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庭にでて東屋に腰を下ろすと、用意してもらったスケッチブック擬きでのんびりと自然いっぱいの風景を描いていた。精霊の森という事もあるのだろうか。荘厳でいて深い。人が無闇に入っていいような場所ではないとボクでも感じる。
世界はこんなにも美しい。
世界が人の争いを望んでいるなどとこの世界の人が知ったらどう思うのだろう。
そしてこんなにも残酷だ。誰かがそんな事を言っていたような気がする。
「ママ お花きれい」
花壇に植えられたボクには名もわからない花を指さしてリリが笑顔を向ける。やっぱり世界は美しい。
何を考えているのだろうなボクは……。アンニュイにも程がある。ただ黙々と筆を走らせるボクの後ろからステラの感嘆のため息が聞こえてきた。
「お上手ですね お嬢様」
「わぁぁ コレ 私?」
庭の風景の中に先ほど花を見つめていた屈んでいたリリの姿を納めていた。それがえらく気に入ったようでのぞき込んでいる身体がうれしさに弾んでいた。
「そうですか 所詮 素人が描いた絵ですよ」
事実であるのだが、いかんせんこの世界は娯楽が少ない。戦争ばかりある世の中で画家になんてなる物好きはほとんどいないのだ。
ダメだ。そんなどうでもいいことばかり考えてしまう。テンションがあがらない。
そんな鬱々としたボクの元にその原因となった事案を告げにセバスが屋敷からこちらに歩いてきた。
そう、父様が戻ってきたのだ。
父様を憂鬱に思っているわけではない。ステラに話したように彼にも助力を願わなければならない。そうしなければ、領兵隊も黒の騎士の力も借りれない。ステラに話した時のあのドキドキをまた繰り返さないといけないのが億劫である。しかも、一番は、リリの事だ。
父様にリリの事を認めてもらわなければ、ボクはどうしたらいいのだろう。どうするもなにも、何もできないとわかっていても、諦められない自分もいるので余計に折り合いがつかない。
告白。といっても恋の告白のように甘酸っぱい気持ちならまだいいのかなぁ。経験したことないけど……。それとも、恋の告白もこんなものなのかな。
今日、何度目かのため息がもれる。いっそ、ベットにダイブしてゴロゴロ悶絶したい。ついでに徹夜明けと知恵熱で頭が痛い。
フラフラとリリに手を引かれながら、案内するセバスの後ろをついて行く。父様の書斎に着くとセバスは外から声をかけ、扉を開けるとボクの方を向いて横にずれた。行かねばならぬ。
「失礼します お父様」
「あぁ レイチェルッ」
意を決して入ったボクに待っていたのは、強烈なハグであった。絞め殺されるなんてマンガやアニメのお約束のボケで実際はないだろうとタカをくくっていた。いや、マジで死ぬんですけど父様。この世界の人は明らかに生前の男の人より力が強い。それに対してレイチェルの身体は生前の女性より脆い。その結果がコレである。
「お父様 お姉様を殺す気ですかッ」
慌てたロザリアの声が父様の後ろから聞こえると、弾かれるようにボクを解放してくれた。
「いや すまない つい 力が入ってしまった」
ちょっと力込めてコレですか。本当にこの世界の人の運動能力はハンパないです。肺に空気を送り込むために大きく息を吸った後、ボクは引きつる笑顔を彼に向ける。
「お帰りなさいませ お父様」
ボクの顔を見ていた彼がホッと安堵の息を漏らすと、無意識に両手を広げ、またハグの体勢に入ったので今度は警戒して腕を突っぱねると、渋々だが遠慮してくれた。
「あぁ ただいま レイチェル 本当におまえ達は私を心配させる 心配で死んでしまいそうだよ やはり団長の座を降りた方が……」
最後の方は、神妙な顔つきでつぶやいていたけど、冗談だよね。
「お父様 それよりも……」
ボクは隣で佇むリリの背を軽く押す。その合図の意味がわからないリリはジッとボクを見上げていたが、彼女の前に父様が膝をついて目線をあわせると彼女の瞳がそちらに向いた。
「キミがリリだね 話は聞いているよ よく来たね」
怖がられないように彼にできる最大限の柔らかい感じで彼女に接するが、リリからは何の反応も返ってこなかった。
ボクはソッと彼女の表情を伺うと、息を飲んだ。リリの瞳はどこも映っていなかった。あのコロコロ変わる可愛い表情がすっかりぬけてしまって、まるでただそこに佇む人形ようだ。
こんな状態のリリをボクは今まで見たことなかった。しかし、この屋敷にいる使用人達は知っている。リリは、ボク以外の人にはこんな感じなのだ。言われたことをただ黙々とこなし、それ以外はどこを見ているかわからないような目でただただボーとしていると、報告を受けていた。普段のリリを見ていると忘れてしまいそうだったが、やはり彼女の心は壊れてしまっているのだ。
反応が芳しくないと悟った父様は、立ち上がるとボクに真摯な視線を向ける。
「レイチェル すまないが彼女を養女として引き取ることはできない」
きっぱりと言われた言葉に、残念な気持ちよりやっぱりという気持ちの方が勝っていた。それから、父様に養女にできない理由を聞かされた。
まず、貴族の養女になるのであれば、それなりのマナ保有量が必要である。リリはよくも悪くも平民レベルである。それに、こんな心が壊れた状態で貴族の世界に出て行っては、貶めるには十分の材料である。更に、悪化することは目に見えていた。一つ一つ聞いていく内にリリの手を握る力が入ってしまう。それでも、この子を側に置いておきたい。偽善でしかないけど、ボクには捨てるなんてできない。できるのなら彼女を村から連れてこなければ良かったのだ。それができなかった自分が悪いのだ。胃が痛い。
ボクの強ばっていく表情を察するように父様は、目を細める。
「心配するな 私とて彼女をおまえから離そうなんて思っていないよ リリの心が治るまでこちらで預かるという形で引き取ろう」
その言葉に、卑しくもボクはうれしそうに顔をあげる。
「しかし 彼女を公に出すことはできない このままこの屋敷で囲うことになってしまうがそれでもいいか?」
それは彼女の自由を奪うことに他ならない。どう言い訳しようとも侯爵家にいるのだ。使用人としてリリを雇えばいいのだが、今のリリの精神状態では、まともな主従関係などできはしない。では、その子はなんだと、よからぬ者に詮索されるぐらいなら、隠しておいた方がいい。リリ自身にも、他の人間と会って些細な言葉で心が修復不可能まで壊れるきっかけになるかもしれない。だが、それでいいのか。即答できない自分は、情けないことに隣で見上げているリリの表情を伺ってしまう。
「リリは それでいいですか?」
「うん」
リリは迷いなくうなずく。彼女はボクの言葉に否とは言わないのを知っていながらの問いかけである。これでは彼女が選んだような感じだ。卑怯なやり方だと思う。自分の弱さがイヤになってくる。それでも、ニコニコとリリはボクの手を握り返してきた。罪悪感といろんなモノが混ざって歪にゆがんだ笑顔でボクは彼女に答えた。やはり、ボクは強くなんかないよ。
「お姉様……」
リリとは逆の空いている手にそっとロザリアの手が触れる。いかんいかん。これは良いことなんだから、もっと喜ばないと。
「大丈夫ですよ これはとてもうれしいことではありませんか リリを正式にはできませんでしたけど 一緒にいられるのですから」
心配させまいとロザリアの方を向いたが、やっぱりうまく笑えなかった。ダメだなぁ、ボクは。
「そうだ 二人には 伝えておきたいことがある」
場の暗いムードを払拭しようと父様は無理矢理話題を変えてきた。
「一週間後 王妃様がルナフィンク領に来られるのでそのつもりでよろしく頼む」
「えっ?!」
少々、申し訳なさそうに告げる父様の言葉にボクは、固まってしまった。そんなボクに気づかず、隣のロザリアがため息をはいた。
「王妃様がこちらに…… 急な話なんですね もう お父様 もう少し早く言ってもらわないと準備に時間がかかるんだから」
「あぁ すまない しかしおまえ達が心配することはないぞ ドレスは王都の方でサリーが用意しているし、その他のことはセバスに任せてあるから大丈夫だ」
「まぁ それならいいですけど……」
ボクは、隣で膨れるロザリアと父様の会話をどこか遠くで聞いていた。
えっ? 一週間後。一週間後に王妃様がこちらにくる。それはつまり……。
ボクは自然と後ろに控えているだろうステラを伺ったが、彼女も聞いていなかったらしくボクと同じように固まっていた。本当に父様はいろいろあったボクらに心配させないために全部やって、ぎりぎりまで伏せていたようだ。ステラにまで内緒にする徹底ぶりであった。善意が仇になってしまった形だ。急いでユスティーヌに知らせないと間に合わなくなってしまう。しかし、日も暮れかけているこの時間帯で果たして教会まで外出を許してくれるだろうか。明日、朝一にユリエル様に告げればまだ間に合うだろうか。
そう、思案に暮れていたボクの耳に絶望的な父様の言葉が聞こえてきた。
「それから 王妃様と共に陛下と殿下もお見えになるからそのつもりで」
「お父様 今 何とおっしゃいましたか?」
心情とは裏腹にボクの声が平坦になって聞き返してしまう。
「ん? 王妃様と共に陛下と殿下もお見えになると……」
「そんなッ そんなはずありませんッ!!」
ボクの叫びが部屋を木霊する。隣に立っていたリリの肩がビクリと弾む。ロザリアと父様はボクの突然の声に目を見開いていた。そんな彼らに構っていられないほどボクは動揺していた。
ユスティーヌの話では陛下しか来なかったはずだ。なぜ、殿下までくることになっているんだ。もう、明日とか言っている場合ではない。
「ルオレナッ!!」
ボクの叫びに、何て事か窓を突き破って、大きくなったルオレナが飛び込んできた。書斎の窓は部屋に光を入れるためかなり大きく作られていたので大きくなったルオレナも入ることができたが、最早、窓は木っ端みじんである。
そんな事も気にする余裕もなくなったボクは、あまりの状況に固まっている人々を後目に、彼の背に横乗りに飛び乗ると、身体を倒してしがみついた。ルオレナは一言、鳴くとそのまま軽やかに窓だった所から空中に飛び出した。
「お嬢様ッ!」
後ろで、ステラの声が聞こえるがすぐに霞んで消える。
早く、伝えないとッ!
ボクは不安定な体勢から必死に彼の首にしがみつきながら、混乱していた。
どうしてこうなった。陛下どころか殿下まで失えば、この国の未来はそこで絶たれてしまう。王威を手に入れるようと内乱となれば、「運命の時」を迎える前にこの国が終わる。
なんだって王子までこっちに来るんだ。王妃様はレイチェル達に会いに来るのはわかる。陛下も多分、彼女にただ着いてきただけだ。なら、殿下はどうだろう。実際、ユスティーヌの話では来なかったのだ。来る理由がない。
ならなぜ、こちらに来る? 何しに来る? 誰に会いに来る?
まさかッ?! まさか、まさか……。
最初に殿下に会ったあのイベント。本来ならユスティーヌが体験するイベントだった。それを彼女が押しつけたため、ボクがヒロインの座に片足を突っ込む状態となってしまったあのイベント。
アレの所為?
まさか、ボクがヒロイン擬きになっているから殿下に興味を持たれてしまったのか?。なら、殿下がこちらに来るのはレイチェルに会いにくるため?
確かにあの場で、対象がユスティーヌであったら彼は今回こちらに来なかっただろう。
間違いない。変わってしまったんだ。あの時、あの場所にボクがいたから微妙に未来が変わってしまったんだ。それが、致命傷になる変化だったなんて。
白い巨躯が、夕暮れの町中を疾走する。何事かと、人々は固唾を飲んで視線で追う。幸いだったのが遅い時間で一通りが少なかったことだ。
風のように走り続けたルオレナは、目的地の教会の前にたどり着くとそのまま、扉を破壊しながら内部に突っ込んだ。もうめちゃくちゃだ。だが、しがみつくのに精一杯のボクにはどうすることもできないし、する気もない。
「なっ 何事ですかッ?!」
奥の部屋の扉を開けて、神父様とシスターが駆け込んでくる。真っ白な毛並みを逆立てたルオレナの姿を見た彼らは息をのみ、顔面蒼白にして壁際まで後退した。そんな彼らの存在を無視してボクはルオレナの背より飛び降りる。
「ユリエル様ッ! ユリエル様ッ! 答えてくださいッ!」
ボクは周りを気にしなくてはいけないことも忘れて声を張り上げて彼女を呼んだ。
『どうしたんだ 声を張り上げてッ? おちつけッ キミらしくもない 周りに不信がられるぞ』
聞きたかった声が聞こえて落ち着いてきたボクは、今更だけど慌てて祈るように両手を合わせて瞳を閉じた。
(ユリエル様 大変ですッ 殿下も来ます しかも 一週間後ですッ 彼女にッ! ユスティーヌに伝えてくださいッ!)
ボクは、経緯を伝えず要点だけまくし立てるように心で叫びあげる。それでも彼女は状況がわかったようだ。
『落ち着いて 詳しく話せ』
(はい……)
町中は慌ただしい雰囲気を醸し出している中、破壊された教会の扉の前に、3頭の馬が走り止まった。
「レイチェルッ!」「お嬢様ッ!」
父様とステラ、そしてウォルフが続けて、教会に飛び込んできた。その中で、白い獣が、邪魔するなと覇気を放ちながら周辺を威嚇するその横で一心に祈り続ける娘の異様な姿に戦慄していた。




