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ロザリアを連れてボクらは街に出かけることになったが、リリはお留守番である。それというのも、まだ彼女のあり方を決めかねているのであった。養女にするにしてもただ客として預かっているにしても父様に相談していない今の時点では人目についていらぬ噂を立てられたくないというのがセバスの意見であった。リリの精神は危うい。外でボクとの関係をみれば一目でおかしいと思われる。その気がなくても好奇心で聞こえてくる言葉が彼女の心を傷つけるのは容易に想像がついた。ここは心苦しいがリリには残ってもらった方がいい。
「ママ 帰ってくる?」
「えぇ すぐに帰ってきますよ」
「じゃぁ 待ってる」
にっこりと笑う彼女の身体をボクは腕を回して包み込んだ。もう少しごねるかと思ったがやけにあっさりと了承してくれた事にボクは胸をなで下ろしていた。
リリは良い子だ。良い子なのだが、この胸に広がる不安はなんだろう。あまりにも聞き分けがよすぎるのではないか。思い返してみると彼女はボクの言葉に否と言ったことがないように感じる。彼女の光が灯らない瞳をのぞき込んでいると、ボクが言えば平気で人を殺せるようなそんな雰囲気を醸し出していた。いやいや、そんな事ない。リリはそこまで壊れてはいないと信じたい。
一抹の不安を残しながらボクらは玄関に止めた馬車まで移動する。ボクの側にはロザリアとステラ。それに、ヴォルフ率いるおっちゃんズ。くしくも王都から戻って来た時のメンバーが揃っていた。そう、帰ってきた時と寸分変わらない面子なのである。
なぜ、ザザ様がここにいらっしゃるのであろうか。確かにここ最近ちょくちょく屋敷に訪れてはいるけど。
「……街に行くんだろ ついでだ」
「そうですか ありがとうございます」
おっと、聞いてもいないのに答えてくれたぞ。なにがついでなのかわからないけどまぁ、いいや。それよりもそっぽ向く彼の隣で長い鬣をブルブル揺らしてたたずむ馬にボクの視線は釘付けだ。やっぱりかっこいいなぁ、馬。
黒い大きな瞳がボクをジッと見つめている。まるで「乗ってみるかい」とか言われているみたいだ。いや、言っているに違いない。
乗りたい。馬に乗ってみたい。男の子ですもん。でも、そのまま言ったら絶対反対されるだろうなぁ。ボクは振り返ると控えていたステラに声をかける。
「ねぇ ステラ 領民を安心させるために私は姿がみえていた方がいいのですよね」
「はい そうでございます」
「では 馬車の中ではよく見えないですよね」
「そうです…ね」
ボクの意図がよくわからない彼女の受け答えが心許なくなっていく。よし、一気に畳みかけるぞ。ボクは、身体を前に戻すと迫る勢いでザザ様に近づいた。
「ザザ様 私を馬に乗せてもらえませんか?」
「「「はぁぁぁ?」」」
素っ頓狂な声が全方向から聞こえてきた。
「さすがに一人では乗れませんから ザザ様の前でも後ろでもいいので乗せてください」
「まっ 待ってくださいお嬢様 いくらなんでも」
ステラが慌てて止めにはいるがボクも引く気はない。
「あら ステラ その方が領民に一目瞭然ではありませんか」
「それはそうですが ……それでは 変な意味で一目瞭然となってしまいます」
前半は声が聞こえてきたのだが後半はなぜか声が小さくてよく聞こえなかった。何のことだろう。
「侯爵様の馬では その何ですが それなら俺の馬でどうですか?」
ヴォルフが馬を引いて声をかけてきた。あぁ 侯爵家の馬に乗って何かあったらいけないということか。確かに余所様の馬だもんね。失敗、失敗。こうやってみればヴォルフの馬もかっこいいしなぁ。乗せてくれるのならボクはどっちでもいいや。
「はい でしたら……」
「いや 俺が乗せる」
ボクの声に被せ気味にザザ様の声が上乗せなる。侯爵家の人間がそう言ったのだから使用人では口に挟むことはできないのであろう。皆、グッと口を噤んだ。すまん 皆の衆。最近ちょっとわがままかもしれないけど、ボクだっていろいろやりたいのだよ。
馬に乗る為の踏み台が用意されるとザザ様はボクを軽々と抱き抱えて鞍の前の方に横向きに座らせてくれた。ザザ様が颯爽とボクの後ろに跨がる様はさすがに慣れたものだ。ボクもこれぐらい格好良く乗ってみたい。でも、視線を自分のヒラヒラする足下に落とすと、さすがにこの格好で跨ぐわけにはいきませんよねと自分の身体を認識した。
それよりもやっぱり馬に乗ると視線が高い事に高揚する。ボクは目の前でユラユラ揺れる鬣にそっと手を振れて撫でてみる。手触りが良い毛並みが手の平いっぱいに感じ取れた。
「よろしくお願いします」
ボクは首を少し後ろに捻ってこちらを伺う馬に声をかける。馬はまかせろというかのように一鳴き嘶いた。
「では いきましょうか」
隣に馬を寄せてきたヴォルフからの合図でボクらは出発した。街は屋敷からそんなに離れてなどいない。歩いてだっていける距離なのに馬車でいくなんて貴族ってつくづくなんだかなぁと思う。馬のスピードはポッカポッカと鈍足だ。気を使ってもらっていることもあるけど乗馬でテンションマックスのボクは馬の頭ばかり見ていた。なぜかというとその馬の頭に小鳥達がチョンと座っているのだ。可愛い。入れかわり立ち替わりいろんな鳥達がまるであいさつに来てくれてるかのようにきれいな声をボクに聞かせてくれた。
「そんなに動物が好きか?」
頭の上から声が聞こえてくる。横を向くとザザ様の顔がすぐ近くにあった。二人乗りで乗馬だもの。身体が密着していてもしょうがない。腰に回され手綱を握る彼の腕は太い筋肉に覆われ、その腕に手を乗せていると安定するのだ。堅いなぁ、良い筋肉だとついついフニフニと触ってしまうのはご愛敬で。
「はい 全部見たことない子達なのでとても興味深いのです」
「見たことがない? そういえば家畜にも興味津々だったな それすら見たことがないのかよ」
あっ、まずい。この世界の人には見慣れた動物なんだろうけどボクには全部未知との遭遇だったからついね。いかん、そこはかとなく言い訳しないと。
「えっ…… あっ そうですね 屋敷に籠もっていましたので」
ボクは、慌てて彼から顔を背けると力なく答えた。答えになっていない言い訳だけど嘘は言ってないよ。
「そっ そうか…… そうだったな……」
ちょっと悲しげな声だったけど信じてくれてよかった。けど、なんか周りの護衛さん達の雰囲気もどんよりし出しだしたのはなぜだ。
森を抜けるとすぐに街が見えてくる。ここまでくると何人かの街の人達ともすれ違っていった。馬上のボクの姿を目にして驚いた表情をしていたがボクは気にせずニコニコ会釈を返していた。アピール、アピール。
すると、人々が遠巻きに増え始めた。気分はパレードだな。手でも振った方がいいのかな。でもまぁ、これで目的は果たせたはずだ。
それにしても皆一貫してボクの姿を見た後、しきりに後ろのザザ様を見ているのはなんでだろう。あぁ、イケメンだからか。その証拠にちょっと声の大きいおばちゃん達の噂話が耳に届いてくる。
「レイチェル様 お元気そうでなによりだわ」
「それより 後ろにいらっしゃる方は誰だろうね」
「素敵な方ねぇ 貴族の方かしら きっと騎士様よ」
「レイチェル様といらっしゃるということはもしかしてあの方はッ?!」
「えぇ きっとそうよ これはめでたいことだわ」
んっ? なぜめでたいのだろうか?
不思議がっているボクにザザ様は耳元に身体を寄せてきた。たぶん人が集まって声が届きにくいからだ。
「やっぱりこういうものは慣れねぇな 珍獣の気分だぜ」
「フフフッ 同感です」
肩を窄める彼の言葉がおもしろくてつい笑みがこぼれてしまった。ドッと周りの人達がざわめく。何事かと周りを見渡すが何事もなく皆こちらを伺っていた。おばちゃん達がうんうんと納得顔になっていたのは解せぬ。
「その… なんだ… つらかったら言えよ」
「いえ これくらいの距離で疲れませんよ」
心配しすぎだなこの人は。そういえば、ザザ様ってついでに来たんだったけ。
「あの ザザ様 何か用事があって街に来られたのでは?」
「あぁ それか… まぁ 目的地は一緒だから心配するな」
「ザザ様も商会に用ですか?」
「ちょっと 『トランプ』を…」
「作らせたのですか」
欲しそうだったもんなぁ。ボクは最後まで作らなかったけど。そうかぁ商会に作らせたかぁ。よくもまぁ商会もあんな使途不明な紙の束を作ってくれたもんだ。まっ、金と権力に物言わせたのかな。
「まっ まぁな」
少々バツが悪そうに視線を逸らした彼の行動が子供みたいでちょっとふきだしてしまった。
「フフッ それぐらい自分で作りましょうよ」
「いやぁ~ めんどくさいしなぁ~」
超わかる。ほんとこの人はわかりやすい人だな。ほとんどテンプレートだ。
「ザザ様は典型的な方ですね」
「どういう意味だ?」
「不躾でめんどくさがり屋なくせに剣には妥協を許さず一途で、責任感があって騎士に誇りを持っている方という意味です」
見上げてみるとポカーンと口を開けた彼の顔があった。
「初対面はすごかったですけど… 『令嬢』というものはお嫌いなのでしょ」
「うっ それは」
彼は、ボクの嫌みに苦笑いを浮かべる。クククッ してやったり。
「ザザ様」
「エルゼン」
すぐに返された言葉にボクはいまいち反応が遅れた。エルゼン? え~~と、どこかで聞いたような…。あぁ、ザザ様の名前か。なぜ今名前が出てくるんだ。
「エルゼン… そう呼んでくれ」
ザザ様照れちゃってぇ、ちょっと顔が赤いですよ。名前呼びと言うことは、つまり友達ぐらいには思ってくれると言うことだよね。やったね。
「はい エルゼン様」
友達ゲットだぜ。彼はユスティーヌ様のお相手候補だし。知り合いなら何かと力になれるからいいよね。特に恋の悩みとか……。でもなぁ、女の子の気持ちなんてボクにはわからんぞ。姿は女の子なのにな。対女性能力に関してはボクもエルゼン様と変わらないものなぁ。逆にユスティーヌ様にアドバイスならできそうなんだけどなぁ。男の子の気持ちなら超わかる。
そんなどうでも良いことを考えながら馬に揺られること数分、ボクはこの街有数の商会の前にたどり着くのであった。




