25
別邸に帰ってきたその日の晩。ボクは一大決心をしていた。
ステラに記憶がない事を告げようと思う。
別邸はなんとか乗り越えたがよく考えたら本邸の方の間取りもわからないのである。ここは王都故、彼女を知っている人があまりいないからいいものの、領内に戻ればレイチェルを知っている人がたくさんいるかもしれない。その度に向こうは知っているのに自分は知らないのを何とかするのは、かなり神経をすり減らすに違いない。今からでもそれを考えると億劫だ。ステラとレイチェルがどこまでの信頼関係なのか知らないけど彼女なら力になってくれると思う。 とにかくロザリアにはバレなければいい。
ノックの音と共にステラがボクの部屋にやってきた。
「お嬢様 どうかなさいましたか?」
恭しく一礼するステラの後ろにはメイドさん達の姿が見える。
「ステラ 人払いを」
そんなボクの言葉に眉を寄せる彼女は後ろにいる人達に目配せする。メイドさん達は一礼するとササッと部屋から出ていった。
ボクは更に念を入れてステラを奥の寝室に招くと扉をしっかり閉めて彼女と向き合った。ボクの突然の行動にさすがの彼女も少し表情が強ばっている。ボクもちょっと緊張してきた。でも、言わなきゃ。
「ステラ 今から話すことは誰にも言わないでください」
「旦那様にもですか?」
「そう ロザリアにも」
「……かしこまりました」
彼女は姿勢を正し了承する。さぁ、言うぞ。
ボクは意を決して口を開いた。
「ステラ 私は…その……以前の記憶がありません」
言ってしまった。彼女はどう思っただろうとチラリと彼女を伺ってみると、全然変わらない表情をしていた。あれ? そんな無反応だと逆にボクがあせるんですけど。もう一度彼女を見てみると違和感があった。呼吸はおろか瞬きもしていないのだ。
「……えっ?」
たっぷり時間をかけて彼女の閉ざされていた唇から声が漏れ出てきた。
「そっ そんははずありませんッ お嬢様は私の事を知っていらっしゃいました」
まるで感情がやっと追いついてきたかのように彼女がボクに詰め寄ってくる。突然の迫力にボクの方が面を食らった。
「えぇ あなたは私の侍女ステラです」
「そうです」
「でもごめんなさい それだけしか覚えていません」
「では 旦那様はッ?! ロザリア様はッ?!」
彼女らしくなく声が次第と大きくなっていく。周りに聞こえていないかハラハラしてしまう。
「落ち着いてステラ」
ボクの声に彼女が我にかえる。
「申し訳ありません」
彼女の興奮が冷めるのを見届けたボクは先ほどの彼女の質問に答える。
「お父様もロザリアも私の家族だということしか覚えておりません」
「そっ そんなッ!?」
フラフラと倒れそうになる身体を近くにあった椅子の背にもっていった手で支えていた。そのあまりの悲壮感にいたたまれなくなる。
「ごめんなさい」
ボクは無意識に彼女に頭を下げていた。その姿をみた彼女は激しく首を横に振ると慌てて顔をあげてボクに詰め寄る。
「謝らないでください お嬢様が悪いのではありません あんな事があったのです 記憶を失っていても仕方がないじゃないですか」
「そうです 記憶がなくなっていたからこそのここ数日のお嬢様の態度なのだと今なら理解できます」
自分で言って何だかステラは自分で納得していた。
「どこか私の態度はおかしかったでしょうか?」
「はい 何事もなかったかのように振る舞っていたお嬢様に逆に違和感を感じておりました」
そうか、平然としていたのが悪かったのか。他人事だったし。ご令嬢だからもっとビクビクしてなくちゃいけなかったのか。しかしボクは演技派でもないのでそんな事できないし、女の子を演じるのに一杯一杯だったからなぁ。
「記憶を無くされたと言うことはあの記憶も?」
あの記憶というのはきっとトラウマの記憶だ。
「えぇ 今は思い出せません 男の人が近づいても多分発作は起こらないでしょうが でも身体がその記憶を覚えているようで全く大丈夫かというと……」
「そうですか でも たとえお嬢様が私のことを忘れてしまったとしてもあんな記憶無くされた方がよいのです それがあの襲撃の代償だというのならこれ以上心を壊されるよりマシです」
彼女の無理しているとわかる笑顔が痛い。どうやらステラはあの襲撃の後遺症で記憶が飛んでいると思っているようだ。正確には違うのだが、レイチェルでなくなったという点でなら正しいのでボクはあえて訂正することはなかった。
それよりもボクは聞かなくちゃいけない。記憶がないという事はどういうことなのか。
「いいのですかステラ あの……記憶がないということは私はあなたが知っているレイチェルとは違うのですよ」
記憶喪失の人間は得てして周りの人間から見て別人に見えるなんてよくある話だ。ボクに至っては記憶云々の前に確かに別人だ。
「何をおっしゃられます 私にとってレイチェル様はレイチェル様です」
間髪入れずはっきりと彼女の言葉がかえってきた。
「それに… まぁ…… 記憶を無くされていてもあまりかわられておりませんから……」
うん、そこは確認済みだったから、セー~~~フ。同じような性格でよかったよ。
「ステラ 力を貸してくれますか?」
「もちろんです お嬢様」
彼女の強い眼差しがボクの瞳に映る。よかった。これでとりあえず記憶の問題は何とかなりそうだ。彼女がフォローしてくれるだろう。ボクが安堵している横で彼女は顎に手をやり、思案していた。
「しかし 問題はロザリア様ですね」
「そうですね 今彼女に別人だと知られると彼女の精神が……」
「ロザリア様はこの中でお嬢様と一緒におられる時間が長い方です 私が感じる違和感も彼女ならすでに感じているのかもしれません」
「何かおかしいと感じるもそれを認めない感情が矛盾を塗りつぶしているのかもしれません だからあんなにも精神が不安定なのかも」
目に見えている事実をねじ曲げるってかなり病んでいるよね。そんな状態ではいつか耐えられなくなって爆発する。
「なら私はあまりロザリアの側にいない方が……」
「いえ それはロザリア様が許さないでしょう ここはロザリア様の精神が落ち着くまで時間をかけるしか……」
「それまで 記憶をなくしてしまった事を隠さないと」
なかなかに大変なことだがボクはそれよりも酷い嘘をついている。レイチェルでもなければ女の子でもないのだ。すべてが演技のボクには今更である。
ロザリアにバレないように。バレないように。そういえば、あのなっちゃんが見せた夢の話。あの話をステラは知っているだろうか? アレは彼女にとってなんだか重要な思い出っぽかった。
「ステラ 一つ聞いてもいいですか?」
「何でしょうか?」
ボクはステラに昔ロザリアが森の中で迷子になった話を聞いてみた。
「確かに昔 そんなことがありました」
「その時 彼女を見つけたのはステラですか?」
「いえ ロザリア様を見つけられたのはお嬢様でございます」
そうだったのか 危ないッ危ないッ あっ そうなるとその時何があったのかステラも知らないということか。これは一難去ってまた一難だな。
「お嬢様 その時の記憶はあるのですか?」
「いえ うろ覚えで ロザリアにとって何か大切なことだったような」
「そうですか お力になれずすみません」
「いいえ」
これはもう運にまかせるしかないか。考え込んでいるボクに恐る恐るステラが声をかける。
「あの お嬢様 せめて旦那様にはご報告したしませんか?」
確かに父様に話した方がいい。だけど……。
「いえ 家族には知られたくありません せっかくお父様と歩み寄れたのにこれ以上彼に負い目を追わせたくないのです」
話せばきっと父様は心配し自分を責めるだろう。レイチェルのトラウマの時にもいなかったようだし、今回のことで記憶まで失ったとわかれば罪悪感でまた彼との距離が伸びてしまうかもしれない。父様はああみえて娘に対してメンタル弱いのだ。そんな事になってはロザリアの精神にも悪い。それに単純に家族に心配させたくない。
「……承知いたしました」
彼女は浮かない顔だったがすぐに承諾してくれた。とにかくステラに話ができて少し心の重みが減ったようでよかった。でも、今更だけどこれってステラに迷惑かけているのでは?
「ごめんなさいステラ 面倒をかけます」
「何をおっしゃられます 私はお嬢様のためにあるのですから」
にっこり微笑む彼女には申し訳ないのだが強い味方ができて正直ボクはホッとしていた。
その後、話し終えたボクは湯浴みをして一息つくと、ルナフィンク領に戻れば平穏な日々になるはずだと信じてベットの中に潜り込んだ。




