呼んでやろうかとも思ったが、ケンカがしたいわけではないので自重することにしたハルである。
ちなみにサニーとフロルは仲良くケンカしていた。
フローライトでフローラというのは、ウィルムハルトでハルというのに匹敵する力技だ。……というか、サニーの命名は力技でないものの方が稀だ。
森の主に手を引かれ、ハルは森を巡る。
「まだ行ってないとこ、あんないする」
と、言ったフロルは、この森でハルが行ったことのある場所を完全に把握しているらしい。森は自分の体同然だと言うフロルに、ニクスも見つけられるのかと問えば、少年は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ニクスにぃ、別。異常。見つからない」とのこと。
森に在って森の主を欺くことは、野生動物を欺くよりも難易度が高そうだ。
「あ。」と、唐突にフロルは足を止めた。「この先はサニーのたんとう」と言って進行方向を変えるが、ハルには何のことかまったくわからない。
ニクスは『ニクスにぃ』でサニーが『サニーねぇ』でないのは、彼女とは普段から仲良くケンカしているからだろう。
更にフロストの担当地だというあたりで踵を返し、最終的に案内された先には……畑があった。麦に根菜、葉野菜と、知識のないハルから見てもでたらめな並びをしていたが、それでも……
「ちゃんと、畑ですね」少しばかりの驚きと共にハルが言えば、
「あたりまえ」少々ムッとした様子のフロルが答える。
「いや、えっと……この森でなら、別に土を耕したりしなくても、種を撒きさえすれば勝手に実るでしょう?」
「あんまり雑だと、森に負担がかかる」
最年少であっても、この少年こそが森の管理者なのだと、ハルは改めて納得した。輝くような緑の髪は、陽光を受けた木の葉のようで。ハルは一目見た時から思い浮かんでいた銘を少年に伝えた。
「君の銘はやはりこれ以外にあり得ないですね――常若」
「エヴァー、グリーン……?」
「朽ちることの無い色鮮やかな緑、不朽という意味ですよ」
ここまでずっと手を握ったままだった少年は、ハルを見上げて屈託なく笑った。どうやら気に入ってもらえたようである。
「じゃあ、こんどは、まおにぃの番」
「――私、ですか?」
「ん。森の外の話、聞かせて」
森の外? とハルが問い返せば、此処しか知らないから、と返される。閉ざされた森の管理者は、生まれも育ちもこの森なのだそうだ。
一時期旅暮らしだったハルの世界は、比較対象を同世代の子どもに限定せずとも、充分に広い。アゲート王国を出たことこそ無かったが、話のタネには事欠かなかった。
改めて振り返ってみれば一年足らずでしかなかったあの村での出来事が、他のどんなものよりも鮮烈で、克明に記憶に刻まれていたことに対するハルの驚きは……今更、なのだろう。友達との記憶なのだから当たり前だ、とアルあたりには呆れられそうだった。
フロルが聞きたいであろうことは、ひとではなく物や場所だと思われるので、村での暮らしに関しては省くと、途端に記憶は色あせた。
ハルの世界に色をつけたのは、あの炎の色彩の少年であり……今、世界が色を失っていないのは、きっと、あの空の色彩の少女が居てくれたからだ。
その後。夕食の時間まで延々と、この森の外の世界について語らされたハルは、またひとつ、今更なことを思う。
そういえば、緑は若さの色彩でもあり、旺盛な好奇心も表していたのだな、と。
どうにか一週間には間に合いました。
キャラ紹介パートが半分も無い不遇なフロル君でした。いや、口数の少ないキャラだとどうしても、ね?
次はたぶん「桜」です。からみの少ないキャラ、というのであればフロストなのですが、それだと男子ラッシュになるので。