第7話・神器盗難
数分歩いたところで、ようやく春香の実家に到着した。
「春香ちゃーん!」
あかりは声を張り上げて春香に呼びかける。
休日とはいえ既に十時を過ぎているのだ。流石に起きているだろう。
「はーい!」
すぐに元気のいい声が返ってきた。
彼女ももともと貴史たちと同じ考えだったのだろう。準備は出来ていたらしく、大した時間も経たないうちに顔を出した。
白のワンピースに薄手の長袖のカーディガンを羽織っている。
「それじゃあ、行くわよ」
あかりの掛け声で、神社へ向かう。
昨日と同じ道を行く。この道は、村人にとって歩きなれた道だった。
神社は山の麓に建っている。川沿いの道から石段を登り、踊り場を挟んでもう一度石段を登り、鳥居を潜ると広い境内に到達する。
境内に組み立てずに置かれている屋台のテントや、中央の櫓は、すっかりびしょ濡れになっていた。あちこちに水たまりができており、水たまりをうっかり踏んでしまうと、泥が靴にまとわりついてしまう様な散々な状況である。
そこで貴史は、雑談を一旦区切って頼みごとをした。
「ちょっと勝手なんだけど、作業をする前に山に登ってもいいか? 久々に山頂から村を見ようと思っていたんだ」
神社の裏手には、標高数百メートルの山がある。
決して高い山ではないが、登山家の間ではそれなりに名の知れた山である。
「そういえば、最近登る機会がめっきり減っていましたね」
「そうね。そういうことなら皆で登りましょうか」
そびえる山を見上げて、春香とあかりが頷いて賛同した。
雨が止んだばかりで、土はぬかるんでいるかもしれないが、幸いにも山道は比較的綺麗に舗装されており、初心者でも登りやすく整備されているため、大きな障害にはならないだろう。
「お、着いて来てくれるのか?」
「ええ、短冊の括りつけは、降りてきてからでもゆっくり出来ますし、貴史兄さんが久々に帰ってきたんです。少し発展した村を山頂から見るのもいいのではないでしょうか」
貴史は、春香とあかりの好意に甘え、神社を横目に山道へと向かおうとした。
その時、後ろから不意に声がかけられた。
「いいところに来てくれた、あかり君」
振り返ると、やや腰の曲がった神主が立っている。
落ち着かない様子から、彼が焦っていることは容易に想像できた。
額にはじんわりと嫌な汗をかいている。
「何かあったんですか?」
あかりたちの姿を見てから走ってきたのだろう。
肩で息をする神主は、一度深呼吸をしてから本題を告げた。
「神器が……盗まれた」
「うそでしょ?」
あかりは信じられないと、苦笑した。
しかし、神主の様子から見るに、冗談ではないと察すると、彼女は真剣な顔つきで神主に質問した。
「あの、盗まれた……って、失くしたとかじゃないってことよね?」
「はい。昨日あかりさんに貸して見せたあと、確かに蔵の箱の中にしまって鍵も閉めていたはずなんですが」
神主は、記憶を確かめるように坊主頭を掻く。
最後に見たのは、貴史たちも同じである。それ以降は、全く見ていない。
あかりが神主に神器を返したあと、神主は蔵の方へ向かっていたから、神主の記憶は恐らく間違いではないだろう。
「星田さんには知らせたの?」
「先ほど駐在所に向かったのですが、どうやら入れ違いになってしまったようで、書置きだけして帰ってきたところ、丁度あかり君たちを発見したところなんです」
「タイミングが悪いな」
困り顔をした神主の話を聞いて、貴史は唸る。
「どういうことですか?」と春香が尋ねると、彼は答える。
「ほら、昨日駐在所で聞いただろ? 恵美ちゃんが行方不明だって。多分星田さんは、そっちの聞き込みで忙しいんじゃないかな?」
この村には一つの駐在所と、一人の警官しかいない。
大きな事件が発生すると、隣町からの応援が来るが、事件性の低い案件は中々応援が来ない例が多い。
「多分、恵美ちゃんの捜索の方はじきに応援が来るだろう。だけど、同時に神器の紛失までとなると、どこまで相手にしてくれるか……」
正直厳しいだろうなと貴史は思う。
いくら由緒で伝説がある神器といっても、人命には変えられない。
「だったら、私が探すのを手伝うわ。神器は大事だもの、恵美ちゃんの安否も気になるけど、警察の人たちが捜査するよりもいい結果がでるとは思わないし、邪魔になるだけでしょうから」
あかりがそう宣言した。
「私も協力させてください!」
「じゃあ、俺も手伝うよ。要するに宝探しだろう」
あかりの言うことが最もだと感じた貴史と春香が同意する。
盗まれたと聞いた時から、少しニヤけている貴史に、あかりは呆れてため息をついた。
「貴史は本当に、推理好きよね。将来は刑事さんにでもなるつもり?」
「謎解きは趣味だよ。趣味。それが生かせるなら何も悪くないだろう?」
何しろ人では多い方がいい。山登りなんて、神器が見つかってからでも十分だろう。
「ありがとうございます!」
そのたのもしい言葉を聞いて、神主が礼を言う。
「それじゃあ、短冊の作業も山登りも一旦中止ね」
「早速問題の蔵を見てみるとするか」
***
「あちゃぁ、こりゃ随分と大胆に……」
神主に開いてもらった蔵の中を覗き込んだあかりは、思わず呟いていた。
貴史も中身を見てみると、あかりが驚くのにも合点がいった。
入口付近が酷く泥で汚れている。さっそく貴史は質問をする。
「この泥は、神主さんが見たときにはもうあったんですか?」
「はい。私が慌てて入ったせいで汚れが酷くなっている場所もありますが、もともとかなり汚れていて……そのおかげで、神器が無くなっていることに気づけたんです」
「なるほどな」
貴史は一旦蔵の中を見渡したあと、そのまま奥まで入っていく。
彼は、進んだ先に置いてあった箱を手に取って蓋を開けた。
あかりは彼についていき、心配して忠告する。
「ねぇ、貴史……あんまりいろいろ触りすぎない方がいいんじゃないの?」
「適当に見て回っているわけじゃない。これが神器の納められている箱か……確かになくなっているな」
貴史は、神器の箱の中身をあかりに見せる。彼女も手に取って中を確認したが、言ったとおり空だった。
「貴史兄さん、これからどうやって探すのでしょうか?」
蔵の入口から話を聞いていた春香が、困ったように尋ねてくる。
しかし、貴史は真剣に何かを探しているようで答えない。
それを見て、あかりは肩をすくめて代わりに答えた。
「うーん。蔵の中を虱潰しに探して何か出てくるのかしら?」
あかりは困ったように蔵を見渡す。めぼしいものは見当たらない。
だが、貴史は何かを見つけたようで、拾って外に持ち出した。
それを見て春香が尋ねる。
「それはなんでしょうか?」
「裏の山に群生している木……ヤマボウシの花びらだ」
貴史が手のひらに乗せて見せたのは、白い一枚の花びら。彼の言うとおり、この木があるのは村の中のどこを見回しても、神社の裏の山にしかない。
「よく覚えているわね。でも、神器が盗まれたことと何か関係があるのかしら?」
「まだなんとも言えないが、俺は犯人の残したヒントだと思っている」
貴史は自信満々にそう言うと、彼の推理を披露する。
「まず、この蔵には入口の扉と、反対側の高い位置にある風通し用の窓の二箇所にしか、花びらの入るルートがない。そして、窓には虫なんかが入らないように網戸が付けられていることから、花びらの入ってきた経路はこの扉しか無いわけだ」
「まぁ、そうね。でも風に流されて入ったって可能性はないの?」
「それは無い」
あかりの疑問を否定し、手に乗せていた花びらをもう一度よく見せる。
白い花びらには、泥汚れが刻み込まれていた。
「ヤマボウシの花は、丁度六月の下旬から七月の上旬にかけて咲く花だ。今日は七月の五日、何週間も前からここにあったとは考えられない。それにこの泥汚れに加えて、花びらが湿っている。昨日の大雨で花が落ちたんだろう」
「犯人がそれを靴で踏んだか何かして、ここまで持ってきたってことね」
貴史の推理をようやく理解し、あかりも頷いて続きを言う。
隣で聞いていた春香は「本当ですね」と何度も頷いていた。
「あぁ、だから今度こそ、この花びらが落ちている山を登ってみるか」
目的は多少変わってしまったが、貴史は当初の予定通り山を登ってみようと提案する。
三人集まれば文殊の知恵とは言うが、警察のような捜査能力のない素人四人が集まり頭を捻っても、これ以上何か見つかるとは思えない。
「私は蔵の中を探してから、もう一度だけ星田巡査に相談しに行くことにします」と言って、神社に残った神主を置いて、貴史とあかりと春香は、山に登ることにした。