第31話・高架下(前)
「こっちだ、穂谷さん」
新甘草区に広がる新興住宅街を横目に、北の高速道路の麓までやってきた貴史は、はやる気持ちを抑えながら穂谷を呼ぶ。
ほぼ磐舟村の最北に位置するこの場所は、北の山脈の麓でもある。
住宅地と高速道路を仕切るように設けられた植え込みや金網の向こう側に、暗渠化していない人工の川が流れていた。これが、長尾から得た情報を元に辿ってきた川である。
「確かに、寺様でも通れそうなほどの川幅はありますわね。しかし、こんな上流でもこれほどの川幅とは、正直驚きましたわ」
「洪水対策に、高架下に貯水槽があるんだ。一昨日みたいな大雨で、住宅地が浸水してしまわないようになっていたはずだ。その貯水槽が、例の暗渠に繋がっているんだろう。それに……迂回すれば金網も植え込みもないみたいだし、もう少し登ってみようか」
そうして植え込みの向こう。住宅街からは見えにくくなっている高架下にたどり着く。
そこは明るすぎるほど綺麗な住宅街から一変し、山と高速道路のコンクリートによって日差しを遮られた圧迫感のある場所だった。
しかし、そんな閉塞感を味わうよりも先に、強烈な光景が視界に飛び込んでくる。
「……っ!?」
貴史の隣で穂谷も息を呑んだ。
「なんだよこれ!?」
一面に広がる血痕。
乾いたコンクリートの地面を斑に染め上げる血痕。
それが高速道路の橋脚にまで飛散し、ドス黒く固まっている。
その光景だけで、鉄臭い血の臭いに鼻が曲げられる気がするほどだ。
「もしやこれが、殺害された現場なのでしょうか?」
「そうだろうな。だが、これは予想以上に最悪の光景だぞ」
声を出し、なんとか気丈に振舞う貴史だが、実際に遺体がこの場に倒れていたら、どうなっていたか分からない。それほどまでに、凄惨な殺人現場だ。
それに、警察はこの場所を発見していないらしい。封鎖もされていなければ、見張りの警官も立っていない。貴史たちが一番乗りであった。
すぐさま貴史は、あらかじめ何かあれば連絡するように教えられていた番号に電話する。
勿論宮野刑事の事だ。この現場、この状況。一刻も早く彼女に伝えなかればならない。
数回コールして、ようやく電話が繋がった。
「俺だ! 天野貴史だ! 宮野さん、悪いが今すぐ来てくれ!」
焦りから場所を伝えることも忘れて、貴史はいっぺんにまくし立てる。
しかし、電話口の相手は宮野では無かった。
「おぉ、貴史君ですか。しかし……宮野警部は今会議中なんですよ。要件があるなら私が後で伝えましょう」
磐舟村唯一の警官である星田巡査である。
どこかのんびりとした印象を受ける彼の口調は、相手を落ち着かせる意味があるのかもしれないが、貴史に取っては気持ちが急くばかりであった。
「後でとか、悠長な事を言っている暇が無いんだ! 寺栄一さんが殺害されたと思われる現場を発見したんだ!」
「……本当かい!?」
「この後に及んで嘘をつく理由なんてないだろう」
「わ、分かった。すぐに伝えるよ」
星田は慌てて保留にし、宮野に伝えに走っていった。
貴史の剣幕がよほど険しかったのだろう。
意図せず少し怒気まで孕んでしまったのは、この場に広がる異常な光景から目をそらしたかったからだろうか。誰だって、長居したい場所ではない。
だがそんな貴史でも、ここが寺の殺害された現場だと冷静に確信できたのには理由がある。
それは一面を斑に染める血よりもインパクトのある代物だった。
異様。
殺人現場という非日常な空間の中でも一際に、異質なものが立っている。
「どうしてこんな場所に短冊の笹なんて……」
穂谷が心底気味悪そうに言ったそれ。
七夕祭で使われる細い笹が、高速道路の橋脚に立て掛けられていた。
その笹には短冊はくくりつけられていなかったが、笹の葉に血しぶきが付着していることを考えると、事件の前に置かれたことは明白。事件の前となると、まだ笹は商店街にしか設置されていないはずなので、かなり離れた住宅街にあるのは不自然であった。
そういう意味での異様。
犯人は、この場所が発見されることも計画に入れていたのだろう。そのために七夕祭が関係していると匂わせる笹などをフェイクに使っている。
昨日の段階で発見していれば、犯人の動機は七夕祭と断定し、捜査の幅が狭まったかも知れない。視野は常に広げておかなければ、用意周到な犯人の思惑にまんまとハマってしまうだろう。
そこまで貴史が頭を抱えて唸っていると、保留となっていた電話口から、ようやく宮野の声が聞こえてきた。
「もしもし、話は聞いたわ。殺害現場……見つけたそうね?」
「あぁ、そうだ。新甘草区の住宅街の北。山の中腹にある高速道路の下にいる」
「わかった、すぐ行くわ。こっちも、会議で面白いことが分かったの。後で話を纏めてみましょう」
最後に少し、宮野の微笑む吐息が聞こえた。
あの刑事は子供のような純粋な目で、犯人を追い詰める手がかりでも手に入れたのだろう。そんな不謹慎な表情が、貴史には手に取るように分かってしまい呆れて溜息をついた。
さて、彼女はいったい何を知ったのだろうか。
そして、この現場から何を導き出すのだろうか。
貴史は、穂谷とともに宮野の到着を待った。




