第3話・七夕伝説
人口六千七百人の小さなこの磐舟村には西以外の三方を山に囲まれており、村の中央を東西に横断する大きな川が流れている。旅館があるのもこの川沿いで、村人には馴染み深い川である。
その川を、東の上流へと向かっている貴史たち。東の山の麓に神社があるのだ。
旅館のある磐舟村の西側の市街地から少し離れると、建物はまばらになる。
川沿いは桜の木が青々と茂っており、春には満開の桜が川を彩るため、村の西側は『桜瀬区』と呼ばれている。
そして東へと向かうに連れて、田んぼや畑が目立つようになる。
そこは川から引かれた縦横無尽に走る水路があり、秋には稲穂が一面に広がるため『瑞穂区』と名付けられていた。
石畳で整備された道を東の山の方へ歩いて行くと、ようやく神社へと登る石階段が見えてくる。
旅館から神社まで約三キロ。
貴史の大学生活や、村の変わったことなど雑談をしているうちに、目的地についていた。
階段を登り終えたところにある鳥居をくぐる。
既に境内には、建築会社の若者が大まかな設営に取り掛かっていた。真ん中には大きな櫓が建っている。
神社に併設された少し広めの座敷にダンボール箱を置いたところで、貴史はようやく一息ついた。
「ふぅ、この神社ももう一年ぶりだな」
「去年の七夕祭以降は、ずっと勉強勉強って言ってたもんね」
あかりは座敷の照明を点けていく。
春香が奥から小さめの箱をいくつか引っ張り出してきた。
「よいしょっと、こっちはとなり町の小学校と中学校で集めてもらった分の短冊です」
「結構あるな。全部でどれくらいあるんだ?」
「小中高は隣町の一部と合同ですから……そうですね、四百から五百枚くらいですよ」
春香が持ってきた箱に、森が先ほど旅館で受け取った短冊の束を重ねると、パンパンと手を叩いて指揮を取る。
「今年は集まる短冊が、例年の六千枚を超えるかもしれないから、手早く始めようか」
村長のじいちゃんも、裏手にある倉庫から短冊をつけるための竹笹を持ってきて縁側に並べてゆく。
それを見てようやく貴史は思い出して天井を仰いだ。
「あー……、これって手作業で笹にくくりつけるのか」
「当たり前でしょう。勝手に短冊が竹笹にくっついてくれるなら私たちボランティアはいらないわよ」
あかりは貴史の隣に座ると、慣れた手つきでダンボール箱を開いて短冊を束で取り出す。
「ねぇ貴史、ちょっと竹笹の先持っていて、私が括りつけて行くから」
あかりは器用な手先で、短冊の一枚に糸を通して竹笹に括りつけるのを実演して見せて、目配せしてきた。
見本は見せたから今度は貴史がして、と目が言っていた。
「手伝うのは願ったり叶ったりなんだが、この地味な内職はバイトか何か雇ってもいいレベルなんじゃないか?」
ダンボール箱の中に詰まっている短冊を見てうんざりする貴史だったが、それを覗いていた森は補足する。
「今年は予算を目一杯使っちゃったから、新しく雇うにはちょっと足りないんだ。でも半分近くは村の職員がしてくれてるよ。とはいっても彼らも公務員だからね。手に負えない残り半分を君たちに手伝ってもらうってわけさ」
「うーん。それなら……眠らずにやれるかな?」
貴史は伸びをして、地味な作業に取り掛かることにした。
*
数枚の短冊を笹にくくりつけたところで、ふと顔を上げた貴史の目に、境内で話をしている森や寺の姿が映った。屋台のテントの仮置きなどをしている社員たちに混じって、何やら話をしているようだ。
貴史は隣にいるあかりに尋ねた。
「隆太兄さんたちは、何を話しているんだ?」
「あぁ、隆太兄さんたちは七夕祭りのための舞台を考えているのよ。いつも通りの殺風景な神社を、どうデコレーションするかが大事らしいわよ」
「確かにそうだな」
そう聞くと、彼らの話がよく聞こえてくる。
「改めて見ると少し窮屈ですね……出店の配置をもう少し境内の外周よりにして、中央を広く取りましょう」
「それだと、境内外周に置く予定の篝火のスペースを、考え直さないといけませんな」
「屋台の手前に持ってきましょう。境内を囲む林に篝火の火が燃え移るのを懸念していましたが、同時に解決できるでしょう」
手に持った木の棒で、地面に線を引きながら図面を描きながら、図案と景色を交互に見て詳細を詰めてゆく。
大柄な寺社長は、いろんな角度から神社の全体を眺めるために走り回っていた。
山の麓に大きな敷地を有する神社は、境内も広く、中央には祭り用の五メートルほどの櫓がそびえており、その櫓を囲むように屋台が並ぶ予定となっているため、様々な方面からの見栄えを気にする必要があるのだ。
「へぇ、あの寺っていう土木建築会社の社長さん、年齢もそこそこだろうに凄い熱心だ……俺も負けてられないな」
着々と祭りへの準備が進んでいるのを見て、貴史は自然と気分が高揚する。
「寺社長さんは村のお祭に積極的ですから。最近毎日ここに来て、社員の皆さんと一緒に舞台設営をしているんですよ」
貴史と同じように境内の様子を見ながら作業をしていた春香も、嬉しそうな声で教えてくる。
これには貴史も「確かに」と頷く。
「もう祭りの前なんだなっていうのが、否応なしに感じられるよ」
「お祭りの雰囲気が感じられる理由は、多分それだけじゃないわよ」
あかりを見ると、目を閉じて耳を澄ましていた。
疑問に思った貴史だが、取り敢えずあかりに習って少し耳を澄ましてみる。
すると遠くから、聞き覚えのある音が響いてきて、直感的に思い出す。
「ああ! これって祭りの時にいつも叩かれてる太鼓の音か!」
「えぇ、多分今頃河川敷で演奏の練習でもしているんじゃないかしら。この音を聞くと、私たちは自然とお祭りって気分になるのよね」
「ここまで聞こえるものなんだな」
「この村は、商店街と住宅街以外はほとんど田んぼや畑で遮るものがないからねー」
あかりの言うとおりだった。
村にある一番大きな構造物は、最近完成したばかりの高速道路だが、あれは神社の反対側にあるため障害にはなっていない。
風に乗ってやってくる太鼓の音を聞きながら、「うーん」とあかりが伸びをするのを見て、春香もギューッと伸びをする。
そこに森や寺とは別に行動していた、村長と神主がやってきた。
「どうじゃ、捗っとるか?」
「結構順調に進んでるよ。それにしても数が多いから、中々減った気にはならないけどなー」
短冊の入った箱をつついてから、貴史は仰向けに倒れる。
「単純作業じゃから、飽きてくるのも無理はない。そうじゃな、神主の話でも聞きながら作業してみんか?」
座敷の畳に寝転がる貴史を覗き込むようにして、村長は提案してきた。
すると、真っ先に食いついたのは貴史ではなくあかりだった。
「え!? 神主さんのお話が聞けるの!? 何の話?」
目が輝いていた。今日一番の輝きっぷりである。
「もう七夕祭じゃろう? あかり君はもう十分知っとると思うが、磐舟村の七夕伝説の話じゃよ」
「磐舟村の七夕に関する伝説よね! 私そういうの大好きだから全部覚えてるわ!」
あかりは小さい頃から、この手の伝説だとかオカルトだとかに目がない性格で、村の伝説や言い伝えに詳しい村長や神主からよく話を聞いていた。
「あかりは本当に昔の話が好きだよな」
「私のオカルト好きは死ぬまで失わない予定よ。それと……その伝説の話、私がしてもいいかしら?」
あかりは身を乗り出して村長と神主に訊ねる。
「ハッハッハ、構わんよ。あかり君が次の世代に伝説を語ってくれたら、さらにこの村も景気が良くなるじゃろうしな」
高らかに笑って快諾する村長を見て、あかりは貴史の方へ向き直る。
「貴史も何回か聴いてるはずなんだけど……」
「ほとんど聞かずに別のところで遊んでたりして覚えてないぞ」
「……やっぱりね。そんなことだろうと思ったわ。じゃあ作業の手が止まらないくらいに、掻い摘んで話しましょうか」
そう言って短冊と紐を持ち直し、あかりは「全然長くない話なんだけどね」と話し始めた。
*
「昔、夜空にかかる天の川の近くに、天の神様が住んでいて、織姫という娘がいました。
織姫は機織りがとても好きで、仕事熱心な娘です。
仕事熱心な織姫に、天の神様はお婿さんを迎えてやろうと考えて、天の川の対岸で牽牛を飼っている彦星を見つけました。
働き者な彦星を天の神様はたいへん気に入り、織姫と彦星を合わせることにします。
織姫と彦星は、お互いを好きになりめでたく結婚することになりました。
しかし、織姫と彦星は、これまでの熱心な働き振りを忘れたかのように毎日遊んでばかりで、仕事をしなくなってしまいまったのです。
怒った天の神様は、織姫と彦星を引き離してしまいます。
彦星と離れ離れになった織姫は、毎晩毎晩涙を流していました。
天の神様は、流石にかわいそうに思って、年に一度だけ織姫と彦星が会うことを許しました。
その後、織姫と彦星は年に一度会える日を楽しみにしながら、一生懸命仕事に励むようになったのです」
「……流石にその話は知ってるぞ」
あかりが話を一区切りしたところで、貴史はジト目であかりを見つめた。
しかし、疑われているあかりは満足そうな顔になる。
「ふふっ、そういう反応をすると思ったわ」
「やっぱり、こんな普通の七夕のお話で満足するような性格じゃないよな……」
「ここからが、磐舟村特有の伝説ってわけよ。そもそも……、こんなの私の好きなオカルト要素全くないじゃない」
「じゃあ、この村にはどんな伝説があるんだよ?」
短冊を括りつけるだけの単純作業も飽きるので、貴史は話を続けていたが、聞かれたあかりは「待ってました」と言わんばかりで、もう作業なんてそっちのけだった。
「ねぇ、神主さん! アレって今見せてもらえるかしら?」
あかりは、村長と話していた神主に身振り手振りを織り交ぜながら、何かをお願いしていた。
「アレってなんだ?」
「見たらわかるわ。貴史も何度も見てるはずよ」
アレの正体に思考を巡らしていると、神社の裏から笑顔で戻ってきた神主が、あかりに何かを手渡した。
「ありがとうございます!」
受け取ったあかりは全力で頭を下げてから、貴史に見せつける。
「これよ、これ!」
それは、長さ二十センチ程の、竹製の黒い短刀であった。
青地に銀の装飾が施された竹鞘に収まっており、柄頭に短冊ほどの大きさの絹が束になってぶら下がっている。
確かに貴史は見覚えがあった。
「春香ちゃんも、これが何かわかるわよね?」
春香も知っていたらしく、元気よく即答する。
「はい! この神社のお祭りで使われる神器です」
「そう、神器よ神器」
「で……それは七夕伝説に関係があるのか?」
「大アリよ。ふふっ、貴史も気になってきたみたいね」
貴史や春香の反応を見て微笑むあかりは、神器を握って話し出す。
「そもそもおかしいと思わない?
毎晩泣くほど愛し合っていたのに、なんの行動も起こさないなんて焦れったすぎるでしょう?
馬鹿よね。自分から動かないと相手は答えてくれないのに。
私なら……すぐにでも川を渡って会いに行くわよ。
それともう一つ大前提。
七夕祭って、何をするお祭り?
諸説はあれど、最初に思いつくのは短冊に願い事を書いて、天の神様にお祈りするお祭りでしょう?
そのお願い事を書く……なんてこと、一般的に知られている七夕伝説の中に入ってないのよ。
まぁ、七夕物語と短冊に願いを書くのは全く別の話っていうのが定説なんだけど、この村では違う。
……ここからが磐舟村の伝説。
織姫と彦星は、天の神様に離れ離れにされちゃったけど、そんなことで会うことを諦めるような薄っぺらな愛じゃなかった。
彼らは会心して仕事に励むようになった傍らで、天の神様には秘密で文通をしていたの。
織姫は機織りで得た絹を短冊状にして、彦星に届けていたのよ。
『一年に一度でいいからあなたに会いたい』ってね。
そりゃあもう、愛する人から短冊を貰った彦星は、天の神様に認め直してもらうために必死に働いたわ。
そして織姫から届く短冊に、短刀で返事を書いて、天の神様や織姫の住む宮廷に荷物を運ぶ牛に運ばせた。
けれど織姫と彦星の文通を、天の神様は全てお見通しだった。
けど天の神様は、怒ったりしなかったの。
改心して仕事をする二人のあいだには、確固たる愛情が存在しているって確信できたから。
だから、天の神様は織姫と彦星の願いを叶えることにした。
『一年に一度だけあっても構わない』ってね」
「……これが、この村に伝わる七夕の一節。そして、今私が手に持っているこの神器こそが、織姫が綴った短冊の手紙と、彦星が返答に使った短刀なのよ」
あかりは、そう言って神器の短刀を頭上に掲げた。
「……最後の神器のくだりのせいで、一気に胡散臭くなったんだが」
「それだけじゃないのよ。磐舟村の七夕祭りで願い事を書けば、本当に願いが叶うって評判なのよ!」
楽しそうに自慢するあかりを見て、貴史も思わず顔がほころんだ。
「あぁ、その話は聞いたことがあるな。小さい頃からよく耳にしていた噂の根本には、今話してくれたような言い伝えがあったのか」
貴史は頷きつつ、あかりの掲げる短刀を見ると、なんだか神聖なものに見えてきた。
そんな気がした。
「まぁ評判ってだけで、私もこんなのに頼って叶えた願いは、何の意味もないと思うけどね」
「オカルト好きな割には、随分と現実的な発言だな」
「自分の力で叶えなきゃ……何の意味も無いってわかったのよ」
七夕伝説を話し終えると、あかりは立ち上がって神器を神主のもとへ返しに行く。
どうやら神器を借りたのは、俺にわかりやすく説明するための小道具としてと、神器に触れてみたいというあかりの好奇心があったからだろうと、勝手に貴史は解釈した。
ふと短冊の入ったダンボール箱に目をやると、短冊の数が随分と減っていた。
竹笹いっぱいに短冊が括りつけられた完成品は、もう十を超えている。
この竹笹が、七夕祭りの前日から当日にかけて、神社から階段を下って河川敷にズラリと並べられるのだ。
その情景を思い浮かべて外に目を向けた貴史は、頭上が薄暗くなっていることに気づいた。
「もう日が落ちてきたのか? ……いや、これは違うな」
座敷の縁側から飛び出して、貴史は神社の裏手の山を見る。
そこには鉛色の雨雲が大挙をなして近づいてきていた。
「一雨きそうですね」
春香も外の異変に気づいてつぶやく。
同時に、境内で作業をしていた森と寺が走って帰ってきた。
「貴史君! 春香ちゃん! これは大雨になりそうだ! 短冊の付けた竹笹と箱を座敷の奥に直しておいてくれ!」
森が貴史たちに撤収を促し、寺がそれに続く。
「今日の作業はここまでにしましょう。雨に濡れて風邪をひいてはいけませんので」
「夕立……程度ではなさそうね」
あかりは鉛色の空を見上げてため息をついた。