レビューは他人の褌で取る相撲
レビューもまた、私の作品である。「作者さんのために書いているわけではない」と言えば嘘になるが、純然な奉仕の精神に基づいているわけでもない。おもしろいと思ってインスピレーションを受けた作品にたいして、私自身の表現として書いている。レビューによってセールスできると思っているほど、自信過剰ではない。売る売らないということではなく、書きたいか書きたくないか。可能か不可能か。レヴューを書くにあたっては、作品を発表するのと同じ心持ちで臨んでいる。
小学生のとき、読書感想文という厭な課題があった。読書を習慣にしていなかった幼い私にとって、あれは堪えがたいものであった。「あらすじを書いてはいけない」というルールがあって、「あらすじを書かずに、どうやったら感想なんて書けるのか」と思いなやんだ。あれは高尚すぎる文学活動であって、未発達の小学生には早すぎる代物であるのだ。
教育委員会も教師もその理解がないままに、惰性で課題を押しつける。無理解な読書感想文という独善に、国語力低下の一因がある。入り口で挫折させる悪弊を、どうにか廃さなければならない……などと気鋭の教育評論家めいた論は持たないが、入り口はハードルを下げればよいと思う。国語の教科書の内容などほとんど忘れてしまっているが、星新一とムツゴロウさんの掌篇が載っていたことだけは記憶している。いきなり山葵や枝豆の味をわかれと言われても、無理な話であるのだ。
レビューとは、あの当時の私が嫌いぬいた読書感想文そのものである。あらすじを書くことが野暮であることは、いまならわかる。私にとってレヴューを書くということは、あのころの虚無を埋めあわせる行為にほかならない。
レビューを書くことで、感謝の言葉をいただける。だが、私から言わせていただく。
「私に多大なるインスピレーションをあたえてくださり、ありがとうございます。これからも勝手にレビューを書きつづけることで、物語の本質とそぐわぬものを書くことがあるやもしれませぬ。そのときは遠慮なく、お申しつけください」
作品世界を壊してしまうようなレビューを書く。私はそのことをおそれる。そのような事態に至ったときには、レビューの筆を絶つことにする。