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教会は街の中心にある広場の近くに建てられていた。木造の建物が多いこの街で数少ない煉瓦作りであったため、なかなか頑強な雰囲気を醸し出している。天に屹立するような尖塔の上には大きな鐘がぶら下がっている。あれが、この街の時刻を知らせる音や有事の際の警報の役目を果たしていると聞いた。
馬車から降り立つと重厚な木の扉が半分だけ開けられると中から黒い修道服に身を包んだシスターが現れた。修道服はなんだかエロいなとか考えてないからね。案内された室内は、白磁の壁に高い天井と広い空間であった。木で作られた横に長い椅子が中央に道を作るように室内の両脇に並んいて、四角く大きな格子状の窓から光が射し込み教会内をほのかに照らし出していた。残念ながら色とりどりのステンドグラスはなく、美麗な壁画もないためなんだか拍子抜けしてしまっていたのは内緒である。
「よくおいで下さりました レイチェル様 ロザリア様」
中肉中背、どこにでもいるようなおじさんが正面に待ちかまえていた。たぶんこの人が神父なのだろう。ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべてボク達の手を代わる代わる取った。
「襲われたと聞いた時は肝を冷やしました ご無事で何よりです 王都といえど安心できないとはつらい世になったものです」
ボクは神父の言葉に曖昧に微笑みを返す。アレはボクらだけのモノだから、世の中は至って平和だと思うよ。今はね。
一緒にいたロザリアは興味がないのか神父の言葉に耳を傾けておらず、もっか視線はボクに固定されたままだ。安定の妹様である。しかたがないのでボクが答えることにした。
「ご心配おかけしました いろいろありましたが運がよかったのでしょう」
「そうですか それはよかった これも 精霊神様のご加護のおかげですな どうか精霊神様に感謝の祈りを……」
ある意味、的を射ているな。どちらかというとユリエル様ではなく、なっちゃんの加護だけどね。
神父は、身体をずらすとボク達に道を譲る。ボクは言われた通りに奥の祭壇に向かって歩くとそこに鎮座している精霊神であろう大きな石像を見上げた。
コレ、精霊神だよね。いえば、ユリエル様だよね。細かい造形が云々とかじゃなくて、ユリエル様はどちらかというと戦乙女風の出で立ちだったはずなのに、ここにある像は、緩やかなローブをまとった物腰の柔らかそうな優しげな眼差しの女神像なんだけど……。
ぷっ、全然違うじゃないか。何? ギャップ萌え? ギャップ萌えを狙っているの?
「どうかしまして お姉様?」
隣にいたロザリアがちょっと吹き出すのを我慢して立ち止まっているボクを心配そうに伺ってくる。
「なっ 何でもありません」
ボクは慌てて取り繕うと彼女と一緒に一番前の席に腰掛けた。祈りの仕方を知らないボクはそっと隣のロザリアを盗み見る。手の平を合わせて指をくんだ状態でそっと目を閉じた寛恕の姿が見える。どうやら、祈りのポーズはこちらの世界でも変わらないようだ。
ボクも彼女と同じように手を組むと瞳を閉じて祈った。
(ユリエル様 無事帰ってきましたよ これでバットエンドは回避できましたか? 後 精霊神の像が似ていませんけどこれは仕様ですか? なんちゃって……)
『いや まぁ 私はこの世界の人間に声だけで姿を見せたことがないからな 想像で作られてああなったのだろう そこは察して欲しい』
(ゆりえるさまァァァッ?!)
ビクッと肩が跳ねただけで声に出さなかったボクを誉めて欲しい。急に頭の中に響いてきた声は間違いなくユリエル様のものだった。
(脅かさないで下さい 変な声が出るところでしたよ)
『すまない しかしキミとて私の像の事を笑っていただろう おあいこだ』
ニヤリと笑う彼女の顔が容易に想像できた。
(ずっと視ていたのですか?)
『いや キミが教会に入ってきた辺りからしか視えていない ここ百年ぐらい世界が私を閉め出しにかかっているからな 今の情勢がどうなっているのかあやふやでしかたがない』
(ようするに 自分の部屋を見られたくない息子(世界)が部屋を掃除にきた母親(ユリエル様)を閉め出しにかかっていると)
『そういわれてしまうと身も蓋もないが まぁ 当たらずも遠からずなので微妙な気分だ』
ユリエル様によると、教会はこの世界の中で唯一、ユリエル様の力がより発揮される場所らしい。精霊神への信仰心。つまりユリエル様への信仰心がこの場を世界よりユリエル様の方を有利にさせているのだ。しかし、ここ何十年で教会に訪れる人々が減ったらしい。信仰心が減ったというより言葉の通り教会の信用が失って訪れる人が減っているのだ。おかげで、訪れる人々が戯れに話す噂話の情報を受けられないので困っているのだとユリエル様は嘆いていた。
そういえば、なっちゃんはホイホイとボクの元に現れていたのだがこれはどうなのだろうかと聞いてみるとなっちゃんは部署が違うので世界もスルーなのだとか。最初にユリエル様に会えたのはなっちゃんに便乗したからこちらにこれたのだ。さすがに同じ手を何度も使うと世界に知られてしまうので使えないらしい。
なら、なっちゃんのやりたい放題かというと管理者全てにいえることで担当外の事は興味がないらしい。なっちゃんも例外ではないのでボク以外のこの世界の人間がどうなろうと知ったことではないとおっしゃっているとユリエル様は聞いた。怖いよ、なっちゃん。
『あぁ そうだ キミの足下にいるその精霊獣は私がよこした者だ キミの身体 レイチェルと縁があったのでちょうどよかった 生まれたてだが力はそれなりにあるので魔物からキミを守ってくれるだろう』
(ルオレナですか? ありがとうございます おかげで助かりました)
『おや 名前を付けて契約させたのか』
(えっ? なっちゃんが飼っておけと勝手に名前までつけましたけど ダメでしたか?)
『勝手なことを…… こっそりと守らせるつもりだったのに まったくあいつもキミに関してのことになると強引だな 精霊獣と契約しているというのがどういうことなのかキミは知っているかね?』
(いえ 知りません)
『簡単に言うといろんな権力者からいろんな面倒事になるとでも言っておこう のんびり暮らしたいのならバレないことを推奨するよ 特に教会にはね』
(肝に銘じておきます)
ガクブルである。
『フフフッ いかんな 久しぶりの会話だから少し興が乗ってしまう』
なんだか楽しそうなユリエル様の声が聞こえる。ユリエル様は寂しいのかな。最近、世界に閉め出しを食らっているらしいし。
(ボクにできることならお話相手ぐらいにはなりますよ)
それからボクは、これまであったことを彼女に話した。ユスティーヌ様に会ったこと。路地裏で不審者から殿下に助けられたこと。領内に帰る途中、魔物に襲われたこと。自分で話していて気づいたんだけど何とも激動な数日だったな。
ボクの話はあらかた終わったのだが、ユリエル様はその間ずっと黙ったままだった。話の腰を折らないようにしていたのかと思ったがそうでもないと感じる。あまりの沈黙にボクの方が口を開いた。
(どうかしましたか?)
『あぁ すまない キミの話を聞いて少し考え事をしていた それよりもまずいことになったようだ』
(まずいこと?)
『キミが体験したことなんだがそれは本来 ヒロインであるユスティーヌが受けるはずだったイベントにちがいない』
(えっ?!)
『詳細が微妙に違うが時間と場所がイベントと同一なので間違いないだろう』
(そっ それって ボクがヒロインのイベントの邪魔をしてしまったということですか そういえばなんだかイベントっぽいなぁとか思っていたけどやっぱりだったんだッ あっ でも ボクでは失敗していますよね 彼らの好感度あがってませんよね)
ボクは内心で悲鳴を上げていた。冷や汗ダラダラである。だいたい男のボクの受け答えに何か甘酸っぱい恋の話があっただろうか。いや、ない。断じてない。イベント失敗は、後に響くだろうが本来ヒロインがするはずだったモノをボクが横から入ってしまったのだからノーカウントでお願いします。
『残念だが理想以上の成果でイベントをクリアしている さすがだな』
(そんなぁ~~ うれしくない うれしくない)
なぜだ。本当に色恋の話なんかなかったのにィ。
『問題はユスティーヌの方だな 話を聞いていると明らかにキミにイベントを押しつけている 彼女はキミをヒロインに仕立てようとしているようだ』
(えぇぇッ そんな事可能なんですか?)
『普通は不可能だ イベントというのは運命が関わっている 回避した所で別の形で訪れるようになっているからな ヒロインである限り逃れられないはずだったのだが…… しまったなぁ…… よく考えたらキミと彼女は似たような存在だった』
(ボクとユスティーヌ様が同じ存在? あぁ 元日本人ッ)
ボクらはこの世界の人と価値観が違う。もし、周りの人と違うような娘を彼らが気に入るのならボクにもその可能性があるのだ。また、転生と憑依と違いはあるが魂の在り方も概ねユスティーヌ様と同じだ。
『彼女がキミの存在を知っていたとは思えない たぶん偶然だったのだろう それでも本来なら代わることのできない席にキミを無理矢理座らせる事に成功してしまったということか』
(こっ 困ります ボクはこのゲームをしていません これから先 何が起こるか全然わからないボクにこの国を救えるわけないじゃないですかッ)
声に出さないようにグッと我慢するが身体が勝手に震えてしまう。この話が本当ならボクの肩にはこの国の行く末がのしかかることになる。そんな事ごめんだ。
『わかっている これは一度 彼女と話す必要があるな』
(お願いします)
『それと これからは極力攻略対象者とは会わないでくれ またイベントが発生しかねないからね』
(わかりました ユスティーヌ様や攻略対象者からは極力距離をおきます)
あぁ、とはいってもすぐ側に約一名いるんだったぁッ。
『すまないね キミに何の落ち度もないのに気苦労ばかりかけて ナズエルに知れたら何をいわれるか』
(いえ ボクも考えが至らなかったです)
『そう気を落とさないでくれ キミはよくやってくれているよ』
ふんわりと何だか心地よい暖かいモノを身体に感じた。まるでユリエル様に抱きしめられた感じだった。ちょっと照れる。
『あまり長居をしていると怪しまれるからこれぐらいにしておこう キミはキミらしくこの世界で生きてくれ』
(はい ユリエル様 あっ あの またお話にきます それぐらいはいいでしょうか?)
『あぁ もちろんだ またキミの話を聞かせてくれ 楽しみに待っているよ』
スッと暖かかったモノが身体から消えていく。その時ようやく周りの声が聞こえてきたことをボクは知った。なぜなら、横でボクの名を何度も呼んでいたのであろうロザリアの控えめな声が聞こえてきたからである。
ボクは、ゆっくりと瞼をあけると彼女の不安な顔が瞳に映った。
「お姉様 どうされたのですか 何度声をかけても反応してくれませんし 顔色が真っ青ですわよ」
たぶん、いろいろ衝撃がありすぎて血の気が引いたからだろう。そんな事彼女に話せるわけがない。
「なっ なんでもありません」
だからボクは彼女に素っ気ない言葉しか返せなかった。合わせていた手が汗で濡れていた。かなり動揺している自分がいる。だってしょうがないじゃないか。事はこの国の行く末に関わるイベントだ。その重責は計り知れない。立ち上がると力が抜けたようにフラフラと身体が揺れてしまう。床に座り込むかと思うより先に太い腕がボクの身体を支えてくれた。
「どうした? フラフラじゃねぇか」
側からかけられた最近よく聞く男の声にボクはビクリと反応してそちらを見上げる。そこには心配そうにこちらを伺うエルゼン様の姿があった。
「なんでもありません もう帰りましょうか ステラ 用意してください 神父様 お会いできて光栄でした またこちらに伺います」
ボクは慌てて彼の身体を突っぱねると矢継ぎ早に言葉を連ねながら、彼から足早に離れた。
「おっ おい」
「ザザ様もここまでの護衛ありがとうございました 侯爵様にもよろしくお伝え下さい それではごきげんよう」
振り返るとボクはあえて彼の呼び名を戻した。そんなボクの言葉に困惑して固まっている彼をおいてボクはわき目も降らず教会を出るのであった。




