プロローグ
―――ここは、どこだろう?
気がつくとボクは何もない薄暗い空間に佇んでいた。周りを見渡すと遥か向こうに地平線が見える。そこはうっすらと輝き、まるで海の上で夜明けを待っているかのような感じであった。事実、ボクの足下はまるで夜の海のように黒い空間が広がり、波紋を作っていた。
「ゆうちゃん」
どこからか聞き慣れた声がボクの名前を呼ぶ。スーと目の前の黒い空間から人がスライドするように上がってきた。
「なっちゃん?」
冷たく煌めく漆黒の長い髪をなびかせ、やはり冷たい印象をうける瞳がボクを射抜く。
彼女の名前は、「羽間 奈々(はざま なな)」 ボクの腐れ縁の幼なじみだ。そんな冷たいイメージをうける彼女がそっと口角をあげると。
「お役目ご苦労様」
軽く頭を下げて彼女はボクに告げる。
「えっ え~とぉ… お役目って何?」
相変わらず唐突の会話だ。そんなボクにキョトンとして首を傾げている彼女は、ちょっと可愛い。よく黙ってれば美人さんだとかいうが、彼女は口を開けば毒舌しか出てこないずっと黙っている美人さんだった。
「そうね… あなたは、とある少女のかわりに死んだのよ」
―――えっ?
思い出した。
ボクは、18歳の誕生日にご飯をおごってくれるというなっちゃんと待ち合わせをしている途中、後ろから来た自転車に引っかけられ歩道から車道に転んだ知らない少女を助け起こすため、手を引いたら入れ替わるようにボクが…。
「そう 見事にグシャっとね」
彼女の軽い声がボクの耳に届く。言わないで思い出したくない。
「そうかぁ~ 死んじゃったんだぁボク…」
自分でも驚くほど実感もなく、やけに冷静でいられるのは、目の前にいつも一緒にいる彼女がいるからだろうか。非現実だけど彼女といると日常みたいで落ち着く。そんな感じだ。
ボクはもう一度周りを見渡してみる。死んだというのならこの不思議な空間の意味もわかった。
「ここは死後の世界? あれ? それじゃ なっちゃんも死んだの?」
「違うわ ここは狭間の世界 それに元々私は人ではないわ」
そう言うと彼女の背中からバサッと勢いよく真っ白な翼が広がった。ほんのり光り輝くその姿にボクの記憶に当てはまるモノがある。
「天使?」
「そうね… でも あなたの世界でいう天使とはちょっと違うわね」
「私はナズエル 神が生み出し世界の子を管理し運命を操作するモノよ」
「世界の子? 運命を操作するモノ?」
よくわからないが、どうやら幼なじみは人外だった。
彼女の説明によれば、世界とは神が作り上げた子供のようなモノなのだそうだ。ボクはその世界のお腹の中で生きていたようなモノらしい。いきなり荒唐無稽だね。でも、目の前でわさわさと動く幼なじみの羽を見てると自分のほっぺを抓ってみたくなる。
痛くないッ! そうかッ これは夢かッ!
いや、ボクは死んでいるんだった…
話が反れたが、ボクが助けた彼女はこの先、あの世界を少しだけ変える運命を持っていたのだそうだ。でも、ボクが生きていた世界は、変わることを嫌っている子(?)らしく、世界を変える運命を持つ者をあらかじめ死ぬように運命を変えたそうだ。恐るべき世界。
そんな我が儘を通させないように、世界をよりよいモノに変えるため天使は変えられた運命を後から変えるのが仕事らしい。物理で…。でも、世界はそんな天使の存在を嫌っており、天使は世界の中に入ると全力ではじき出されてしまうんだって。
そこで、彼女は魂となって力をほとんど封印し、あの世界にあの少女を守るため「羽間 奈々」という人間に生まれかわった。
本当はあの時、彼女を救い、運命にそってあの場で変わりに死ぬのはなっちゃんだった。でも、肝心なときに世界に自分の存在を知られてしまい、あれやこれやと妨害され現場にたどり着けなかったらしい。やるな、世界。そんなに変わりたくないのか。
だが、彼女はそこをみこして保険をかけていたのだ。それがボク、「斉藤 祐司」である。
あぁ、道理で昔からやたらと危険なことばかりする子だなぁと思っていた。階段から落ちそうになったり、川に落ちそうなったり、突然車道に飛び出したり。その度にボクは彼女の手を引いて止めた。
そう、あの運命の瞬間 とっさに体が動くように子供の頃からこっそり訓練されていたのだ。こうなると他にもいろいろ訓練されていたような感じに思えてくる。
そのかいがあってボクは見事に彼女を救い、かわりにお役目ごめんというわけである。
「怒ったかしら?」
「あまりの真実に逆に冷めたよ」
本来なら頭を抱えることなんだろうが、世界の裏側を聞いてしまうと人間なんて彼らからしたらこんなものでしょといやに納得してしまった。
まぁ、そうはいっても、ボクはもう死んでいますからね。
「それで ボクはこれからどうなるの? 生まれ変わるの?」
「残念だけどそれはできないわ…」
なんですと…
「ゆうちゃんは私というイレギュラーの所為で本来定められた運命から外れてしまったわ… 世界から除外されてしまったためこの世界での輪廻転生は無理ね」
きっとボクの運命は、あの瞬間で死ぬ事ではなかったはずだから、外れた異分子と言われれば確かにそうである。
「えっ? じゃぁ ボクはどうなるの? 消えちゃう?」
「大丈夫よ この世界の運命から外れたのなら別の世界に入ればいい」
さすが天使、言うことのスケールがでかい。
「別の世界って異世界?」
「そうね… せっかくだから全然違う世界なんてどうかしら? 例えば剣と魔法の世界とかね」
「おぉぉッ! それいいッ! 魔法使ってみたいッ 是非ともお願いしますッ」
魔法の世界かぁ~。あこがれるなぁ~。小説とかでよく見る異世界なんたらってやつだ。
「あぁ でも 小難しい魔術の理論とか覚えるのはなぁ~」
「なら大丈夫よ そこでは精霊にイメージを伝え 真力によって行使されるものだから」
要約すると、全てのモノにはマナが宿り、それを精霊に与えることで事象を起こす術となる。現代に置き換えると、精霊というアルバイトがいて店長である自分がこれこれこういう事をしてくださいとイメージを伝え、バイト料であるマナを支払うことでアルバイトの精霊さん達は働いてくれる仕組みなのだ。故に払うバイト料=マナが多いほど威力と効果が段違いになるということだ。ちなみに、精霊術はその世界では誰でも使えるものらしい。
イメージを伝えて術を行使するのは楽である。なにせこちらはアニメなどでいろいろ魔法を見ているから伝えやすい。
「それではかの世界ヴァンダルシアにいく手順を教えます」
ヴァンダルシアっていうんだ。わくわくっ
「まず 運命によって不幸な事故で死んだ者の魂が体から離れた瞬間を狙ってゆうちゃんの魂をいれて体を再生させます」
「ちょっとまってェッ! いきなり非人道的なんですけど」
「何か問題?」
「いや 普通そう言うときは転生とかになるんじゃないの?」
「正規のルートでの魂ならそれも可能ですけどゆうちゃんの魂はアレですから」
アレって何さ…。運命から外れたからか?
「それに 運命で死んだはずの人間が生き返ったら結局運命から外れることになるんじゃないかな?」
「あら ゆうちゃんのくせになかなか鋭いわね」
誉められている気がしないのはなぜだ。
「もともと運命はたくさんあるモノよ 生きているという運命もあるから外れると言うことはないわ」
「えぇ~ でも 現にボクは外れているんですけど…」
「ゆうちゃんの場合 あの少女の運命を世界が一つにしてしまったから外れてしまったのよ こんなケースは世界に関わる者にしかおこらないから安心して」
それはつまり、これから入るその人の人生は世界とは関係ないので問題ないということか。しかし、そうはいってもいささかの後ろめたさを感じる
「その人間の人生はそこで終わっているのだから変わりに歩んでも問題ないわよ むしろこれはゆうちゃんへのご褒美なんだから気にすることないわ」
さすがは天使様のお言葉は軽いなぁ~ でも、せっかくのファンタジー世界なので申し訳ないけど期待の方が大きい。まだ見ぬ誰かよ。すみません。力一杯あなたの人生を謳歌します。
「その人間は向こうの世界では貴族よ 位は侯爵 よかったわねぇゆうちゃん 贅沢三昧できるかもしれないわよ」
「おぉ 貴族かぁ~ いいねぇ あっ そうだ 向こうの言葉とか知識とかどうなるの?」
「それはあっちの体が記憶として覚えているわ だから一般常識や言語や文字など消えてしまう前に必死になって記憶をさぐりなさい」
優しいのかスパルタなのかどっちなんだこの設定。
「それから 魂が入ると数秒死ぬほどの痛みが襲ってくるから我慢しなさい なにせその体は死んでるんですから一応自動で精霊術を発動させて一気に体を再生させるけどタイムラグはどうにもしようがないのよ」
「この精霊術は上級の威力に値する治癒なのでゆうちゃんのマナ保有量をかなり多めにしてあげるわ いわゆるチート能力ね」
「ありがとう できれば治癒は早く発動してくれるといいなぁ~」
ニコッとほほえむ彼女の笑顔はどっちなの。怖いよなっちゃん。死ぬほどの痛みかぁ~ さっきも味わったような… いやいや思い出すな自分。
「それでは 始めましょうか」
そう言うと瞳を閉じた彼女の体が光り始めた。それにつれてボクの体も光り始める。いよいよかとボクは光り輝く彼女の顔を見ると、今まで見たことないゆったりとした笑顔がボクに向けられていた。
「ゆうちゃんとの18年 本当に楽しかったわ」
「天使様にとって18年なんてあっという間なんじゃないの?」
しみじみという彼女にちょっと恥ずかしくなって皮肉を言ってみる。そんなボクの言葉を彼女はじっくり噛みしめると。
「…バカね… 18年は長いわよ…」
微笑む彼女の瞳からスッと涙が滴となって流れた。ボクはそんな彼女を美しいと息を飲んだ。その時になって初めてボクは悲しさに胸が熱くなる。両親と別れてしまった事に申し訳なさを感じる。今まで関わってきた知り合いや同級生にも申し訳なさを感じる。でも、それだけだった。だからボクは死んだと聞かされてもあわてなかった。嘆かなかった。だって目の前にはなっちゃんがいてくれたから。
「大好きでした ゆうちゃん」
光りの奔流の中、かろうじて彼女の言葉を聞き取れた。とても大切でとてもせつない言葉だ。
「…ボクもだよ」
初めてボクの瞳から大粒の涙があふれ出した。悲しいよ なっちゃん。寂しいよ なっちゃん。もう会えないんだね…。
「ぐすっ うぅ… ありがとう なっちゃん」
彼女の笑顔に見送られ、嗚咽でうまく出ないボクの声は光と共にその場から消えていった。