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なぁなぁで流していたツケが今、支払われようとしていた。
次の朝、馬の調達が完了し、帰路の準備が整ったボクらは泊まった宿屋の前に集まっていた。
「お世話になりました」
ボクは、見送りに来ていた村長夫妻と宿屋の夫婦に軽くお辞儀をすると、二組は慌てて首を振った。
「滅相もない 道中 ルナフィンク侯爵ご令嬢様もお気をつけて」
別れの挨拶を済ますとボクらは馬車に乗り込もうとするが、一人その肩を村長夫人に止められた者がいた。リリである。
一度感情の伴わない瞳で夫人を見上げるが、何事もなかったようにボクの側に行こうとするリリを夫人は強く抱き寄せた。
「ダメよ リリちゃん あなたは一緒にはいけないわ」
彼女の悲痛な声にも、リリは何の反応も見せずに、ただボクの側に行こうと身体を動かすが、大人と子供の力ではビクともしなかった。
引き離されると本能が察知したのだろう。リリはうぅうぅと言葉にならない呻き声を漏らしながら抱き寄せられた夫人の腕の中から出ようともがいていた。彼女を助けてから初めて見る感情の揺らぎであった。
「離してッ ママッ ママッ」
おとなしかったリリが大きな声を上げてボクの姿を探す。ボクはその声にビクリと肩を震わせ、馬車に乗り込もうとしていた足を止めた。
「お嬢様」
暗にダメだといってる事がわかるステラの声にグッと唇を噛む。わかってる。わかってるけど……。
「お姉様」
先に馬車に乗っていたロザリアが顔を出してボクを心配そうに見つめてきた。わかってる。わかってるんだよ。それでも、あの子に何の罪がある。両親を殺され、今まさにもう一度母親を失おうとしている。あの子に二度も母親との別れを味合わせていいのか。
じゃぁ、どうするんだ。彼女の人生に責任をとれるのか? 犬猫を拾ってくるのとは訳が違うのだぞ。しかもボクは、独り立ちしていない身でもある。自分一人で何ができる。しょうがないじゃないか……。
リリの叫びに耳を塞ぎ、ボクは馬車のタラップに足をかける。
「行っちゃやだァッ ママァッ! 置いていかないでェッ」
彼女の慟哭にボクはたまらず踵を返すと止めるのを迷うステラの脇を抜けてリリの元に走り寄った。疑問も迷いも一切なく、もはや条件反射だった。目を見開いている夫人の腕から出てきたリリはそのままボクの胸の中に収まった。
「ごめんねッ ごめんね リリッ」
「ママッ ママッ」
やっぱりできない。弱い自分でごめんなさい。
「お嬢様」
抱き合うボクらの後ろからステラの声が聞こえる。ボクは顔を上げると意を決した。
「ごめんなさい ステラ 勝手なことだとわかっています それでもリリは私が連れていきます」
断られるだろう。怒られるだろう。飽きられるかもしれない。それでもボクはリリを離すことができない。もし離すことができるのならボクの中の何かが狂ってしまいそうだ。こんな少女を捨てられる程、ボクの良心は強くはない。我が侭だと言われても構わない。
ボクの決意にステラは目を伏せると。
「お嬢様の仰るままに」
「えっ?」
あまりにあっさりと承諾されてしまったことに、逆にボクがポカンと口を開けてしまった。
「いいのですか?」
恐る恐る聞くボクに彼女は瞳をあけると綺麗に微笑んだ。
「お忘れですか? 私もお嬢様に拾われた身ですよ」
そうだった。忘れていた。でも、よかった。まぁ、いろいろ後でしなくちゃいけないだろうけど…。お父様とか…。お父様とか…。それでも……。
ボクはもう一度リリの顔を見る。
「一緒に帰りましょ リリ」
「うん」
リリは一度ボクから身体を離すとうれしそうにボクの首に抱きついてきた。うぉッ 愛おしいぞッ 今ならお父様の気持ちがひしひしとわかるよ。親バカになりそう。娘最高ッ。
「よろしくお願いいたします」
顔を上げると安堵のため息をもらした夫人とその後ろに立って肩に手をかける村長の姿が見えた。彼らだって辛かったのだろう。ボクは知らず知らず彼らに嫌な仕事を押しつけていたのだ。だからボクは、強い意志を持って答えた。
「はい」
リリの手を握りボクは立ち上がり、ついつい腰を折ってしまった。そんなボクに焦る夫妻を横目に、馬車に向かって振り向くとそこには一人不安げな表情をしたザザ様が立っていた。
「どうかしましたか?」
彼だけがそんな表情をしていたのが気になって声をかけてみる。
「いや…… その…… いいのか?」
彼の質問の意図にボクは素でわからなかったため、小首を傾げた。
「何がでしょうか?」
「だから おまえはこれから嘘をつき続けることになるんだぞッ それでいいのか?」
公明正大な騎士様にしてみれば嘘を付き続けることにきっと罪悪感があるのか誇りを汚されるのか、そんな気持ちがあるのだろう。お堅い事が騎士道精神である。でも、ボクにとって『今更』だ。
「大丈夫です 私は『嘘つき』ですから」
我ながら自嘲気味なつぶやきが漏れてしまった。だってそうだろ。ボクはすでに周りの大切な人達に大きな『嘘』をついているのだから……。
そんなボクの言葉を理解できず、なぜか彼は焦って口を開くが何と言っていいかわからないのか、言葉にできないでいた。
「それに『やさしい嘘』はあると思っていますから」
「やさしい嘘?」
ついていい嘘があるなんて堅実な騎士にはわからない精神だろう。困惑の表情を残したまま立ち止まっている彼とすれ違うとボクは、リリと一緒に馬車に乗り込んだ。中では満面の笑みを浮かべたロザリアが待っていた。
「ふふふっ これで リリは私の『妹』ですわね」
胸を張ってうれしそうに彼女が宣言する。お姉ちゃんになりたかったのだろうか。なんか微笑ましい。
「う~~ん リリは私の『娘』ですから ロザリアはどちらかというと『叔母』さんになるのではないでしょうか」
「おっ オバ……さん」
なぜか彼女が絶望の表情を浮かべる。あれ? 間違ってないよね。そんなボクらの会話を横で聞いていたリリは、きょとんとした顔のまま、ボクらを交互に見つめると。
「ロザリアおばさん?」
「お姉さんよッ」
被せ気味にロザリアはリリの肩を掴むと詰め寄った。あぁ、わかってしまった。微妙なお年頃だもんね。ステラと二人苦笑いを浮かべると、ゆっくり馬車は、ルナフィンク領に向けて出発した。
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さすがに新たな襲撃者は現れることなく、順調に旅程をこなしていたボクらは、日が沈む前に広大な森に囲まれ、大きな湖に隣接するルナフィンク領 領都『ツベーン』に到着した。
王都に比べると規模は小さいし、煉瓦造りの高い家とは違って木造のこじんまりとした家が美しい木々や花達に囲まれて立ち並んでいた。でも、自然が多いこの地域にはこっちの方が合ってるように思う。やっぱり雰囲気は大切だよ。山深い観光温泉街に高層ビル群が立ち並んでいたらちょっとアレだもの。
湖の方には立派なお屋敷がいくつも建っていた。あちらに向かうのかと思ったがどうやらあの建物達は他の貴族達の別荘なのだとステラが説明してくれる。それとは反対の森の奥の方に我らのお屋敷があるそうだ。広大な湖の景観なんてきっと綺麗だろうなと思ったのだが残念だ。時間があったら湖まで散歩に来よう。
屋敷を取り囲む森は生前合わせて見たこともない程なんだか荘厳だった。何といっても木々が高くて大きい。木漏れびがキラキラしているように錯覚すら見えてくる。道中で見てきた鬱蒼としていた森とは別の意味で入りづらそうだ。
簡素な両開きの門を抜けると、我がルナフィンク邸が見える。木造2階建てのシックなお屋敷だった。玄関前には、パリっとしたスーツに身を包んだ老齢な男性とその後ろに俯いて使えるメイドさんの姿が見て取れた。お出迎えである。実際目の当たりにすると自分が貴族だと実感する。
彼らの前にゆっくりと馬車が停車する。ドアを開くとサッとステラが先に降り立ったのだがなぜかザザ様が控えていて降車するボクの手を取ってくれた。女性に対して苦手意識がなくなってきたのかな。なかなか紳士的な態度にボクは礼を言って降りる。後ろから危なげに降りようとするリリを彼はそのまま抱き上げて腕に乗せるとボクの隣に並んだ。
「ちょっ ちょっとぉ わたしは」
後ろから憤慨するロザリアの声が聞こえてくる。苦笑いのステラに手を取られて胸に白い彼を抱えながら慌てて降りてくると、執事のセバスが頭を下げた。
「お帰りなさいませ レイチェル様 ロザリア様 よくご無事で……」
頭を上げた彼の皺がくっきり刻んだ瞳が感涙で細められていた。彼の名は、セバス・チャンドラ チャンドラ子爵の次男で、先代のルナフィンク家から使えている執事である。セバス・チャン… コレ絶対狙ってるよね。絶対ハイパー執事だよね。
「ただいま セバス 皆にも心配かけました」
ボクの言葉に後ろに控えているメイドさんも安堵した表情を見せてくれた。帰ったんだねボク。実感ないけど……。
使用人さん達が馬車に積んであった荷物を運び込んでいる間にボクらは屋敷の中に入った。リリを降ろしたザザ様は少しこの屋敷で休んでから、この領内にあるザザ家の別荘にいくそうだ。
「ありがとうございました ザザ様のおかげでいろいろ助かりました」
ボクは、きっちり謝辞を述べて頭を下げる。
「気にするな こっちは仕事みたいなものだ それに いろいろ考えさせられたよ いい経験だった」
感慨深く彼は瞳を伏せると、一度姿勢を正すと騎士の礼をボクの前でとる。その姿は正直、様になっていて男のボクから見ても格好良かった。やっぱりヒロインの騎士になる人なのだと実感した。
「お元気で」
「ザザ様も」
負けじとボクも淑女の礼を返すと、二人して笑った。
ステラに促されたボクは彼と別れるとリリを連れて自室に案内される。メイドさん達はリリの存在には何も言わず、慣れたようにテキパキと彼女を着替えさせていた。精神を病んでいるリリに腫れ物を扱うような態度が見られないのはなぜかなと思ったが、どうやら経験があるので大丈夫なのだとか……。そう、精神を病んでいるのはここにいるレイチェルもロザリアも同じモノなのだから経験あるのだ。すみません。ご迷惑お掛けしました。
リリの着替えを横目で見ながら、ボクもステラに寝室着に着替えさせてもらっている。本当は保護者としてリリの着替えを手伝いたかった。しかし、自分もまともに女性の服を着れないのに他人に服など着せられない。これは、今までのように任せてばかりいないで本気で覚えなくては。別にやましいことはないよ。全然これっぽっちも…。本当だよ……。
着替えが終わるとリリはそのまま大きなベットの上にコテンと寝転がるとそのまま夢の世界に旅立ってしまった。寝る子は育つと言うがちょっと寝過ぎじゃないかなとボクは少し思ったがあまり気にしないことにした。
「お嬢様 お休みになられますか? それともお茶にいたしましょうか?」
着替えを終えたボクにステラが声をかけてきた。
「お茶にしましょう」
「かしこまりました」
そういうとステラはお茶の準備に部屋を出た。ボクは一息つくと寝室にある椅子に腰を下ろす。その膝の上にヒョイっと上ってくる白い毛玉の姿があった。
「おまえ…… まだいたんだ」
ちょっと失礼な物言いにジロリとにらまれてしまったボクは、苦笑しながらその柔らかい毛並みを梳いてみた。すると彼は気持ちよさそうに身震いする。
「おまえもありがとうね」
ボクの謝辞に答えるように大きな口を開けて欠伸をする彼の姿がちょっとおもしろくて笑顔が漏れる。誰もいなくなった寝室にリリの可愛い寝息だけが聞こえてくる。そのはずだったが突然ボクの耳に聞き慣れた声が聞こえてきた。
「やっと帰ってきたと思ったら いろいろおもしろいことになっているようね」
「なっちゃん」
寝息を立てているリリの顔をのぞき込むように見つめているなっちゃんがこちらをみるとニヤリと口角をあげた。
「この子が私とゆうちゃんの娘なのね」
「オイ」
なんて事言っているんだこの天使は。そんなボクの半目に臆することなく彼女は話を進めていく。
「それじゃ この子にも私の加護を与えないと」
「ちょっと待った」
「何?」
待てと言うのに彼女はリリに向かってまるで食材に塩胡椒をふるかのように手を振っている。なかなかありがたみが感じられない加護の仕方だな。
「この子にもッということはボクにもかかっているんだよねその加護 いったいどんな加護なの?」
「そうねぇ 突然拳銃で撃たれても偶然拾ってつけていたペンダントに弾が当たって止まるぐらいには運が良くなるわよ」
「何 その都合がよすぎる運は それならボク 全然死にそうにないじゃないか」
「バカねぇ ゆうちゃんは世界に命狙われているのよ 世界がお得意な何気ない不幸な事故をコレが相殺しているんだから 感謝なさい」
知らなかった。ボクの存在ってそんなに危うかったの。
「ちなみに他にも 私好みの美人になることかしら」
「オイ それは私情」
「後はそうね 異常に動物や精霊に好かれる事かしら」
精霊に好かれるというのはちょっとピンとこないが、動物に好かれるのはちょっとうれしい。ボクは膝の上で丸くなっている白いモコモコ毛を撫でた。そんなボクらをジッと見ていたなっちゃんはあきれたように口を開けた。
「ゆうちゃん その子 『精霊獣』よ」
「へっ?」
ボクの間の抜けた声と彼が欠伸を漏らした声が重なり、部屋の中に木霊した。




