第35話・僕の革命
思わず岩から身を乗り出して、眼下の惨事に絶句した。
四人とも言葉が出ないどころか、思考すら放棄したのではないかと思える程である。
打ち鳴らされる太鼓の何十倍もの爆音と、視界を真っ赤に染めるほどの爆炎が、磐舟村に轟いていた。貴史が見たときには既に、境内が黒煙に覆い尽くされ様子が見えない。
「嘘でしょ……」
あかりが呟いた。あそこには、大勢の村人だけではない、春香も村長も市長もいたはずだ。
設営されたテントも短冊も、あの爆発の中で無事なわけがない。
「本当にそこまでするとは……」
真っ先にその可能性を示唆していた松塚は、特に悲痛な表情をしていた。
その横顔を見て、貴史は思い出す。
『松塚さんは、自らが携わった磐舟村の発展を見ることが、何よりも幸せなのよ』
あかりの言葉だ。
だがそれこそが、森を復讐に駆り立てて、後戻りのできない所まで追い詰めてしまった。
松塚の幸せが、彼の目の前で崩壊していく。
「これが、隆太兄さんの復讐なのかよ」
森は爽やかな笑顔の下に、どれほどの憎悪を隠していたのだろうか。
「絹の短冊は、このことを示していたのでしょうか。なんと悪辣な……」
さすがの十条も、この事態は全くの想定外だったようで、狼狽を隠しきれない。
全ての事態が、貴史達の一歩先を行っている。
「ねぇ、早く下に下りましょう!」
「一刻も早く、状況を確認しましょう。けが人がいれば、すぐにでも介抱しなければなりません」
あかりが言い、十条が頷く。
その時、十条の携帯がけたたましく鳴った。
「警部から……ですか」
このタイミングでの連絡だ。何か重要なことが分かったのかもしれない。
だが、十条に直接かけて来たことが不思議だった。連絡なら、メールで一斉送信ではなかったか?
だが、そんな疑問も彼の会話ですぐに氷解した。
「もしもし、十条です」
『今すぐ山頂から離れなさい!!』
要件だけを伝える電話口の宮野。
その声は悲鳴であり、余裕の絶えない宮野とはかけ離れた焦燥に満ちており――
***
時間は少し遡る。
「終わっていなかった! 何にも最後じゃないじゃない!」
宮野は現場で叫んでいた。
黒煙を上げる境内を見上げ、宮野は携帯のアドレス帳から十条の番号を探している。
伝えなければならなかった。猶予は僅かしかない。手遅れになる。
***
森隆太が犯人だと判明し、貴史が現場を離れた直後。
十条から『森が磐舟山にいる松塚を襲うかも知れないから追う』といった旨の連絡が、宮野の元に飛び込んできた。
だが、そんなことで安心して丸投げするような宮野ではない。
「他に森さんが行きそうな所……」
手に持ったボールペンを下唇に押し当てながら、宮野は森の行動を推理した。
そして彼女は歴戦の刑事である。貴史たちが紆余曲折経て気づいた真実に、僅かな手がかりから推理してのけたのだ。
そう、神社が狙われることは既に分かっていた。
そして、それが間に合った。
「慌てずに! 境内から離れてください!!」
すぐさま駆けつけた現場。境内に設営されている出店の台裏に、爆弾が仕掛けられていることを発見した宮野たち警察は、避難誘導も行った。
神社の神主や村長、星田巡査が居合わせたことも幸いし、ひとり残らず境内から避難させることには成功したのだ。不幸中の幸い。未曾有の犠牲は未然に防ぐことが出来た。
そして爆発と衝撃。静かな磐舟村には似合わない、特撮ばりの爆発だった。
境内からずっと走って離れたのにもかかわらず、内蔵に響く衝撃波に襲われる。火が吹き出し噴煙が空を覆う。
圧倒的な破壊の前に、宮野は鳥肌が立った。
彼女が気づいていなければ、村の主要な人物が皆まとめて殺されていたかもしれない。
森の怨恨はそれほどまでに深いのか。
そうして内心に少なからず恐怖があったからだろう。
「森隆太を捕縛しました!」
警官から告げられた報告に、心底安堵してしまった。
どうやら、最初から群衆の中に紛れ込んでいたらしい。これだけの爆弾を自分で仕掛けておきながら、平気な顔をしてその爆破エリアの中にいる度胸は見上げたものである。
村民を避難させ、群衆が引くと、森はあっさりと見つかったという。
宮野は安堵して――引き出された森の表情が諦観に満ちていることを見て――ホッと溜息をついた。彼は何かを喚くこともなく、ただ黙って立ちすくんでいる。
だがしかし……それすらも、森の計画だと誰が気づけよう。
全て織り込み済みだった。
諦観した表情も、神社境内の爆破すら、計画を完遂させるための罠だった。
それを宮野に気づかせたのは、解決ムードの漂う現場には似合わない動転ぶりを見せていた一人の警察官からの伝言である。
小太りの彼は、しどろもどろにこう言った。
「あ、あのっ! 壊れた木箱を調査していた班がいまして。というのも、現場に残されていたのはなんとも不可解だったでしょう? 理由もなく放置するのかと、疑問を持った者がおりまして……」
水を差された気分だったが、彼女の横目はしっかりとあるものを捉えていた。
それまで黙っていた森の眉が、ほんのわずかにひそめられた気がしたのだ。
宮野はそれで気が変わると「端的に教えてちょうだい」と言う。
「先ほど木箱の木材と同じ木片が、花火倉庫で発見されたんです。で、そいつが言っているんですよ『木箱に入っていたのは爆弾なんじゃないか?』って」
「えっ!?」
爆弾と聞き、弛緩していた宮野の脳が、一気に動き出す。
「まさか……境内の爆発で全部使ったんじゃ無かったの!?」
天を貫くほどの爆発だった。アレは盗まれた爆弾を全部使ったものだと思っていた。
だがそうではないとしたら? まだ残されていて、何か企んでいるのだとしたら?
宮野は森に詰め寄ると、俯く彼の口元には嘲笑が浮かんでいた。
余裕の表情に見切りをつけて、彼女は考え込む。
「山頂に放置された木箱……その中身は空だったはず。そこに爆弾を置いてきた?」
いったい何のために?
山頂というフレーズで、十条から来ていたメールの文面がふと思い出される。
『森が磐舟山にいる松塚を襲うかも知れないから追う』
「今頃は、爆発に釘付けになっているでしょうね」
ポツリと、隣の森が呟いた。
それで全てが宮野の中で繋がる。
「山頂に爆弾を仕掛けたの!? 松塚議員がいることまで見越して……」
愕然とする宮野を無視して、森は山頂の方に視線を向けた。
もはや、境内の爆発など最初から眼中になかったようであった。
釣られて宮野も山頂を見る。
「人影……っ!!」山頂で、棒立ちの人たちがいた。
一人は松塚議員に間違いない。かろうじて十条の姿も見えた。あそこに、爆弾が仕掛けられている。彼女は、それが真実だと確信した。
「終わっていなかった! 何にも最後じゃないじゃない!」
最後にとんでもない事を一度ならず二度までも。
「もう手遅れですよ。見ていてください」
痛いほど拳を脱ぎりしめる宮野とは対象的に、不気味なほど落ち着いた声で、森はほくそ笑む。彼は待っている。このまま傍観していてはいけない。
「早く知らせないと!」
携帯を取り出して、十条が何か言っているのも全て無視して叫んでいた。
「今すぐ山頂から離れなさい!!」
電話口で、息を呑む音が聞こえる。宮野は祈るしかなかった。
それを聞いた森はうすら笑いを引っ込めて、宣言するように呟く。
「これが……僕の革命ですよ」
そして――




