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精霊獣。それは、『触』が集まると魔物が生まれるように、『精霊』が集まると精霊獣が生まれるのである。彼らは世界の循環とその場にいる精霊を守っている。魔物と違って人を襲わないため滅多に遭遇することがないらしいが、ここルナフィンク領は、濃密な精霊が漂う精霊の森のおかげで彼らが生まれやすいのだそうだ。昔から、領内では出会った人間が少なからずいるためこの森を神聖視している節もあるのだとなっちゃんが教えてくれた。
「おまえ そんなすごい存在だったんだ」
ボクは彼の脇を持ち上げて目の前に持って行く。プランと延びきった身体を晒したまま、今頃気づいたのかと言われているようなジトリとした視線に罰が悪くなったボクはソッと膝の上に戻した。
「ゆうちゃん その子飼っておきなさい 魔除けにはなるでしょう」
「飼うって…… 恐れ多い」
ボクは恐る恐る彼を伺ってみるが、別に気にしたような素振りは見せず、ボクの膝の上で気持ちよさそうに丸くなっていた。
「それじゃ 名前をつけましょうか?」
なっちゃんは彼を無造作に抱き上げるとその虹色に輝く瞳を見つめていた。
「白いからシロ」
安直であったが、ボクも似たようなこと考えていたから人のこと言えなかった。イヤだと持ち上げられた彼の手が彼女の鼻先に乗せられる。
「何 不満なの? 白いモコモコのくせに生意気ね」
にらみ合っているので彼の表情はわからないが、なっちゃんの言葉でお気に召さなかったのがわかった。
「それじゃ 『ルオレナ』 はい 決定」
そう告げるとポイッと彼をこちらに投げよこしてきた。突然のことに固まっていたボクの膝の上に器用に飛び降りるとそのまま丸くなった。名前は決定のようである。
「よろしく ルオレナ」
ボクの言葉に答えるようにピクリと大きな耳が動いた。
精霊獣は精霊の固まりだから存在が反発してその力に比例して魔物が近づいてこないらしい。なっちゃん曰く、ルオレナは生まれて50年ぐらいの若い精霊獣らしいのであまり強くないらしい。
「せめて100年くらいは熟成してないと味が出ないのよね それでも役にたってみせなさい」
出汁じゃないんだから。
なっちゃんはヒョイとボクの膝の上で丸くなっていた彼の首元を無造作につまみ上げると鼻先を指でつつく。獣の顔でもわかるぐらい嫌そうに皺が寄っている。
時を重ねれば存在と力が強くなっていく精霊獣。ということは、その対となる魔物も……。
「もしかして これから起こり得る事って大量発生だけじゃなくて」
「そうよ ヒロインは知ってるでしょうね そいつが中心となっていることを…… 500年の間 世界が隠し 一心に『触』を集め続け 力をつけた存在 『災厄の魔物』 それが倒すべき存在よ」
自然とその答えに生唾を呑んでしまう。500年という歳月を費やした存在は計り知れない。大量発生はこいつが引き起こしているのだろう。確かにラスボスだ。でも、ただ闇雲に戦うより指針があるのはいい。
話し終わるとポイっとボクに向かってルオレナを投げよこしてきたのでなんとか受け止める。扱いが雑だなぁ。
「できれば何か手伝えればなぁ」
ボクは、腕の中のフワモコの毛並みの中に顔を埋める。獣臭さがなくて心地いい。
「ゆうちゃんは自分が死なないように気をつけなさい」
「わかってるよ」
死なないようにかぁ。帰る時もまた襲われたもんなぁ。今度は魔物だしねぇ。そうなんだよ、よく考えたら魔物なんだよ。
まず、魔物って本能で行動しているのに撒き餌されたからって皆、同じ方向を向くだろうか。主旨に反してバラバラに動くんじゃないだろうか。最悪、計画していた人間も巻き込まれると思うんだけど。
そして、なっちゃんの話を聞いて新たに思ったのが、あの場にルオレナがいたのに奴らは迷うことなく現れたことだ。反発するんじゃなかったのかよ。
その事をなっちゃんに聞いてみると、彼女の眉がピクリと動いた。
「そうね 下手をしたら魔物を操っている者がいたかもしれないわね」
「えっ?! 魔物って操れるの? それ結構やばくない そんな精霊術が……」
「いいえ 精霊術にそんなモノはないわ あるとするのならば固有スキルね」
「固有スキル?」
「その者だけが持つ特殊能力よ ゆうちゃんの側にもいるでしょ」
その言葉に一人の女性の顔が浮かぶ。ステラだ。彼女は見た技術を修得できる能力がある。なるほど固有スキルか……。
「でも 操るのなら撒き餌なんてしないでそのまま襲えばいいんじゃないかな 動きも人間みたいに統率されていなかったし 誰かの意志は感じられなかったよ」
でなければ、隠れていたボクをそのまま素通りしないだろう。
「多分 『操る』という能力ではないのかもしれないわね だいたい魔物には本能だけしかないのだから『意志を操る』というのは無理な話ね まぁ ここで言い合っても詮無きことだわ」
確かに。どこまで行っても推測の域はでないしな。
「とにかく ゆうちゃんの相手にはそんな能力者がいるということを覚えておきなさい」
「肝に銘じます」
ならば、やることは一つ。
「よしッ そうと決まれば早速体力づくりだ」
ボクは両手をグッと握って気合いをいれた。そんなボクの意気込みになっちゃんはきょとんと首を傾げている。
「体力づくり? ゆうちゃんが?」
「そうッ 今回の事でレイチェルの体力がなさ過ぎると言うことがわかったから逃げるにしろ戦うにしろ体力つけなくちゃ」
「あぁ ソレね…… まぁ がんばりなさい でも がんばってもあまり身にならないけどね」
「えっ? どういうこと?」
出鼻を挫くような言葉に食いついたボクをなっちゃんは哀れんだ視線を送ってきた。
「その身体が死なないようにゆうちゃんの魂と一緒にマナを送って保有量をあげたのは知ってるわよね」
「うん そのおかげでいろいろ対処できています ありがとうございます」
話の意図が分からないので素直にお礼を述べておく。
「本来あるはずのないマナを急に保有したらその身体はどうなると思う?」
「そりゃ その負荷に耐えられなくなって… おいッ ちょっと待てッ」
嫌な結論にたどり着いてボクの血の気が引いた。そんなボクにお構いなしに軽い彼女の声が聞こえてくる。
「大丈夫よ 肉体が崩壊とかしないから ちょっと身体が随時悲鳴を上げていて 体力がガリガリすり減ってるだけよ 身体が馴染めばちょっとはよくなるわ」
「身体が馴染むって?」
「ゆうちゃんが身も心も女の子になったという事よ」
「無理ィッ! 何それッ ということはボクの体力はすでにいっぱいいっぱいなの」
「普通の健康状態ならそこまでひどくはなかったのだけど この女 食が細くて栄養不足だし、引きこもって運動不足だしでダメダメだったのよね だから 時間をかけて栄養をとり 運動すれば少しはマシになるわ」
「そんなバカな……」
ボクは椅子から崩れ落ちるように地面に四つん這いになって愕然とする。膝に乗っていたルオレナはぴょんとジャンプして被害を逃れていた。
「いざという時は そのまま動かず全てを殲滅なさい そのための精霊術よ」
「ボクは固定砲台かよ」
「それか盾をうまく使いなさい ゆうちゃんの周りには喜んで盾になりそうな者がいっぱいいるのだから」
「なっちゃん 本気でいっているのなら怒るよ」
ボクは四つん這いの情けない格好からキッと顔をあげて彼女をにらみつけたが、その視線をものともせず彼女はやれやれと呆れていた。
「ゆうちゃん この際だから言っておくわ 私はゆうちゃんさえ無事なら周りの人間がいくら死のうと どうだっていい だいたいこの世界はユリエルの管轄なのだから……」
わかっている。彼女は天使なのだから人の価値観とは違う。でも、彼女からそんな言葉を聞きたくなかったボクはショックでうなだれていた。
「嫌なら 無理はしない事ね」
「……わかってるよ」
ボクは、ムキになって口を尖らせるとついていた膝をあげて立ち上がり彼女の目を見据えて答えた。
「わかればいいわ」
「さて それじゃ 面白味もない話はここまで もっと楽しい話をしましょう」
そういう割には表情が通常運転の彼女は、リリが眠っているベットの縁に腰を下ろした。
「ゆうちゃんもやってみる 内政チート」
「も ッてことは ヒロインもやってるの」
「えぇ 石鹸や化粧品とか造っているみたいよ まぁ 全部フラダ男爵名義になっているけどね」
「へぇ~ さすがはヒロイン 積極的だねぇ」
「何 感心してるの ゆうちゃんも使ってるでしょ」
鏡台にあるなんだかわからない瓶達に指を指す彼女にボクは苦笑した。
「いやぁ 全部ステラやメイドさん達に任せっきりだから気づかなかった」
はははと枯れた笑いをあげるとものすごく残念な人を見るような視線を彼女から返された。
「体力うんぬんいう前に女子力あげなさい その身体が可哀想よ」
「面目ない」
そうはいっても、ボクにはコレといって何か欲しいわけではない。お菓子や食事など出されれば食べるという感じなので、コレが食べたいというモノは今のところないし、何よりもボクはまともな料理などしたことがない。プリンとか煎餅とかこの世界になかったとしても、ボクには作り方もわからんし、わかっても作れん。
衣装や装飾品なんて興味もないし、女の子でもなかったのでむしろ教えて欲しいぐらいだ。
美容と健康。何それおいしいの、などと口走っていたらものすごく冷ややかな目で見られてしまった。ごめんなさい。
「そうね やるのなら娯楽品とか嗜好品とかにしておきなさい それが発展するのは平和である証拠だからユリエルも喜ぶわ」
「じゃぁ TVゲーム」
「アホなの」
「すみません」
言ってみただけなのにズバリと斬られてしまった。悲しい。
「ゲームはゲームでもここでできるものにしなさい」
ならボードゲームか。いやいや、よく考えたらこの世界のゲームをボクは何一つ知らないぞ。今度ステラに聞いてみよう。
ボクはまだ見ぬ暇つぶしアイテムに夢を馳せながらある事を思い出して声をあげる。
「そうだ 温泉ッ せっかく保養地なんだから温泉があってもいいじゃないかなッ」
ボクは、なぜか勢いよく挙手しながら熱弁した。
「だったらその獣に探させなさい 精霊の森のことは精霊に聞くのが一番よ」
「おぉッ 頼むよルオレナッ」
ボクはキョロキョロと辺りを見渡して彼の姿を探す。いつの間にか眠っているリリの側で丸くなっていた。
ボクの声に四肢をグイッと伸ばして起きあがってくるとボクの足元にすり寄ってきて「ナ~」と一声鳴く。鳴き声は猫だった。それよりも了承ととっていいのでしょうか。ボクは期待を込めて彼の瞳をのぞき込むともう一度「ナ~」という声が聞こえてきた。
「ありがとね ルオレナ」
ボクはうれしさに彼を抱き上げる。ちょっと重い。無駄でもやっぱり体力づくりはやろう。
「その後 源泉を見つけたなら治水関係の商会にこの館までお湯を引かせる工事をするのね あとは湯船などの施設を造って……」
彼女の何気ない言葉に先程までの興奮が一気に引いた。
「ちょっと待ってよ それじゃお金かかっているし人をこき使っているみたいでなんか申し訳ないんですけど コレって内政チートじゃなくてただのボクの我が儘だよね」
言ってみてむなしくなってきた。所詮ボクのような貧相な発想力では皆が便利で豊かになる内政チートなどできなさそうだ。ガックリとうなだれるボクを微笑ましく見ていた彼女は座っていたベットから立ち上がった。
「フフフッ 激甘なお父様に相談するのね」
「えぇぇ なんかヤダ…… でもなぁ 温泉入ってのんびりしたいし……」
おやじ臭いこといいながらウンウン悩んでいると彼女がボクの頬に手を添える。いきなりはやめてっ、なんか背中がゾクゾクする。固まってしまたボクの腕からボトリとルオレナが落ちるが、スタッと華麗に足の長い絨毯の上に着地する。
「なななっ なっちゃんッ?!」
いとおしそうになでてくる彼女の手がなまめかしい。妙に色っぽい彼女の唇がうっすらとあけられる。
「それじゃね 何か知識が欲しいのならいって 向こうからプリントアウトして持ってきてあげるわ」
なんかその言葉に力が抜ける。
「それってズルくない……」
「利用できるものは何でもりようしなくちゃ…… ふふふっ またね ゆうちゃん」
なっちゃんは名残惜しそうにボクの頬から手を離すと、誰もいなかったように彼女の姿が掻き消えた。




