≪1≫
空は青く壮大なキャンパス。
雲はそれを彩ろうとするがせっかくの青が隠れてしまっていて邪魔だ。
いっそ雲にもいろんな色があったらいいのにと思う。
白や微妙に灰色がかったのだけじゃなくて、緑だったり、紫だったり、赤色だったり...いや、赤色は夕方になれば空がその色の染まるから、被ってしまうのでいけないな。
となると、思いつく色がもうない...
しかし私って、本当に想像力も発想力もない人間だな。
今から自殺しようってのに、空を見ながらこんなことしか考えられないなんて。
一体、私の人生なんだったんだろう。
生きてきて18年。まず物心ついた時から、両親には「子供」として扱ってもらった記憶はないし、同級生は私をないがしろにし、時に卑下し、時に傷つけそして唾を吐いた。
私が生まれる前に多分、人の一生を決める神様みたいな存在の人(?)が、「こいつには本当に恵まれない人生を歩ませよう」と決めて、私をこの世界に落としたんだ。そうに決まってる。
生まれて18年目にしていきついた答えがこんなに馬鹿らしく幼稚であることに自己嫌悪を隠せず、自分がそんなおめでたい頭をもつことになったのは、多分親のせいでもあるし、カミ様(?)のせいでもあるんだろう。
「あんたなんか生むつもりはなかったのよ」
「お前が生まれてくるなんて思いもしなかった」
「私はあんたが生まれてから、一度もこの世界に歓迎したことなんてない」
「つらかったら死んでもいいんだぞ。俺達の関係ない場所でな」
ああ...すごく汚くて、すぐにでも私の神経がぐちゃぐちゃになるような声と言葉と、その存在が頭にフラッシュバックしてくる...忘れたくてもずっと忘れられない。
忘れられないから私は死ぬんだ。
別の場面。
「あんたってなんでそんなに臭いの?お風呂入ってるちゃんと?」
「やめときなよ。その子家でね、くすくす」
「なんで虐待されてんのに高校来れるの?」
「バイト?刑務所のトイレ掃除のバイトでもやってんの?」
「でも可哀想よねあんたって。今まで一度でも救われたことあるの?」
「そんなとこで寝てちゃ汚いよ。ま、あんたの身体よりはましか」
「いこいこ、授業始まっちゃう」
「フン、売女が」
私の頭の上で汚物のような声と汚い寄生虫がついたような言葉が飛び交う。
ペっという音とともに私の頭にねっとりとした感触がついてくる。
これも私の神経をぐちゃぐちゃにさせて、もうそれに慣れてしまうくらいの頻度で繰り広げられてきた情景の一部始終だ。
今頃になってフラッシュバックしてきたのは、多分私の人生で印象的な思い出がこれだったからなのだろう。
私は今、どこぞのビルの屋上の柵の向こう側、非力で臆病な人間が自殺するには丁度いい場所、に立ってる。
ここから地面に激突すれば、間違いなく即死できるし、もしかしたら落下途中で気絶してそのまま死ねるかもしれない。リストカットは私にとって痛くて耐えられないし、首つりはいろんなものを漏らしたりしそうでちょっと汚くていやだ。
「ああ...やっっと、私は死んで、本当に幸せになれるんだ」
季節は冬。今頃同年代の学生たちは日々受験勉強に勤しんでいるんだろう。ここからが本当の地獄かもしれない。でも私にとっては、今までの人生全てが生き地獄だったし、何に苦労するか以前に、自分自身に絶望してきた。
さぁ、手を放そう。手を離せば一瞬で世界とはおさらばだ。よし、今だ、いけ、私!!
「空自体が大きなプラネタリウムで、僕らはその下に在る小さな物体にしか過ぎない、か」
...?、誰だろう。飛び降りようとした瞬間、柵の内側から誰かの声が聞こえた。
「でも、小さな物体といえど、それにとってはそれ自身がすべてなんだ。それ自身が感じないものはそれ自身にとって何でもないし、それ自身が見ていないものはそれ自身にとって無いに等しい」
その語り口は、まるで一国の政治家や首相を思わせた。まるで演説をしているような話し方だ。誰に向けて話しているのかは分からないけど、ここにはおそらく、私とその人しかいない。
「鞄というものがあるだろう?鞄には有限的なものしか入らない。例えば学校に行く前、鞄の中を整理する。今日授業がない科目の教科書は誰でも抜いていこうとする。それは鞄のスペースを占める、その時点では邪魔な存在であり、そして何より、‘抜くと軽くなる‘から抜こうとするんだ」
私は彼の一見わけのわからない演説を聞き入っていた。
「でも、僕たち生き物の場合は違う。ここで鞄と逆になるのは‘脳‘と‘心‘そのものだ。いらないから記憶や感情を抜いていくなんてことはできないし、重たいからといって軽くしようにもそう簡単にはできない。でも、いわゆる思い出や蓄積された感情を積み上げてきたそれらも、ある種の‘カバン‘なんだ。有限的じゃない、いわゆる無限のね。だから僕たちは背負っていかなければならない...たとえつらくて投げ出したくても」
彼がそこまで言って一息ついた後、私は思いもよらずこう尋ねた。
「その文章、全部自分で考えたんですか?」
すると彼は少し笑ったような顔で
「そうだね...多少受け売りだが、僕が考えていることを言ったまでだよ。で、君はどうするんだい?そのまま落っこちて死ぬのかい?その、大事なカバンを背負ったまま、さ」
「あなたに何がわかるんですか?」
「わからないよ。でも、同じ人間だ。僕もカバンは持ってるからね」
「私のカバンなんて...汚くて、中身ぐちゃぐちゃで、自分でも開けるのを躊躇うくらいの...」
そう、私のカバンの中身は、本当に少し開くだけでも目を伏せて蹲りたくなるような、そんな...
「誰のカバンの中身だってそうさ、綺麗に整頓されたカバンなんて誰も持ってないよ。生まれた時、中身は空っぽで、汚いものときれいなものを変わりばんこに入れていくのさ。それが普通なんだ」
「でも、私のカバンの中にはそのきれいなものなんて入って...」
「じゃあ、これから入れていけばいいじゃないか」
「...は?」彼がそういった瞬間、私の心臓と身体がドキっとして、一瞬落ちそうになったが、なんとか態勢を立て直した。そのまま落ちることもできたはずなのに。
「む...無理ですよ。私なんてもう...こんなだし」
「よしじゃあ、僕と何か美味いもんでも食べに行こうか!」
「え、今からですか?」
「そう、今から、そのあと、それがきっときれいなものになる。そして生きるか死ぬか勝手にしたらいい」
私はきっと、この時から彼に対する不思議で、今まで体感したことない感情が芽生えていたように思う。
それは恋愛感情だとかそういったものでなく、言葉では表現できないような、そんな感情が。
これが私と彼との可笑しくて、そして不思議な、一世一代の初めての出会いだった。その時は全く彼の秘密なんて知らず、ただの演説が上手い男性にしか思っていなかった。