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七夕祭の革命  作者: 夏葉夜
三日目
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第37話・彼女の革命(後)

 視界が赤く染まる。

 生理的な嫌悪感を抱かせる鈍い音と感触が、森の五感を混乱に陥れた。

 「   」

 何もかも、唐突すぎる。

 認識が追いつかない。空白が出来る。

 だが暗転していた視界が戻ると、それも終焉を迎えた。

 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 幾野が、自害した。

 そのことをようやく理解して、森は絶叫する。

 ふらりと、森の腕の中に力なく倒れ込んでくる幾野を支えようと、森もその場に崩れて尻餅を打った。二人の震える手に握られた、神器が開いた傷口から、生暖かい鮮血が雨と混ざって流れ出している。

 「なんなんですか!? 君はいったい何を考えているのですか!」

 今の話の流れのどこに自害する理由があった?

 彼女の突拍子もない暴挙の連続に、森の許容量はもう限界で、大声で問いかけることしか出来ない。

 痛みをこらえるように痙攣する幾野は、浅い息を繰り返しながら薄く笑っている。

 「これで……容疑が濃厚な私は、何者かに殺された被害者だ。事件を同一犯だと勘違いする警察は……犯人を見つけられなくなる」

 「今すぐ救急車を呼びますから黙っててください!! くっ、こんなに深く!!」

 森は、胸の傷からこれ以上の血が出ないように必死にハンカチで抑えるが、勢いはおさまらない。豪雨も手伝って、彼女の肌からはみるみる内に血色が失われる。

 森の必死の呼びかけも、もう届いていないようで、彼女はかすれた声で言葉を紡ぐ。

 「君は……君の復讐を果たすんだ。誰にも咎められやしないよ」

 「そんなの……望んでいませんよ!」

 必死で携帯電話を操って、119をコールする。

 しかし、彼の災難は止まるところを知らなかった。


 バシャリッ。


 幾野の手が、彼の携帯を水たまりに払い落としたのだ。

 「――え?」

 今度こそ、完全に思考が停止したかと思った。

 慌てて水没した携帯を拾い上げるが、ピクリとも反応しなくなっている。それは幾野の命が助からないことを意味している。どうして、彼女がそこまで死にたがっているのか理解出来なかった。

 「私の死を嘆かないで……私を恨んで。その憎悪が革命を成功させる鍵なんだ」

 どこまで、自分勝手な人なのだろう。

 森のことなど考えず、ただ思うがままに彼女はここまで突き動かされていた。それは死の断崖から身を投げ出すようなもの。彼女の意思を知り死に様を見てしまった今、森は落ちるしかない空中へ引っ張り出されたような気分だった。

 「……頼んだよ」

 それ以上何も言わなかった。

 そう言い残して、命尽き果てた彼女を抱えた彼は、全身を叩く豪雨に負けないくらいの涙を流して泣き叫んだ。「愛していた」と、そんな一言すら言ってやれる暇さえないままに、二人は永遠の別れを告げることとなる。

 彼女の革命は、そこで彼に引き継がれた。

 幾野の亡骸を抱きしめて、森は決意を固めるように呟く。

 「終わらせないさ。こんな結末……」

 寺が殺され幾野が自殺するなどという現実を、悲劇のまま認めるわけにはいかなかった。

 彼は、幾野の最後が殺人と自殺などと、話そうとは思わない。幾野が最後の凶行に走るまでは、幾野を自首させようと考えていたが変わった。

 もう全部、取り返しが付かないのだ。

 「君を止められなかった……僕の責任」

 だから森は、フラフラと立ち上がる。やらなくてはいけないことを思いついた。幾野の自殺をもみ消し、殺人を犯したなどという不名誉を塗りつぶしてやると決意する。

 「君の罪は、全部僕が背負おう」

 だから、ここからは僕の革命。中途半端では終わらせない。

 森はまず、状況の再確認から始める。このままでは警察の捜査であっという間に、幾野の犯行だとバレてしまう。事実を隠蔽し、森が犯人だという推理になるように仕向けねばならなかった。

 「人はこれ以上死なせない。だけど……徹底的にしないといけないようだね」

 現場に残された数々の証拠を全てもみ消すのは、明らかに困難である事は分かっている。どこかで脱げたのであろう幾野の靴に、幾野の服についた寺の返り血。血塗れた神器。高架下に放置された寺。その全てに森は手を加えた。

 まず必要だったのは、寺の遺体がそうそうに発見されなければならないということである。彼が死んだのは人目につかない高架下。そこから彼を暗渠に流した。現場ではなく、寺が死んだという事実だけを先に警察に知らせてやらねばならなかった。現場を見れば、だれが犯人かなんて、一目瞭然だったからである。

 森には現場に細工をする時間が必要だったのだ。

 その他にも、森は一夜かけて豪雨の村を奔走した。

 そうやって彼は、自分だけが疑われるように巧妙に時間を稼いでいくことに成功する。

 神器を紛失するなどのトラブルもあったが、警察の様子を見るに概ね彼の計画通りにことは進み、ほくそ笑んだ。

 境内と磐舟山を爆破したとき、誰しもが森こそ全ての犯人だと確信したところからも、その手際が伺える。絶対に、そう勘違いしてくれなければならなかった。

 だからこそ、貴史の指摘した共犯説に、森は心臓が締め付けられるような思いをした。

 心を殺して幾野の不名誉だけをもみ消そうとしてきた森にとって、貴史の宣言は革命の失敗を意味していたのだ。だが、彼の結論は森が幾野を裏切って殺したという結論に落ち着いている。

 最後の一戦は越えられなかった。

 幾野こそが真犯人だと……幾野は森に裏切られて殺された哀れな被害者だと、そう言う結論に落ち着くだろう。その秘密だけが荒んで疲弊した心に、僅かな達成感を与える。

 そうして緩んだ緊張からか、一気に虚しさが押し寄せてきた。

 どれほど泣いても幾野は還らない。

 森は、乗り込んだパトカーの座席で、最後まで泣き続けた。





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