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七夕祭の革命  作者: 夏葉夜
三日目
39/48

第33話・4枚目の短冊

 現場から、血相を変えて飛び出していく。

 そんな貴史の背中を、穂谷は悩むように見ていた。

 彼女は図書館で市長に言われたことが頭から離れず、事件の推理もほとんど聞いていなかったのだ。今でも彼女の言葉が鮮明に耳にこびりついている。

 『あの小僧、歪んでいる』

 市長が具体的な話をしてくれなかったことが、余計に穂谷に不安の種を植え付けた。

 そして貴史を注視していた穂谷は、漠然と呟く。

 「些細なこと……それを気にし過ぎている為に、疑心暗鬼になってしまっているのかもしれませんわね」

 貴史はいつも通りだ。

 彼が十の時には、天野家で家政婦として働いていた穂谷がそう口に出す。

 「彼は歪んでなどいない……」

 そうやって、わざわざ言葉に出して否定しなければならなかった。

 そうしなければ、認めることになる。

 市長の洞察を――天野貴史が決定的にズレていることを――認めることになってしまう。

 なぜ否定しなければならないのか、穂谷自身にもわからない。

 だが直感が告げていた。嫌な予感という、なんとも抽象的だが決して見逃せない刺となって穂谷の脳裏に突き刺さっている。

 貴史の深奥に潜む矛盾。どこかで破綻して貴史が壊れてしまうのでは無いだろうか。

 気づいたら、穂谷も貴史を追って走り出していた。

 追って追いついて、それからどうするかなんて彼女は考えていない。

 穂谷だけではない。事件に関わった誰しもが、不安と焦躁に突き動かされるように駆け出していた。もう誰にも立ち止まっていられる猶予なんて残されていない。

 走りきったその先に得たい未来がある……そう信じて走り切るしかなかった。

 


   ***

 朝別れる時に「祭の最終準備をする」と言っていたあかりの言葉を思い出し、貴史が真っ先に向かったのは神社だった。

 小さい村だが、新天草区から神社までは走っても一五分かかる。

 そのあぜ道・河川敷を駆け抜けて、ようやく神社に到着した頃には、太陽は空の一番高いところまで来ていた。いつ森が次の犯行を実行するか分からない今、焦る貴史にとっては息が詰まりそうなほど長い時間であった。

 それにも関わらず、貴史の期待は裏切られる。

 神社に、あかりの姿が無かったのだ。

 今しがた抜けてきた人ごみを振り返る。誰しもが祭の準備に夢中になっていた。

 村を上げての祭なだけに、その場にいるだけで気分が高揚しそうな熱気があった。

 貴史だけが冷や汗。

 ここにいる全員が、爆弾を持った殺人犯が村の中にいることを知らない。

 この群衆の中で爆発が起きてしまえば、その被害は計り知れない。未曾有の大規模テロにまで発展してしまう。

 「くそっ、こんな時にあかりはどこにいるんだよ!?」

 肩で息をしながら、境内で立ち尽くす貴史。

 境内に群れる人ごみの中にあかりがいるならまだマシだが、神社ではない別の場所に行っているとなると、不安でどうにかなってしまう。

 だがそんな不安は、春香が駆け寄ってきたことによって一部解消された。

 「貴史お兄さん!? そんなに急いでどうしたんですか?」

 息を荒げて玉のような汗を垂らす貴史をみて、驚く春香はハンカチを取り出して汗をぬぐってくれる。彼女にされるがままの状態で、貴史は単刀直入に尋ねた。

 「春香ちゃん! あかりを知らないか? ここにいるって話だっただろう?」

 貴史の気迫に目を瞬かせる春香だったが、すぐに丁寧に答えてくれた。

 「あーちゃんなら、なにやら真剣な顔をして山に向かいましたよ?」

 首をかしげて言うあたり、あかりは目的を伝えずに磐舟山に登ったことになる。

 真剣な表情ということは、それなりの理由があってのことだろうが、ここで議論しても始まらない。

 「一人でか?」

 「いえ、十条さんが付いて行きました。一人は危ないですからね」

 そういう春香は、村長や長尾市長と共に居残り組だという。

 「いつ入った?」

 「十分くらい前じゃないでしょうか? 十条さんの携帯が鳴って、しばらくしてからだったので」

 という事は、宮野の連絡を見てからのアクションということになる。

 森が犯人だという連絡を見て山に入ったのなら、あかりたちは森の居場所を知っていたのかも知れない。

 そして、それこそ神社の裏手に聳える磐舟山。

 祭のため簡易なロープと看板で封鎖している山道の入口を見て、貴史は意を決する。

 あかりも森も、この先にいる。十分も差がついてしまっているとなれば、全速力でも追いつけるか分からないが、貴史の選択肢には森とあかりが出会ってしまう前に追いつく以外の最善手がない。

 「ありがとう助かる」

 「いえいえ……もう一つあるんです。あーちゃんたちが山に登ろうと言い出す前に話していたんです」

 短く礼を言いロープを跨ごうとした貴史に、春香が慌てて声をかけてきた。

 その唐突さに、貴史は中途半端な体勢のまま首を傾げる。

 「話していた?」

 「誰かが危ないかも……って、次は彼かも知れないって呟いたのを聞いたんです」

 貴史は驚愕する。

 彼が狙われる……?

 「やっぱりまだ続けるつもりか!!」

 次の犯行が行われることをあかりたちは推理したのだ。間違いない。

 今度こそ春香に別れを告げて駆け上がる。

 「取り敢えず急げ!」

 貴史は自分に叱咜する。

 磐舟山には、山頂に登るルートが二つあるのだが、貴史はそのどちらも使わなかった。

 追いつけないかもしれないと言ったのは、この二つのルートを使った場合。

 貴史はもう一つのルートを知っていた。

 「古い山道……斜面が急で危ないからと使われなくなった修行僧たちの登山ルートがあったはずだ」

 山の中を蛇行しながら伸びる通常の山道とは違い、こちらはほとんど一直線。

 昔の名残でそのままの命綱を頼りに、飛ぶように急斜面を攻略する。

 岩の形や木の根の這う向きを経験で覚えていなければ困難な軽業を、貴史は極限の集中力でこなしていった。このペースで行けば追いつける。貴史は確信した。もしかするとあかりたちよりも早く山頂につく可能性だってある。

 そして絶壁のような斜面から開放されると、山頂に鎮座する観音岩が見えてきた。

 「あかりっ!!」

 山頂に着くなり息も整えずに叫ぶ。

 だがそこにはあかりの姿は無かった。

 代わりに別の人物がいる。

 そこでようやく、春香が教えてくれた狙われるかもしれない彼の正体に行き当たった。

 松塚萩。磐舟村出身の府議会議員。

 彼は岩の上に立ち、眼下の磐舟村を見渡していた。

 それも数瞬前の話。

 「誰だっ!!」

 彼は刹那の速さで振り返って貴史を睨みつけてきた。

 松塚の凄まじい剣幕に思わずたじろく。

 「俺だ! 天野貴史だ!」

 聞かれるがままに貴史は自分の名前を答える。

 いらぬ問答をしている余裕は無かったので、すぐに松塚に話を聞いてもらえる状況を作らねばならなかった。彼がいま磐舟山の山頂にいるということは、松塚は森が犯人だと知らないはずなのだ。

 「松塚さん、実は……」

 隆太兄さんが犯人なんだと、伝えようとした。

 だが、その言葉は松塚の怒声によってかき消される。

 「なんだ!? 君が犯人か!? なるほど……私をも殺しに来たわけか」

 「……っ!?」

 絶句。

 なぜ、そんな突拍子もない妄言が飛び出してきたのか分からなかった。

 だが松塚の目は真剣そのものだ。

 「図星か? いったい何が動機なんだ!?」

 何か勘違いをしている。貴史には身に覚えのない糾弾だった。

 「俺は犯人じゃない! どうしていきなりそんな話になってんだ!?」

 貴史も気づけば叫び返している。

 松塚は、一瞬たりとも貴史から目を離すまいと睨みつけながら、一枚の紙を見せつけた。

 「君ならこれが何か分かるだろう!!」

 突き出された手に掲げられるは、七夕の短冊。

 それも特別、絹の短冊であった。そして印字された不気味な文字。

 『松塚萩ニ、死ヲモッテ失ッタ者ノ憎シミヲ受ケサセル』

 「これも君が書いたんだろう!」

 ようやく貴史は、松塚が声を荒げる理由を知った。

 そして彼を見て舌打ちしたくなる。彼の目には、恐怖が影を落としていたのだ。犯行予告に使われる絹の短冊。実際に二人を殺した文言は、松塚を混乱に陥れるのに十分な効力を発揮していた。

 「違う! 松塚さんの勘違いだ!」

 そうとわかれば、ますますこんな無益で無意味な問答を続ける意味がない。

 だが、弁解すればするほど、松塚は猜疑心に囚われていく。

 「勘違いも何もあるか! 私はこの短冊をさっき見つけたんだ。そこに君が来た! それが何よりの証拠だろう!!」

 話にならなかった。普段の松塚はこんな暴論を言うような人間では無いが、混乱のせいか論理も筋道も滅茶苦茶である。

 松塚は放っておいて、森を探しに行こうかとも逡巡したが、それも無駄になる。

 森は松塚を狙っている可能性が高く。森の居場所は松塚に聞かなければ、ヒントの一つも得られない。なんとしても松塚には正気に戻ってもらう必要があった。

 「いったい何の恨みがある?」

 貴史の葛藤をよそに、松塚は唸るように貴史を睨めつける。

 勘違いなのだから恨みも何もあるはずが無いので、貴史は思わず閉口してしまった。

 貴史の様子を見て、松塚はまた糾弾するように口を開こうとする。

 しかし、その直前。

 「いた! 松塚さん!!」

 貴史たちのいる山頂に、あかりが飛び込んできた。後ろには春香の行っていた通り十条もいる。彼らも急いできたのだろう。既に息が上がっていた。

 「あかり! やっと来たか!」

 あかりの安否が確認できたのと、警察官の十条が合流した事で、貴史は少し安堵する。

 「山頂が騒がしいと感じていましたが、最悪の状況ではなさそうで良かった」

 十条の言う最悪な状況は、森が松塚を殺してしまっている事態だろう。

 少なくとも、まだ森は松塚を殺しに来てはいない。

「貴史!? どうしてあんたがここにいるのよ!?」

 もっともな疑問だ。近づいてくるあかりは、汗を垂らし既に疲労困憊のようだったが、それでも無事なことに本当に安堵した。急いだかいがあったというものだ。

 それに彼らがいれば、松塚の誤解も解けるだろう。

 「あかりくん? それに警察まで……いったいこれは何事だ!?」

 案の定、松塚の悪い方への混乱は収まったようにみえた。

 「松塚さん、落ち着いて聞いて欲しい。真犯人が分かったんだ」

 「真犯人……? 君が、犯人ではないのか?」

 松塚は、短冊を突き出したまま立ち尽くしていた。彼は状況の変化について来ていない。殺害予告を出された動揺と、警察やあかりが来た安堵が綯交ぜになっている。

 そしてその問答で、状況を察したのは十条だった。

 先ほどの怒声の応酬も含めて、松塚の勘違いに気づいた彼は簡潔に言う。

 「先ほど被疑者が判明しました。被疑者は森隆太です」

 「森くんが?」

 それを聞き松塚は、森が犯人だとはまるで想像していなかったように唖然としていた。貴史を犯人と言ったのも、偶然そこに居合わせたからで深い理由などなかったはずだ。

 三人の表情から、それが真実だと悟った松塚は冷や汗をかいて謝罪する。

 「すまない。どうやら私の早とちりだったようだ……となると、私を一人で山頂に向かわせるように森くんに誘導されたわけか」

 やはりそうかと歯噛みした。その予感は、松塚が山に入ったと聞いた瞬間からあった。

 「隆太兄さんは、松塚さんが七夕祭の日に山に登ることを知っていた。それに山道に入るためのバリケードを設置するのは隆太兄さんだった。こうすれば、松塚さんだけ孤立させることが出来ってわけだ」

 貴史は一年前の夢から。そして、あかりと十条は数時間前の森や松塚との会話から、それを推理していたのだ。

 だが根本的は問題。

 「私が一人きりになるからと言って、どうして私が狙われることになる? 彼の動機はいったいなんなのだ?」

 答えはほとんど判明している。

 「隆太兄さんは、ぶどう園が高速道路の建設工事で潰されたことを恨んでいた。松塚さんも、責任者の一人だっただろう?」

 これを知ったのは、事件が発生する直前。あかりからさらりと聞いていたことだった。

 森は自らの土地を奪った人たちに、ただならぬ怒りを抱いていたことは絹の短冊からも明らか。結びつけるのは容易だった。

 しかし肝心要。貴史は抜けていた。

 「そんなことより隆太兄さんは!?」

 あかりが叫ぶ。本命の森はどこへ行った?




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